隠者2~父と子⑦
タイコンデロガ砦が建設された場所には秘密がある。永久凍土の台地にはかつて地下水が流れ、それが凍って、さらに融けてできた洞窟が多数存在した。
この砦を選定したコンドラチェフは、この砦を洞窟へ脱出する事が可能な場所を選んで建設している。
本来は、ここで敵を喰い止めて時間を稼ぎ、主力を脱出させて後方のスカイラー砦に合流させ、最後の砦で再び防衛する予定だ。
彼らの事前の計算では、それで勝てる見込みだった。だが、先に後方のスカイラー砦が陥落し、ノリリスク市までの街道も軽騎兵隊によって抑えられ、海軍も湾内から退去したのでは、もはやどうにもならない。
アンセム達の奮戦空しく、タイコンデロガ砦はその日の内に陥落した。
時間を掛けて法兵隊を効果的な場所に配置された上に、強力な火力を集中されたのでは、勝ち目はない。
彼らは、砦から洞窟陣地に撤退し、今後の善後策を練っていた。
しかし、後方と大きく切り離され、洞窟に逃げ込んだだけ。敵の補給を妨害するには至らない。
アンセムは、コンドラチェフ、マイラ、タチアナ、マシェリを集めると言った。
「メトネの娘達の存在は私の責任だ」
そもそも、皇帝レンに権力を与えていたからこうなった。アンセムはそれを承認し、助力したのである。敵方の“メトネの娘達”の中には、アンセム自身が産んだ娘の子もいるはずだ。
そうやって、皇帝レンに妥協した結果、女性が持つ生殖能力を彼らの都合の良いように使われ、“メトネの娘”を大量生産されたのである。
「アンセム様、それを言ったら、私もそうですよ。私は自分では産んでいないけれど、私の身体を使われて産まれた子もいるはずですから」
タチアナはアンセムを擁護する。タチアナは身体を奪われた後、第三者によって使われてしまった。彼女ほど優秀な娘ならば、エリーゼの身体同様にその女性としての生理的特殊能力を使われているだろう。
「お嬢様、お顔が煤で汚れていますわ。レディなのですから、身嗜みには気を付けないと」
マイラはコンドラチェフの身体で、アンセムのものであるエリーゼの顔の煤を拭う。
このまま、洞窟陣地に隠れて留まっていることはできる。この洞窟は長大で、物資も備蓄しており一か月程度は持つ、冬まで隠れていることは可能だろう。
だが、それでは街道を封鎖できない。道を封鎖できないと、前線に進出した法兵隊に次々と法弾が、そして航空騎兵に燃料が送られ、ノリリスクは攻略されてしまう。それでは負けだ。
しかし、“メトネの娘達”の圧倒的な戦力を前に、もはや成す術もない。
彼らの命はこのまま隠れていれば助かる。
だが……
「コンドラチェフ、頼みがある」
会議の後、アンセムは自らの弟子である工兵士官を呼び寄せ耳打ちする。
それを聞いたコンドラチェフは驚くが、慌ててその役目を自分が負うという。だが、アンセムはそれを制した。
「なぁ、コンドラチェフ。幸せの定義についてどう思う?」
「どうしたんですか、急に」
コンドラチェフは突然尋ねられて困惑した。
「私は昔、皇帝レンに幸せについて尋ねられてね、それはなんだろうかと思ってさ」
コンドラチェフには妻がいて、子供がいる。家族がいる。
もちろん、コンドラチェフは家族との一時を幸せに感じている。
「……かといって、隊長にそれを押し付けることはできません」
「いや。私は今幸せだよ。だから、私にやらせてほしい。君にはまだやることがある。それに、ここの洞窟陣地だって、私ではなく君が測量して準備したものだ、君が残らないとね」
「アンセム隊長……」
2人の姿だけは、エリーゼとマイラである。だが、その中身は2人の男だった。
コンドラチェフはそれを聞くと敬礼し、そして俯きながら去っていった。
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10月下旬、アンセム達は洞窟陣地を抜け出し、タチアナ、マシェリら僅か1000人程度の兵力を連れて、南方のリブモント砦に向かった。
既にプトラナ台地は夜間の方が長くなっている。夜の闇と付近の洞窟を上手く利用し、敵の意表を突く後方への進出である。
リブモント砦は序盤戦で放棄された砦であるが、彼らは到着するなり、素早く即席の砦を建て直し、街道を封鎖した。
既に日中も氷点下の気温となるため、氷を上手く使った陣地だ。だが、このような即席の陣地では騎兵程度には対抗できるが、法兵にはまったく対抗できない、そんな粗末な急造の砦だった。
帝国軍の補給部隊を護衛する警戒の騎兵隊を撃退した後、さらに少しでも砦強化作業を続けていたアンセム達のところに、娘のエリーゼが航空騎で降り立った。
帝国軍の航空騎兵は精鋭だ。潜り抜けるだけとはいえ、それを単騎で突破するとはよほどの度胸と技術があるだろう。
また、雪がうっすらと積もる周辺の着陸の地形もあまり芳しくないが、彼女はそれを見事にこなしてみせた。
そして、彼女は到着するなり、自分の叔父に訴える。
「叔父様、こんなところで留まられては、1度の攻撃で全滅してしまいます。すぐに退避をしてください!」
彼女は必死に懇願した。
アンセムは彼女を優しく宥める。彼女は自分が作った子ではないが、自分の身体から出来た娘だ。
「エリーゼ、心配はいらない。すべてうまくいく。君は、私達ヴォルチ家の大切な娘だ。ここにアンセム宛に手紙を書いたから、これを息子に届けてほしい」
「この手紙には?」
「帝国軍を防ぐ作戦が書いてある」
「しかし叔父様、どうみてもこれでは……」
親のように優しく触れながら語り掛けられ、エリーゼはその手紙を受け取る。
アンセムは彼女に諭すように言って首を振った。
「エリーゼ、敵の航空騎は精鋭だぞ、振り切って辿り着けるかい?」
「叔父様、それは大丈夫です。敵の航空騎兵が何万いようと、私はこれをアンセムのところに届けてみせます」
「いい返事だ、頼んだぞ」
「必ず、必ず戻ってきます。叔父様、ご武運を」
娘のエリーゼは敬礼すると、その日の内に飛び立っていった。
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リブモント砦の増築はタチアナやマシェリ達の指導で迅速に進められた。
もともと、最初に彼女達が配置されていた砦である。その使い勝手はよくわかっている。
次第にこの突然湧いた街道上の障害を排除しようと、続々と帝国軍が戻って来て配置につく。数日のうちに総攻撃があるだろう。
するとアンセムは決戦を前に、彼女達に退去命令を出した。立ち去りたいものは、マシェリと一緒に、砦を離脱するように指示する。
その最後の命令を受け、タチアナとマシェリ塹壕の中で別れを告げた。
2人の身体は男同士だが、心は女同士である。
「この夜のうちに私は退去したい者を連れてここを去るわ。これでお別れね、タチアナ」
「上手く離脱できるとは限らないわよ。貴方なら上手くやると信じているけど」
「逃げ切るのは難しそうだけど、貴方と最初にここに陣取っていたから、周囲の地形は頭に入っている。任せておきなさい」
「私はここで彼と出来る限り敵を引きつけるから、迅速にね」
その言葉を聞いてマシェリは呆れた顔で言う。
「……まったく、貴方は素直じゃないわね。愛しているならあの男にそういえばいいのに」
「その通りよ」
タチアナはあっさりと認めた。
「私は彼と一緒に死ぬ。それもひとつの愛の形だわ」
「勝手にして頂戴」
立ち去ろうとするマシェリは、一度だけ振り返ると、彼女に告げた。
「そういえば、昔後宮籠城戦の時に、私達、理解し合えないって言い合ったわよねぇ」
マシェリは急に昔話を持ち出した。
「そうだったかしら」
「私は貴方をたぶん理解できたわ、それじゃあね」
マシェリは、その夜のうちに多くの兵を連れて砦から離脱する。多くの兵がそれに従った。
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マシェリ達が退去した後、リブモント砦にはタチアナを含め僅か300人程度の兵士が残るだけだった。いずれも昔からタルナフ家に忠誠を誓う精鋭ばかりである。
そして退去した朝、夜が明けると砦は帝国軍によって幾重にも包囲されていた。もはや蟻の這い出る隙間もない。
要塞都市であるノリリスクを攻略するためには法兵隊が必要である。
リブモント砦は、街道上に建設されている。街道は障害物を大量に配置してあり、この時期は既に氷が固く、スコップの刃ですら通りにくい。配置された障害を排除するにはどんなに急いでも11月までかかるだろう。
ノリリスク市を攻略するには、法兵隊と航空騎兵に十分な補給が行き届くことが条件だ。
つまり、帝国軍は時間切れである。
そして、退却する場合でも、この砦を排除しないと前線に進出した部隊を退却させられない。
だから、帝国軍がこの砦を全力で排除しに来ることは必然なのである。
「いいんですか、アンセム様」
帝国軍の大軍を見たタチアナはアンセムにそう語り掛けた。
「勝利の為に死ぬ事は男の誇り。そして補給線を寸断するために死ぬことは、家族の前に立って盾になり死ぬことよりも価値がある。結局、私は骨の髄まで工兵だったんだなぁ」
アンセムはそう呟いた。
これが自分の生き方だ。悔いはない。
「で、タチアナ。旧来の友人として、帝国軍総司令官のレニーは次にどうしてくると思う?」
「総攻撃ね。あの子は、損害を恐れたり、私達を逃したりしないわ」
「だろうなぁ。私が知っている帝国皇帝のレンという男もそういうタイプだ」
アンセムは苦笑する。
精神的思考という面では、それは絶対である。
だが、予想に反してその日の帝国軍は攻撃を開始しなかった。おそらく今日は効果的な配置について、明日の一撃で決着をつけるつもりなのだろう。
夜になると、彼らは再び砦の防御を固め始めた。
既に、身体の幾多の個所は凍傷で痛み、手の皮は剥がれている。連日の作業で疲労困憊していた。
それでも、アンセム達は手を止めない。
休むというのは次のステップに必要な体力の回復だ。
けれど、彼にはもうそれを必要としない。
夜の間に、出来うる限り、陣地を強化し、敵を少しでも長く食い止める。
一分でも、一秒でも長く。
その徹夜の作業の間、極圏の夜空に見事な光のカーテンが輝いた。極圏近辺の夜で時折みられる大気の発光現象である。
「ああ、綺麗なオーロラだな」
「そうですね」
タチアナはアンセムがあまりにも直感的な事を呟いたのでただ頷くだけだった。
彼は、詩的な事は一切言えない。けれど、その不思議な天空の発光現象は、アンセム達の作業を照らし、助けるかのようである。




