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運命の輪1~貴族男子の嫁入り支度③

 後宮は深い濠と高い城壁に囲まれ外界から隔絶された閉鎖空間である。


 敷地内の主要な建物は全て屋内の廊下で繋がっており、床は豪華な赤い絨毯が敷き詰められ、どこも常にランプが灯されていて、夜間でも十分な明るさを保っていた。

 そして、外は初冬の痺れるような寒さにも関わらず暖かい。

 士官学校工兵科出身であるアンセムは、学んでいた建築工学から、この暖房形式がセントラルヒーティングシステムであることを見抜いた。

 ボイラーの蒸気を配管によって床下に送り込んで室内を暖めるシステムで、この規模の施設に設置するとすれば恐ろしい程の高額で手間のかかった暖房設備である。

 もちろん、建物の壁材や絨毯の材質にも、保温効果の高いものが使われているようだ。

 常に人間が活動に適した温度で生活を行える環境が、これほどの規模で用意されている。

 さすが帝国最高権力者としての身分を象徴する居住施設といえるだろう。


「お嬢様、お荷物をお持ちいたします」

「あ、大丈夫。女の子に持ってもらうほどじゃないから」

「……」


 レディメイドのマイラがアンセムの荷物を持つように手を差し出したが、彼はそれを断った。

 アンセムとしては男として当然のように回答したつもりだが、彼の担当レディメイドであるマイラは、返答に困惑した表情を浮かべる。

 エリーゼの入宮に必要な荷造りはタウダがしてくれていたし、それ以外の身の回りのものは事前に搬入していため、彼は仕事鞄程度の手荷物しか持っていない。

 そのアンセムが所持している黒い鞄は、ドレス姿の貴族令嬢が持つにはかなり違和感がある。明らかに機能面だけを重視した、飾り気のない男性用の黒い革製鞄だった。

 普通に考えれば貴族の手荷物は従者が持つものである。もちろん男性の場合は、貴重品を従者に持たせずに本人が携帯する場合も多いが、女性の場合はめったにない。

 だから手荷物を侍女に持たせたくないという状況は、レディメイドを信用していないという様に受け取られるだろう。

 アンセムはすぐにその事に気が付き、訂正した。


「あっ、違う違う。今後ともマイラにはとても世話になるから、よろしく頼むよ。このまま部屋まで案内して欲しい」

「畏まりました、ではご案内いたします」


 マイラは緊張していた様子だったが、直ぐに微笑むと、前に進み出て案内する。

 メイド長のティトと、レディメイドのマイラはアンセムを先導して後宮内の廊下を進んでいった。

 ティトは歩きながら、簡単に後宮の状況について説明する。


「現在、陛下はカラガンディ領アヴジェ族自治区への巡察にお出かけで、ご予定ではお戻りになられるのは3日後になります。陛下へのご挨拶はその時になります」

「あ、ああ。知っている」


 アスンシオン帝国はラグナ族が建国した伝統と歴史ある国で、ラグナ族のほかにも複数の異種族が帝国領内で暮らしている多種族国家である。

 1年前、先帝アヴァルス三世が崩御し、その唯一の子であった皇太子リュドミルが即位した。

 しかし、皇位継承からまだ日が浅く国内は動揺している。

 地方の貴族達は権勢の拡大を訴えて貴族院を動かしたり、国内の異種族達による独立や権利拡大の運動が過熱するなど、国内情勢は不安定だった。

 そのため、皇帝は自ら積極的に領内を巡察し、各地方の有力者や領民の支持を得て、体制の引き締めを図っていた。


 ヴォルチ家の領地にも来月に皇帝の巡視が予定されている。

 叔父達がアンセムに対して妹を後宮に入れるよう急かしたのもそれが理由である。

 側室とはいえ、皇帝の縁者となれば下級貴族でも近隣の有力者に名誉ある立場を保てる。

 もしかしたら、地域の郡官の任命もありえない話ではないし、妹の気に入られかた次第では、さらにそれ以上の地位も望めるだろう。

 エリーゼは外見的魅力には申し分なく、亡き父もアンセムもそして叔父達も、ヴォルチ家が誇る美姫として他家に謳っていた。

 もちろんその自慢が、周囲に知れ渡り、先帝と亡き父との入宮の約束に繋がってしまったわけであるが。


「エリーゼ様のお部屋はこちらの第四妃棟の9号室です」


 アンセムは平屋建て棟の端から二番目の部屋に案内された。それはエリーゼが妃として39番目であるという、極めて単純な理由であるらしい。

 妃用の部屋は、室内が応接室、寝室、衣装室、洗面室の4つに仕切られていた。

 南側には大きな窓が設置されており、窓の外は庭園へと繋がっている。

 応接室の椅子やテーブルなどの調度品は相当な高級品、衣装室には大型のクローゼットが設置されており、洗面室には個人用のトイレが併設されている。

 どれも見事なもので、皇帝の妃という身分をよく表しているだろう。


「エリーゼ様、本日のご夕食は終了してしまいましたので、お部屋にお持ちいたします。明日の朝食の際には他の妃様への挨拶となりますので、大食堂の方へいらしてください」

「ああ、わかった」

「他に何か質問はありますでしょうか?」

「いや、大丈夫。ありがとう」

「後の事については、このマイラにお尋ねくださいませ。それでは私は失礼いたします」


 メイド長のティトは簡単な説明を終えると挨拶して退出した。

 部屋にはアンセムとマイラだけが残される。


「お嬢様、まずは部屋着にお着替えを致しましょう。お手伝いいたします」


 衣装室のクローゼットには、すでにエリーゼの服が搬入されていた。検査中に搬入していたものと思われる。

 やや緊張している様子のマイラは、服が整然と並べてられているクローゼットの中から、瞬時に室内用のドレスを選びだした。おそらく搬入をしたのは彼女なのだろう。


「こちらの夜着でよろしいでしょうか?」

「ああ、なんでもいいよ」

「……」


 マイラが服を取り出して尋ねるが、アンセムはまったく興味無さそうに答える。

 彼は、服のことなどよりも、応接室の机の上に置かれた後宮の施設配置図を眺めることに夢中になっている。

 そして、その姿はソファーに大股を開いて前のめりになりながら男座りをしており、美姫の座る姿勢としてはかなり異様な格好であった。

 マイラは仕えるお嬢様の衣服の事などどうでも良いという反応に困惑したが、すぐに選んだ夜用の服を準備する。

 すると、アンセムは素直に立ち上がって着替えに応じた。

 ただ、着替えをするというより、完全に任せきり、着せ替え人形のような状態である。

 当たり前であるが、アンセムは今までドレスなど着た事はなく、どこの紐をどう解けば服が脱げるのかなどまったく分からない。


 マイラはエリーゼの身体が着ている衣服を手際よく着替えさせ終えると、今度は自ら質問をしてきた。


「お嬢様、できれば明日からのご支度のことをもう少し教えてくださいませ」

「え、支度がどうしたって?」


 マイラの質問を理解できない様子だったので、改めて質問を言い直す。


「ええと…… お嬢様にお仕えする上で、お好みのアクセサリーや香水、ドレスなどを教えていただきたいです。明日からは他の妃様へのご挨拶もありますので……」


 アンセムは入宮検査の後、装飾も髪型も整えないでいた。普通は一緒に来た侍女が簡単に整えるはずだが、1人で来たのでそのままである。

 正直言って、アンセムは女のように髪を結ったり、アクセサリーを付けるつもりはない。

 さらにいえば、ここが後宮であり、自分が皇帝の妻という身分であり、自分が若い娘の身体であろうと、男と夜を添い遂げるなど想像もできない程に気持ち悪い事だった。


 アンセムはエリーゼの美しく豊かな髪を掻きながら、応接室のソファーに胡坐をかいたまま言った。


「あー…… そうだな。私は“男”だから、服とか髪型とか、言われても分からないし、まったく興味もないよ」

「え!?」


 あまりに突拍子もない返事にマイラは絶句する。


「マイラとはこれから長く生活する事になるだろうし、自室にいる時まで女のフリなんて疲れるからさ。素でいくことにするよ」


 アンセムの突然の暴露。

 マイラが仕えるお嬢様は、突然、自分の事を男だと言い始めたのである。


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