隠者3~夢の国③
「もう、アンセム。早くあたしのケータイ返しなさいよ!」
引っ張られて連れられて来たメトネは顔を膨らませて抗議する。どんな男も墜とせる彼女必殺の「おねだり」も、これから消える男には通じない。
そしてアンセムは、ベンチに座っているレンのところに戻って来た。
レンは、ベンチに深く腰掛け、三本目の栄養ドリンクを飲みながら、ケータイと言われる端末を弄っている。
「レンさん」
息を落ち着かせながら、アンセムは質問した。
「おや、どうしたんだい。デートはもう終わりかな?」
「あなたがこの時代に来たのは、この『グリーゼ710』が予想よりも太陽系近くを通過すると知ったからではないですか?」
真剣な顔をしながら質問するアンセム。手に持ったメトネのケータイの画面には「グリーゼ710」という天体のデータが映し出されている。
「さすがアンセム君、よく気が付いたね」
「教えてください。この星が近くを通過すると、どうなるんですか……」
アンセムの質問に対し、レンは立ち上がっていつものように説明し始めた。
「太陽系というのはデリケートな円盤でね。とても規則正しく回っている。これは奇跡的な確率で偶然得られたものだ。実は、太陽系以外のほとんどの天体は乱れた軌道をしていて、惑星に安定した環境をもたらすことが出来ない。こんなに長期間、運良く規則的に回っていることができるなんて、宇宙ではとても珍しい存在なんだよ」
レンの話では、この地球そのものの存在が奇跡だという。
ただし、それはレンがいつも言う通り、起こりうる奇跡である。
「では、この星が近づくと……」
「さすがに直接ぶつかることはないみたいだけど、安定した円盤が揺れるね。シオンが計算した最悪のシミュレーションだと、地球が別の軌道に弾き出されてしまうかも」
「……」
「まぁ、具体的な事はわからないよ。恐竜を滅ぼしたときみたいに隕石がどんどん降り注ぐ時代が来るかもしれないし、地球全体が凍り付いてしまうかもしれない。もしかしたら、何も起こらないかもしれない」
「昔の時代には、この危険性を指摘する人はいなかったのですか?」
「私はこの危険性を訴えたさ。でも、人って、自分に都合の良いデータしか見えないんだよ。私のシオンが計算したデータに難癖をつけて、そうはならない、ならないはず、ならないだろう、ってみんな否定した。まぁ、もちろん、私もシオンの計算に疑いを持ったさ。当時の技術でも遠くの恒星の動きを正確に計算する事は難しいからね」
「結果はどうだったのですか?」
「わからない」
「?」
「遠いと誤差が大きくてね。でも、シオンは高い確率で『グリーゼ710』が太陽系の一光年以内を通過すると弾き出した。彼女は私が作ったものだからね。その結果を信頼してあげないとね」
子供の未来を願う決意を信頼する。
アンセムはその決意の何たるかは理解している。
周囲はすっかり暗くなり、街灯が点灯している。
もっとも、帝都の街灯と違い、それらはあっという間に点灯されるものだ。その光も見たことのないクリアなものである。
「外の世界では、今日も綺麗なオーロラが出るだろうね。ところで、アンセム君はオーロラがどうやってできるか知っているかい?」
アンセムは首を振った。太陽風が影響する発光現象だということは知っている。
「太陽からは常に太陽風というプラズマの粒子が出ている。この太陽風は地球の磁気圏によって防がれるんだけど、磁力線に沿って極方向に流れ込む。その粒子が大気の粒子と衝突する作用を基にして発生するんだよ。もし、地球が磁気圏に護られていなければ、地球の大気は太陽風で吹き飛ばされて無くなっていただろうね。生命も育たなかっただろうなぁ」
「磁気圏は太陽風から地球を守る“VAF”見たいなものかしら?」
横からメトネが口を出した。
地球の隣に火星という惑星がある。だが、その星には磁気圏が無い。そのため、大気は太陽風に晒されて無くなってしまった。
「じゃあ、太陽風がなければいいのかというと、そうでもない。太陽系の外は強烈な銀河宇宙放射線に晒されていて、生命はおそらく生存できない。太陽風が銀河宇宙放射線の影響を防いでいるんだよ。磁気圏と太陽風、これらは対抗するものだけど、両方とも生命を守り、未来へ進むために必要な防御網なんだ」
砦はひとつの防壁、ひとつの防御手段に頼るのではなく幾重もの防御手段を築くものだ。
その一つ一つが、突破されたときの為の戦術的対策である。そしてその一つ一つは、可能な防御手段しか取ることはできない。万能で唯一の絶対的な方策などない。
「そういう意味では、VAFや子宮という存在も我々の未来を守るために選択した、可能な範囲の生命の戦術なんだろうね。私はさ、自分で変えられそうな未来を見ると、どうしても変えたくて仕方が無いんだよね。宿命の流れに逆らって生きる、みたいな。『心の剣は未来を拓く』ちょっとカッコイイだろう?」
レンはいつも言っていた『勇気の剣は未来を拓く』。つまり『勇気の剣』とは、結果がわからない未来に挑むもの。
地球は数々の奇跡によって誕生した。
だけど、これからも偶然、奇跡があるとは限らない。奇跡は可能なことしか起こらない。
優秀な戦術家は、不可能を可能にする人と言われることがある。
それは違う。戦術家とは、将来を計算して、可能な偶然を能動的に引き起こしているに過ぎない。
「さてと、そろそろ閉園時間だね」
奇妙な空間であったが、先ほどの円盤上の見張り台や、歪んだレールのトロッコから明かりが消え、運行を終了しているようだ。
次々と他のアトラクションと呼ばれる施設の明かりが消えていく。間もなく終わりの時が近づいていた。
アンセムも自分という存在が消えていくような不思議な感覚がある。
「……レンさん」
「なんだい?」
アンセムはしっかりと相手を見据え、力強く言う。
「貴方は世界を救えるかもしれない。でも、1人だけ救えない人がいる」
「へぇ、それは誰だい?」
「貴方のやり方じゃ、彼女を救えない」
アンセムはメトネを示した。
いきなり指で示されて驚くメトネ。
「どうして? メトネは私の事しか見えていないよ」
「そんなことはありません。メトネは、ちゃんとこの世界が見えている。人の心だって人一倍見えている。そして全てを知った上で、貴方に付いている。でも、それではメトネの『勇気の剣』、彼女の未来は貴方に捕らえられたままだ」
その言葉を聞いて、彼女は割って入った。
「ちょっと、アンセム! 突然何を言い出しているのよ!」
彼女は顔を紅潮させ、頬を膨らませて抗議する。そして、レンに寄り添って、自分がレンを支持し、その虜であることを身体で主張する。だが、彼女にしては珍しく動揺しているようだ。
「あたしはパパの傍がいいんだから…… よ、余計な事を言ったら承知しないわよ!」
アンセムは下がらない。
「過去の繋がりを示すのが親子の愛であって、未来を切り拓く男女の愛じゃない。私は、ほとんどの種族が、なぜ男女を作ったのか判りました」
「……」
「男女の愛そのものが、未来を切り拓く『勇気の剣』だからです。貴方にそれは作れない」
「なるほど……」
その言葉を聞いて、レンは頷いている。
だが、メトネはレンに縋り寄るようにしながら訴える。
「あたしはパパのものなんだから! パパを本気で愛しているし、パパと一緒にいると幸せだし、パパと同じ場所にいるのがあたしの夢なんだから!」
メトネは、そんなアンセムの主張を真っ向から否定しアンセムを睨みつけた。
猛烈に抗議してレンに縋りよるメトネに対し、父は娘を優しく撫でる。
「これは参ったね。娘を取られる時の父親の気分かな。で、メトネもまんざらではないようだし」
「ちょっと、パパ! 何言っているの! あたしは…… あたしはパパとずっと一緒の夢の中に居たいの! アンセムなんて邪魔よ! さっさと消えてしまえばいいんだわ!」
メトネはレンから離れると、レンとアンセムの間に割って入っていった。
「邪魔な男。アンセムなんて消えちゃえーーー!」
彼女は、今までのその全て計算され尽くした行動からは見たことのない、荒々しい様子で叫ぶ。
だが、レンはメトネの後ろから静かに語り掛ける。
「メトネ、お父さんには嘘をつかないって約束はどうしたのかな?」
「パパ……」
「メトネが損得以上にアンセム君に近づいて、いつも必要以上に彼を気にかけている事は知ってるよ。お父さんはなんでもお見通しさ」
彼女は振り返ると俯いた。その瞼からは滴が滲み出ている。
アンセムはメトネのその姿を見ると決意した。
そして、レンに向き直って言う。
「義父さん、メトネを私に下さい。私が彼女を幸せにします」
メトネの精神はラグナ族の諸派であるアリス族の娘で、ムラト族ではない。
どんなに身体を交換させる奇跡を使っても、本質的な男性と女性、そして種族の理は覆らない。
それは、男女を設けた種族そのものに、種族の誇りがあるからだ。
「ラグナ族の未来はラグナ族で選ぶ。そして君達に全ての人類、いや生命の未来を守るという決意があるというのなら、それでいいのかもしれないね。その覚悟に『勇気の剣』があるというなら、君達にそれに託してもいいだろう」
レンは頷いた、そして自分の愛娘の方を優しく見る。
「どうするメトネ?」
メトネは下を向き、顔を歪ませながら涙を浮かべている。
彼女はいつでも嘘泣きが出来る技術があった。でも、今の彼女はそうではないだろう。その表情はぐしゃぐしゃで感情が剥き出しである。
「パパ…… 離れたくないよぅ」
メトネはそのまま、レンに抱き着いて泣き始める。
レンは字句通り、泣いている子供をあやす様に、メトネを優しく抱きしめる。
「さぁ、メトネ。もうすぐアンセム君は消えてしまう。でも、種族の未来を担う“宮”を持っているメトネなら彼を救えるはずだよ」
メトネは頷くと、ゆっくりと愛する父から離れる。
そして自分で涙を拭うと言った。
「どんなに愛していても、パパはパパ。男は男よね。分かったわ。パパ、ありがとう。ずっと、いつまでも愛しています」
メトネはそうレンに告げ、スカートをちょんと摘まんで挨拶する。すると、にこやかに微笑み、彼女の親から離れた。
アンセムの姿は既に消えかかっている。
彼女は、今にも消えそうなアンセムの前に立った。
男は、消えかかった身体のまま、女の前に跪き、手を差し出す。
「メトネ、君を愛している。私と共に未来を切り拓いて欲しい」
アンセムの言葉は既に消えそうな程小さかった。だが、その言葉は確実に、彼女の心に届いている。
「はい……」
メトネはその手を優しく触れ、答える。
既にアンセムはその返事が微かにしか聞こえない。それでも、彼女の返事はアンセムの心に届いた。
アンセムの意識は次第に遠のいていく。
この結末がどうなるのか、これから彼がどうなるのか、彼にはわからない。
だが、彼は自分の決断に迷いはなかった。




