戦車2~後宮籠城戦⑤
翌日、アンセムはタチアナを連れて捕虜の尋問を行っていた。捕虜となった航空騎兵隊、シュペルミステールの副隊長マシェリはタチアナと航空騎兵士官学校で同期だったという。
「革命ごっこで捕まって虜囚とは情けないザマね」
タチアナは捕虜のマシェリに対して嘲るように言う。
「なにを言っているのかしら、私になにひとつの科目でも及ばなかったタチアナが、こうやって勝ち誇っていられるのは、あなたが貴族の特権と、男に縋って生きているからよ。それは貴方の能力でも努力でもなんでもないわ」
「な、なんですって……」
タチアナは反論に窮する。さすがは航空騎兵のエリート、なかなか強気で弁も達者だ。
アンセムが尋問に割って入る。
「ところで、シュペルミステール隊の第一中隊の隊長はアンデミリカだったはずだが、彼女はどうした?」
シュペルミステール隊の第一中隊と第二中隊は、施設を共有しており、よく交流があった。実際、アンセムがこの後宮に入る3日前、第一中隊の隊長アンデミリカ・リッツ・ウースターと一緒に打ち合わせをしている。
アンセムが質問すると、マシェリは視線を逸らして答えた。
「彼女は我々の崇高な革命に反対したわ、今は捕虜としてアリタに収監されています」
「君は、航空騎兵の捕虜がアリタに収容されるという意味がどういうことか分かって言っているのか」
アンセムはその言葉に酷く落胆して呟く。
マシェリは頭の回転の速い娘だった。彼女がどうなったか知らないわけがない。
「彼女はヴァルキリー族独立という崇高な使命が理解できないんだもの、仕方がないわ」
アリタとは、帝都で低所得者が暮らす貧民街、歓楽街である。異種族が多く暮らし、娼館やギルドなどがあった。違法な店も多い。
ただ、アリタに収容されるというのは、直接アリタのある場所に連れて行かれるという意味ではない。女として売られた、という意味である。
「アンデミリカは味方だと思っていた仲間に裏切られて汚されたんだぞ。君達は弱者救済と平等という理由をつけて、体制への不満を暴力的欲求の捌け口にしているだけじゃないか」
アンセムはメトネを呼ぶと、メトネはスキュラを連れて現れた。
「スキュラ!? こんな化け物を飼っているなんて、帝政派はやはり鬼畜ね」
スキュラのチャルクリクは宿主の身体であるサッラの顔をにやませて返事する。
「何を言っているのぉ? アナタ達の運動員が私をここに派遣したんでしょお?」
「嘘をつくな! 我々はスキュラなど人間として認めていない」
チャルクリクはマシェリに、ベース主義に参加して後宮に潜入するまでの経緯を話した。それには、ベース主義者の運動家の詳しい反乱の経緯や、上層部しか知らない事実が含まれている。
「ま、まさか……」
「ベース主義は『種族は全て平等に独立するべき』という思想なのよ。アナタ、そんなことも知らないのぉ?」
チャルクリクは挑発的に煽る。
「化け物! お前なんか人間じゃない!」
「ヒドイ事いうわぁ。アタシ達スキュラだって、生物学上は人間種なのよぉ? アタシの暮らしていたタリム共和国では、スキュラだって普通の男として市民権を持って平等に暮らしているのよぉ?」
「それは遅れた退廃的な文化だからだ。我々開花された文明人は貴様のような寄生虫を人間とは認めない」
「アナタ達のリーダー、ラブロフはタリム共和国のカシュガル大学で学んだんでしょう。ベース主義の研究だってそこが源流なのよ。頭のいいアナタはそれを知っていて目を逸らしているのかしらぁ?」
ヴァルキリー族は、ラグナ族によって衰退に追い込まれたが、実は衰退の要因はそれだけではない。その大きな原因の一つとして、女性に寄生する種族が多数現れたことによる。
スキュラはその中でもヴァルキリー族を混乱に陥れさせた最大の宿敵ともいえた。
アスンシオン帝国では、スキュラやオークやミノタウロスを人間と認めていない。ラグナ族第一主義が強い帝国の西のエルミナ王国のランス族は、ラグナ系の諸派しか人間と認めていない。タリム共和国では、カチュア族の統制支配下にない種族は人間と認められていない。
さらに歴史を刻む黒の石板の解析では、かつて人類がH属のある一種類しかなかった頃、同種族でも容姿や能力の違いで他者を人間として扱っていなかったことがあるらしい。
そして、それは異種族間だけではなく男女間でも同様である。
アンセムはチャルクリクを制すると話題を変える。
「マシェリ。君達の主張するように、確かに帝国は不平等かもしれない。帝国の“啓蒙の法”は全ての種族に公平ではないと思う。スキュラ族やオーク族は人権を認められていないし、さらに自治区のない少数種族の権利にも公平だとは言い難い」
「もちろんよ、帝国は種族や女を弾圧する抑圧装置、人々の平等の為に破壊しなくてはならない。だから我々は立ち上がったのだわ」
「でも、極端な平等主義が行き着いた結論が、遥か昔のヴァルキリー族の帝国なんだろうと思う。彼女達の帝国は、他の種族をすべて駆逐して、男の存在すらも消してしまって、それで平和を築くような時代だったんだろう」
「我々ヴァルキリー族は世界を一万年の平和に導いたわ。その間、人類は争いもなく豊かな時代だったのよ」
「しかし、その一万年の間に人類は何か進歩したのか。それに、種族はそれぞれ精神的な考え方も、肉体の能力によっても大きな違いがある。君達女と、我々男にだってね」
正妃のアンセムが男だと主張した事に対し、マシェリは何を言っているのか理解できなかったが、彼女はすぐに反論を開始する。
「後宮なんて、女を抑圧する悪習だわ。あなたこそ後宮の出来た由来を知っているの? ここは、ラグナの皇帝の快楽とヴァルキリー族の力を奪うために、娘達の自由を奪って無理矢理子供を産ませる目的で作ったのよ。女を快楽と子供を産む道具としてしか見ていない、まさに男が女を抑圧するための装置そのものじゃないの」
彼女の言う事は、その通りである。後宮は、皇家の血筋の子供を作るために、女を集めたのだ。
また、彼女の指摘通り、かつてラグナ族諸派がヴァルキリー族に対して蜂起した時、捕虜にしたヴァルキリーの娘を捕えて収監し、ラグナ族の男達によって、各ラグナ族の勢力拡大の為に利用されたという。
事実かどうか証明する手立てはないが、男女の生理的構造から考えてありうるだろう。
実際、ラグナ=ヴァルキリー族など、遺伝子的にラグナ族に取り込まれたヴァルキリー族はとても多い。
「しかし、各々の種族が望む平等だって、ヴァルキリー達の望む平等だって、女が望む平等だって全て違う。それは各々の種族、男と女も社会と文化に折り合いをつけていくしかない。それを特定の価値観を押し付けて無理矢理に平等にしようというのは、それは逆に不平等なのではないか」
「それは、あなた達ラグナ族が社会を支配している権力者だから言えるのだわ。独立を与えられていない私達や彼らには、何も言う事が出来ないのよ」
「君達の平等主義はとても尊いものだ。それは少数意見であっても尊重されるべきだし、その努力の結果、議会でも一定数の議席と支持を集めているじゃないか」
「我々の力が少数に抑えつけられているのは、権力による抑圧によるものよ。私達は絶対に正しい。あなた達の権力による抑圧がなければ全ての人類は、私達の理想に同意するはずだわ。そのためにはどんな戦いだって苦にはしない」
「君達は、その戦いの為に、このスキュラを後宮に送りつけてきた。君は、君達の仲間の隊長を、後でどんな目に遭うか知っていながら引き渡した。それでも君達が絶対に正しく理想を実現するためにどのような犠牲や手段でも許されるなら、それは理想主義者ではなくただの狂信者だ」
「そんなこと言っても、私達の独立への決意は揺るがないわよ。私は汚されても死ぬまで私達独立と種族の解放の為に戦う。そこの化け物に私を汚させるのかしら? それとも今から拷問でもするの?」
「ふふっ、それは美味しそうねぇ……」
微笑むチャルクリクに対して、アンセムはそれを否定する。
「我々はそんなことはしないさ。それは我々の信じる“啓蒙の法”に反することだ。私達は君達の理想では、不平等で不公平な社会かもしれないが、その不平等で不公平な“啓蒙の法”が、君達の身分を保障している」
「権力は必ず腐敗するのよ。その腐った権力者達が勝手な都合で決めた法なんて、なにが法よ」
権力の腐敗…… アンセムも痛いほど身に染みている。バイコヌール戦役自体、権力の腐敗が根本の原因だ。
伝承ではヴァルキリー族は清廉な種族で、不必要な欲を抱く事はなく、少なくとも彼女達の間では平等な社会が築かれ、その間大きな戦争もなく1万年もの間大陸を治めたという。
しかし、結局、遺伝子の反撃を押さえることはできなかった。男が変化したスキュラ族は狡猾なやり方で女性の肉体に寄生し、ヴァルキリー族を混乱に陥れた。そして、巨人族のベリアル族も性別転換という能力で反抗を開始、その後にラグナ系諸族も反乱を起こした。
種族と性別という壁は、遺伝子の差である。そこには生物の本質的な違いであり、遺伝子が人間の文化的思想や主義を受け入れているわけではない。その部分を無視することは、きっと現実的ではないのだろう。
「政策論議は戦いが無事に終わって、君か私が生きていたらまたすることとしよう。君達は今日、捕虜交換で相手側に戻る」
アンセムは捕虜交換の話を切り出す。マシェリらヴァルキリー族は自分達に何も処置されていないことを驚く。通常の戦争では彼女達航空騎兵が捕虜になると、二度とユニコーンに乗れないように処置されるもの。それは男が1人いれば極めて簡単に済む方法である。
「捕虜交換だと…… このまま戻れば、我々はまた敵になるぞ」
「それは、仕方がない。理想が違えば、敵対する事もあるさ」
結局、アンセムの理想は、ラグナ=ヴァルキリー族のマシェリと妥協点を探る事は出来なかった。
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総力戦の翌日、籠城する帝政派はすぐに捕虜交換を提案した。
条件面は革命軍側に有利と思われる内容だったため、数日間の検討の後、革命軍側も了承する。
条件は、籠城側が、革命軍の捕虜兵士約1500人を返還する。それに対して、革命軍側が、捕虜の兵士約150人と、3000人分の1カ月分の食糧と交換するということである。
スミルノフ参謀はこの交渉に反対した。敵の兵士を1500人も増やすことになり、大きな不利だと主張したのである。
「参謀の意見は、軍事学上正しい意見ですが、捕虜を1500人も長期間受け入れる施設はここにはありません」
アンセムは別に人道上から捕虜の解放を訴えているわけではない。彼なりの計算があった。
「以前にも申し上げた通り、籠城戦では物資の確保は人命よりも優先されます。反乱軍は籠城戦の判断でそこまで徹底した意志疎通ができているとは思えません。この提案を蹴れば、彼らは食糧惜しさに人命を軽んじた事になり敵の士気は下がります」
「彼らを即決裁判で死刑にすればよいだろう。そうすればメシも喰わせなくて済むし、相手の士気も落ちるはずだ」
スミルノフ参謀は“啓蒙の法”に照らして処刑するべきだと主張する。確かに反逆罪は死刑である。
「軍事作戦の一環として捕虜の交換は“啓蒙の法”でも認められているはずです」
アンセムは捕虜交換でも法に違反しないと反論する。
「敵は、籠城側が捕虜を処刑する事は計算しているでしょう。きっと、今頃、捕虜が処刑された時に出す為の非難声明文でも一生懸命に印刷していますよ。その宣伝が成功したら市民の中にも彼らにより同調するものが現れるかもしれない、そうすれば1500人減らすより、もっと増えるかもしれません」
「しかし、敵に確実に1500の戦力を補充することになるのと、あるかどうかわからない不確定な要素を比較するなど……」
アンセムとスミルノフの激論を制したのはタルナフ卿だった。急に豪快に笑いだしている。
「面白い、さすが“鮮血の姫”さまだ」
アンセムは、自分が市民からその渾名で呼ばれている事を掴んでいた。籠城しているといっても偵察は出しているし、市民の中で帝政派に密かに協力している者も少なくない。
「参謀、どうだろう。その条件で捕虜交換を提案してみて、相手側が拒否すれば参謀の案の実行を検討するというのは。我々は孤立した拠点に籠城している側だが、策は柔軟な方がいい」
アンセムは感心する、夜襲の時もそうだが、タルナフ卿は確かに有能な将軍のようだ。
彼は野心家と批判されるが、その豪胆さと決断力は男性ホルモンから作られる強力なリーダーシップを示し、有能さの裏返しなのだろう。もちろん、彼が愛人宅から政庁に逃げ込んだように、そっちの活力も盛んなのであろうが。
この案は総司令官のテニアナロタ公が了承し、捕虜交換の意志は直接捕虜を1名解放することで敵側へ伝えられた。
捕虜交換は、革命軍側でも、食糧の提供が事態の長期化を加速させるだけだと否定的な意見もあった。しかし、アンセムが見抜いた通り、わずか一カ月程度の食糧惜しさに革命の同志を見殺しにしたとなれば士気の低下を招く事になり、逆に3000人程度たった1ヶ月分食糧が不足しているなら、それは後宮側の窮状を示しているのではないかと判断された。
実はアンセムの狙いはここにもあった。
「先に示したとおり、籠城戦で物資は極めて重要ですが、それ以上に、この交換は敵にこちらが“食糧が減っている”と思わせる事が出来ます」
「確かに表面上は、1500人分の捕虜の食糧が惜しくて、3000人分の1カ月分の食糧を確保したようにみえるな」
「はい。敵はこちらが1カ月と少し待てば物資が窮乏すると判断するでしょう。敵がそう判断すれば、損害を恐れて強攻するという選択肢がなくなります。誰だって命は惜しいですからね」
「そんなに上手くいくだろうか?」
「援軍を持つ籠城側にとって最も重要な事は時間を稼ぐ事です。我々には6カ月分以上の食糧があり、時間を稼げば稼ぐだけ味方は有利に、敵はそれだけ不利になり、選択できる戦術の幅も狭まります」
その2日後、再びアティラウ公の息子、ブレスデンが訪れ、後宮南東の円塔とその濠の対岸で捕虜の交換が行われた。
マシェリを含めた航空騎連隊の女性達や、革命軍の兵士達はそれぞれ負傷している者が多く、それぞれ包帯などを巻きながら後宮内から出てくる。
捕虜交換は後宮側が捕虜10人を解放する度に、革命軍側が得ている捕虜1人と食糧が運び込まれる手順で行われた。
彼は、捕虜たちにわざと籠城側の食料が窮乏しているような印象操作を行ったが、それが上手くいったかどうかは不明である。




