吊るされた男3~工兵士官の正妃就任④
「正妃様。ちょっと、顔貸してくれない?」
ある日、アンセムは廊下でいきなり声を掛けられた。
第6妃キャロル・デューク・ニコリスコエ、第18妃ウィルム・ヴィス・チャタヌーク、第35妃クェゼリン・リッツ・ミャスノイボルの3人がアンセムを取り囲んで話があると言っている。
「どうしたんだい?」
「正妃様…… 中身が男ってホント?」
真剣な眼差しで尋ねるキャロル。他の2人も同様である。
「そうだけど」
アンセムはあっさりと答えた。
「なんてコト!」
「信じられない!」
「男に負けるなんて!!」
その返事を聞くなり、彼女達はいきなり大きな声で嘆き始めた。
「おいおい、いったいどうしたんだ?」
「女に先を越されるなら許せるのよ……」
「あたしら、男に負けたなんて!」
「これじゃあたし達が土偶みたいじゃない!」
いきなり怒り始めてアンセムを責める3人組。
彼にはなんの事か理解できない。
「負けた……? いつ勝負したっけ?」
「男に陛下を先に盗られたんじゃ、女の立つ瀬がないっていっているのよ!」
キャロルの説明を聞いて、アンセムはやっと理解した。
彼女達はアンセムが先に陛下のお手付きになった事が不満だということなのだろう。
「別に私は陛下の女になったわけじゃないぞ。君達も頑張って陛下の気を惹いて欲しい。むしろ、国の為にもそのほうが良い」
「ふざけないでっ! 国家のためなんてどうでもいいのよっ!」
「女としてのあたしたちのプライドの問題!」
「それならなんで後宮に来たんだよ……」
普通の女性なら、抱かれた男を独占したいと考えるものなのだろう。
だが、アンセムはそういう考えは全くない。むしろ、皇家の繁栄のために、彼女達にも積極的に頑張ってほしいと考えている。
しかし、キャロル達は、そんな彼の対応にも大いに不満なようであった。特に「魅力あるアピールで男の気を惹く」という女性の世界で、男に先を越されたのが屈辱らしい。
そのプライドを傷つけられたと言って、彼女達は不満を爆発させていた。
「あたし達と勝負しなさい! 女が男に負けるなんて、認めるわけにはいかないわ!」
「は、はぁ……」
「男のクセに逃げたりしないわよねぇ?」
煽るキャロル。アンセムとしては言いがかりもいいところだし、都合のいいところだけ男扱いされているような気がする。
しかし、これも男の性で、女に煽られると応じないわけにはいかない。
「わかった。で、なにで勝負するの?」
「バスケットよ!」
バスケットは、帝国内ではラグナ族とヴァン族の間で流行しているスポーツである。帝都だけでも複数のチームがあり、学生などにも人気だった。
ただし、基本的に男子のスポーツであり、女子の人気は低調である。
このスポーツは、古代の情報を記録した黒の石板を解析した際に、古代の人類達が屋内運動場でプレイしていたスポーツということで知られていた。
5対5でプレイし、コート内の高所に設置されたゴールにボールを入れれば得点となるなど、ゲームのルールはその解析結果に基づく結果とほぼ同じである。
ただし、このスポーツは、ラグナ族とヴァン族以外の種族では人気がない。
理由は、このゲームは身長が大きいほうが有利だからである。
男子の平均身長が180cmを超えるラグナ族だけでなく、2mを超えるのが当たり前の巨漢のヴァン族では、ゲームシステム上有利なのだ。
ただし、ムラト族やカウル族、アヴジェ族の中にも背の高い者はいる。また、背が低くても挑戦する者はいた。
キャロルは、後宮のバスケットクラブに所属している。一緒に連れているウィルムとクェゼリンもそうだ。
「バスケットか。いいだろう」
「あたしが勝ったら、女は男より優れていると認めるのよ!」
「わかった。私が勝ったら……」
「男は女と対等レベルまで誤差の範囲でやっと追いついた事にしてあげるわ」
「……」
アンセムは勝負を受けたが、やはり都合の良い時に男扱いされて、都合の良い時に女扱いされている気がしてならない。
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そして翌日。
後宮の屋内運動場に、チアガールのユニフォームを着た両チーム合わせて10人の選手が集まった。
この服は、黒の石板の解析によって、古代のバスケットの試合会場で、女子はこの衣装を着ていたことが判明したことによる。
そのため帝国では、女子バスケット選手はチアガールのユニフォームを着るのが正しい姿だと疑っていない。
「キャロル~ ほんとにやるの? 相手は正妃様なのよ」
「なに言ってんのよ! ここは女の世界よ。男に女で女が負けたなんて、リオーネは女としてのプライドが傷つかないの!」
「まぁ、それはそうだけどさー」
キャロル達3人に付き合わされた第24妃リオーネ・ヴィス・グリッペンベルグと、第28妃エイシャ・コンテ・コンブレンはものすごく不満そうである。
2人とも、畜刑の一件があり、正妃にあまり逆らいたくないし、男と女がどっちの方が優れているかなどに興味がなかった。
さらに、リオーネは、アンセムが妹のエリーゼの身体であり、生理的に完全に女の身体であることを知っているので、アンセムを倒しても男を打ち負かしたことにはならないと思っている。
だが、キャロルは、男と女の力の肉体的な体力差はともかく、精神的な差で負けるのが許せないらしい。
確かにこれは一理あるかもしれない。
これだけの美少女が集まって、男の精神が現れたらあっさりと先を越されたのでは、自分達の女性の今までをすべて否定されているような感じがする。
もっとも、男の精神であるアンセムからすれば、男の身体で、この後宮の美姫の中から気に入った妻を選んで良いと言われたら、どれだけ素晴らしいことだろうと妄想していた。
勝負を挑まれたアンセムは、キャロル達から挑まれた勝負に参加するメンバーを募った。しかし希望者は一向に現れない。
帝国七公爵家のひとつであるニコリスコエ家の令嬢と本気で試合しようという妃やメイドはいないし、宮女達は基本的に運動したくない娘が多い。
彼は仕方がないので、プリンセスガードの4人を連れてきている。
「隊長の指揮でまた演習することができるなんて~」
「演習じゃないんだけど……」
アンセムが声を掛けたソーラはとても嬉しそうだ。彼女は何かにつけて、エリーゼの身体に抱き着こうとしていた。
彼女は豊満なので、アンセムもそのスキンシップは嫌ではない。
「えっと、タチアナは経験者だったね、昨日の作戦通りに頼むよ」
「了解です。隊長」
タチアナとソーラは、アンセムに対して航空騎兵の敬礼で応対する。
士官学校の寮生活では、余暇はスポーツをするものが多い。特に航空騎士官学校では、空中戦の醍醐味からかバスケットは人気のスポーツで、多少の経験はあった。
逆にレニーのいた法兵士官学校では一応ルールは知っているものの人気がない。
そしてカウル族のニコレに至っては、バスケットのルールも知らない。
「ニコレとレニーはバスケット未経験者だけど、練習した通りにやってほしい」
「わかりました」
「……はい」
小柄な彼女達はどうしても不利で、さらに未経験では戦力としてアテにならない。
とはいえ、キャロル側チームも経験者はキャロル、ウィルム、クェゼリンの3人だけである。
一方、対戦相手のキャロルは友人たちに指示を出していた。
「いい? 相手のセンター(C)、ソーラは身長が高いから、リバウンドに気を付けて」
「まぁ、ソーラは胸もでかいから、ジャンプ力はそんなにないと思うけどね」
ソーラに対抗するセンターのクェゼリンは、身長が5cm低い。だがジャンプ力には自信があった。
「タチアナは、以前あたしと1on1で練習したことがあるから知っているけど、すごく動きがいいわ。ウィルム、マーク油断しないで」
「わかったわ」
「正妃の男はあたしがマンツーで止めるわ。あとの2人は問題ないでしょう」
元航空騎兵で、体格も良く、運動神経もいいタチアナとソーラをマークして、キャロルがアンセムに対応する。
ポイントガード(PG)であるキャロルの指示は一般的なものである。
試合開始前のウォーミングアップ中、パーラーメイドによって、試合メンバーが発表されている。
正妃チーム
1番.第39妃エリーゼ・リッツ・ヴォルチ(PG)
2番.第16妃レニー・コンテ・マトロソヴァ(SG)
3番.第20妃ニコレ(SF)
4番.第5妃タチアナ・リッツ・タルナフ(PF)
5番.第33妃ソーラ・リッツ・レルヒェンフェルト(C)
キャロルチーム
1番.第6妃キャロル・デューク・ニコリスコエ(PG)
2番.第24妃リオーネ・ヴィス・グリッペンベルグ(SG)
3番.第28妃エイシャ・コンテ・コンブレン(SF)
4番.第18妃ウィルム・ヴィス・チャタヌーク(PF)
5番.第35妃クェゼリン・リッツ・ミャスノイボル(C)
「それでは、試合開始します~」
審判役のパーラーメイドが声を掛けると、それぞれメンバーが集まって、ティップオフ(ジャンプボール)が行われる。
ジャンパーはお互いのセンターだ。
ピーィッ――
試合開始の笛が鳴り、第1ピリオドが開始される。すると、さっそくジャンプ力を活かしたクェゼリンがソーラを抜いてボールにタッチ、キャロルがこぼれたボールを拾う。
彼女は慣れたドリブルでディフェンダーを抜くと、正妃側のコートに持ち込んで、まだ配置もままならない正妃チームのゴールに素早くレイアップシュートを決めた。
「さすが、キャロル丁寧ねー」
「まだまだ、これからよっ!」
リオーネはキャロルの素早く的確な動きを褒め称えている。
キャロルの仲間であるメイド達が応援席から歓声を揚げた。
女子バスケットは、男子に比べて総点数が低い。それはゴールの高さが男女とも同じ305cmだからだ。
ヴァン族、ラグナ族の男子バスケットの選手はほとんどがジャンプすればゴールリングに手が届く。女子は絶対に届かない。
この差は決定的で、リングが遠い分、レイアップシュート、ジャンプシュートの正確さが重要になり、戦術も変わってくる。
「さすが、キャロル。いい動きね」
キャロルのドリブルを見たタチアナは感心して言っている。
「いや、あれなら大丈夫さ。じゃあ、こちらは作戦通りゆっくりいこう」
「了解です、隊長」
スローインから試合が継続されたが、アンセム側は基本的に慎重に攻めていった。ディレイドオフェンス(遅攻)を基本に、オフェンスの制限時間を十分に使って攻める。
先行されたから、慌てるということはない。
アンセムの方針は極めて地味だった。
彼にピッタリとマークについたキャロルと勝負して自分でキープしたりせずに、マークの付いていないニコレやレニーにパスを回す。
ニコレは初心者ながらドリブルが素早く、レニーは落ち着いていてパスやシュートが正確だった。
タチアナはフットワーク軽く丁寧に様々なショット決め、背の高いソーラはリバウンドを確実に奪って得点を稼いでいく。
そして、相手のオフェンス時には、1-3-1のゾーンディフェンスを徹底する。
実に工兵士官らしい堅実な戦い方である。
「ちょっと! あたしとマンツーで勝負しなさい!」
「いやぁ、そういうゲームじゃないし……」
キャロルはボールを取ってもすぐにパスしてしまうアンセムに不平を言った。ただし彼のパスはフェイントを絡めた絶妙なもので、スティールするのは容易ではない。
彼はテクニックでディフェンスを抜くという事はまったくしない。カットインのような素早い動きも隊員たちにさせなかった。
その結果、第2ピリオド終了時点まではキャロルチームが8点勝っていた。
キャロル達の方のシュート本数が多く、動きもずっと良かったのである。
だが、第3ピリオドの中盤から、正妃チームが徐々追い上げはじめ、第3ピリオドが終了する頃には逆転されてしまう。
そして第4ピリオドが始まると点差は縮まるどころか、さらに離されていった。
正妃チームの動きは序盤と相変わらずだが、キャロルチームは明らかに動きが鈍い。
その原因は持久力の差である。
アンセムは、序盤から計算して体力の消耗を効率的に控えさせていた。
タチアナは技術を持っていたが、機動の少ない行動を心掛け、ソーラの身長を活かして、なるべく効率的な動きで余計な消耗をしないように気を遣っている。
さらに、カウル族はラグナ族よりも一般的に持久力が高いことで知られている。ニコレはカウル族としては鍛錬が足りないと言っているが、それでも一般的なラグナ族よりスタミナがあった。
そもそも後宮暮らしの彼女達は基礎トレーニングを怠っている者が多く、ライバルのいない後宮のクラブ活動という枠組みではそれはなおさら顕著である。
また、帝都のバスケットでは選手の交代要員が5名~10名いて頻繁に交代する。
バスケットというスポーツは、交代なしの場合、最初から全力でプレイしてしまうと、試合時間中に絶対スタミナが持たないハードなスポーツなのだ。
そのため序盤は華やかなキャロルチームだったが、時間が進むにつれてその体力はどんどん失われ、動きも思考力も鈍くなっていく。
スタミナが切れて動けなくなった状況ほど一方的な展開はない。それは、どんなスポーツでも変わらない真理である。
そして、バスケットというゲームはチームプレイである。
司令塔であるポイントガードが、全体を計算した冷静な戦術でチームを把握する。
彼は、ゾーンディフェンスを徹底、効率的なセットオフェンスで点数を稼ぎ、体力を温存して無理を避け、ワンポイントに一喜一憂するのではなく、最終的に勝利する堅実な作戦を徹底させていた。
結果、第4ピリオドでは点差はどんどん広がっていき、キャロルの奮戦むなしく、残り10秒で51-42という絶望的な差になってしまっていた。
キャロルは、最後まで諦めずにボールを奪おうと頑張っているが、それでも息が上がり目が回っている。
「く、くやしいけど、この試合は負けだわ。でもアンタの力じゃないんだからねっ!」
「ふーん。でも、勝負ってのは、勝敗だけじゃ分からない事もあるもんだぜ」
彼女は最後にアンセムのマークに付いて、彼からボールを奪い、一矢報いようと挑みかかる。
この時、キャロルは、この女の姿の男がほとんどバスケット未経験だと思っていた。
アンセムはこの試合中、ジャンプシュートを3回程度決めただけで、パスもドリブルも軽くフェイントを絡める程度、ただ効率的に動いているだけである。
だが、それは大きな間違いだった。
ゲームをよく知らないで、そんな効率的な動きを指示する戦術が出来るわけがないのだ。
アンセムは、突然、熟練したバスケット選手のようなドリブルでキャロルを突破すると、そのまま動きの悪い他のディフェンダーを突破して、一気にシュートを決めた。
それは熟練された華麗なレイアップシュートである。
「うーん、昔はダンク出来たんだけど、この身体じゃ無理だなぁ」
久しぶりの感触と、自分の胸の重さに辟易するアンセム。
ピーィッ――
「試合終了です」
そのシュートと同時に、試合終了の笛が鳴り響き、審判の宣言が成される。
「なっ……」
その音が鳴り響いても、キャロル達はボールが突き刺さったゴールの様子を呆然と見つめていた。
そして、すぐに理解する。
この男は、本当はキャロル達よりずっと手慣れた経験者だったのに、それを隠してチームメイトにボールを回していたのだ。
「なによ。あなたバスケット上手いんじゃないの!」
「まぁ、うちの陸軍じゃ、男子の定番スポーツだからね。6年も士官学校にいれば、それなりのテクは身に付くさ」
「ず、ずるいわ! そんなに経験があるなんて!」
実は陸軍のバスケットチームはアマチュアレベルではすごく強い。ラグナ族は体格がよく、陸軍は体力も鍛えているのでなおさらである。
ウィルムとクェゼリンはすぐにアンセムに近寄って文句を言っている。だが、実際のところ、彼はほとんど何もしていない。
ただ、冷静にチームの体力を計算して指揮していただけである。
そして、基礎体力の不足による敗北は、後宮という競争のない狭い箱に閉じ込められた彼女達の根本的な問題だろう。
ウィルムとクェゼリンもそれは認めざるを得ない。彼女達もそれは分かっているから、文句を言いながらも目を逸らす。
だが、今回の火付け役であるキャロルは、心に別の感情が灯ってしまっていた。
そして急に内股になってアンセムの前で手を組む。
「あの…… 正妃様…… あなたが上手いのはわかったから、また再戦したいわ。それまで練習するから、あたしにバスケットを教えて下さらないかしら……」
キャロルは俯きながら問いかける。顔を赤らめているのは、疲れているだけではないだろう。
それを見たアンセムはエリーゼの顔を好青年のように爽やかに微笑ませる。
「ああ、こんなかわいい子ならいつでも大歓迎さ」
すると彼は、屋内運動場の壁にキャロルを押し付けて、壁に手を突き、いつもの体制に持ち込んだ。
そして、顔を近づけてキャロルの顔を舐めるように見つめている。
「正妃様!?」
「なんなら、夕食後に2人だけでどうだい?」
彼は、キャロルの耳元に優しく囁きかける。
キャロルの鼓動は高く鳴り響き、今にも破裂しそうであった。
チームメイトも、審判も、応援団も、正妃がいきなりキャロルを口説き始めたので、唖然としている。
もちろん、2人の身長は同じぐらいで、しかもチアガールの格好なので、その情事は極めて珍妙な姿であった。
「あのー、隊長。これボールをリングに篭絡するゲームで、相手のPGを篭絡するゲームじゃないんですけどー」
ソーラ達が冷めた目で見ている。
他の観客たちも呆然としていたが、逆に、彼女達には何人かは別の魂に火が付いたようではある。
「あ、ごめんごめん」
結局、両チーム挨拶して終了し、この試合は正妃チームの勝利で終わった。
そして、この後、アンセムが後宮内に男だと露見した時は、たいした変化はなかったが、この試合の日から、彼の周辺に急に変化が出始めた。
それは、妃やメイドの中に、アンセムの姿を恋する乙女のように見つめる者が増え始めたという。




