吊るされた男3~工兵士官の正妃就任③
皇帝がイリ出征に進発した後、アンセムは正妃として第四妃棟の9号室から、後宮回廊内の皇帝の館の隣にある正妃の館に引っ越すことになった。
するとすぐにも、アンセムの正体を知って尋ねてくる者がいた。マイラが出入口の戸を開けると、第33妃ソーラ・リッツ・レルヒェンフェルトがいきなり部屋に飛び込んできたのである。
「隊長ー 会いたかったですー!」
ソーラは現れるなり、傍にいたメトネを跳ね除けていきなりアンセムに飛びかかり、すぐに抱きついた。
「言ってくれれば良かったのに…… 本当に中身はヴォルチ隊長なんですね」
アンセムは頷くが、昔の部下に女になってしまった事が露見したというのは、何か気恥ずかしい。
「黙っていたのは悪かったと思っている。ところで、もう身体は大丈夫なのか?」
アンセムは素直に謝る。そして拘束されていたソーラを心配した。1日という期間だったが、拘束された妃達は精神と身体に大きなダメージを受けていた。すぐに医務棟で検査を行い、心身の治療を行っている。
「大丈夫です。また隊長と会えて怖さや疲れは吹き飛びました!」
元気に敬礼する彼女、そして再びアンセムに擦り寄ると、顔を紅潮させながら耳元で囁く。
「私が隊長との別れの日に言った事は今でも本気ですよ」
ソーラは、後宮に入る為、アンセムの指揮する部隊、シュペルミステール隊を去る日、アンセムの寝所を訪れた。処女で無くなれば後宮には入れないからである。
だが、その時のアンセムにはソーラを受け入れる勇気はなかった。ヴォルチ家にも皇家より同様の要請が来ていたので、もし、ここでソーラを受け入れてそれを実行してしまったら、それは皇家への背信行為である。
当時、病床だった父を裏切ることになるし、レルヒェンフェルト卿の苦渋の決断も裏切ることなる。ソーラは逡巡するアンセムを見ると、涙を流して別れを告げ、後宮へと向かったのである。
ソーラに続いて、第5妃タチアナ・リッツ・タルナフとカウル族の第20妃ニコレ、さらに元法兵士官の第16妃レニー・コンテ・マトロソヴァが揃ってやってくる。3人はアンセムに助けてもらった謝礼を述べた後、上官に対する軍隊の敬礼を行った。
よくみると、彼女達はドレスを着ておらず白を基調としたタイトスカートのスーツのような制服を着ている。胸には皇帝親衛隊と同様の紋章が刻まれていた。
「と、いうわけで、本日より私達は正妃様をお守りするため、プリンセスガードを発足致しました。今後は隊長の命令に服します」
「え…… なにそれ。聞いていないんですけど……」
アンセムがティトの方をみると、メイド長のティトは書類を渡して言った。
「正妃様直属の護衛は、正妃指名次第すぐに配備されると“啓蒙の法”で決められています。今回は彼女達がそれを自らやりたいと志願がありましたので、新規雇用は見送りました。正妃護衛の件ですから、就任前に陛下の決裁は受けております」
後宮は安全地帯とはいえ、女同士でも口論だけでなく直接のケンカに発展することはありうる。ましてや、皇帝の寵愛を受けた正妃であれば、他の妃がよからぬことを考えないとも限らない。それらの仲裁や防衛の為に自衛能力を持った信頼できる人物を側近に配置する必要があった。
それゆえ、正妃が指名されるとプリンセスガードという、後宮内用の要人警護組織が発足されることになっていた。
「というわけで、隊長、よろしくお願いいたします~」
さっそく、ソーラはアンセムにべたべたと擦り寄ってくる。ソーラは中身がアンセムだと知ってからか、それとも彼女が天然だからか、彼女の豊かな胸や脚を積極的に擦り寄せる。
その様子を見ていた、第21妃メトネ・バイコヌールは頬を脹らませて激しく不満を述べた。
「ちょっとぉ、そこはあたしの場所なのよ。そんなにくっつかないでよぉ」
ソーラはメトネをじっと見ると、欲しい物の前で駄々をこねる幼子を引き剥がすかのように、彼女を簡単に抱き上げる。
「隊長、プリンセスガード発足の初仕事として、隊長に擦り寄る小悪魔アリス族を排除したいと思います」
だが、アンセムはそれを訂正させた。
「ソーラ、種族差別的発言は禁止。また畜刑になりたいのか」
畜刑と聞いてタチアナ達は思わずドキッとするが、ソーラは平然としている。
「う~ん、私は隊長の命令ならいつ縛られても構わないですけど」
ソーラが天然でそういう性格なのは知っていたが、平然と縛られても平気と発言するとは、相当に変わっていると思う。
「……わかったから、はやくメトネに謝罪しなさい」
「はい隊長。メトネ様、ごめんなさい。私が間違っていました、どうかお許しください」
「んーまぁ、アンセムがいいっていうならいいけど。でも、私もアンセムになら縛られたいわ。けれど私のサイズに合う手枷も足枷もないのよねぇ」
メトネもさらりと問題発言しているが、その場にいた者たちは、その話題を聞かなかった事にした。
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皇帝が出陣した翌日から、アンセムはメイド館にある執務室を改装し、メイド長のティトと秘書のパーラーメイドの補助を受けて、後宮運営を仕切っていた。
宮女達はいつも暇そうにしているが、2000人近くが暮らす後宮では、必要な食糧、燃料、資材の手配、建物の修繕管理、メイド同士の揉め事、パーラーメイドが上申する新しい娯楽の承認など、様々な案件は多く、その運営はけっして暇とは言えない職務である。
もっとも、メイド長のティトとその部下の秘書役のパーラーメイド達は皆有能な事務処理能力があり、アンセムがしなければならないのはそれらに承認を与えるだけである。
ただし、新しい後宮運営の組織的問題点は実務とは別のところにあるようだった。
「メイド長、正妃様が壁ドンで迫ってくるの、なんとかならないでしょうか」
「私は、いつも下品な目でジロジロ見られるのです……」
この日も、ティトのところには秘書のパーラーメイド達から苦情の上申が来ていた。
「わかりました。私から正妃様に申し向けます」
「ありがとうございます」
ティトはそれを受けて、彼女達を連れて、事務室のアンセムに申し立てる。
「正妃様。パーラーメイド達から、セクハラをなんとかして欲しいと苦情が来ております」
ティトは単刀直入にいった。アンセムは困った表情をみせる。
帝国で運用されているセクハラ法では“勤務中”、“異性に対し”、“プライベートゾーン(水着で隠さなければならない範囲)に関する文言”という明確な規定があった。
この中で“異性に対し”という部分の法解釈は意見が分かれるところである。また、後宮では“啓蒙の法”は適用されない。
「そう言われても、みんな可愛いから声を掛けたくなるのは男の性というか…… むしろラグナ文化では美しい娘に声を掛けないのは、逆に失礼にあたるって」
アンセムはエリーゼの美しい髪を掻き上げながら答える。
「外の社交界ではそうかもしれませんが、ここは後宮です。正妃様もメイド達もすべて陛下の所有物ですので、ナンパをされても正妃様の女にはなりませんよ」
「そうはいってもなぁ……」
「あと、胸をジロジロみるのもお止めください。そんなに胸をご覧になりたいならご自分の身体に立派なものがついているじゃないですか」
「そうはいってもなぁ…… 角度的な問題で、上からみるのと前から見るのではまた別の美しさが……」
アンセムはエリーゼの胸を揉み上げながら答えた。
「もし、正妃様がパーラーメイド達をお好きにしたいのでしたら、陛下の許諾を得てくださいませ。許諾が出れば、どうしようとご自由に構いませんので」
ティトの発言に驚いてパーラーメイド達は横から割って入った。
「メイド長、陛下の許可って…… 陛下は正妃様に私達を差し出すことなんてあるんでしょうか」
「陛下なら、正妃様の要望を承認するでしょう。その時は貴方達も諦めて、身も心も全て正妃様に捧げ、女として奉仕なさい」
パーラーメイド達は何かを相談している。そして、すぐに訴えを取り下げた。
「メイド長、私達は正妃様に迫られたり、見られたりするは意外に楽しいので、このままで構いません」
「あら、そうですか。それなら問題は解決しました」
ティトはそう結論つけた。
ちなみに、パーラーメイドへのセクハラは、事務室にプリンセスガードと愛人のメトネを配置することで軽減されたという。




