吊るされた男2~囚われの姫④
その夜、皇帝が政庁から帰宅すると、さっそくアンセムはメイド長のティトを連れて出迎える。
「ティト…… どうして」
「陛下、アンセムお嬢様は聡明なお方です。どうか、お話を聞いてあげてくださいませ」
皇帝はアンセムがティトを連れてきた事に対して相当驚いているようだ。
彼はまた裁定の見直しの話だと思い不満に思った。だが、ティトの話であれば聞くようである。
「ふむ…… ティトを説得したのか。いいだろう、ヴォルチ卿、話してみよ」
「畏れながら申し上げます」
アンセムは畏まり頭を下げながら述べる。
「陛下は、妃達がどうして嫉妬や憎しみの感情に囚われたか理解されていません」
「理解しているぞ。あの女どもは他人の成功が妬ましかったのだ。成功した者を嫉妬し、その鬱憤を晴らすために、自分の身勝手な陰謀で他人を陥れようとした。事実だろう?」
「私が言いたいのは、彼女達がどうしてそのような感情に囚われたかについてです。彼女達は、最初から私に対して敵意があったわけでも、陛下や後宮の生活に対して悪意があったわけでもありません」
「それはわからんぞ、事実として敵対的な行為を行っているではないか」
「陛下、妃達は陛下の妻となる為にここに連れてこられたのです。けれども、陛下の寵愛を受けないので、ずっと寂しくて仕方がなかったのです」
「……不自由のない生活は与えているぞ。必要な娯楽も与えている」
「女は男の愛を求めます。何を与えるにしても、それと同時に愛を与えなければ喜びません。女の身体は男の数倍の快楽を感じる事ができますが、女の精神は一元的な快楽だけを得て満足するわけではないのです」
「しかし…… 好きでもない女を愛することはできない」
アンセムはここぞという推しを行った。
「陛下はティトを従者としてしか見なされていません。しかし、ティトはもう立派なレディです。陛下の愛を欲している女の1人に、変わりありません」
「ティトが!? あいつはそんなことは一度も言った事はないぞ」
皇帝はティトを向き直る。ティトはいつもそうしているように、頭を下げて控え皇帝の指示を待っている状態であった。
「言えるわけがありません。陛下は一度も女を愛した事はないのだから。それを知っているティトが自分は女です。と陛下へ訴えることができるでしょうか?」
皇帝はティトの方を凝視している。明らかに動揺しているのがわかる。
「ここにいる女はすべて陛下に愛される為にいるのです。それなのに陛下がそれをお与えにならない。それなら、畜刑にならずとも初めから家畜同然ではないですか」
「余がティトを…… 宮女達を追い詰めていたというわけか」
皇帝は、何か深く考えている。だが、まだ納得はしていないようだった。それはアンセムの指摘ではなく、自らの失敗についてなのかもしれない。
「卿の言うとおり、余の所為で不要な敵を作ってしまったのは失策かもしれん、しかし余は卿のように割り切る事はできない」
「陛下……」
「今回の処遇はアンセムに一任する、好きにするがいい」
「それは、彼女達を解放しても構わないということでしょうか」
「一任すると言っただろう。どのように処遇しても構わん。あとは任せる」
「畏まりました」
アンセムは皇帝の裁定を得た。
これで妃達を解放できる。
「アンセム、すまないが外してくれないか」
皇帝は今まで、アンセムをヴォルチ卿と呼んでいた。それがいつの間にか名前で呼ぶようになっている。
そして、傍で控えているティトを見つめていた。アンセムはそれを察して、敬礼しその場から静かに立ち去った。
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後宮の隅にある畜舎の一室は、夜は月明かりのみに照らされ、調度品などの文化的な物は一切ない。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
第1妃マリアン・デューク・テニアナロタは暗く狭い畜舎の一室で、ひたすら謝り続けていた。すでに声は枯れ果て、美しい髪は乱れ、涙も尽きて、その体躯は煤で汚れている。
手足の枷と鎖は彼女を縛りあげ、立ちあがることも身体を拭くことも出来ず、地面は土を敷き詰めてあるだけ、部屋の隅は汚水がむき出しで悪臭が漂っている。
冬季であるにも関わらず、暖房はなく室内は酷く寒い。リネンでできた丈の短いワンピースは、その寒さだけでなく、彼女達の羞恥心を守るにもまったく不足していた。
マリアンは、帝国随一の名門貴族の娘として、生れた時から父や親族、そして皇家からも祝福されていた。
彼女の母は先帝の皇后の妹、つまり彼女は皇帝と従妹である。
恐妻家であった先帝は、皇太子の養育関係については完全に皇后のいいなりであった。
マリアンの誕生は、その皇后からも支持され、彼女の名前をつけたのも皇后である。だから、後宮が建設されなければ、彼女は皇帝の妻として第一候補であったはずだ。
先帝と皇后の間には今の皇帝しか子ができず、皇家の血脈の断絶を心配した皇后は、夫に側室をつけずに、息子の為に後宮を設置することを選んだ。
その、後宮建設の際も、彼女は入宮名簿の第一位に名を連ねた。
幼い頃から、帝国の栄達とテニアナロタ家の名誉を守るために、厳しい躾を受け、応しい教養を身につけ、彼女はそれを素直に受け入れていた。
しかし、彼女自身は、比較的普通の女性としての考え方を持っていた。来るべき運命の時に、運命の男性から求婚を受け、幸福な家族のある生活を送る。そんな普通の夢を見ていた娘であった。
後宮に入宮する際、自分の運命の人は皇帝陛下だと思っていた。周囲も皇帝がマリアンの運命の人だと言っていたし、マリアン自身もそう意識していた。
そして、後宮の最初の妃に選ばれた時は、自分は皇帝に求婚されたのだと思っていた。
現実は違っていた。
後宮に入ってから皇帝から相手にもされず、ほとんど言葉を交わすこともない。
彼女は皇帝の気を惹こうと、健気に一生懸命に努力するが、それらはすべて無駄だった。
そんな生活が一年続き、彼女は寂しさを紛らわせるために、他の妃達との会話を楽しむだけの日々を送るようになっていた。
それでもいつか皇帝陛下の寵愛を得られるものと願って眠らない日はない。
皇帝が不正憎み、不和を嫌う性格だという事は知っていたし、妃達の仲がそうならないようにいつも融和に努力していたはずだった。
だが、寂しさの余りとはいえ、妬みから他の妃を陥れるような発言をして、皇帝陛下に咎められた。お父様が知ったらなんと嘆くことだろう。
こんな時、どうすればよいのか誰も教えてくれなかったし、自分で判断する事も出来ない。マリアンはただ涙を流して許しを請うばかりである。
そこへ突然、閉じ込められていた枠の戸が開き、眩しい光が差し込む。
「姫、お助けに上がりました。さぁ、お手をお出しください」
その騎士は、凛々しい姿勢で、マリアンに手を差し伸べている。その言葉は、暖かく包み込むような優しい響きだった。
暗い中にずっといた所為で、眩しくて姿はよく見えない。
その騎士は、マリアンを縛る枷を外すと、自分のガウンを掛ける。
「姫、立てますか?」
マリアンはその騎士に促されてゆっくりと立ち上がる。徐々に目が暗闇から明るさに慣れて、相手の姿形が分かるようになると、上目づかいにそっとその騎士を見た。
「え…… エリーゼ様……」
マリアンを牢から助け出した騎士は、彼女が言葉で傷つけた女だった。
疲労と精神的動揺から、身体が震え脚は支えを失って倒れこむ。そんなマリアンを、アンセムは優しく受け止め、抱きしめる。
「エリーゼ様…… お許しください、お許しください……」
「姫、ご安心ください。陛下も全てを許されました。今回の事はお気になさらずに。私は、姫の笑顔が一番大好きですよ」
「エリーゼ様…… わたし……」
マリアンは、暖かい言葉と助け出された安堵感から、優しい騎士の腕の中で泣き崩れるのだった。




