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運命の輪1~貴族男子の嫁入り支度④

 アンセムはこれまでの経緯を話す。

 侍女のマイラは、身体が入れ替わってしまったという話を唖然として聞いていた。


「……ということは、お嬢様は兄のアンセム様と心が入れ替わってしまったということなのですか?」

「そうなるね」


 マイラはエリーゼの身体を基準にして、彼女の心が兄になってしまったと理解する。


「なんてこと…… おとぎ話にある“奇跡”が本当に起るなんて……」

「エリーゼは後宮に来ることを本気で嫌がっていたからね。その願いが女神エルタニンか、女神シオンにでも届いたんじゃないか」


 アンセムは冷ややかに言う。

 女神エルタニンは世界や人々を照らし導くという神様で、夜空でもっとも白く輝く星エルタニンから来ている。

 女神シオンはアスンシオン帝国の建国神話に出てくる女神で、国の守り神とされていた。

 確かに妹を後宮に入れて皇帝の側室にするという問題は解決して、妹の願いだけでなく彼の願いも叶ったのだが、その為に自分が男を失うとは聞いていない。

 彼は女神の存在など信じていないが、女神がこの“奇跡”を起こしたというのなら、だいぶ皮肉が効いている。


 アンセムは立ち上がると、くるりと一回転して、エリーゼの身体を動かしてみた。

 彼の以前の身体とは身長も体格も明らかに違う。

 先ほどまでの裾の長いスカートのドレスから、裾の短いドレスに変わって動きやすくなっており、いつも履いていたズボンとは違う感覚である。

 そして今、彼が来ている薄手の夜着は肌が多く露出されており、スカートから覗かせるエリーゼの脚や、豊満な胸の谷間は艶やかで美しく、男の視線を釘付けにしてしまうだろう。


「後宮は一度入られると、二度と出られない場所です。活発な女性であれば、入宮を嫌がる方も多いと聞きます」


 マイラは応接室の壁際に立ち控えながらエリーゼを弁護した。

 確かに、過去の後宮設置の事例では、各地の有力者は皇帝への忠誠を示すために、自らの娘だけでなく、領民の中からも器量の良い娘を侍女として供出させるため、貴族だけでなく平民であっても、後宮設置の噂を聞くと、早急に誰かと縁談をまとめて嫁に出してしまう親も多い。


「ところでマイラは、どうしてこんなところに来たんだ?」

「私は、就職先として望んでここに来ました。私の家は貧しく、生活が苦しかったのです」

「ふーん……」


 アンセムは、その答えを聞くと悪戯っぽい視線でマイラの方を観察する。


 すると彼は急にマイラの方に歩み寄った。

 彼女が驚いて壁際で立ち竦んでいると、彼はそのまま彼女に覆いかぶさるように迫り、片手を壁に押し付けて、彼女を容易に逃げられない体勢に追い込んだ。


「お、お嬢様!?」

「マイラって、こんなに可愛いのに。後宮なんか来なくても、君を妻にしたい男なんていくらでもいたんじゃないかな」


 アンセムはマイラに顔を近づけ、獲物を狙う狩人のような視線で見つめる。

 マイラは壁際に追い詰められて、急接近された上に「可愛い」と言われたことで、激しく動揺していた。


挿絵(By みてみん)


「こんないい女、私ならほってはおかないだろうなぁ」

「お嬢様…… お顔が近いです……」


 アンセムはマイラに、息が届きそうなほど唇を近づけ彼女の耳にそっと囁く。


 アンセムのイメージする自分の身体は、美形種族といわれるラグナ族の中でも高身長で健康的な青年だった。

 貴族家の後継者は、結婚しているというのも重要なステータスのひとつである。

 そのため、彼は昔の彼女と別れてから、伴侶を求めて絶賛婚活中であった。

 だから、休日があれば悪友達と一緒に社交界や旅行先などに繰り出し、好みの女性を見かけるとこうやって口説いている。


 ただし、今のアンセムはマイラと同じぐらいの身長なので、外見的にみてあまり格好良く決まっていない。


「こ…… 後宮はメイドでも男性未経験者しか入れませんので、私は男性とお付き合いしたことはありません……」

「本当に?」


 アンセムはマイラの顔を、じっと見つめている。

 外見は美姫でも、その表情と視線はやはり男のそれであった。男は目線を女に集中させ、女は男から目を逸らそうとする。


 突然、その静寂を打ち破り、部屋の戸をノックする音が聞こえた。


「お夕食をお持ちいたしました」


 部屋の外から女の声がする。マイラはその声に合わせてアンセムから転がるように離れる。

 アンセムは残念そうな顔をして再びソファーに腰掛けた。

 マイラが返事をして部屋の戸を開くと、数人のメイド達が挨拶してから、料理を乗せた台車を室内に運び入れる。

 彼女達は、それを手際よく応接室のテーブルの上に並べた。

 その時、アンセムはソファーに大股を開いて座っていた状態だったため、マイラは慌てて食事を運んできたメイド達から視界を遮るように移動し、アンセムの夜着を直す振りをしながら、脚を揃えさせる。

 アンセムはお行儀の悪い子供が躾けられるように素直に従う。

 メイド達は料理を一通り並べ終わると、入るときと同じように挨拶をして退室した。


「では、お嬢様。冷めないうちに、お食事になさいませ」


 アンセムはさっきの情事の続きをしようと考えたが、彼の感情は料理とは逆に冷めてしまった。

 再び、彼の男性としての肉体的欲望を奮い起こそうとするが、エリーゼの身体は新しい持ち主の要望を完全に無視している。


 マイラは気を取り直すと、手際よくナプキンをかけ、皿にスープを注いで食事の準備を整える。


 室内に運ばれる食事とはいえ、後宮の食事はさすがというべき程に豪華だった。

 ただし、運ばれた料理は、種類こそ多いが個々の量は少ない。

 アンセムは壮健な男子として平均並みに食べるので少し物足りない気がする。もっともエリーゼの胃袋が彼の食欲に耐えられるかどうかは別問題である。

 マイラは、一通り支度を終えるが、アンセムの椅子の座り方をみて思わず目を背けてしまう。


「あ、あのお嬢様。その座り方はなんとかならないでしょうか」


 男は椅子に脚を開いて座る。それがマナーであり、彼自身は別にマナー違反をしているつもりはない。

 だが、彼が今着ている夜着は丈の短いスカートのワンピースで、股を開いて座るとエリーゼの下着がまる見えだ。

 しかし、アンセムはそんなことをまったく気にせず食事を始めている。


「部屋にいる時まで座り方に気を遣うのは無理だよ。気にしないで」

「気にしないでって……」

「一応、マイラとだけの時以外は気をつけるさ。あー、ハラペコだ」


 アンセムの食事の勢いはとても速かった。

 食事を続けていると、マイラはアンセムがお茶を飲む度に追加で注いでくれたが、彼女はその為だけにいつも後ろで控えている。

 ヴォルチ家では、家事使用人は主人の後に食事をしていたが、エリーゼと侍女のタウダはいつも一緒に食事をしていたし、アンセムに従者(ペイジ)がいた時もそうだった。


「マイラは食事しないの?」

「はい。申し訳ありませんが、お皿を片づける際に少し休憩時間を取らせていただきます」

「いや、一緒に食事しようよ。うちの妹は侍女と一緒に食事していたし。1人で食べる食事は寂しいものだしさ」


 アンセムは優しく語り、それはもっともな話だったが、マイラは先ほどの件で彼を警戒しているようだ。

 後宮運営より第39妃付のレディメイドとして配置されたが、男の情愛の相手になるなんて完全に予想外である。

 しかし、マイラは諦めて了承すると、礼をしてアンセムの向かい側に座る。


「さっきの話だけどさ、君みたいな可愛い娘に男がいないなんて嘘でしょ」

「私の家は貧しく兄弟が多いので、年長者は働かなくてはなりません。学のない女が働く場所と言ったら、娼館か奉公かどちらかしかないです」


 マイラは再び可愛いと言われたが、今度は予め心の準備をしていたので冷静に対応する。

 アンセムはいつもエリーゼの不平不満を聞いていたので、女性はこういう場所に自分の意志で入るのは嫌がるものだと思っていた。


「昔は領主さまの館のメイドとして奉公に出ていました。ところが、先の戦争で奉公先の領主さまが亡くなられて……」

「バイコヌール戦役か……」


 アスンシオン帝国で先の戦争と言えば、3年前のバイコヌール地方で行われた内戦のことである。

 参戦したアンセムの脳裏にも、辛い戦場の記憶が蘇る。


「その後、家族が路頭に迷う寸前で後宮のメイド募集があったのです。帝都の宮殿、しかも皇帝陛下のお膝元といえば奉公先としては格別の条件です。私がここの採用に受かったおかげで多額の支度金を貰えましたので、私の兄弟は成人するまで食べていくことができそうです」


 マイラは淡々と話をしているが、内容は暗い。


「申し訳ありません。こんな暗い身の上話を聞かせてしまって…… お食事が悪くなってしまいます」

「いや、大丈夫だ」


 アンセムはマイラの話を同情するように話を聞いていたが、実のところはそこまで不幸だと思っていなかった。

 ヴォルチ家は両親共に死に、家族は妹と2人だけ。親戚は多いが、仲が良いとはとてもいえない。貴族とはいっても位階は最下位で、領地も狭く使用人もほんの僅か、従者(ペイジ)も雇えない有様である。そして貴族に対する軍役の義務もかなりの負担だ。

 そして、彼女の言うバイコヌール戦役では、彼は工兵士官として前線の拠点に配置され、1年2か月もの間、包囲された砦を守って死闘を繰り広げたのである。


 貧しくても、家族と一緒に平和に暮らせる生活を、彼には不幸に思えない。


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