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吊るされた男1~男と女の戦術的思考⑤

 アンセムは浴場の脇に設置されているシャワールームでシャワーを浴びていた。

 彼は文明の利器に感激している。たっぷり運動をした後に、温水を自由に使って汗を流せるという事が、こんなにも素晴らしい事だったとは!


 そして、エリーゼの肌から感じられるお湯の感触は、男の時とはまた違った感覚だった。とにかく、女は皮膚が薄くて肌がずっと敏感である。

 マイラから、髪をあまりお湯に浸さないよう指摘されていたが、そんなことはさっぱり忘れて頭からシャワーを浴び続けている。


「あー、気持ちいい……」


 あまりの心地よさに、我を忘れる思いだ。女性の多くがシャワー好きというのも頷ける。


 しばらく時間を忘れて、感動を味わっていた彼だったが、身体も温まり、そろそろ満足したためシャワールームの個室から出ようと中折れ式のドアを押してみる。


 だが、ドアは開かない。

 もう少し力を入れてみるが、それでも開かない。外側から何かが引っかかっているようであった。


「あれ…… 壊れたのかなぁ」


 アンセムが材質を見立てたところ、かなり品質のいい中折れ式のドアだっただけに、そう簡単に壊れるとも思えなかった。


「マイラ~」


 アンセムはエリーゼの身体から水滴を滴らせつつ、シャワールームの中から、外にいるはずの侍女に声を掛ける。

 しかし彼女の返事はない。


「おーい、マイラ~」


 完全に妻を呼ぶ、夫のように呼び掛ける。

 それでもマイラは現れなかった。


「あれ、マイラ来ないなぁ。仕方がない……」


 アンセムは、諦めてドアを強行突破することにした。

 工兵である彼はこの手のドアの構造を知り尽くしている。実は中折れ式のドアは、支えている上ヒンジの脇にツメがあり、それを押すと上ヒンジが枠から外れて取り外せるようになっているのだ。


 アンセムはドアを難なく外すと、中折れ式のドアの外側がモップのようなもので、つっかえ棒がされているのを確認する。


 彼は嘆息した。

 シャワー室の中にいるとき、外に誰かがいたのは分かったのだが、明らかにその誰かの仕業である。


 それよりマイラが心配だった。

 侍女は常に女主人の傍に控えているものだ。それがいないとなると、どこかに連れ出されてしまったのかもしれない。

 アンセムは脱衣場へ行き、自分の服があった場所に行ってみる。

 すると案の定、彼の着ていた衣服や持ってきたタオルは無くなっていた。他の場所を探しても見当たらない。


 彼はそこで待つかどうか思案したが、たとえ後宮はセントラルヒーティングが効いていて温かいといっても、脱衣場で裸の濡れたままの状態で待つのはかなり堪える。だから、彼はエリーゼを裸にしたまま、廊下を突っ切って部屋に戻ることにした。

 途中、チェインバーメイドにすれ違うと、その姿を見て悲鳴を上げるが、彼は「仕方がない」で済ました。


****************************************


 部屋に戻り、自分でエリーゼの身体を拭いて、とりあえず手近な衣服を着ていると、マイラはすぐに部屋に戻ってきた。


「お嬢様! シャワールームにいないので探していました!」

「探していたのはこっちだよ。どこに行っていたんだい?」

「ミリアム様がシャワールームで湯あたりしてしまったということで、ミリアム様の侍女と一緒に医務室へ運んでいたのです。ミリアム様のもう一人の侍女が残って、お嬢様を待っていてくれるという事でしたが……」

「あらら、そりゃ騙されたなぁ」

「えっ!?」


 アンセムは事情を説明する。


「それじゃあ、ミリアム様が……」

「違いないね。悪質な嫌がらせだなぁ」

「もう我慢できません! メイド長に言ってきます!」


 怒るマイラ、しかしアンセムはどうにも怒りが込み上げてこない。


 アンセムは男の軍人である。

 だから彼にとって、敵という存在は、倒すべき相手だった。可能ならば排除し、戦争ならば殺す。それが彼の世界の敵である。

 だが、男の世界で生きてきた彼にとって、女の世界の敵というのは実感が湧かない。ミリアム派とやらが彼にとっての敵とは認識できないのである。


「うーん、困ったものだね」


 アンセムは結局、この時は結論を暈した。

 だが、事件はこれで終わらなかったのである。


****************************************


「きゃあっ!」

「どうした、何があった?」


 夕食後、自室に戻って洗濯に出していた衣類を受け取った後、マイラが急に悲鳴を上げた。

 アンセムは慌てて彼女の下へ駆け寄る。


「お嬢様の大切なお召し物が……」


 見ると、エリーゼのドレスのスカートに酷い傷がつけられている。

 マイラは顔面蒼白になり、震えて俯いている。顔は今にも泣き出しそうだ。アンセムはそっと彼女の肩に手を遣る。


「なんだ、たかが服が破けているだけじゃないか」

「そ、そんな! こんな素敵なドレスなのに……」

「マイラ、落ち着いて。大丈夫、なんでもないことだから」


 アンセムはマイラを落ち着かせてから、破れたドレスを広げてみる。

 スカートの広い部分に刃物などの鋭利なもので大きく×印に切りつけられており、誰かが故意にやったことは明白だ。


「申し訳ありません…… 私がお嬢様の大切なドレスを預けたばっかりに……」

「なんでマイラが謝るんだ。君は決められた通り仕事をしていただけ、なにも悪くない」


 妃の中には、自分の衣類がまとめて洗われるのを嫌って、侍女にやらせている者もいた。

 だからマイラは、衣類の洗濯物をランドリーメイドに出した事を後悔している。

 しかし破かれたドレスを見つめて、さすがにアンセムも悲しそうな顔をする。


「このドレスは母上の形見の品で、エリーゼが嫁に行く時に着せてやるようにと頼まれたものなんだよなぁ……」

「そんな大切なものを……」

「いいや、いいんだ。その服をエリーゼの身体に着せて、ここへ嫁に来たんだから、母上の願いは叶えられたのさ。もう役目を終えたんだよ」

「でも……」

「服が破れたぐらいで、たいして気にする男はいないさ。マイラが悲しそうな顔をしているほうがもっと嫌な気分だよ」


 マイラには相当な精神的なダメージになっているようだ。アンセムは、彼女を優しく抱きしめる。


「そうだ。俺は工兵なんだが、その仕事には壊れた武器の修理もあってね。さすがに服は専門外だが、マイラ、裁縫はできる?」

「ええと…… 宮女の採用試験で通る程度ですが……」


 マイラは謙遜していたが、宮女の採用試験は、料理、裁縫、美容、礼節という科目があり、彼女はそのどれもかなり良い方だった。

 それは成績の良い者がレディメイドに選ばれることから見てもわかる。レディメイドは、場合によって、妃の日常のすべてを世話しなくてはならない場合もあるからである。


「よーし、じゃあ。この服の布を使って別の服を作ろうよ。一緒にさ」

「はい…… 畏まりましたお嬢様」

「ほら、マイラ。笑って。男は笑顔の女の子と一緒に何かするのが一番の愉しみなひと時なのさ」


 優しく抱きしめられて、マイラは改めて彼女の“お嬢様”が、本物の男なのだと知った。

 最初は、本当かどうか疑っていたし、身体は確かに女性のそれだったので、“お嬢様”を男性だとは考えていなかった。

 だから脚を開いて下着丸出しで座ったり、下品で猥褻な物言いをする姿をみて、女性として恥ずかしいと思っていたのである。

 でも、マイラは、この時から、彼女の“お嬢様”を女性扱いする方が、逆に主人に対して失礼なのだと思うようになっていったのだった。


****************************************


 その夜、いつものように妃棟の屋根で夜空を眺めていたアンセムのところに、こちらも、いつものように、第21妃メトネ・バイコヌールが梯子を掛けて近寄ってきた。


「ミリアム達は、だいぶ本気で動いているみたいよ、大丈夫?」

「この程度なら、幼稚なだけですぐに飽きると思うんだけどね」


 メトネはいつものように愛くるしい態度でアンセムに迫りながら囁きかけてくる。

 だが、アンセムはなかなか決意が定まらない。


「あらぁ? 女の嫉妬は時が経つほど、どんどん燃え上がるものなのよ?」

「そんなものかな……」

「このまま嫌がらせがエスカレートすれば、もっと激しい攻撃を受けると思うわよ? 何か対策を取った方がいいんじゃないの」


 メトネは、猫の“しょぼん”を抱えながら、当然の意見を述べる。


 アンセムは士官として戦場で指揮をとっていた際にも、この手の問題に直面した事があった。


 男性の世界でもいじめは多い。

 特に軍隊という閉鎖された空間では、上下関係という強制力を使ったパワーハラスメントが横行し、それを放置すると軍の士気を大きく低下させる。

 そして、このような内部不和が原因で崩壊する組織も少なくないのだ。

 古今東西、数多の組織が様々な改革に挑んできたが、人類史がどれだけ続いても、人間関係の軋轢を克服する最善の方法は見つかっていない。


 だが、やはり、アンセムは男の社会と、女の社会は根本的に何か隔絶されている壁があると感じていた。

 男にだって嫉妬はある。誰かを憎むこともあるだろう。

 だが、敵という存在の認識が、男と女で違うような気がしてならない。行為自体にも違いがあるが、皇帝の寵愛を受けるアンセムを敵として認識している彼女たちを、アンセムは敵として認識できないのである。


「アンセムは陛下の寵愛を受けているのだから、嫉妬の憎悪は燃え続ける。火は消さないと燃え広がるだけよ」

「そうだな……」


 メトネは、更に念を押して付け加える。

 アンセムは解決策について思案を巡らせていた。


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