戦車3~帝都奪回①
皇帝リュドミルが直卒する皇帝軍は、帝都でのクーデター発生の際、バルハシ湖の南方を進軍中だった。
帝都への出頭を拒み、帝国政府から討伐を宣告されたイリ市を治めるマクマード・コンテ・イリは、3年前のカラザール伯を真似て、有利な地点で防御を固めていた。
イリ市はタリム共和国とハイランド王国に隣接し、北にバルハシ湖がある山岳地帯で、守るに有利な地形と言える。
しかし、イリ伯軍は戦う前から早々に崩壊する。
皇帝直々の出陣による反乱軍の士気への影響は、ある程度折り込み済みではあったが、想像以上に絶大な効果があった。
ゆっくりと進撃する皇帝軍に対し、人望なく、かつ大義もないイリ伯軍は戦う前から脱走者が続出、あっさりと防衛線の維持もままならない状況に陥った。
そのような状況で、皇帝は帝都でのクーデター発生の報告を受ける。
宰相や宮女達が後宮で籠城していることを知った彼は、急いで帝都に戻ろうとしたが、側近たちに制止され、さらに正妃のアンセムから手紙を受け取ると、考えを改めてアカドゥル渓谷まで戻って地道な攻略戦を開始した。
帝都南方のアカドゥル渓谷に進出した革命軍のリーダー、議長のラブロフ率いる本隊は、革命に集まった市民達が主体で、数はともかく練度が低い。
だから、帝都を速やかに抑えて、要人を人質とした上で、帝国の経済圏を確保し、皇帝軍を待ち伏せする予定であった。
ところが、政府要人達が後宮に逃げ込んで籠城されたために、部隊を帝都から動かすことが出来ない。
渓谷側にいる本隊も、革命の勢いがあるうちの短期決戦を企図していたが、皇帝軍は地道な攻略戦を始めたため、革命の熱が冷めてくると次第に脱走兵が続出した。
さらにアカドゥル渓谷南方のカラザール伯や、隣国ハイランドが皇帝軍に強力な援軍を送り、日和見だった東方の州都も、帝政派を鮮明に表明しだすと、戦線の維持が苦しくなる。
そして、クーデター発生日からちょうど100日目。
後宮を包囲していた革命軍は、帝都から順次離脱を開始した。
アカドゥル渓谷で戦っている革命軍本隊が皇帝軍の攻勢にあって苦戦し、合流を求めてきたからである。
包囲軍司令官のリスノーフは占拠した重要な省庁に少数だけの兵を配置し、ただちに移動を開始した。
後宮の指揮所で敵軍撤退との報告を受けたテニアナロタ公は、躊躇せずただちに反撃を決定する。
革命軍によって3ヶ月間、言論と生活を抑圧されていた市民達もこれに加わり、帝都に残った革命軍の兵達は、その日のうちにほぼ全員が降伏した。
そして瞬く間に、帝都近郊のアスタナ要塞を除く主要施設をすべて奪還する。
さらにアカドゥル渓谷で皇帝軍と戦っていた革命軍の本隊は、アスンシオンから移動した援軍の到着を待たずに敗走した。
噂の移動は軍隊よりも早い。帝政派が帝都を回復したとの知らせを聞いた革命軍の兵士達は、我先にと脱走したのである。
すでに種族解放戦線及びベース主義者のクーデター失敗は誰の目にも明らかであった。種族解放戦線の議長ラブロフは、各々運動員に潜伏を指示して、脱出していった。
ラブロフ、リスノーフ、ブレスデンら革命軍の首謀者らが去り、主力軍の消滅を受けて、アスタナ要塞は降伏勧告を受け入れ、明け渡される。
帝国歴3016年3月中頃、帝都にようやく解放の時が訪れたのである。
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後宮では、メイド達が後片付けに追われていた。革命軍が帝都から離脱を開始したという情報を得た後、籠城していた男達は、皆目を血走らせ雄叫びを上げ、帝都市内へと掃討戦に出ていった。
反乱の鎮圧という功績と籠城という環境からの解放の絶好の機会を感じた彼らは、男性ホルモンの支配するままに、己の敵を打ち倒すという本能に委ねて突進していったのである。
アンセムは、自分も昔はああだったのかな。と思う。今の彼の身体は、絶好の反撃の機会にも関わらずそれほど興奮しない。掃討戦に参加して敵に止めを刺す必要は理解していたが、そんな強い衝動は起きなかった。
だから、アンセムは宮女達とここに残り、我が家を少しでも住み心地の良い場所にしようと後片付けをしている。
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アカドゥルの敵を敗走させた皇帝が明日帰還するという情報に、陸軍省に設置された臨時の政庁では、アスンシオン市長のフィリップ・コイスギンが皇帝凱旋式典の準備を始めていた。
アンセムは、テニアナロタ公、タルナフ卿らと共にその会議に出席していた。既に腹の子はそれなりの大きさとなり、外見からも脹れているように見える。
コイスギンは、多数の市民を動員した皇帝帰還と帝都の解放を祝う大規模なパレードを提案している。
しかし、アンセムは彼を冷ややかな目で見ていた。
そもそも、この男はクーデター中、何処に隠れていたのだろう?
クーデターの際、籠城に協力するわけでも、革命軍に協力するわけでもなく身を隠し、彼らが帝都を退去した後にひょっこりと現れ、市民を扇動して追撃戦に加わった。
ただし、一応、全てが終わってから現れたわけではない。
帝都主要施設の奪還後まで身を隠していたアスタナ要塞の司令官フリオニール・リッツ・ココツェルンや、当初革命軍寄りの言動をして、革命軍退去後に変節した法兵総監ドリアス・ヴィス・アンブラジエーネよりはかなりマシというべきだろう。
彼は、ほぼ、事件が終わりそうなタイミングに現れて、自らは帝政派だと強く主張したわけである。
アンセムだけでなく、テニアナロタ公もタルナフ卿も、参謀のスミルノフでさえも彼を訝しがった。
とはいえ、彼より糾弾するべき当事者はたくさんいた。
帝都のクーデターが早期に成功し、初期の革命軍の手にあっさりと武器が渡ったのは、アスタナ要塞の早期陥落が要因として大きく、要塞司令官のココツェルン卿の責任は大きい。
また、革命軍が十分な法兵戦力を持っていたのは、この法兵総監アンブラジエーネ卿の優柔不断な言動も影響が大きかったのだ。
今回の件で、帝都防衛に携わった者達は出世するだろう。なにせ要人ばかりかなりの人間が殺されてしまったから、席は大分空いている。
テニアナロタ公の宰相の地位は変わらないだろうが、もう高齢だ。あと数年程度しかその地位に留まれないだろう。後任者は、実績を考えればタルナフ卿が任命される可能性を、誰もが噂している。
参謀総長の前任者は殺されてしまったので、おそらくスミルノフが任命されるだろう。
スミルノフは勉強ができるだけの凡庸な男で、正直言って参謀総長など器でないと思うが、現実に後宮防衛に携わったという実績は評価されて然るべきだし、序列からいって妥当である。
警察省の大臣は、もしかしたら、この市長のコイスギンがなるかもしれない。革命派の取り締まりは最優先事項であるし、実際に現在の帝都で市長のコイスギンは、潜伏しているベース主義者や種族解放戦線の運動員の検挙活動にあたっているのだから、上手く既成事実を作ってやろうという魂胆がまる見えである。
戦後、行われる人事を考えながら、アンセムは考える。
いったい自分はどうしたいのだろう。
後宮に来る前は、皇帝陛下の治世で出世しようと考えていた。ヴォルチ家のための名誉を守ろうと考えてもいたし、もし、帝都でこのような暴動が起これば、先んじて政庁に集結し、実戦経験豊富な工兵士官としての才覚を発揮して政庁防衛の指揮に加わっていただろう。
今回やったことは立場が違うだけで、それと変わらない。だが、身重になってしまった今、名誉とか、出世とか、そんなことはどうでもよくなってしまった。
身体が女だと、人生の目標も変わるのだろうか。
アンセムはそれを否定したかった。どんな姿でも、自分は自分だ。アンセム・リッツ・ヴォルチとして生れ、その魂に違いはない。女になっても、子供を孕んでも同じ事だ。
市長のコイスギンは、正妃であるアンセムに、皇帝の隣に鎮座して共に市内へ入り、パレードに参加するよう要請した。美しい正妃が皇帝の隣で市民に手を振るパレードは、市民から歓迎されるよくあるパターンである。そして、実は帝都の市民の間でも”鮮血の姫”という渾名は広まっていた。
しかし、アンセムはコイスギンの要請を拒否して、後宮で皇帝を迎え入れることにしたのである。




