隠者2~父と子⑤
戦いの前日、朝から日常の偵察をしていたレナ軍の航空騎兵は、ラマ湾を東進するアテナ族の艦隊を発見。報告を受けた6女リール=リナ・アクセルソンは、すぐに国王に伝えた。
「ふむ、我々の後方に揚陸して回り込もうという手か」
国王イェルド・アクセルソンは21年前の戦いを思い出した。その時、彼らは河川艦隊を使って後方に回り込まれて補給を断たれたために、陣地に攻撃をせざるを得なくなったのである。
ただし、この程度の作戦は、事前に予測していた。ノリリスク市へ向かう街道は湾岸沿いから遮断できる位置を通っており、ラマ湾に制海権を持つ皇太子軍の反撃手段として十分検討された事である。
そのために航空監視を徹底して、海軍の動静に注意を払っていたのだ。
さらにイェルドは若い頃の失敗を繰り返さないよう、周辺に十分な兵力を配置していた。後方から急行させていた予備の1個師団も上陸の警戒に配置している。
「まてよ。敵が苦し紛れに後方への上陸作戦を決行するならば、水際で叩く絶好の機会かもしれん」
イェルドはさらに次男のヒルツに命じ、騎兵を中心とした1個師団を迎撃に向かわせる。もし、皇太子派が揚陸を開始したらただちに襲撃する予定である。
揚陸中に水際で狙われたときほど脆い軍隊はない。そうすればこの戦いは勝ちだ。
「父上、ノリリスク川の対岸に配置された兵力が減っているのではないですか?」
ヒルツの指摘通り、前線の兵力は1個師団程度まで減っていた。だが、国王イェルドは自信を見せる。
「我々は敵が川と城塞で守られたノリリスク市に引き籠っているから手が出せないのだ。出てくるならばむしろ好都合、お前に心配されなくても、粉砕してみせるよ」
「確かにこの補給の困難な地で後方に上陸を許し、補給を寸断された方が危険は高いですが」
「そうだろう、気にすることはない」
国王イェルドは強気だった。
ジオグラフォスクレーターの戦いで圧勝していたので、敵の野戦能力のレベルはたかが知れている市民兵の集まりだと侮っていたのだろう。
だが、実際は後方に向かっている艦隊に揚陸部隊は乗船していなかった。乗船しているように見せるだけの陽動である。
その結果、ノリリスク正面の兵力差は1:1まで縮まっていたのである。
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その朝、戦いは始まった。
端緒は、レナ軍の陣地内で起きた奇妙な爆発である。
「なんだ、地面が急に爆発したぞ?」
「辺りが穴だらけだ」
レナ軍の陣地の各所で、地面の泥が巻き上げられ、ポッコリと円形の大穴が空く。
その深く奇妙な穴はとても自然にできたものには思えない。
爆発といっても、泥が巻き上げられるだけで大きな被害はない。もともとレナ軍は陣地設営を重視していなかったので陣地の損害も乏しいが、この異様な光景によりレナ軍に少し混乱が見られるようになった。
各部隊の隊長達が兵士達を落ち着けている。
永久凍土のツンドラ気候特有の大地には、地下の氷が凍ってできた“ピンゴ”という丘がある。この氷がさらに地下の天然ガスなどの蓋の役割をして地下に蓄積させる。
これに対し、皇太子アンセムは、予め雷撃魔法の導線を引いておき、一気に発破をかけたのである。
レナ軍の陣地に突然の大穴が空く。だが、爆発は泥を巻き上げて派手ではあっても被害が発生するほどでもない。
むしろ、国王イェルドが受けた報告で驚いたのは、ノリリスクの兵が川の北と南に浮橋を掛けて、昼間攻撃に出撃してきたことである。南北ともに各1万程度、総攻撃だろう。
「ここで決着をつけようというのか。いいだろう」
イェルドは車椅子に乗りながら、各方面の隊長達に激を飛ばした。レナ軍も決戦を受けて立つ気になったからである。
「法兵隊は南から来る敵を撃て、騎兵隊は北を殲滅せよ」
イェルドの採った戦術は非常に単純である。
レナ族の法撃は火力が高く騎兵との連携が難しい。タイミングが悪く誤射してしまうことはよくあることだ。
だから物事を単純にして、騎兵を北へ、法兵を南に向けた。あとは熟練された騎兵と大陸最強の法兵が敵を粉砕するはずである。
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「後方から敵!」
「なんだと!?」
レナ国王イェルドはその報告に驚愕する。そもそも航空騎兵が毎日偵察していて伏兵などいないはずである。周囲に身を隠せる森や山はない。
だが、現れた敵を確認すると、その理由はとても簡単だった。
彼らは地面の色に合わせて迷彩していたのである。
南方にD属のアサマイト族というカメレオンのような能力をもつ種族がいる。彼らは、体色を変えて遠くからの視認を誤魔化すことができる。航空索敵に対してはかなり有効な方法だが、実際のところ迷彩するだけならそんな特殊能力は必要ない。
本来、イエティ族もスノータイガー族も真っ白い毛皮の種族であり、雪原に対応した保護色である。しかし、雪のないこの時期のタイミィルではやや目立つ存在だ。
しかし、彼らは、この毛皮に迷彩のペイントを塗っていた。そして、数百人が彼らの後方に潜伏していたのである。
人間の皮膚にペイントを塗ったり、迷彩衣服を着ることは可能な事で、イエティ族やスノータイガー族に迷彩ペイントができないなどという理はない。
イエティ族はG属巨人系の極めて屈強な種族である。2m以上の体躯と強靭な爪を持ち、“女神”の特殊能力を持つレナ族の騎兵とも互角に渡り合う。
というよりも、その肉食獣を思わせる外観が彼らの乗る騎馬に恐怖を与え、騎兵によるイエティへの攻撃は困難を極めた。
スノータイガー族はB属猫耳系種族で、男は白い体毛を持つ虎のような外観を持つ。こちらも強靭な爪と牙、そして地上最速ともいわれる俊敏な機動を行って、法兵隊を急襲した。
レナ族の法兵隊の娘達は接近戦でも剣を奮って戦うが、いくら“女神”の火力があっても、虎相手にはあまりに危険である。
この予想外の方向からの攻撃に対し、騎兵隊、法兵隊は大混乱に陥った。
だが、奇襲部隊はレナ軍の総数に比べれば少ない。
戦うことにおいて勇敢なレナ族は、それでも怯まずに法撃戦と騎兵戦を展開した。
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その頃、上空でも戦闘が始まっていた。
当初、レナ軍は皇太子側の航空兵力を数騎程度と見積もっていた。その数騎も訓練や整備が行き届いているとは言い難く、そもそも処女しか乗れない兵種のため、皇太子派が“メトネの娘達”ではない娘達を揃えることなど事実上不可能だと予想していたのである。
実際に、今までレナ軍の航空索敵を妨害されたことは一度もなかった。
そのため索敵の効率を上げるために、5騎から2騎程度の小数編成で散開配置されている。
レナ軍にとって、恐ろしいのはアテナ族の海軍の動向で、これに注視が払われていたのである。
ところが、皇太子派の航空騎兵が約100騎程度の編隊で一気に襲い掛かってきたのである。
アンセムの身体を親とする娘エリーゼは、優れた指導力と行動力を持ち、ローラシア帝国領内で航空騎兵の仲間を集めて密かに訓練していたのである。これは男である皇太子のアンセムにはできないことだ。
そして娘のエリーゼは、自ら先頭に立って航空騎を操り、散開するレナ族の航空騎兵に襲い掛かっていく。
空中戦を想定していなかったレナ軍の乙女達は、突然の不意を突かれて混乱するが、近くにいた部隊がすぐに応援に駆けつけて激しい空中戦となった。
レナ族の航空騎兵は“女神”の力と“戦処女”の力を持つ航空騎兵の精鋭である。女同士の空中戦には絶対の自信を持っていた。
だが、彼女達も実戦経験があるわけではない。そのため、空中戦術の差が少しづつ現れ始める。
局所的に数が多くなった皇太子派の航空騎兵は、二騎編隊で敵を罠に嵌める空戦戦術を採用していた。対してレナ族では、火力や個人技に頼るあまりそれらの技術は採用されていない。もちろん、レナ族の航空騎兵は更新が早い事もあるだろう。
そのため、一騎、また一騎と墜とされ、タイミィル市東側の空域は一時的に皇太子派の航空優勢となった。
上空の戦いでの敗退は、レナ軍にとってこの日の戦いの動向にかなり重荷となる。
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南側から進撃している部隊に参加していたムラト族の男性の身体のエルマリア・フォーラ・コーカンドと、彼女に付いてきた元聖女連隊の隊員は、自分達の立場に苦笑せざるを得ない。
彼女達はレナ族の強烈な火力を持つ迫撃法弾の弾幕の中、歩兵として敵に肉薄攻撃を仕掛けているのである。
制空権の奪取で命中率は落ちていたが、それでもその強烈な攻撃力、破壊力は変らない。
22年前の彼女達の身体なら、こんな法撃を受けても“陽彩”の力で軽減され、ほとんどダメージを受けなかっただろう。
だが、今の彼女達のなんの能力もない。この身体でレナ族の強力な法撃を受けたら、近くに落ちただけでも木っ端みじんに吹き飛ぶ。実際に周囲の味方はバタバタと倒れていた。
それでもエルマリア達は突撃を続けている。
そういう命令だったからという理由もある。彼女達が21年間漬けられた男性ホルモンが持つ自暴自棄感に捕らわれていたのかもしれない。そして、もしかしたら死に場所を探していたという理由もあるかもしれない。
エルマリアの元彼氏、騎士のバンクレインはかつて敵の法弾幕の中に飛び込んで法兵を倒し、勇敢さを評されて勲章の叙勲を受け、騎士長に就任した。
それがどれだけ恐ろしい事が、彼女はまったく考えたことはなかったし、男がその危険を負うのが当たり前だと思っていた。
その立場が自分に回ってきた。意地悪な因果の応報に苦笑せずにはいられない。
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北方では、タイミィル川の浅い場所を渡河したアイーシャ率いる騎兵隊1000と浮橋を掛けて挑んできた歩兵隊10000が、レナ軍の騎兵3000と歩兵6000を相手に激戦を繰り広げている。
一次的に航空優勢を失い、予想外の迷彩部隊の攻撃を受けたとはいえ、熟練し、特殊能力を持つ精鋭部隊である彼らが、目の前の貧相な体格の市民兵に負けることなどないはずだ。
しかし、実はこの部隊の外見は一般市民で今の仕事も市民だが、中身は市民兵ではない。
その真の姿は、一時期は大陸最強と言われた精鋭達である。
「あの皇帝にはまんまと騙されて、こんな目にあっていますからね」
「まったく酷い話ですよ」
「この身体で突撃することになるとは思わなかったが……」
ムラト族の老年女性が指揮棒を振るって、歩兵達に正確に命令を下している。
彼らは、アルプ・アル・スラン、アル・タ・バズス、アル・マリクらファルス軍の幹部達である。皇帝レンによって騙され、全員が奴隷娘に変えられて、売り飛ばされていた。
それでも彼らは苦難に耐えて合流し、この戦いに参加している。
彼らの身体からいえば戦えるような状態ではない。だが、彼らの技術と戦意はまったく衰えていなかった。
「ラグナ族の身体が無くなったらラグナ族の誇りを失うんじゃ、我々の負けです。我々はどんな姿になってもラグナ族の誇りを取り戻しますよ」
アルプ・アル・スラン達の決意は固い。
前線では、男の身体のファティマや、アイーシャ達が奮戦していた。
もっとも“女神”の特殊能力を持つレナ族と、何の特殊能力もなく、しかも老いたムラト族の身体にされている彼らとの間には、それこそ肉体的能力に大きな隔たりがあるはずだ。
だが、彼らの“種族の誇り”を取り戻すという決意、そして鋭敏な戦闘意欲は彼らを屈しさせない。
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上空の航空優勢が確保されると、満を持してタイミィル市からフラウ族による法撃が放たれた。
それは普通の竜巻魔法だが、フラウ族がこの気候で行う竜巻魔法は少し変化する。
彼女達の特殊能力“冷気”と竜巻魔法、そして氷点下の気温が合わさり、竜巻魔法は猛吹雪を発生させた。
その凍てつくような強力な吹雪が上空からの誘導で、陣地内の要所に正確に飛び込んでくる。レナ族の歩兵隊は隊列を乱し、それに合わせてアイーシャ達が突撃を繰り返すので、レナ軍側はたまらず戦列が崩れた。
そして、日が暮れる頃には、皇太子側の勝勢は明らかになっていた。
国王イェルドは戦場に留まろうとしたが、側近達は無理やりでも脱出させようとする。だが、舗装のされていないタイミィル横断道で、車椅子での脱出は容易ではない。
そして、彼らは夜の内に夜目の効くスノータイガー族によって発見され、捕縛された。
実際のところ、レナ軍はラマ湾の奥にも、これと同数の1個師団がおり、その奥にも1個師団、さらに奥から1個師団が急行している。
失った航空優勢も、航空騎兵を集結させればすぐに取り戻せるだろう。
だが、国王が捕縛されてしまっては、彼らはもう戦えない。
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捕虜になったレナ国王イェルド・アクセルソンは皇太子アンセムの下に引き出された。
レナ族の死病によって脚に力は入らず、武器も握れない状態だか、腰をしっかりと立てて地面に座り込んでいる。
「結局、私の実力はこの程度だったということかな」
イェルドは皇太子アンセムに言放った。
これは戦争である。相手を子供、市民だと油断していたなどは言い訳にならない。
「イェルド陛下、我々は全てのラグナ族の誇りの為に戦っている。大陸の仲間は皇帝によってその尊厳を奪われているのはご存知でしょう。イェルド陛下はなぜそれに味方するのですか?」
皇太子アンセムは、それを質問した。
「皇太子殿は皇帝に代わってラグナ族を導くというが、私からすれば、皇帝陛下がやることが皇太子殿に代わるだけで何も変わらんよ」
「私はラグナ族の尊厳を奪ったりしない」
「同じことだ。要は誰の指導を受け入れられるかどうかだ。私はレナ族に恩恵をもたらす皇帝陛下の方針を受け入れた。娘を差し出しているのだって、女性が4倍も多いレナ族ではどこの村落でもやっていること。我々にとっては尊厳の凌辱ではない」
それでも、皇太子のアンセムは疑問があった。
ラグナ族の諸派の中でも、なぜかレナ族だけは、女神シオンの奇跡、つまり精神入れ替わりの影響を受けない。レナ族の能力を持つ“メトネの娘”は1人もいない。
彼は、もしかしたらレンとイェルドの間で裏取引があったのではないかとも疑っていた。
つまり、レナ族の精神、肉体的権利を奪われない事と引き換えに、自ら誇りを捧げてレンに従属するという選択肢である。
「我々は女神アルテナの加護を受けている。そのアルテナの加護がシオンの加護を防いでいるのさ」
「アルテナの加護とは、皇帝との取引ということですか」
「違う、あの皇帝陛下はそんな取引はしない。レナ族だけ例外にする理由はないだろう。我々レナ族がシオンの影響を受けないのにはちゃんとした根拠がある」
「それは?」
「皇帝陛下の説明では、我々レナ族の体内にはとても小さな機械が流れているそうだ。これによって女神アルテナの加護を受けている。この微小の機械は特殊な力で動いていて、それがシオンの効果を妨害するらしい」
国王イェルドの説明に皇太子アンセムは納得した。
彼らが装備している“チャフ”に仕組みは近いのだろう。それをずっと精緻に、小さくしたと考えればわかりやすい。
「しかし、この力には弊害もある。年齢の経過によって運動神経が侵されて、動けなくなってしまう。今の私の姿の通りね」
国王イェルドは物を握れない自らの手を示した。
「陛下、レナ族だけが無事なら良いということはないでしょう」
「誰を指導者と認めるのかは個人の意思によるものだ。かつてマキナ教徒を啓いた信者達もマキナ達を信奉していただろうし、帝国の建国王マカロフに従う者達もそうだろうしな」
「……」
「だから、私は皇帝陛下を恩師と認めている。私が生きている限り、それは絶対に変わらない。それが私の個人としての誇りだからだ」
国王イェルドの決意は固い。捕まっても考えを改めるつもりはないということである。
だが、彼はもう一つ呟いた。
「だが、私の息子達は違う判断もできるだろう。次の世代の判断は、次の世代に任せるよ」
「では、退位していただけないでしょうか」
提案する皇太子のアンセムに対し、国王は首を振った。
「いや、私を処刑して欲しい。見ての通り、私の命はあと数か月しかない。必要な事は息子達に託してある」
「しかしそれでは……」
「皇太子殿は、我が子マルスと親友なのだろう。息子達には、私の仇討ちになどに捕らわれず、自らの誇りを持てる行動をとるように伝えてある。レナ国王イェルド・アクセルソンは盟友の為に戦って死んだ。それが歴史に刻まれる事が私の願いだ」
皇太子のアンセムはそれを聞いて決断する。
9月下旬、彼らは捕虜にした国王イェルドを処刑した。
この決定は、幹部の中からもレナ軍の報復を恐れる声もあったが、国王の遺体は次男のヒルツが引き取りに来て、正式な礼に則り引き渡される。
レナ王国は、長男のマルス・アクセルソンが継ぎ、形式上は皇太子派を非難しつつも、国王の遺言に従い、その日の内に撤退を決定、今回の戦争から手を引いた。
こうして皇太子アンセムの第一の懸念であるレナ軍は片付いたが、彼らの敵はレナ軍だけではない。
国王の遺体引き渡しの日、プトラナ台地で防衛陣地を敷く皇太子の父アンセム達の前に、帝国軍総司令官レニー・デューク・マトロソヴァ率いるアスンシオン帝国軍が現れたのである。




