隠者2~父と子⑥
9月下旬、プトラナ台地を貫く街道上の最も南側に位置する、リブモント砦が帝国軍の総攻撃を受けた。
リブモント砦に籠るタチアナ・コンテ・タルナフ率いる皇太子側の軍勢は1000人程度しかおらず、10倍の敵の攻撃を受けて、当初の予定通り包囲される前に後退、後方のタイコンデロガ砦に集結した。
一番南側のリブモント砦は交通の要衝ではあるが、あくまで騎兵の速攻対策の前衛砦として建設したものだった。法兵隊を十分に配置された状態で死守するにはあまりに不利で、後方の陣地建設の為の時間稼ぎといえる。
極論すればその次のタイコンデロガ砦、一番北のスカイラー砦も冬が到来するまでの時間稼ぎの為の砦である。
皇太子アンセムの予想では、帝国軍が騎兵による速攻を用いれば8月下旬から9月上旬には攻撃を受ける可能性もあると考えられていた。
レナ軍と合流されては堪らないので、その分断の為の戦力配置である。
だが、帝国軍は速攻を用いず、南方のリブモント砦に十分に戦力集中させ、法兵の効果的配置を待ってから、攻撃を開始した。
こうなっては、最前線を少数の兵力で支える意味はあまりない。砦攻略の為に配置についた法兵を再輸送、再配置するのが相当な手間なので、時間稼ぎの成果としては十分である。
プトラナ台地には、樹木はほとんど無く、人は住めない。冬が到来すれば、風雪に晒され大軍の維持など到底不可能だ。
11月中旬にもなれば、冬の到来によって帝国軍は負ける。アンセム達が建設した残りの砦は健在で、前線の兵の収容でき、さらにレナ国王を捕えたレナ王国と停戦したという情報を入手したため、十分勝機はあるかにみえた。
「タチアナ、よく無事に戻った。次も激戦が予想されるが、法兵の移動と配置に敵は2週間はかかる。今回の件で十分粘れるはずだ」
前線から後退したタチアナとその同期のマシェリと再会し、アンセムは彼らの健闘を称賛した。
「アンセム様、油断なんて貴方らしくない」
タチアナは、アンセムを諫める。
だが、彼女も不思議に思っていた。彼女が相対した敵の司令官は、彼女がよく知る人物である。
「しかし、変ね。レニーにしてはゆっくりとした行動だったけど」
「確かに彼女なら、安全策で最も被害が少ない拠点への順次攻略ではなく、浸透的な作戦を取りそうだが……」
彼女が正面攻撃に固執して、みすみす防衛部隊を逃がすような下策をするとは思えない。
もっとも、彼女は法兵科出身の人間である、法兵の運用に拘った結果の戦術と考えれば意外でもないが、それにしては鈍重な行動であった。
「航空騎兵や女性の法兵を使えないから、かなり動きを制約しているのは間違いないでしょうけど」
マシェリは、帝国軍の動きについて楽観的な見通しを語る。
帝国軍は、航空騎兵、法兵の大部分を“メトネの娘達”に依存している。連絡、支援、補給も同様だ。
そのため、編成や行軍に大きく手間が取られる事は予想されることである。
アンセムも指揮官の立場からすれば、これらの重要な支援部隊が突然使えなくなったら、速攻などはとてもできない。
敵は相変わらず10倍以上いる。
そして、帝国軍は残りの期間でも、法兵達を進め、彼らのいるタイコンデロガ砦を集中砲火できる地点に配置して、総攻撃で粉砕することも可能だろう。
だが、それをこの攻略速度でやっていては、時間切れは確実である。
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10月上旬、帝国軍総司令官のレニー・デューク・マトロソヴァは、タイコンデロガ砦に対して再び正攻法に基づいた法兵隊の配置を開始する。
だが、今回は配置が行われるとすぐに、カウル族とジュンガル族の軽騎兵隊が台地の上から迂回し、後方のスカイラー砦に対して圧力を加えた。
これによってタイコンデロガ砦は敵中に孤立することになったが、戦術としては普通であり、どちらかといえば想定の範囲内である。
アンセムは思い出した。
かつて彼が籠城したアタス砦もこのような街道沿いの要衝に建設されてはいるが、敵の進撃を完全に防げるわけではない孤立した拠点だった。
砦は包囲され敵は後方まで浸透し、絶望的な長期戦を強いられたのである。
敵はその時よりも確かに大軍だが、それに比べれば、冬の到来という確実に訪れる味方が来るまで、あと1か月半程度粘ればいいだけだ。
部下のコンドラチェフは工兵士官として優秀で、前線砦から収容したタチアナやマシェリ達の士気も高い。
かつてアタス砦の建設の時は、アンセムは工事の現場責任者ではあったが、建設場所や指揮についての実権は無かった。今回は、彼が教養した信頼する部下であるコンドラチェフが地勢的に絶好のポイントに、資材不足ながらも強固な陣地を建設している。
彼は、砦の望遠台で敵法兵の配置を索敵しながら、陣地防衛に自信を見せた。
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その時、その望遠鏡の先に、皇帝レンはいた。
帝国軍の陣地には、総司令官のレニーの他、各師団の幹部達、レイドン・デューク・カザンやブライアン・デューク・ドノー、そして皇帝の側近のシークがいる。
「懐かしいなぁ。随分昔にも、こうやってアンセム君と対峙したような気がするよ」
皇帝はアンセムが建設した砦を眺めて懐かしそうに呟いた。
「陛下、このような小さな砦など我々が一気に踏みつぶして御覧に入れます」
師団長のレイドンは強気の発言を見せる。
「時間を無駄にしていては冬が到来し、戦線の維持が困難になるでしょう。ここは早期に突破し、次の砦も速やかに攻略する必要があります」
同じく師団長のブライアンは妥当な意見を述べる。
皇帝レンはそれに答えずに、傍に控えるタイキ族の男に尋ねた。
「シーク、終わったかい?」
「マスター、既に計算は終了しています。射出機もオールクリア。あと5分11秒後に射出すれば目標から誤差30km以内で命中させられます」
「それでも結構ブレるね。まぁ古い装置だし仕方がないけれど」
「装置の劣化は問題ではありません。それよりも通信系の障害の方が問題です。この機会を逃せば、射出可能な位置が取れる可能性は50%を下回ります」
「それじゃあ、撃たなきゃね。では、発射」
「了解」
シークは人間味のない声で応答した。
「陛下、いったいシーク殿と何を話されているのですか?」
レイドンは皇帝とシークの会話に合点がいかず質問した。
ここにいる幹部は、大小なり皇帝レンによって教養されている者達である。彼は疑問があったら気軽に尋ねてよいと若い頃から教育していた。
だが、彼らは少し不思議に感じている。
タイキ族は一般的に熱に弱く、帝都のような環境では20年が限界のはずである。そもそもこのシークという男は昔からレンの知人のようにも見える。
「レニー、レイドン、ブライアン。実は私はね、君達と同じ世界の人間じゃないんだ」
突然、余りに突拍子もない事を言い出す皇帝に対し、唖然とする2人。レニーだけは静かに目を伏せ、反応が無い。
「これから起こることはね。遥か昔に起きた悲劇、その恐怖の遺産だよ。それをよく見ておくんだ」
皇帝レンはそういって、北の空を見るように指示した。
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人工衛星「インデペンデンス」は、ラグランジュ点3か所を周回するリサジュー軌道にある。人工衛星とはいっても、2km四方の円形の衛星をくり貫いたもので、古の大戦末期によく作られたという。
この「インデペンデンス」は、ここに運ぶ指定をされた後、そのまま放置されたものだ。
リサジュー軌道は非常に安定した軌道とはいえ、既に100万年以上が経過し、受信施設の劣化はとても激しい。
この人工衛星が装備する|女神の杖《Rods from Goddess》は宇宙から射出する運動エネルギー弾である。備え付けられた射出機からタングステン製の槍状弾頭を撃ち出す。
宇宙空間から落下するそのエネルギーは凄まじい破壊力があるが、爆発の威力はそれほど大きくはない。この兵器で最も恐ろしいのはその貫通力だと言われている。
この兵器は、通常では高度1000km程度から射出するものだが、「インデペンデンス」は遥か彼方にあり、複雑な機動をしているため、正確に狙いをつけるのは極めて精緻な計算が必要になった。
とはいえ、一度この人工衛星を掌握してしまえば、当時でも最高精度の性能を持つコンピューター、Sionにとって計算自体は難しい事ではない。
人工衛星からの攻撃“女神の杖”はノリリスク南西方約30kmの台地の上に着弾した。
攻撃目標は“ギャラルホルン作戦”の根幹をなす電波塔である。
直撃からはかなり逸れたが、簡易な電波塔を粉砕するには十分で、たちまち修復不可能な程に完全に破壊された。
これによって戦況は一変する。
シオンの“Wi=Fi”の効果は、“チャフ”という装備を付けていれば防げる。もともと“Wi=Fi”は効果範囲が短く、占領した土地の“Wi=Fi”用の電波塔は破壊しているので影響は少ない。
だが、“メトネの娘達”を操る電波を封じていた妨害電波は発生しなくなった。これによって、待機していた彼女達は一斉に行動を開始したのである。
数多の特殊能力を持つ帝国軍の“メトネの娘達”の持つ戦闘能力は尋常なものではない。
さっそく、その日の内に、アンセム達のいる砦の後方、スカイラー砦に航空騎兵1万騎が襲来し、強行着陸で直接攻撃を挑んできた。
本来、航空騎兵は若い乙女なので、近接戦闘能力は乏しいものだが、彼女達は、男性並みの腕力や敏捷さを得る“戦処女”、攻撃を軽減する“陽彩”、周囲の敵の動きを鈍くする“惑星”、自身の肉体の活動力を大幅に上げる“縮地”など、強力な特殊能力を数多く持ち、武装した男性兵士相手でもまったく苦にしない。近接戦闘においてもほぼ一方的な戦闘である。
スカイラー砦は即日陥落、周辺に詰めていたカウル族とジュンガル族の軽騎兵隊はそのまま戦線を突破し、一気にノリリスク市へ向かう。
さらに、翌日にはノリリスク市の南方に帝国海軍が現れ、海戦が行われた。こちらも“メトネの娘達”による射撃系の特殊能力、法撃系の特殊能力を使われて一方的な戦闘になった。
ゴードン・ガロンジオン率いる皇太子派の海軍は一部しかノリリスクに撤退せず、遥か北方のカラ海方面に退避したという。
続いて、前線で孤立した、アンセムの防御するタイコンデロガ砦にも“メトネの娘達”の法兵隊が配置され、彼女達による猛烈な法撃が開始された。
アンセムやコンドラチェフの計算した陣地は、ラグナ族相手の法兵にはかなり粘れるように作られていた。
だが、敵に航空騎兵の増援が現れて射撃の正確性が増し、なにより段違いの火力を叩きこまれてはとても耐えられない。
激烈な法撃の中で身体を煤で汚しながら指揮をしていたアンセムだったが、このままではどうやっても耐えられないことを知る。
それは冷静な計算の出来る指揮官だから分かる事だ。法撃によって堡塁は破られ、それが止んだ後に、歩兵の突撃によってこの砦は陥落するだろう。
「レニーの最初の遅攻は、街道上の障害を一気に払うための下準備だったのか……」
アンセムは嘆息する。
戦争は人間の敵がいる。人間は相手の動きに合わせて対策するものだ。だから、相手にその余裕を与えないように動く。
このたった数日の一撃で、プトラナ台地からノリリスク市までの街道上の障害は、このタイコンデロガ砦以外一掃されてしまった。
そして、この砦も猛攻を受けて間もなく排除される。街道上の障害が失われて自由に通行できるようになれば、帝国軍の法兵隊はノリリスク正面に配置され、補給を受けて効果的な攻撃を行える。そうなればノリリスクは耐えられない。
アンセムは最後の決断を迫られていた。




