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隠者2~父と子③

 タイミィル半島に向かう陸路には、プトラナ台地の特殊な地形が広がっている。

 台地の丘上に凹凸はなく一面の平野。だが、河谷によって著しく分断されている。土地は一面の永久凍土で、プトラナ台地の南側と西側の北オビ海沿岸は針葉樹が自生しているが、東側と北側は乾燥しているため極地荒原という砕けた岩が剥き出しの荒れ地となっている。

 道路は台地を縦断する南北に走る一本の道路が走っているだけ。農作物は育たず人が住むにはあまりに厳しい土地だ。


 アンセム達は先発隊と合流し、この道路沿いに防衛砦を建設することになっている。

 プトラナ台地は、道路を外れて丘に上がれば平坦なので、いくらでも砦を避けて移動可能であった。

 ただし、街道を外れれば荷馬車が通れない。よって、騎兵や歩兵は移動できるが、補給部隊の大半は街道沿いにしか進めない事になる。


「お嬢様!」


 中央にあるタイコンデロガ砦に到着したアンセムは、さっそく砦の通路で昔の知人に呼び止められた。その呼び止めた男は彼の弟子の工兵士官コンドラチェフ、いやその身体を使うマイラである。マイラの身体のコンドラチェフも隣にいた。


「マイラか…… 随分と久しぶりだな」


 アンセムはマイラ達の姿を見て懐かしそうに話す。


「あれから20年です。お嬢様はいつまでもお若くてお美しいです」

「男にそんなお世辞を言ってもウケないぞ」


 マイラが普通の30代後半女性を褒めるような定型句を言ったので、アンセムは思わず苦笑した。


「皇后様が来てくれて、私の負担も大分軽くなりますよ。助かります」


 コンドラチェフも懐かしそうに話す。だが、そのマイラの表情には、疲れた様子がはっきりと出ていた。


「マイラは大分老けたよなぁ」


 目の前のマイラの身体に対する率直な感想を言うアンセムに対して、隣にいたマイラが猛抗議する。


「お嬢様、そのデリカシーのなさは相変わらずですね……」


 そんな会話があったが、アンセムは懐かしい友人らと出会い、そして再会を喜び合った。


「まったく、皇后様は本当に前線がお好きな方だ。タチアナさんも、ここよりさらに南のリブモント砦に配置されています」

「タチアナが?」

「ええ、ご学友のマシェリ様と仲良く一緒に。心は女同士、身体は男同士、昔はライバル同士、今は友人同士。あの2人は何か不思議な出会いを感じますね」

「それは妙な関係だなぁ」


 アンセムはマイラの話を聞いて思わず苦笑する。


「どうしてマイラとコンドラチェフはここに来たんだ? 幸せな家庭があるだろうに。これから戦争になるんだぞ」

「そうですね……」


 コンドラチェフは少し考えてから言った。


「世知辛いことを言えば、税金が高すぎることでしょうか」

「税金が高い?」


 マイラの夫がした理由は、意外にも反乱の理由としては至極単純な、しかしよくある理由であった。


 皇帝レンの治世は税金が高い。

 帝国の2つの優性主義を支配する法律「R属保護法」「ラグナ族第一主義法」のうち、市民であるコンドラチェフやマイラには「R属保護法」はほとんど関係が無かった。彼ら市民は特殊能力などないので、生殖の支配や管理なども行われない。

 ただし、問題は全帝国民が支配される「ラグナ族第一主義法」である。彼らはラグナ族の責任として、勤労で社会に奉仕しなくてはならなかった。

 もちろん、特殊能力の研究費、被扶養者の数が増大している分、税金は高くなる。またレンは積極的に“Wi=Fi”を発生させる電波塔“シオンの神殿”を建設、電線を敷く等、市民にはありがたくない設備投資も大きな負担だった。

 そして、“メトネの娘達”の大量生産、これは航空騎兵の充実、法兵の充実も聞こえはいいが、単なる軍事費の増大である。


 帝国の一般市民からすれば、帝国は既に大陸を制覇しているのである。国防の危機感などない。それなのに軍事費の割合が予算に対して倍増しているのである。

 国民はその不満が溜っているという。


「レン陛下のやり方は、我々の全ての権利を奪うやり方です。議会も閉鎖されたまま、市民には何の権利もない。私は、ラグナ族の優性思想については、可能な範囲で行ってもいいと考えています。ラグナ族の特殊能力は失ってはならない種族の宝です。でもあんなに大規模で、そして市民を隷属させるような手段で強行されても従う事はできません」


 コンドラチェフは椅子に座りながら自分の考えを主張する。

 しかし、彼は20年経っても相変わらずマイラの身体で男座りなので格好は滑稽だった。もちろんアンセムもそうである。


「身体を入れ替えられた恨みで反乱したのかと思ったが」


 アンセムは茶化す。男が女に、女が男になるというのは、相当な負担だ。元に戻れるなら戻りたいと思うのが普通の気がする。


「いえ、そのことに関して私に不満はありません。男のままでは体験できない事も経験できたし、私達は結婚して幸せに暮らしています。自分の身体は愛する人が使っている、なんの不満もありませんよ」


 コンドラチェフとマイラが結婚した事は、アンセムは刑期中でも知っていた。手紙は発信できないが、受け取る事は出来る。

 彼らが言うには、心から愛し合う夫婦は身体を入れ替えられても、何も失うものはないという。夫婦として家族を作るのに必要な生理的な能力は全て備わっている。

 彼らは、子供が出来、自立するまで立派に育て幸せに暮らしていた。男と女の仕事の区分のない、理想的な共働きカップルであろう。

 そして、アンセムが到着する少し前、皇太子アンセムにタイミィルでの蜂起を聞いて駆けつけて来たのだという。


「しかし、幸せな生活を捨ててまで、どうして……」

「子供が出来たからこそ、あの子たちが活躍できる自由な社会を求める意識が強くなったのです。負担ばかり与えて、権利の道を閉ざす皇帝には、私達は付いて行けません」


 アンセムが知る限り、皇帝レンは実力主義の男だった。現在の閣僚も実力でのし上がった新しい者が多い。

 だが、実力主義だからといって、実力も努力もない者を虐げていいというわけではない。それに種族や男女によっても発揮できる実力や能力は違うのである。

 これが将来的にもずっと続くのであれば、特殊能力もなく、実力もなく、努力もしない者はこの国では監獄同然である。


 個人の自由な権利を求める。

 それは、“種族の誇り”とは少し違うかもしれないけれど、個人という自我の願いからすれば当然の事だった。


 アンセムが到着したころには砦の設計はコンドラチェフによってほぼ出来ていた。春の内から、様々な理由を付けて資材を配置していたのだという。基礎作業は既に進められている。


 極圏での生活は今までとはまるで違う。

 まず、8月で昼間が20時間近くある。

 そして、永久凍土のタイミィルやプトラナ台地の建設作業は極めて困難を極めた。土地は凍った氷楔(ひょうせつ)によって膨張しており、上に建物が出来ると氷楔が解けて土地が傾いてしまう。

 長期的建築となるとどうしても杭を深く埋め込まなければならない。プトラナ台地にその施設を建造する必要もないため、今まで長期的な建築物は建設されたことが無い。


 道路は南北に走る一本しかないが、道を外れていくらでも通行できるため、一か所に砦を作って封鎖しても意味がない。

 皇太子アンセムは、冬の到来、11月頃まで粘るという方針を定めており、防御の必要な期間はあと3カ月程度の時間稼ぎを戦略の主眼としている。そのため、街道沿いの砦は、南側からリブモント砦、タイコンデロガ砦、スカイラー砦の三か所の拠点が設けられた。

 敵の浸透の可能性を十分考えての配置である。


****************************************


 国王イェルド自ら率いるレナ軍の先発師団は、タイミィル半島対岸のハタンガ港に集結し、次々と揚陸艇に乗り込んで、コトゥイ湾の渡河作業に入っていた。

 事前の航空騎兵による偵察では対岸に防衛陣地は設置されていない。

 揚陸の際の危険性として、敵のアテナ族海軍の出現が気がかりだったが、タイミィル半島の北にあるレナ領ヘスティア諸島は、航空騎兵が駐留しており、常時索敵を行っていた。

 このヘスティア諸島とタイミィル半島の間にあるヴィリキツキー海峡を越えた艦隊はない。

 また、皇太子側は北オビ海の制海権を奪われると窮地に陥るため、アテナ族の海軍を回航して半島の東までわざわざ派遣することは難しく、北極海を大きく迂回してまで渡河阻止に来るとは到底思えない。


 彼らのアスンシオン帝国と合意した作戦は、冬が来るまでに早期決着をつけるという単純なものだった。

 あと3カ月もすれば、極圏のタイミィルではほとんど活動が不能になる。真っ暗な夜が続き、猛烈な寒さが訪れて大規模戦争どころではない。


 だが、地元のG属のイエティ族は雪男や白熊と揶揄されるように、白い毛皮に覆われ雪に対して極めて耐性があり、その妻であるフラウ族は雪女や氷の妖精と呼ばれ、寒さの影響を受けず、AP回路系の特殊能力を持っている。

 B属のスノータイガー族はこちらも雪虎と言われる猫耳の人間種で、雪原をもろともせずに高速で移動できる。さらに暗闇でも夜目も利き、B属特有の第二耳の感覚器官がある。

 T属のタイキ族は、頭がよく、極寒でも軽装で平然と作業できた。むしろ彼らは寒い方が調子良いという。

 いかにレナ族は比較的寒冷に慣れていて、“女神”の強力な力があっても、冬季戦でこれら環境適応種族らと戦っては勝ち目が無い

 帝国から早期決着の要請があったという理由もあるが、これらの時間的制約に熟知したレナ軍は、彼らを迅速に行動させていた。


 だが、国王イェルドは車椅子に乗って自ら港湾に繰り出して渡河の準備を整えていたところへ、突然、眼前の揚陸艇が大爆発を起こすのを目撃する。


「何があった? 事故か? それとも敵のスパイ活動か?」


 彼はすぐに情報収集の指示を出す。

 周囲の浪は静かで、敵の航空騎兵も現れていない。今回の渡河作戦は味方の航空騎兵によって丹念に索敵されている。敵の海軍の接近もないし、海岸に隠れた法兵がいるとも思えない。

 眼前の揚陸艇が爆発した原因は、輸送用の法弾が何かしらの理由で炸裂した事故。もしくはスパイ行為によるものでは、と誰でも予想する事である。

 レナ軍が使う軍艦は氷で閉ざされる冬季には、陸に揚げる小さな揚陸艇だが、それにも法門が設置してあり、警戒している若い法兵がAP回路を興奮させて暴走し、爆発してしまったのかもしれない。


 だが、その爆発原因の調査や、沈没した船からの救助作業を行っている最中に、近くにいた別の揚陸艇が爆発すると、彼らはすぐにその異常性を認識する。


「どうしたのだ? 我々は何処から攻撃を受けているのだ!?」


 上空で警戒している航空騎兵は相変わらず敵の姿は見えないと報告している。また爆発の原因もわからない。

 国王イェルドはそれでも揚陸を中止しなかったが、その日、もう1隻の揚陸艇が失われ、次の日以降もそれに近い被害が出た。

 そのため、レナ軍の輸送計画は大いに遅れることになる。


****************************************


 コトゥイ湾の対岸に上陸した国王イェルドを含むレナ軍の先発隊は、その日の内に、ムラト族の男の身体を使うアイーシャ達の騎兵隊の攻撃を受けた。

 上陸したばかりで先発隊の人数は少なく、装備や準備の整わないレナ軍だったが、上空を航空騎兵が抑えていたことが大きく、アイーシャ達の騎兵を追い散らした。

 だが、アイーシャ達は航空騎兵の性能を熟知していて、巧みな陸上機動で追跡を振り切り、かつ、先発隊の方もまだ騎兵を揚陸していなかったので追撃する事ができなかった為、両軍とも被害はほとんどない。


 国王イェルドは、上陸初日の攻撃を防いだ深夜、といってもまだ太陽は登ったままであるが、先発隊に参加している次男ヒルツ・アクセルソンに尋ねる。


「敵を追い散らして上陸地点の確保に成功した。しかし今朝の爆発はなんなのだ? 調査結果はどうなっている」


 すると、ヒルツは対岸に残って調査を行っている兄マルス・アクセルソンの報告書を読んで説明する。


「父上、どうやら敵が敷設した機雷生物のようです」

「機雷だと?」


 ヒルツは、撮影球に記録された画像を提示する。それは、浜辺に偶然打ち上げられた、クラゲのような生き物だった。


「これが機雷か?」

「サンダーポール、通称、爆発クラゲです。わざわざ事前準備してここに敷設しておいたようですね」


 サンダーポールは、普段は深海に生息するクラゲのような浮遊生物である。器用に動く二本の触手を持ち、透明な胴体に大脳のような神経組織が露見している。

 外観はとても人間には見えないが、彼らはれっきとした人間種、それもR属に分類されるという。

 彼らは深海という環境の変化が少ない世界で、低燃費な生活を行っている。

 もともとの寿命も長いが、さらにAR(分化転換)という若返り能力を持っていて、事実上不老であるという。

 彼らに雌雄は無く分裂して増える。そして、不思議な事に幼体のサンダーポールは、ストレスを感じている状態で触れられると体内のAP回路を使って自爆するという性質があった。

 その爆発力はとても強く、小型船ならば一撃で粉砕するほどである。


「まったく、とんでもない生物兵器を配置していたものだな」


 国王イェルドは怒りを顕わにする。

 もともと勇者としての誇りが強いピュア教徒の彼らは、このような罠を張る兵器を卑怯とされていた。

 とはいっても、“女神”の持つ強烈な火力と正面から対峙したらレナ族の方が有利なので、正面から戦う事以外を卑怯とするピュア教徒の考え方は、レナ族以外から見れば極めて卑怯な論法であるかもしれない。


 皇太子派はサンダーポールを使用した機雷により、コトゥイ湾を封鎖していた。レナ軍は機雷除去に関する知識が乏しく、さらに海水が冷たくて潜水排除作業は効率的に出来ない。

 もっとも、レナ軍は進路的に必ずしもコトゥイ湾を渡る必要はない。南のプトラナ台地から迂回して陸路タイミィルへ向かう事も出来る。

 だが、敷設されたサンダーポールはほとんど移動できないので、通過可能と判明した地域を限定すれば、揚陸艇を通行することが出来た。

 だから、国王イェルドは迂回を許さず、レナ軍に対して順次コトゥイ湾を渡らせる。


 9月上旬には先発隊の2個師団程度、約5万が上陸し、十分な航空偵察を行って視界を確保すると、国王イェルドは後続の集結と帝国軍との連携を待つべきという長男マルスの意見を退け、準備の整った騎兵や法兵を率いて進撃を開始した。


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