隠者2~父と子⑧
娘のエリーゼが、敵騎の追跡を振り切って、ノリリスク市に辿り着いたとき、帝国軍によってこの要塞都市も包囲状態にあった。
このまま法兵隊が配置につき、潤沢に補給物資が届いて総攻撃が開始されれば陥落するだろう。要塞の機能は維持されているが、レナ軍との戦闘による消耗により、出撃できるような戦力はない。
「アンセム、叔父様がこの手紙を貴方に」
「見せてくれ」
エリーゼは叔父から受け取った手紙をすぐにその息子に渡す。
「アンセム、すぐに援軍を出さないと。叔父様がとても危険な状態なのよ」
孤立した前線に籠城しているアンセムの窮地は誰でも分かる。エリーゼは指導者である皇太子アンセムに強く訴えた。いつもの彼女らしくない動揺した様子である。
そして皇太子のアンセムもどんな窮地にも冷静で堂々とした男だった。その彼が手紙を読んだまま震えている。
「……援軍は出さない」
「何を言っているの! 貴方、自分の親を見殺しにする気!」
「父さんが必要ないって言ってるんだ。間に合わない。父さんの見立てに間違いはない」
「間に合うかもしれない! 私の部下の航空騎兵だけでも助けに行く!」
「間に合わないんだよ!」
皇太子アンセムは声を荒げ、そして手紙を握りしめた。
「私達は勝つしかない。敵は間もなく後退を開始する。可能な限り追撃して損害を与え、来年以降の戦いに備えて物資を鹵獲しなくてはならない」
「アンセム……」
そう宣言する皇太子のアンセム、だがその表情や声には動揺がはっきりと顕れている。
「少しの兵も、少しの時間も無駄に出来ない。エリーゼが行くことも許さない。これが私の決定だ」
娘のエリーゼもそれを聞くと、俯いたまま何も言わずに退出する。
それは、理性では彼女にも分かっている事である。
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リブモント砦を包囲する帝国軍の陣地に、皇帝レンと、総司令官のレニーら幹部がいる。砦は完全に包囲されて要所に法兵が配置され、総攻撃で簡単に撃破できるだろう。
だが、その準備の為に致命的な時間を損失した。間もなく、この極圏の大地は雪に閉ざされる。砦の障害物を排除してからの前線への補給は間に合わない。
「陛下、既にノリリスクまで進出した部隊には後退命令を出しています」
師団長のヴィクロス・リッツ・タクナアリタは険しい表情で進言する。
「ああ、敵は追撃してくるだろうから、カウル族とジュンガル族の軽騎兵隊に後ろを援護させてね。もっとも、彼らは寒さに強いけど、雪には弱いから無理をさせてはいけないよ」
「畏まりました」
皇帝は微笑みながら若い師団長に答える。
「しかし陛下、敵がこのような無謀な補給線の寸断を企図してくるとは予想しませんでした。申し訳ありません」
参謀長のテムシャールが頭を下げて謝罪する。
「いやぁ、歴史を紐解けば、味方の勝利の為にこうやって身を捨てて敵中深く乱入し、時間稼ぎをする男は結構いるものさ。それほど珍しい事じゃないよ。それに対する防衛の為だけに補給線に多くの兵力を配置したら、戦力分散になって余計愚策かな」
レンは参謀長の方針を非難したりしない。
「過去、それをやった男達の運命はどうなったのですか?」
皇帝の傍にいる総司令官のレニー・デューク・マトロソヴァは尋ねた。
「死ぬ」
レンは一言であっさりと答える。
そしてそれは、この砦に籠城する者達の運命でもある。
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――我が子へ
――この手紙を受け取ったとき、おそらく私はこの世にいないだろう。
――だが、悲しまないで欲しい。
――男は種族の誇りを守るために戦う。
――それを見失っていた私に、お前はそれを思い出させてくれた。
夜明けとともにリブモント砦への総攻撃が行われた。
航空騎兵による上空の制圧の後、強烈な法弾が次々と撃ち込まれ陣地を粉砕する。そして、騎兵、歩兵による立体的な攻撃が行われた。
「レニーらしい教科書通りの攻撃じゃないの」
塹壕で身を隠していたタチアナ達だったが、正確な法撃によって甚大な被害が出ている。
それでも、彼女は敵の突撃に合わせて応戦、弩や長弓を放って迎撃を行う。
タチアナは、長弓を引き絞りながら昔を思い出した。
後宮で、確か“スナイプ”の練習をしていた時だ。あの時、アンセムに、慎重に的を狙いすぎていると指摘された。
確かにそうかもしれない。目の前で突撃してくる集団を怯ませるには、とにかく弓を乱射して敵を近づけないことが大切である。
タチアナは塹壕に近寄る敵に対して、続けざまに矢を放った。
だが、戦力差は如何ともしがたい。金属鎧で武装し、突撃してくる歩兵を射撃だけで倒すことなど不可能だ。
すぐにもタチアナがいる塹壕でも接近戦になる。
タチアナは塹壕内で雄叫びを上げながら両手斧を持って奮戦する。
彼女の身体は、ムラト族の男のものだ。確かラルフとかいうムラト族旅団の突撃隊長の1人だったと思う。
以前から屈強な男だったらしく、彼女自身も鍛えた。あれから20年が過ぎ、既に壮年を越えて衰えが目立つ年齢になったけれども、おそらく、女だった時よりも数倍の戦闘力を発揮できただろう。
彼女は斧を振るい、まさに獅子奮迅ともいえる死闘を繰り広げる。法弾の爆風によって負傷し、さらに肩に矢が刺さっているがまったく痛いと感じない。それは男性ホルモンの成せる業であった。
さらに、槍が脇腹に刺さった。どうみても致命傷の槍の傷である。血が大量に噴き出すが、彼女はそのまま斧を振るって、その兵士の頭を兜の上から叩き割った。
「まったく、私は馬鹿な女ね」
彼女は女の身体に戻らなかった。理由は、戦って死ぬためである。
彼女の父は、男として自分が正しいと思った事の為に戦って死んだ。自分は信じる事はないけれど、愛する人はいる。
その人の為に、戦って死ぬ。
戦って死ぬなら、男の身体の方が、少しだけ時間を稼げる。
たったそれだけの為に、彼女はここにいる。
さらに現れた歩兵隊の槍が突き出され、それは彼女に何本も刺さり、彼女はようやく動きを止めた。
「アンセム様――」
彼女は最期にそう呟く。
リブモント砦の戦いにおける前線の塹壕において、タチアナ・コンテ・タルナフは奮戦の末、戦死した。
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――お前はもう私を越えている。
――父親は、息子が自分を越えたと知ったとき、親としての役目を終える。
――それは男親として、とても幸福な事だ。
アンセムは前線の塹壕から少し離れたところの隠蔽壕に隠れ、長弓で応戦していた。
近寄る敵兵は、彼の正確な射撃を恐れ脚を止めるが、前線指揮官の叱咤によって突撃を継続する。
アンセムは隠蔽された陣地で射撃を行っていたが、上空の航空騎兵に発見されると、その場所に信号弾を撃ち込まれた。そこを目標にして歩兵による掃討が行われる。
押し寄せる大軍に怯むことなく射撃を続けるアンセム。
彼も、最初の法撃による破片によって負傷していたが、不思議と痛みは感じなかった。
身体は確かに妹のエリーゼのもので、男のようにはいかないはずだが、不思議なものである。
彼の周囲には様々な障害や罠が張り巡らされていた。
氷を使った巧妙な罠、信号弾に対しては、煙幕を焚いて視認を妨げる。
だが、夜明けから開戦した戦いは、夕暮れ頃、もはやアンセムと一部の者を残すだけになっていた。
周囲の状況を伺うだけでもタチアナが戦死したのがわかる。
既に彼の胸当ては吹き飛び、敵の矢が刺さっている。
それでも、歩兵隊が現れると、アンセムはスコップを振るって奮戦した。
女性の腕力なので、武装した男相手に勝つのは難しいものだが、それでも彼は怯まない。
彼女の周辺にいたのは僅かな兵力だったけれども、攻撃を仕掛けた帝国軍の兵士が戦慄を覚えるのに十分なものであった。
だが、日暮れ間近、隊列を組んだ歩兵の一本の槍が彼の上半身を掠めた。
開いた傷口から大量の赤い血が噴き出る。
槍が引かれると、アンセムはスコップを杖にして膝立ちになり、それでも彼らを見据えて殺意の視線で睨みつけた。
そして、その次の彼は、そのままの姿勢で静かに崩れ落ちていく。
――アンセム
――悲しむ事はない。私は男として、とても満足のいく人生だった。
――さらばだ、息子よ。愛している。
――アンセム・コンテ・ヴォルチ
リブモント砦の戦いで、アンセム・コンテ・ヴォルチは戦死した。
その壮絶な最期は、“鮮血の姫”という渾名に相応しい物だったと伝えられている。




