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隠者3~夢の国①

 アンセムはふと気が付いた。

 いったいここは何処だろう?


 空も風景も一度も見たことのない表現できない不思議な色合い、触れるものや感じるものには現実感があるのに、まるで実物ではないかのような感覚である。


 アンセムは下を見て、自分の身体を見る。

 彼はずっとエリーゼの身体、つまり女の身体だったはずだ。

 しかし、胸についていた乳房は無く、服は士官学校時代に余暇で着ていた見覚えがあるものを着ている。もちろん、ズボンを履いていて、わざわざ覗かなくても中に男の象徴がしまい込まれているのがわかった。

 立ち上がってみると、背は明らかに高くなっていて、身体の筋肉の付き方が違う。

 それは懐かしい自分の身体、つまり男のアンセム・リッツ・ヴォルチの身体だ。


 それにしてもここはどこだろう?

 彼の周囲を見回しただけでも、見たことのない構造物がいくつも建てられている。

 特に目につく大きな建物は、鉄骨で作られた大きな車輪状の胴体にゴンドラを付けて回転させる見張り台のようなもの、急勾配や角度のある歪んだレールの上を走るループ式のトロッコのような乗り物があり、いずれも彼が見た事がない非合理的な形状をしていた。

 それでも、建築工学知識のあるアンセムは、その見張り台やトロッコのレールを支える鉄骨の強靭さに驚かざるを得ない。

 こんな大きな物を野外で乗せるための強固な鋼鉄を大量に作るためには、相当な規模の鋳鉄技術が必要だ。それに少しでも鉄骨が歪んだら強度が大幅に落ちる。

 そんな高度な技術を用いて作った鋼鉄を、非効率的な回転式の奇妙な見張り台や、不可解に歪んで運搬性の乏しいループ式のレールを支えるためだけに使用しているのである。


 周囲にはアンセムの他にも人間がいた。

 みんなムラト族の家族連れで、楽しそうな表情をしている。特に、子供達はみな目を輝かせてはしゃいでいるようだ。


 ここは、子供用の遊戯施設か何かだろうか?

 確かに、何かの動物をイメージしたような乗り物があり、それに子供達が乗っているのがわかる。帝国でも、馬に乗る玩具や動物の人形などは存在するので、それに類するものだろう。


 確か自分はリブモント砦で死んだはずだ。ここは死後の世界なのだろうか?

 アンセムはエクス教徒やマキナ教徒がいう天国とか地獄のようなものはたいして信じていないが、実際にこのような不思議な感覚の知らない場所に来ると、もしかしたらここがその場所なのかもと考えずにはいられない。


 彼の近くには看板が立てられていた。看板の構造と用途は彼が知っている物と何ら変わりがない。

 その看板は、彼にはほとんど読めない字で書かれていたが、看板の上には唯一読める字で「ドリームランド」と書かれている。おそらくこの施設の名前だろう。

 そして、この施設の地図と思われる模式図に、法撃に弱そうで戦争の役に立たない外観重視の城があった。もっとも、美麗な居住用の城も、貴族の居住地や国家の象徴として建設されることがあるので珍しい事ではない。

 また、その城の付近にはドレスを着たお姫様のようなキャラクターが書かれていた。

 工兵出身の彼は、特に地図が大好きである。このような場所でもこの施設の地図に見入っていた。


「やぁ、アンセム君」


 突然、アンセムは後ろから声を掛けられる。振り返ると、そこにはいかにもな雰囲気の親子連れがいた。

 家族連れの父親は、アンセムがかつて見たレンの姿、リュドミルの身体を使う前のレンの姿である。

 そして、その父親が抱きかかえている13歳ぐらいのムラト族の娘がいて、さらに、レンの脚に寄り添うよう縋りつく15歳くらいのアリス族の娘がいた。

 アリス族の娘は、容姿からいってメトネ・バイコヌールだ。

 そして、レンに傍に寄り添って立って微笑んでいるのは、おそらくメトネの母親だろう。容姿は娘にかなり似ている。


 彼らの周囲にはムラト族しかない。そんな中にアリス族の眩しい姿がいれば、異様に目立つはずだが、周囲の者はまったく気にも留めていない様子である。

 もっとも、それは典型的な美形男子であるラグナ族のアンセムも同じだった。


「レンさん、ここはいったい……」


 リュドミルの姿ではなかったので、思わず最初に出会ったように呼んでしまう。だが、男のアンセムの姿では、このレンという男とは会ったことはないはずだ。


「ここは、“明晰夢”の世界だよ。今の君は、死ぬ寸前。いや、定義上はもう死んでいる。君の存在はもうじき消える」

「……」

「簡単に言えば、私の仲間が作った死ぬ寸前の走馬灯の世界ってやつかな」


 レンははっきりとアンセムの現状を告げた。

“明晰夢”というのは、自覚のある夢の事だろう。アンセムは見たことはないが、訓練すれば可能だともいわれている。


「つまり、ここは私が知るこの世の最後の世界ってことですね」

「そうだね」


 アンセムは理解して顔を伏せた。

 いつもなら横から口出ししそうなメトネは、がっしりとレンの身体を掴んだまま、アンセムをじっと見つめている。

 まるで、アンセムの事など知らない人物、若しくは興味が無い人物のような様子だ。


「しかし、ここは私が知らない世界です。こんな不思議な施設は見たことが無い。いくら夢の世界でも、知らない物は認識できないはずですが」

「うん。ここは私がいた世界だよ。化石の文明時代には世界中にあったテーマパークっていうレジャー施設。それを“Wi=Fi”で繋いで君にも見てもらっているんだ」

「遥か昔の、余暇を遊ぶための施設ですか」

「そうだよ」


 どうりでムラト族しかいないわけである。

 いや、時代的にみればムラト族ではなく、サピエンス族という呼ぶべきかもしれない。


「メトネ、フローラ。お父さんはこの人と話があるから、お母さんを連れて、あっちの乗り物に乗って来なさい」

「えーっ、お父様と一緒にいる~」


 レンは抱きかかえられていた娘を降ろすと、彼女は見上げながら顔を膨らませ、レンのズボンを掴んで言った。


「フローラ、パパが困っているわ。いこっ」

「あー、まってよ。お姉ちゃん」


 メトネが先に走り出すと、フローラもその後を追う。その姉妹が立ち去ると、母親と思われるアリス族の女も、彼女達に微笑みながら付いて行く。

 しかし、母親だけは表情がどことなく機械的で変だ。


「何か飲む?」


 レンは、ベンチの脇にある鋼鉄製の箱を示した。そこには、缶詰のような物がショーケースのような箱の中に陳列されている。一見するとカジノのスロットゲームのようにも見える。

 アンセムはそれがなんだか理解できない。


「じゃあ、紅茶で」


 アンセムが答えると、レンはカジノのメダルのようなものを箱の投入口に入れ、紅茶のようなイラストの描かれた陳列商品の下にあるボタンを押す。すると、ガランという音がして、下の引き出しから缶詰が出て来た。


「はい、紅茶。ラグナ族が飲むような本格的な香りは期待しない方がいいよ」


 手渡されると、それはとても冷たい。こんな野外にある無人の箱に“冷凍球”でも使用しているのだろうか。

 次にレンは、ムラト族が良く飲む栄養ドリンクの前のボタンを押して、それを取り出した。


 レンに促されるまま、ベンチに腰掛けるアンセム。

 お互い、妙に距離感がある。


「私はいつまでこの世界にいられるのですか?」

「夢世界は現実とは時間の感覚が違う。けれど限界はある。まぁ、このドリームランドの閉園時間ぐらいまでかな」

「そうですか」


 アンセムは力なく呟く。

 もっとも覚悟していたことだ。恐怖はない。


「アンセム君、見てごらん。あのお姫様の絵を」


 レンが示した方向には先ほどの地図の描いてある看板があった。

 そこに記載された女の子、それは、豊かなボリュームのある金髪、シミやほくろなどまったくない透き通るような肌、ドレスに似合う体躯と美しい四肢、どうみてもラグナ族の容姿をしている。


「ラグナ族に似ているよね。でも、この時代にラグナ族は存在しない。それなのにこうやって看板には書かれている。ここだけじゃないさ、この時代の世界にある、どんな作品にも出て来る。不思議だよね」

「……ラグナ族がムラト族にとって理想の人類だからということでしょうか」

「まぁ、いくらなんでも個人の単なる嗜好だけじゃここまで共通認識としては受け入れられないよ」


 アンセムは紅茶の缶詰の開け方に困惑していたが、構造を検討したところ、レバーのように引くところがあったのでそれを抜いてみる。すると、缶の一部が切り拓かれた。

 彼はその精緻な構造に驚かざるを得ない。そもそも缶詰は帝国にもあるが、缶切りがないと開けられない。このような構造に加工することなど不可能だ。

 飲み物なら、飲みやすい形状の瓶があり、そこにキャップで栓をするのが普通である。不思議と全てが缶なわけではなく、レンが飲んでいる栄養ドリンクは瓶だった。


 アンセムは化石文明時代の技術に驚かざるを得ないが、それでも疑問点がある。

 この世界から消える運命の自分が今更知っても仕方がないかもしれないが、どうせ消えるなら冥途の土産に心に留めておきたい。


「ひとつ教えてください。どうして、ここにいる人間達は滅びてしまったんですか?」

「滅びていないよ」

「では…… この文明はなぜ衰退してしまったのですか?」


 レンに即答して指摘されて、アンセムは質問を変更する。


「この文明は一応成功しているけどさ。H属のサピエンス族の中でも発展できずに衰退した文明はいくつもあるんだ。これは唯一の長く続いた成功例の文明ともいえるね。でも文明が滅びた場合でも、人は滅びていない。文明だけは衰退するってことさ」

「しかし、これだけの鉄加工技術があれば容易に滅びる文明なんてことはないかと思います」

「工兵らしい意見だね。じゃあさ、アンセム君は戦争に負けた理由をひとつに特定することができると思うかい?」

「いえ…… 大まかな敗因はあるでしょうけど、それだけで負けるわけではないし、その敗因だけなんとかすれば勝てたわけではないでしょう」

「そうだね。この文明が滅びた理由も似たような物さ。この時だって、この後に起こる危険を警鐘している人もいる。でも、各々がそれぞれ違う主張をしていて、自分の考え方こそ正しいと絶対に譲らない。そんなのいつの時代だってそう、後から検証してもそうだよ」

「結論がいくつかあるということですか?」

「違うね、結論はひとつしかない。その結果を正しく読めているかどうかの違いがあるだけじゃないかな」

「……具体的に、この後に何があったのですか?」

「投石だよ」

「投石?」


 アンセムはレンの言っていることは理解が出来ない。

 投石は戦争でよく使われる原始的な攻撃方法である。場合によっては人間以外の動物も行うほど単純な遠距離攻撃だ。

 それが世界を滅ぼすとはどういうことだろう。


「君が後宮籠城戦で使った投石器、トレビュシェットと考え方は同じだよ」

「いえ、投石なんて大した威力じゃないはずですけど…… 命中させるのも容易じゃない」

「この宇宙にはね。途方もないほどでっかい石が凄い速さで動いているのさ。それを投げる。正確には、投げるんじゃなくて軌道を調整してやる。ちゃんと計算ができれば、そんなに難しい事じゃないよ」


 それを聞いてアンセムはひとつ思い当たった。

 彼の天文学の知識はそれほどでもないが、宇宙には無数の隕石、小惑星があって、超スピードで運動している。地球にぶつからないのはぶつからないような軌道を動いているからだ。

 それの角度を少し変えて地球の任意の場所に衝突させるように角度をコントロールする。その計算は極めて複雑で精緻だが可能である。


 この世界には可能な奇跡しか起こらない。

 確か昔、レンはそう言った。

 隕石の軌道を変えるのは可能な奇跡である。


「さて、アンセム君。こういう破壊的な衝撃から身を守るために事前に必要な物はなんだい?」

「塹壕です」

「おやおや、また工兵らしい意見だね。じゃあ、私が人類を救うために作った塹壕は?」

地下宮殿(バジリカ シスタン)

「正解だよ」


 種族分類学者は、地下宮殿(バジリカ シスタン)を、この後に来るという氷河期を乗り越えるために作られたものと考えていた。

 でもレンの説明ではどうやらそうではないらしい。その効果はあくまでも副次的なものであるという。


「結果的には地下シェルター、君達が言う地下宮殿(バジリカ シスタン)があったから、人類は反動氷河期を生き残れたわけだ。君達の時代の種族分類学者達の判断も概ね間違いではないよ。でもそれは本質ではない。そこが結果に対する各々の考察の違いってやつだね」

「……」


 アンセムが敵対した男は、少なくともこの時代、人類を救うためにシオンという地下宮殿(バジリカ シスタン)を作った。結果、多くの者の命が救われただろう。

 彼はラグナ族を家畜化するという行為には反発したが、レンが人類を救おうとした決意が本物であることは疑いようがない。


「満足したかい?」

「ええ、大丈夫です。もう思い残すことはありません」

「そう、でも正解が早かったから、まだ閉園までにはかなり時間があるね。じゃあ、最後に会いたい人はいるかな?」

「そうですね、じゃあ……」


 アンセムは少し考えて言う。


「メトネと話がしたいです」


 レンはそれを聞くと頷いて、ポケットから手帳のようなサイズの金属製の板を取り出した。手鏡のように見えるが、鏡には違う画像が映っている。

 その画面を触るとすぐに文字が現れる。そこにはアンセムにも読める字で「シオン」と書かれていた。

 そして、レンはその文字を触ると、その板を耳に当てて話し始める。


「あ、メトネ。うん、ちょっとアンセム君が話あるって。さっきのベンチの所に来てくれないか」


 あの鏡は伝声管のようなものなのだろうか。まるで非現実的な魔法のような品物だ。

 レンはこの世には起こる奇跡しか起こらないと言っていたが、どうみてもありえない装置、魔法のような奇跡のようにも見える。


「すぐ来るってさ」


 レンがそういうと、メトネは駆け足ですぐに現れた。

 容姿はアンセムが後宮で出会った時よりも少し幼い。それでもアリス族はもともと幼い体型なので、それほど変わらないともいえる。


「パパ~ アンセムが話って?」

「メトネとデートがしたいんだってさ」

「アンセムが? ふーん……」


 メトネはアンセムがよく知る意地悪そうな表情で覗き込むように近づきながら一瞥する。

 男の身体でメトネに会うのは初めてだ。夢の中の世界にも関わらず、身体が彼女の甘い容姿に対し無意識に反応してしまう。“男の呪い”は夢の中でも健在だった。


「どうする? メトネ」

「うん、いいよ。私もアンセムに言いたい事あったし」


 メトネは微笑むと、座っているアンセムの手を引っ張った。


「ほら、アンセム立って! 遅いと消えちゃうぞ!」


 その誘う微笑みは間違いなく美少女の誘惑であり、男であれば誰しもがその誘いに抵抗はできそうにない。


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