隠者2~父と子④
タイミィル半島はコトゥイ湾からプトラナ台地北縁を通ってノリリスクへ向かう東西の横断道と北の港ディクソンから南へ走りプトラナ台地を縦断するピシャナ川沿いの縦断道がある。
これらの街道は、どこも典型的なツンドラで視界を遮るようなものはほとんどない。さらに夜も短いので、敵の接近を容易に察知できた。
通常であれば騎兵に圧倒的有利で、レナ軍を遮るような陣地もなく、例え陣地を配置しても容易に迂回できるため意味がない。
レナ国王イェルドは昔から即戦即決主義だった。彼は、街道上に敵が配置されていないことを確認すると、後続を待たず先発師団を率いて進撃を開始する。
皇太子派は工兵隊を南のプトラナ台地に展開しているものの、肝心のタイミィルの横断道はガラ空きである。
それでも、元ファルスの航空騎兵だったアイーシャ率いる1000程度のムラト族男の軽騎兵隊は、散開して距離を取りながら彼らの動向を捕捉している。
「隊長、敵に動きがありました。2個師団程度がすぐに西進を開始するようです」
「すぐに本部に報告を、我々はこのまま捕捉を続けます」
「了解」
伝令の女性は男の身体で馬を駆り颯爽と走り出す。
その姿を何度見てもアイーシャは嘆息せざるを得ない。
「まったく、まさか男になって騎馬に乗るとは思わなかったわ」
「女のままじゃ、鞍に乗って戦うのはキツかったでしょうけどね」
アイーシャの愚痴に、隣にいた副官のナスリーンは宥める。どちらも21年前は大陸の花形兵種、ファルス軍航空騎兵の精鋭“シュトゥーカ”の若い娘だった。しかし、今はムラト族の初老男である。
20年間の強制収容を終えた彼女達は、行き場もなく途方に暮れていた。故郷のファルスは様変わりして帝国の属国に堕ちていた。彼女達の居場所はなく、別の働き口を探そうにも、みすぼらしい姿の彼女達に働き口はない。
そこに接近してきたのが皇太子アンセムである。
彼は既にファルスが皇帝レンによって完全に操られていることを告げ、その誇りの奪還への協力依頼した。
彼女達はそれに参加する決意をする。
もっとも、アイーシャ達は考えた。
男と女とは不思議なもので、もし21年前の処女の身体で仮に敵に捕虜になって力を奪われたとして、20年後解放されたとしたとき、果たして復讐を誓って決起に参加できるだろうか?
それは非常に難しいとも思う。もちろん全員ではないが、殆どの者は参加できないだろう。
ところが、今回の決起には、捕虜になった元“シュトゥーカ”の隊員ほとんどが参加した。これは、20年間彼女達を悩ませた男性的闘争意欲の蓄積、“男の呪い”の影響である事は疑いない。
陸上の騎馬への騎乗は、航空騎兵でも少しは訓練する。航空騎の配置された前線への移動に、馬で行くこともあるからだ。騎馬と航空騎では乗り方も運用も全然違うが、馬の機嫌を宥めたり、バランス感覚などは似ている部分もある。後は練習すればそれなりに運用できるようになった。
そして、彼女達は危険な任務である敵部隊の近接監視を引き受けたのである。
レナ軍はこれらアイーシャ達の監視下のもと西進を開始したが、レナ軍側も相手の動きをよく監視していた。
こちらは訓練されたレナ族の航空騎兵が常に索敵しているため、不意な奇襲を受けることはない。
アイーシャ達は自分が失った処女の力で、上空から効率的に索敵する敵兵を見て、無念に思わずにはいられない。
ところが、レナ軍の進撃速度は急速に落ちていく。
理由は補給計画の頓挫である。タイミィル半島にはノリリスク市と北のディクソン港以外、町どころか村さえない。必要な物資は全て揚陸、輸送しなければならず、その補給線は後方の機雷で埋め尽くされたコトゥイ湾を通過しなければならない。
波が穏やかなら問題なく航行できるが、極圏は北極低気圧の影響で、気候が乱れる日も多い。
湾の海流が乱れると、機雷の配置が換わって安全な航行場所をまた探さなくてはならない。
そのためレナ軍は補給への対応に困難を極めた。
皇太子アンセムの狙いは、上陸を阻止することではなく、敵の補給に負担を掛けることにあったのである。
か細い補給態勢だったが、9月の中旬、レナ軍先発部隊の2個師団は、偵察の航空騎兵から、ノリリスク市から万単位の皇太子軍が出撃したとの報告を得る。
彼らはプトラナ台地との交差点付近にあるジオグラフォスクレーター沿いに展開しているという。
「お父様、敵の主力2万はクレーターの西沿いに迎撃態勢を取っています」
偵察担当の航空騎兵、彼の6女リール=リナ・アクセルソンは、敵軍の配置に詳細な報告を行う。
既にレナ軍の航空騎兵が上空に張り付き、航空優勢も確保している。
「しめたぞ、敵が野戦に出るなら撃滅する好機だ」
「意外ですね。ノリリスクに籠ると思っていたのに」
喜ぶ国王を他所に、同行するもうひとつ師団長、2男のヒルツは疑念に思った。
ノリリスク市はノリリスク川の西側に位置する地形的に恵まれた要害である。海からも陸からも攻撃に耐えられるように建設された要塞都市だ。
「時間稼ぎだろうな」
国王イェルドはその出撃をみてそう分析する。
そんな有利な点があるにも関わらず、迎撃に出てきたということは、籠城の準備がまだ足りないということになる。
若しくは、無防備にノリリスク川の対岸まで進められて法兵隊を配置されると、いくらノリリスクが要塞でも突破されてしまうことを懸念したのかもしれない。
レナ軍先発の2個師団は、騎兵隊の飼い葉が不足し、法兵隊も輸送が遅れていて火力が不安であった。しかし、現時点でレナ軍は約5万。3倍近い戦力がある以上は速やかに叩くのが戦術の常道である。
「陽動ではないですか? こちらを誘い出して伏兵で叩くという」
先王の18男、つまり弟のウォルフ・アクセルソンは敵の不用意な出撃に疑念を抱いた。
「ウォルフ、いったいどこに身を隠す場所があるというのだ? 我々は航空優勢の下にあって、敵の残りの兵はノリリスクで籠城準備をしている。おそらく、まだ防御が整わないので、なんとかここで喰い止めようということだろう。こちらはレナ族の伝統に従い一気に敵を蹂躙して追い込むべきだ」
国王イェルドの考えでは、速やかにノリリスク周辺まで進出し、その後は法兵の到着を待って要塞である同市の攻略に着手するというものだった。
ここで法兵の到着し、足並みを揃うのを待ってから戦うのでは、ノリリスク市攻略で時間が足りなくなり、逆に苦戦するかもしれない。冬が来れば負けである。
「なにか罠のような感じがします。マルス兄の話では『皇太子のアンセムは只者ではない、気を付けろ』という事でしたが」
次男のヒルツは叔父と一緒に警戒を進言する。
「ヒルツ、これから殺し合いをしようというのにそんな臆病風に吹かれてどうする。相手はたかが20歳の若僧だろう。時が経てば私は負ける。だからこその欺瞞、時間稼ぎ工作なのだ、敵の意図は見えているではないか」
「もちろん時間稼ぎの意味合いはあると思います」
「ならば、前進だ。時間が無い」
国王イェルドは、車椅子を押してさらなる出撃して敵の撃破を下命した。しかし、彼の時間を惜しむ理由はきっと違っていたのだろう。病に蝕まれる彼には別の意味で時間が無いのである。
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翌日、ジオグラフォスクレーター沿いで戦われた戦闘は、次男のヒルツや弟のウォルフの心配を他所に、レナ軍の圧勝だった。
皇太子派の軍勢は開戦するなり三々五々に逃走、ノリリスク市へ敗走している。
皇太子アンセムの軍はまったく統制のとれていない状態だった。彼らは快勝を確信して追撃に移る。その時、敵の騎兵は少しだけ迎撃に現れ、少しだけ戦って彼らもノリリスク市に逃げ込んだ。
あまりの抵抗の弱さに、国王イェルドも拍子抜けである。
「所詮、奴らは訓練されていない市民を集めただけの弱兵だったのだ。我々“女神”の加護を受けた正規軍の敵ではない」
「父上、私も敵の士気が想像以上に低くて驚きましたよ」
9月中旬頃になると、極圏の昼と夜の時間はほぼ同じになっている。ここからこの土地はどんどん寒くなる。
だが、大勝に浮かれる彼らは気がついていなかった。前日の報告では、2万の兵士が展開されていると報告されていたのに、実はこの戦い当日、前衛にいたのはその1/3、6000程度しかいなかったのである。
本来いるはずのイエティ族、スノータイガー族、ヴァン族などは戦場から消えていた。ただし、レナ軍の航空騎兵は、彼らの大部分がノリリスク市に逃げ去るのを目撃したため、戦意乏しく無断退却したものと判断した。戦場ではよくあることである。
国王イェルド率いるレナ軍は、敵の抵抗があまりに微弱なため、ジオグラフォスクレーター戦いの翌日には、既に先鋒の騎兵がノリリスク市東側を流れるノリリスク川まで到達していた。
開戦から僅か2カ月、反乱軍はプトラナ台地とノリリスク市に分断して封じ込められ、早期崩壊するかに見えた。
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一方、ノリリスク市では、クレーターの戦いから帰還した皇太子のアンセムが仲間と共に反撃策練っていた。
もっとも、敵をノリリスク近郊まで釣り出す策は成功したので、計画通りの行動である。これから伝達する反撃策も予定の最後の確認であった。
「敵は、タイミィル横断道を長く伸びきった配置をしています、側面の防御は極めて脆弱です」
敵の隊列予想をみて参謀のフレームレートは説明した。
もっとも、索敵は万全ではない。レナ軍の配置は予想である。それでも、彼はその予想に確信を持っている。
「打ち合わせ通り、敵が一番進出してきた頭を叩く」
皇太子アンセムはそう宣言する。
不毛の大地であるタイミィルでは、占領した領域の大小などに意味はない。皇太子の狙いは初めからレナ軍を理想的な状態でノリリスク周辺まで引き摺り出す事だった。
夜が無く、身を隠すような森林もない土地、さらに伏兵の疑いが無いなら敵は疑いなく進出してくるだろう。
「それでも敵の前衛は2個師団、約5万。こっちはその半分だ。相手はレナ族の精鋭。ちょっと厳しくないか」
アテナ族のリトは頭を掻きながら疑念を示す。
「おや、いつも強気のリトがどうしたんだ。俺がぶっ潰してやるよ、ぐらい言いそうなのに」
隣にいた、彼女の父のゴードン・ガロンジオンが茶化す。
「父ちゃん、まるで俺が何にも考えてないみたいじゃないか。海賊ってのは、強い敵は避けるもんだよ」
「違いないや」
リトは顔を膨らましながら父に抗議し、ゴードンはすぐに同意した。
「それなんだが、いくつか簡単な誘導で少し減らす必要はあると思う。ゴードンさんとリトは、海軍で予定通り陽動に動いて欲しい」
「それで相手は釣られるかね?」
「わからない。でも、レナ国王イェルドはその手法で昔、負けている。人間は学習するものだから、逆に有効だと思うけどね」
「了解した」
ゴードンとリトは挨拶すると早速準備のために出撃して行った。
それを見ながら皇太子アンセムは呟く。
「まったく、仲のいい親子だよね」
「ゴードンの所は種もゴードンで、産んだのもゴードンですからね」
「そういう問題ではないと思うが……」
フレームレートは答えたが、皇太子アンセムの感想は少し違う。
彼らとってこれは種族の繁殖の自由を求める為の戦いだが、それは同時に親子という絆を求める戦いでもある。
皇帝レンのラグナ族の生殖管理は親子の絆をズタズタにしてしまった。
その行為は、ラグナ族だって、ペットの犬や猫、家畜の牛や馬では平然とやっていることだけれども、かといって人間である自分達に、それを受け入れるつもりはない。
「……それじゃあ、マルスの親父に引導を渡すとしよう。全軍出撃する」
この作戦で、皇太子のアンセムは親友の親を殺す気でいる。
彼の親友が正確に親を評するように、国王イェルドは一度願った信念を曲げる男ではない。それはその一番理解している者が分かっている事だ。
翌日、皇太子派の軍勢は夜明けと共にノリリスクから出撃、ノリリスク川の対岸に駐留する、レナ軍に対して攻撃を仕掛けた。




