吊るされた男4~子宮寄生種族③
後宮のトイレは男女別になっておらず、すべて便座式の個室である。
アンセムはいつものように、この場所に用があって来ていた。
彼は、ここに来てからしばらく経つが、それでもこの場所に来て立つ度に股間を探す。
しかし、いくら探しても、彼の便利な小便用のホースは見つからない。仕方なく、スカートをたくし上げてパンティーを下げ、回れ右して便座に座る。
アンセムは昔から便座に座るとよく考え事をしていた。男はなぜかトイレで考え事をする者が多い。
立ってできなくなったために、用を足す度に座る事になったが、そのため余計に機会が多くなった気がする。
この腹の子はいったい誰の子供だろう。
自分の腹の中にいるのにも関わらず、その問いに簡単には答えられない。
もちろん、陛下の子であるが、自分の子という実感が湧かない。そもそも、男が自分の子を認識するのと、女が自分の子を認識するのは手段も方法もぜんぜん違う。
アンセムにはそういう根本的な女性的精神が備わっていないので、子が腹の中にいると宣告されても、自分の子として愛したいという気持ちが湧かなかった。
種族分類学的、つまり遺伝子的に考えれば、妹の血を継ぐ子なので自分は叔父ということになる。
用を済ませると、立ちあがって下着を履き個室から出る。
戸の外ではマイラが待機していた。ドレスの場合はパニエなどの着付けを直さないといけない場合があるので、侍女はトイレの際も常に控えている。
洗面所で手を洗って出ようとしたところ、ちょうどアンセムの隣の個室の戸が開き、中からメイドが現れた。
「あら? サッラ、どうしたの?」
マイラが声をかけるが、そのメイドは応答がなく様子が変だ。
虚ろな目をしており、気分でも悪いのだろうか。ゆっくりとした足取りで手も洗わずに外へ出ようとしている。
「お嬢様、あれはミリアム様の侍女サッラです。最近、体調が悪く寝込んでいるという話でしたが……」
アンセムは不審に思って、サッラが出てきたトイレの個室を覗きこむ。その個室の状況から、彼はあることを確信して、その侍女に後ろから声を掛けた。
「ちょっと待ちな!」
アンセムは覇気のある声を掛ける。
だが、マイラにサッラと紹介されたミリアムの侍女は応答しない。
「男の分際で後宮に入ってくるとはいい度胸だな」
マイラは疑問の表情をしたが、アンセムは確信していた。
サッラが出てきた個室は便座が上がっている。このように使用するのは男しかいない。
サッラは、ゆっくりと振り返ると、薄気味悪く微笑み始めた。
次の瞬間、サッラの黒いタイツが破れ、スカートの下から4本の触手が現れる、そしてメイド服のスカートが捲られて、サッラの股の間から蛇のような頭部が覗かせた。
「きゃあっ!」
マイラは初めて見るグロテスクな生き物に悲鳴を上げて後ずさる。
「スキュラか、化け物め!」
アンセムはその敵性種族をスキュラと断定すると、腰を落として重心を動かし、右脚に力を込めて踏み込む。そして、素早く下方から繰り出して、そのメイドの股間に蹴りを喰らわせた。
グシャッ――
気味の悪い衝撃音と同時に、アンセムの丈の長いドレスの裾が破れる音がする。
サッラと呼ばれるメイドは、下腹部に寄生している生物に打撃を当てても表情ひとつ変えなかった。
しかし、彼女の股間から覗かせている蛇のような頭の生物は、口のような部分から泡を吹いて倒れる。
その蛇のような頭が動かなくなった後、そのままサッラの体も崩れていった。ただし、倒れながらもサッラは目をあけたまま、その表情はまったく変わらない。
スキュラはイリ地方でよく現れる敵性種族である。女性の子宮に侵入して、その身体に寄生する。
本体は四本の触手に蛇のような頭、そして男性のような生殖器を持っており、皮膚は軟体動物のようにジメジメしていて、外見上はとても人間のようには見えない。けれども、種族分類学者が言うには、彼らはあくまで生物学上はR属の人間種、つまりラグナ族などと同じ属に分類される男性だけの種族らしい。
4本の触手や頭などは、タコやイカのようなものではない。基本構造は男と変わらず、人間の四肢や頭部が変化した相同器官だという。それゆえ、同じくR属の人間女性を相手として交配する。
通常、男性経験のない女性は“ヴェスタの加護”によって守られているが、スキュラは男として姦淫する能力を持っているので防御効果はない。
弱点は外に露出している本体部分である。特に生殖器は無防備かつ、機能も男性のそれと変わらない。そしてこれも男性と同じ条件で、外に出して冷却しないと精子を作る力が失われやすいのだという。
アンセムはそれを知っていたので、股間に強い衝撃を与えたのである。
彼にとっては懐かしい金的攻撃の激痛を与えると、スキュラは悶絶して意識を失った。
ミリアムのレディメイドであるサッラは、両足突きだして開き座り込んでいる。
その表情は、目をぱっくりと開いたまま焦点が定まらず、にやける様な表情をして涎を垂らし、口をパクパクと動かしていた。脳をコントロールするものがいなくなったので、放心状態なのだろう。
悲鳴を聞いて異常を察した、メイド長のティトと侍女のパリスがすぐにトイレに入ってくる。
「大丈夫ですか! 正妃様」
終始見ていたマイラも、後から入って来たティトとパリスも、スキュラの異様で不気味な外観に絶句している。
「マイラ、すぐにナース長のユニティを呼んで来てくれ。パリス、プリンセスガードを動員してこれからミリアムの部屋を捜索する。ティト、妃とメイド全員に“ヴェスタの加護”の検査を」
「畏まりました」
アンセムは冷静に素早く指示を飛ばすと、ティト達は慌ただしく散開して周囲のメイドに指示を出している。
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アンセムはプリンセスガードのメンバーを連れて、ミリアムの部屋がある第一妃棟の2号室を包囲した。
部屋には鍵が掛かっていたが、アンセムはバールを取り出すと、蝶番ごとこじ開けて扉を外し中に入る。
部屋の中では、ミリアムが応接室に立ち竦んでいた。彼女の豪華なドレスは裾が破れ、虚ろな表情でぼーっとただ立ったまま。
そして、彼女の足元には、ミリアムのもう1人のレディメイドが座りこんでいる。
彼女のメイド服は乱れ、顔面は蒼白である。
「ミリアム、君を拘束する。それとも寄生している異国のスキュラさんかな?」
アンセムは覇気のある声で言ったつもりだが、女の声では微妙に迫力が出なかった。
先ほどトイレで戦った時のように、スキュラは近接戦闘が得意な種族ではない。
4本の触手を巧みに使うが、触手自体は縛ったり絡め取ったりするには有効でも打撃力はほとんどない。外殻も極めて無力である。蛇の頭の牙に麻痺する毒があるが、スキュラ自体はそれほど俊敏ではなく、噛みついた後に流し込まないといけないので、警戒していればやられることはないだろう。
スキュラは支配した人間の身体も動かすことが可能だが、慣れないうちはゆっくりとしか動作出来ず、自分の身体のように俊敏には動かせない。視力、聴力なども同様の理由で弱く、瞬発力も鈍い。
ただし、アンセムはスキュラが当然持っている、もうひとつの能力を失念していた。
慎重に近寄るアンセムに対して、ミリアムは咄嗟に飛びかかって来た。
その奇襲があまりに急だったので、バールを振るって避けようとするが、破れたドレスの裾に足をとられて、後ろに尻もちをついてしまう。
「やぁっ!」
アンセムの隣にいたタチアナは、威勢の良い声をあげ、素早い身のこなしで、所持していた棒杖を飛びかかっきたミリアムの肩を殴打する。
ビシィッ――
強い打撃音が響き、ミリアムはアンセムに組みつく目的を達成できないまま、床に倒れ込んだ。
タチアナの一撃はかなりの衝撃のはずだが、ミリアムは悲鳴ひとつあげない。
「大丈夫ですか、隊長」
「あ、ああ。大丈夫だ」
ソーラはアンセムに声をかける。
アンセムは立ち上がると、ミリアムの方を確認した。
彼女は、鎖骨が折れたようで肩に打撃を受けた部分が赤く腫れ上がっている。相当痛いはずだが、顔は最初に見た時とまったく変わっていない虚ろな表情のまま。
ミリアムは妃が着る丈の長いドレスを着ている。アンセムは嫌な予感がして、少し気がひけたが、ミリアムのスカートを捲くってみた。
「しまった! 奴はミリアムの身体から離脱している。まだ周囲に隠れているぞ」
タチアナとソーラはすぐに周囲を警戒する。ミリアムのいる第一妃棟の部屋は他の部屋より広く、ミリアム自身たくさんの調度品を所持しているため、隠れる場所はいくらでもあった。
外に逃げられないように、庭はレニーとニコレ、パリスが警戒している。窓から逃げられないなら、出入口は1つしかないはずだ。
スキュラは自分で栄養を摂る消化器官などを持っていない。子宮に寄生して宿主から栄養を受け取るだけである。
誰かに寄生していない状態では、それほど長く隠れてはいられないはずだ。
アンセムは出入口付近を警戒するように伝えると、応接室付近で倒れている侍女の傍に近寄る。
彼女の服は乱れていて、顔面蒼白である。そして、アンセムが確認するまでもなく、姦淫された形跡があった。すぐに処置しなければ妊娠の危険がある。スキュラはそうやって仲間を増やすのである。
だが、次の瞬間、その侍女は狂乱状態になって起き上がると、アンセムに掴みかかり、勢いよく組み伏せた。
「お嬢様、お逃げください! 早く! お嬢様!」
アンセムはその侍女が突然抑えつけてきたことに対し慌てて振りほどこうとする。
だが、今のアンセムの力は弱く、相手を離す事がなかなか出来ない。メイドの方の筋力も同じぐらいではあるが、理性を失って組みかかってくるので容易にはほどけなかった。
出入口付近で、警戒していたタチアナとソーラが、そちらに気を取られて、掴みかかる侍女をアンセムから剥がそうとした瞬間、スキュラの本体は、ソファーの下から現れて床に飛び出した。
「きゃっ!」
スキュラの本体を追いかけて、すぐにタチアナが追おうとするが、スキュラはセントラルヒーティングの通風孔へと逃げ込んでいく。
後宮の主な施設は、この高性能の暖房設備で繋がっていた。
「お嬢様、御許しを、お嬢様、御許しを……」
ミリアムの侍女はそれでも必至にアンセムにしがみ付き、ただひたすら泣き叫び謝罪の言葉を放ち続けていた。
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ナース長のユニティが来てすぐに診察したところ、ミリアムの外傷はタチアナの肩への一撃だけであったが、“ヴェスタの加護”を失っており、さらに完全に自我が崩壊していた。
残念ながら、スキュラによって一度子宮に寄生されてしまうと、宿主となった女性を確実に助ける事は難しい。スキュラは脳を支配する際に、脳下垂体の機能を奪い、その脳内物質を操る。
神経を操ったとしても、宿主の精神の抵抗を 弱める為、スキュラは強力な快楽物質であるβ-エンドルフィンを大量に分泌させて宿主の精神を破壊してしまう事があった。
ミリアムのレディメイド、ポーシャは、スキュラに寄生されたミリアムによって姦淫されていた。彼女にとっては、女主人に凌辱されたように思えたのかもしない。
彼女は、治療の処置中も、ずっと泣きながらミリアムへの謝罪の言葉を叫び続けていた。
スキュラは乾燥に弱い。また、熱を生産力する力も弱いので、それは皮膚の仕組みが、通常の哺乳類とは異なっているためである。それほど長時間、通風孔に隠れていらないはずだ。
アンセムは、プリンセスガードとメイド長に指示して、後宮内に手配を実施、警戒と捜索を指示した。




