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戦車1~鮮血の姫④

 帝都アスンシオンは、あらゆる政府機能が集まる一極集中都市だ。


 人口が集中しやすい理由は、帝国領の大部分が、冬季は強力な寒気団に覆われかなりの寒さになることによる。

 帝国の西には温暖なアラル海があり、西に近いほど春の訪れが早く、農業生産が有利である。さらに土壌が肥沃で降雨も多いため、農業生産が有利だった。

 そして帝都周辺はクリャージ川の豊富な水源によって灌漑が整備され、エステル川を利用した河川交通も盛んである。


 帝国軍は、周辺地域にも各師団が駐留しているが、陸軍省からの命令で動く。

 だから、陸軍大臣が失われ、陸軍省を抑えられると帝国軍の各師団は移動の自由を失う。帝都の郵便局を抑えたのも同様の理由で周辺の都市に情報を与えないためである。


 皇帝には大きな軍事の統帥権があったが、皇帝が直卒する部隊や、直接命令したのならともかく、勅使や勅令だけでは、軍の指揮系統の問題で、各師団は独自に動けない。

 さらに、帝国は東西に広く、整備された連絡網を使えないと通信にかなりの時間がかかってしまう。


 帝都の機能は、文字通り帝国の中枢であり、ここを抑えるということは、帝国の心臓を抑える事に等しい。


 後宮と政庁はアスンシオンの中心部からやや離れた高台に建設された平城である。

 北側をイローヴィア湖、西側をクリャージ川に隔たれ、東側と南側は帝都の市街地が続いている。

 政庁は南側に変形のひし形をしており、後宮はその北側に六角形を建てられている。

 後宮の六角形の各角には、円塔が設置されており、そこが出入口を兼ねている。南側の円塔は政庁と繋がっており、皇帝はいつもその場所から出入りしている。東南側の円筒は主に資材の搬入用に使用している。

 他の円塔にも一応出入り口はあるが、極めて小さな扉しか取り付けられておらず、濠の先に橋もないため事実上出入りはできない。


 後宮は高台に設置されており、城壁は高くて厚く、濠も物理的な飛び道具に対しては十分な広さと深さを持っている。ただし、南側円塔と東南側円塔付近の濠は短く、南側の政庁とは濠を隔てて隣接していた。

 通常の城のような防御施設では外壁内にも高い構造物があるものだが、後宮という性質上、後宮内の施設はすべて階層が低く、外壁にある円塔よりも高い建造物はない。


 政庁は、敷地の広さは後宮と同等であるが、城壁は後宮よりも材質が弱く、煉瓦をコンクリートで固めた構造になっている。

 これは、政庁には外交使節も来訪するため、外見的美麗を意識して採用されたものだった。

 また、防御において最も致命的なのは、南側出入口の城門は取り外され、城橋が固定式の石橋になっていることである。

 可動式の城門や城橋はメンテナンスが大変なので、人の出入りが多い政庁では大型の城門を廃止し、ただの鉄柵にしてしまった。

 そして、城橋は荷物の搬入の際の振動防止と耐久性の向上の為に、頑丈な石橋に変更してしまったのである。

 現在、南側石橋上にはアンセムの指揮で効果的なバリケードが築かれてはいるが、それなりの有効な攻城兵器を用いれば容易に突破されてしまうだろう。

 また、政庁自体が帝都の大通りに隣接しているため移動が容易で、兵力を進出させやすい。


 武器の類も不足していた。弓矢の備蓄はあったが、法兵が使うような迫撃法などの法門や弾数はほとんどない。


 ただし、有利な点もある。後宮はそれ自体が外部と隔絶して完結した自給施設として設計されている。

 約半年分の食糧備蓄があり、飲料水の確保手段、油脂など資材の保管も十分な在庫があった。


 一番の問題点は、兵力が少なすぎる事である。

 政庁と後宮に籠城する帝政派が集めた兵力は、臨時参集した兵力が約1000、政庁警備兵が約500、帝都の士官学校の生徒らが約300、他に戦闘に耐えうる兵力として、女性の後宮警備兵が約200程度。合計2000程度である。


 直接の戦闘には使えない非戦闘員としては、逃げ込んできた有力者の家族などの女性や老人、子供などの民間人らが約1000、そして後宮の妃とメイドら宮女が合わせて約2000。


 他に、防御側に有利な点を挙げれば、政庁の内部配置は一般開示されているが、後宮の情報は秘匿されていて、敵に内部の施設や配置が不明であろうという点であった。


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挿絵(By みてみん)


 アンセムの指揮によって防衛準備は着々と進められていた。


 彼が一般の宮女達に出した命令は、労働などしたことがない彼女達には酷く厳しいものである。

 その重労働は、多くの妃が籠城の決断を後悔させるのに十分で、宮女達は強く不満を漏らした。


 まず、妃も全員メイド服とし、通常では仕事を免除されていた妃達にもメイドと同じ仕事を割り振った。妃の特権であるドレスやアクセサリーの着用はすべて禁止である。

 全員メイド服としたことは全体的に動きやすいだけでなく、後宮に男性を収容した場合を意識している。

 これらに、胸や四肢を強調したドレスなどを着て応対するわけにはいかないし、妃とメイドの違いを悟られないよう配慮し、さらに全員を同じ服とする事で制服のように士気を揚げる効果も狙っている。


 宮女達で、本防衛戦において最も貴重であり、要ともいえる存在はナースメイド達だ。

 政庁側と後宮南側円塔のすぐ後ろに即席の野戦病院を設置し、負傷者をすぐに運び込む体制を整えている。

 このような拠点防御の戦いでは応急救護は極めて重要である。後宮には薬の備蓄や治療機材も十分にあったので、その設備と彼女達の能力を活かせば、かなりの効果が期待できた。


 キッチンメイドは専属で後宮と政庁の籠城全員分の糧食の準備、パーラーメイドは音楽隊、伝令係、記録係として司令部雑務を担当させる。


 また士官学校を卒業した娘や戦闘可能な一部の宮女は全て兵力として供出した。

 都市防衛戦の得意なテーベ族のメイドや、弓の得意なカウル族は全員を政庁高所配置とし、さらに航空騎連隊出身の第5妃タチアナ・リッツ・タルナフ、第33妃ソーラ・リッツ・レルヒェンフェルトは小隊長として後宮の防衛配置につかせる。

 また、法兵連隊出身の第16妃レニー・コンテ・マトロソヴァ、第9妃オフィーリア・リッツ・ヤロスラヴリを選抜して政庁南側両翼にあるトーチカに配置した。


 残りの全ての妃、チェインバーメイド、ランドリーメイド、ガーデナーメイド、ボイラーメイドは、3チームに分け、後宮の外壁を支援できる位置に塹壕を掘るように指示した。

 これは敵の迫撃魔法に対して身を隠せるようにするためである。


 工事は道具を交代しながら急ピッチで進められた。

 アンセムは塹壕を掘る際、敵の航空騎兵による空偵を警戒して、幕舎を張って隠蔽しつつ作業をするようにしたため、彼女達が最も嫌う直射日光下の作業は避けられたが、多くの妃達が慣れない肉体労働に不平不満を述べている。


「乙女にスコップで穴を掘らせるなんて、アンセムったら許せないわ!」


 第21妃メトネ・バイコヌールは強く不平を言い続け、その意見に多くの妃達が同調する。


「あたしが、みんなを代表してアンセムに文句を言ってくるわ!」


 アリス族はもともと肉体労働が大の苦手の種族である、もちろん後宮の妃で得意な者など1人もいない。

 メトネは妃達の不満を受け、妃達を代表してアンセムに抗議を行った。しかし、アンセムはメトネに対し、皇帝陛下の家屋の維持管理に必要な仕事を怠慢したとして、直ちに“畜刑”という厳罰に処した。


 メトネへの“畜刑”はメイド長のティトにより速やかに実施された。

 彼女は“畜刑”にされていた数刻の間、多くの者に聞こえるようにずっと大きな声で泣き叫んで許しを請い続け、そして指示どおりに労働を行う事を宣誓すると許されて、穴掘り作業に戻った。


 第1妃マリアン・デューク・テニアナロタは慣れない手つきでスコップを使い、率先して塹壕を掘る姿を見せている。

 帝国で最も威厳のある公爵家のマリアンが粛々と作業しているところを見せ、メトネのように不満を述べると厳罰に処されると分かると他の妃も従う他はない。


 後で判明した事であるが、このメトネの処罰はアンセムが妃達の不満を抑えるために事前に打ち合わせた自作自演であったという。

 後宮に、小柄なメトネを縛るような小さい拘束具は用意されていない。


 また、後宮には食糧を保管している十分に広さのある大型の地下倉庫があった。


「地下の食糧庫の食べ物を外に出せば、300人くらいは隠れられるんじゃないかしら?」


 第11妃フラウス・ヴィス・リャザンがそう提案した。

 しかしアンセムは即座に却下する。


「籠城戦では、人間の命よりも物資の方が尊い。人間は火の手を避けて移動することができるが、物資は簡単に動かす事が出来ない。地下倉庫は搬入した武器や食糧などの戦略物資を保管することとする」


 アンセムの宣言は、人命よりも物資のほうが尊いという、拠点防衛の指揮官らしい残酷な発言である。


 また、後宮の建物はほとんどが廊下で連結されていたが、これを破壊した。

 これは延焼防止のための措置である。壊して得た資材はバリケードや矢盾として配置している。


 昼夜連続の交代作業であったが、宮女にジグザグに掘らせた塹壕は60cmまでしか到達できなかった。アンセムは1m以上の深さが欲しかったが、彼女達の労働力ではこれが限界であろう。


 さらに8時間の3交代で後宮の各円塔に監視員を配置して24時間索敵にあたらせている。


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 前線配置とされた妃達は、VAFガーターリングと呼ばれる特殊な装具を装備し、戦闘準備を行っていた。


 “VAF”とは“ヴェスタの加護”を自分の周囲に展開し、自身に金属鎧並みの強力な防御力を持たせることのできる特殊な装備である。

 女性の航空騎兵や法兵は、このVAFリングにプラグを繋いで、法力エンジンや迫撃法にエネルギーを送り制御する。

 ただし、“VAF”の効果を得る為には金属製の鎧を装備することができない。


「まったく、また“VAF”付けることになるとはねぇ」

「後宮に来たら、もう二度と付けられないと思っていたわ」


 航空騎兵時代にいつも装備していた懐かしいガーターリングを太腿に装備しながら、ソーラとタチアナが不平を言っている。


 それはそうだろう。

 この装備は“ヴェスタの加護”を持つ娘、つまり処女でないと効果がない。そして、後宮に入るという事は、皇帝の妻になるということ、処女を失うという事である。


 法兵や航空騎兵が使う“VAF”はガーターリングタイプが主流だが、コルセットタイプもあり、テーベ族のパリスはこちらを使用していた。

 この“VAF”の防御力は、鋼鉄の鎧並みとされているものの、それと対等かというとそうでもない。

 落下や法撃などの衝撃には金属鎧以上の防御力を持つが、斬撃などには金属製の鎧よりも有効ではない場合もある。


 法兵出身のレニーとオフィーリアも、この“VAF”リングを装備して前線の配置についている。

 法兵の火力は、反撃の主力として期待されており、士官学校法兵科生徒の援助によって、迫撃法を敵に撃ち込む役割、そしてアンセムが仕掛けた敵に対する罠を起爆させる役目を背負っていた。

 敵はこちら側には法兵はいないと思っているはずなので、この反撃はかなり効果的であるだろう。

 もっとも弾は十数発しかないので過度な期待はできない。


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 アンセムは後宮の指導だけでなく、政庁側にも積極的に出て、政府要人達と協議していた。

 それだけではなく、実際に前線に設置するバリケードの構築指導までしている。


 アンセムの豊富な陣地戦の知識と、1年2か月もの実戦経験は、経験の浅い籠城側の兵士達にとって非常に有用だった。

 特に後宮に逃げ込んだ工兵士官の候補生に対しては、自ら直接指導して作業している。


 例えば、政庁南側の固定石橋のバリケード強化である。


「正妃様、南側の石橋ですが、敵の前衛部隊が近くまで来ていて作業が捗りません」

「どうせ法撃を受けたら蹴散らされてしまうのですから、石橋のバリケードはもう追加設置しないでもよいのではないでしょうか?」


 工兵士官学校の生徒、ニヴェル・コンドラチェフとヨハン・リッツ・エイブルが危険な場所での障害設置作業について異議を申し立てた。

 だが、アンセムはすぐにそれを却下する。


「南側石橋は敵が最も通る場所、最も厚く障害物を設置しなければならない。法撃で破壊されてしまうからこそ、そこに敵の法撃を誘導する事で時間を稼ぐという目的を達成できるんだ」

「しかし、その設置のために犠牲者を出しては…… 敵はもう城門前を射程に収めています」


 別の工兵士官生徒、フバーク・ストラトスは損害を憂慮している。


 アンセムは彼らに自ら、危険な場所への障害物の設置方法を教養し、実践した。


 このような場合は、現地で障害物を組み立てるのではなく、予め安全な政庁内で枠を組み、それを転がして配置するというものだ。

 これは拒馬(きょば)という古より使われている移動障害物である。ただし容易に突破されてしまうため、工夫が必要だった。

 彼はそれに有刺鉄線を巻き付けるなど実践的な工夫を施し、より効率的で迅速に障害物を設置できるよう指導している。


 工兵士官生徒達は、自分達より年下に見える正妃の実践的な知識に驚愕していた。


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 アンセムが後宮で陣地設営をしていた頃、政庁には種族解放戦線の使者がやって来たという。

 使者は、アティラウ公の三男ブレスデン・アティラウである。

 貴族の特権主義を否定するベース主義の中には、貴族でも参加する者がいる。


 彼は自らを革命軍と名乗り、降伏して捕虜になれば全員の命の安全は保障する旨を告げた。


 この提案をテニアナロタ公が一蹴すると、ブレスデンは公爵を抑圧主義者と罵って退席したという。


 アンセムはその交渉の場にはいなかったし、問い詰める気もなかったが、おそらくこのブレスデンが、スキュラを後宮に送りつけた犯人だろうと推察している。

 彼はブレスデンが自分の妹を精神崩壊に追い込んだとしても、革命の為だといって冷徹に言い放てる奴だと知っていた。


 アンセムとブレスデンは同い年の士官である。ブレスデンは騎兵士官で、士官学校の教場は2つ隣だった。

 当時からベース主義の熱心な支持者であり、そういう噂は同じ庁舎で教養を受けていれば自然と耳にするものである。

 ブレスデンは、父親のアティラウ公と対立して勘当された後、種族解放戦線のテロ行為に加わったとして一時期投獄されたこともある。

 彼は狂信に近い革命主義者であり、そして狂気染みた作戦ほど、酔狂な若い貴族が実施するのかもしれない。


 アンセムは、この段階では情報漏洩に十分注意していた。後宮に男を退避可能にしていることは敵に知られないようにしなればならない。

 もちろん、後宮に男を配置するといっても、後宮の全ての施設に誰でも入れるようにするわけではなく、本来、後宮警備分隊が配置されていた円塔と円塔関連の施設、後宮城壁上に男を配置し、後宮警備兵はその中間の位置に配置しようということである。


 アンセムはテニアナロタ公に、最初から後宮の臨時指揮所に来るように勧めた。

 政庁内は法撃によって敷地全てを射程内に収める事が出来るため安全な場所はない。

 それは後宮も同様であったが、後宮は高台にあって濠と城壁の位置関係により死角ができる。アンセムはここを効果的に使用し、破片を防止するためのシェルターを建設してそこに総司令官の司令部にしようと考えた。

 しかし、テニアナロタ公はそれを拒否する。


「正妃様。私だけが先に後宮に下がっては、他の者がついてこなくなるだろう。我々男子は、家族を持った時から、妻と子を守るためにならばいつでも命を投げ捨てる覚悟があるもの。それは、人間の歴史がどれほど続いたとしても変わる事はない」

「それならば私も政庁で前線の指揮を取ります」


 アンセムは既に自分の正体をテニアナロタ公に伝えていたが、公爵はそれを否定し、彼に対して後宮内の死角に設置した司令所で指揮を取るように命令する。


「君が非戦闘員であるただの妃であるなら、私は君を従える立場にないし、君は私の指揮に従う必要はない。だが、この戦場で兵士として戦うのであれば。総司令官の命令には従わなければならない」


 テニアナロタ公はきっぱりと続ける。


「それは軍隊という組織のルールで、戦場では指揮官の命令は絶対だ。過去に、陛下が皇太子であった時も例外ではない。それは、正妃であっても同様だろう」

「宰相閣下、その通りです。私が間違っていました」


 こうして、アンセムは素直に謝罪し、後宮側の防衛指揮を執る事になった。

 政庁側の防衛司令部は、東庁舎に配置され、そこから指揮を取る事になっている。


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 革命家ラブロフをリーダーとする種族解放戦線は、構成員のブレスデンからの籠城する帝政派が降伏を拒否したという報告を受けると、占拠した帝国議会でクーデターに参加する者達だけによる投票を行い、圧倒的多数で各種族の独立、皇帝の廃位、貴族制度の廃止、帝政の終了を宣言した。


 同時に、後宮に籠る帝政派や、イリに出征中の皇帝に対して反革命罪で死刑を決定する。


 そして、その翌日。

 彼らは、自らの呼称を革命軍と変えて、後宮への総攻撃を開始したのである。

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