戦車3~帝都奪回③
それから数日、皇帝リュドミルは事務処理に追われていた。政庁は完全に破壊されていたので、政務は陸軍省で行われる。
今回の戦役は「イリ事変」と名付けられた。既に各地で種族解放戦線とベース主義者の残党狩り、首謀者の追求、反乱に協力した者の炙り出しが始まっている。
このイリ事変による論功行賞はアンセムのほぼ予想通りとなった。
テニアナロタ公やタルナフ卿の出世は無かったが、代わりにテニアナロタ公の長男が第1師団長に、タルナフの側近が第6師団長に、そしてスミルノフが陸軍参謀長に、コイスギンが警察大臣に任命される。
若い皇帝は精力的に働き、事態の収拾に努めた。その激務の後に後宮に帰宅すると、かなり疲れている様子である。
ボイラーは壊れてしまったので、浴場の修復が終わっていない。そのため自室でティトが身体を拭いていた。アンセムはその脇に控え、今回の戦闘における詳細な報告を行っている。
彼は妹の死にはまったく触れずに、淡々と籠城戦の経過を報告する。そんな、アンセムに対し皇帝は訝しがった。
「ところで、アンセム。君はどうしたいのだ」
「どうしたいと申されますと?」
「君は余の子を妊娠したのだから、今後とも正妃として後宮の万事を取り仕切り、孤閨を守って欲しいと考えている。しかし、それは男が女に望む偶像だろう。君は今回の戦いで十分な手柄を立てた。その褒美を取らせなければならない。君はどうしたいのか」
皇帝が再度尋ねると、アンセムは冷静に答える。
「陛下、恐れながら申し上げます。私は喩え身体が変わっても男であることを捨てる事はできません。そして、陛下の子を宿しても、女の役割を演じる事もできません。今回の戦いの件でそれが十分に分かりました」
「しかし、現実に君は皇家の子を身籠っているのだ。その現実は受け入れなければならないだろう」
「私は母にはなれません。腹の子は陛下と妹の子です。叔父という家族として子を意識することはできるでしょうが、女として子に愛を注ぐ事はできないと思います」
「つまり、女にはなれないので、子供が産まれても母にはなれないと?」
「はい。自分の股から子が産まれさえすれば母親として使命を全うできるわけではありません。子には母の愛が必要です。母と子とはただの遺伝子の繋がりだけではないと思います」
「そうか…… では君は男としてどうしたのだ?」
アンセムは、男としての敬礼をしてから述べた。
「陛下、私は自分の実力を発揮できる名誉ある職につき、愛のある美しい娘を妻にして、幸福な家庭を築きたいです」
皇帝はその男の回答に驚く。
極めて平凡な、普通の男なら誰でも言いそうな願望を言ったからである。
「男としては普通の回答だが、それはこの世界に男という存在がいる限り、永遠に続く不変の願いなのかもしれないな。いいだろう、私に出来る限りその願いを叶えよう」
結局、アンセムは男としての幸せしか求めることはできなかった。
エリーゼの身体で、その願望は違うという気もしたが、自分を偽って、他人の幸せを自分の幸せのように願っても、それは違うと考えたのである。
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後宮の片隅に簡易のマキナ教会が築かれた。
そこには、白く美しいウエディングドレスを着た娘、マリアン・デューク・テニアナロタが、マキナ教に古来より伝わる儀式に則って、新しい夫を迎える為に祭壇に控えている。
通常、その儀式では、その娘を妻に迎えるべく祭壇に入ってくるのは、男性用の礼服を着た男であろう。ところが、祭壇に上がって来たのは、同じく白く美しいウエディングドレスを着た娘であった。
祭壇の向かいに位置する皇帝は宣誓する。
「今ここに、我が正妃兼、政庁警備隊長アンセム・リッツ・ヴォルチと、我が第一妃マリアン・デューク・テニアナロタの婚儀を行う」
祭壇の上のウエディングドレスを着たマリアンと、同じくウエディングドレスを着たアンセムを見て、儀式を客席から見ていたアンセムの元恋人のミュリカは冷めた目をしていた。
「なんなのこの屈辱。本来は新婦が主役の結婚式なのに、新郎が新婦と同じぐらい美しい姫君だなんて」
ミュリカはもっともらしい意見を述べたが、実は、彼女はそれ以上に屈辱を受けていた。
かつて、彼女は、自分より下の位階の貴族であることを理由にその男と別れた。ところが、その男は今、帝国で最高位の立場の皇帝の“妻”となり、そして、さらに帝国で最も名誉ある貴族の娘を“妻”に娶ろうとしている。
だが、ミュリカは別に目の前の元彼とよりを戻したいとか、付き合っていればよかったとか、そういう風には考えない。
理由は簡単である。身体が女の男なんて嫌だ。
その儀式の祭壇の上で、アンセムの後ろに控えてドレスの裾を持っていたメトネは、その可愛い頬を膨らませていた。
「自分の結婚式に、自分の愛人にブライドメイドをさせるとか、絶対ヘンよ、ヘンだわ!」
そして、アンセムに狙いを定めた女の視線で、この後で自分が愛人として寵愛を受けたいというオーラを滲みだしている。
「まぁ、男は奪い取るのがアリスの性に合っているから、今はマリアンに預けておいてあげるわ」
メトネはアリスの本性に忠実な発言を行った。
それを隣で聞いていたマイラは、なるほど、こんな本性を持っていれば、ラグナの女性達がアリスを嫌悪する事は絶対になくならないだろう、と思った。
そして同じく、ドレスの裾を持っていたマイラは、結婚というものにあこがれる普通の女性として、目を潤ませている。
「お嬢様もマリアン様もとてもお綺麗だわ……」
アンセムとマリアンは、誓いの言葉を述べた後、唇を重ね合わせる。
新婦のような新郎は新婦を優しくリードすると、マキナ教会の外へとゆっくり歩き出した。
いつの時代、どこの世界でも、男と女は違う遺伝子を持つ生き物。
その精神と身体の機能の差は、異種族の男同士、女同士の違いを上回るだろう。だから、いつの時代、どこの場所でも、お互いの齟齬が生れ、考え方の違いも生れる。
だが、どこの世界にも必ず分かり合える男女がいるように、異種族との関係もきっと分かり合える手段があるはずだ。
それは男女が分かり合う為には単純な方法では解決しないように、容易な手段では見つけられない。
それは生物がずっと多様であり続ける限り課せられた、遺伝子の戦術なのである。




