隠者1~種族の誇り④
パレードの夜、アンセムは皇太子のアンセムと打ち合わせをしている。
皇太子のアンセムは、最後の情報収集、エリーゼが潜入している後宮の調査が終了次第、帝都を後にするという。
「父さんは、この帝都でクーデターを試みました。北方総督タルナフ伯も、種族解放戦線もそうです。でもいずれも失敗した」
「そうだな……」
皇太子のアンセムは帝都での蜂起による政権奪取に否定的な見方を示す。
「皇帝レンは、ハイランド内戦の時、首都を避けて地方を先に制圧した。ハイランドの首都フェルガナはアスンシオン以上に一極集中の激しい地勢です。通常ならフェルガナの掌握は国の掌握と同じと考えるでしょう」
アンセムは、我が子ながら余りの博識に驚かずはいられない。
自分が乳飲み子だった頃の世界の情報を、ちゃんと知識として得ている。アンセムはレンがムラト族旅団長の時、ハイランド内戦で優勢になったことを知っていたが、その方策については注視していなかった。
「結局のところ、帝都でのクーデターは政権の横取りです。一見、都を制圧すれば国の人口や財産の半分以上、政治的機能を制圧しているように見えるけれど、それは人々の精神の支持を得ていない。物質的な表面上の支配をしているに過ぎないのです」
そして、彼はその知識について正確に分析している。
「だから私は仲間と共に、北方のタイミィル半島で決起します。地元への理解の浸透は時間を掛けて既に済んでいるので支持基盤は得られます。そこから私達が掲げた“種族の誇り”を発信し、それが帝国に対抗できる事を大陸に示します。回り道のようだけど、“種族の誇り”はクーデターのような横取りでは得られない」
最後に、彼はその分析に基づく対策と方針を示した。
彼の父はその方針に頷くばかりである。
その打ち合わせをしている応接室で、アンセムはタウダが淹れてくれたミルクティを飲んでいた。
「もう随分前なのに、タウダはさすがに私の好みの味を覚えていてくれているね」
「まったく、お嬢様はコーヒー党だったんですよ。旦那様は、お嬢様の身体にミルクティを飲ませて……」
「はは、仕方がないよ。それにラグナ族は伝統的に甘党で、エリーゼだって甘い物が大好きじゃないか」
「女性の場合、甘い物は別腹なんです」
「意味が分からない……」
アンセムは理路整然とした話と、意味不明な話を同時に聞いて、思わず苦笑する。
そして深夜になると、彼らの邸宅に娘のエリーゼと、50歳くらいの穏やかな紳士風のラグナ族男性がやって来た。
男は静かに部屋に入ると帽子を取って一礼する。アンセムも立ち上がり黙って礼をした。
アンセムは事前に、この男が彼らを支援している者だと聞いていた。どこかの貴族か重役だろうか? 外見に心当たりはない。
娘のエリーゼは、何やら巨大な猫のぬいぐるみを軽々と担ぎ上げている。中身次第だが、相当に重そうだ。彼女はやはり普通の女性とは思えないような並外れた体力を持っているらしい。
ヴァルキリー族血脈が強い女性には、見た目上は変らずに筋肉や体格を鍛えて強くなれる特殊能力があるという。
それでも、筋肉が強くなる程度は男性より劣っている。だから、あれだけの腕力を得るには相当な努力が必要だろう。
「連れて来たわよ、アンセム。これ、どこに置く?」
「地下室に運んでくれ」
「了解。母さん、コーヒー淹れて頂戴、後宮の臭いはほんとイヤね」
「はいはい」
娘のエリーゼが、その大きなぬいぐるみを担いだまま退室すると、その紳士風の男はソファーに腰掛けて話し始めた。
だが、その第一声は驚くべきものだ。
「久しぶりね、アンセム。最後に会ったのは、確か後宮の結婚式以来かしら?」
「……まさか」
「積もる話もあるけれど、まずは自由になれてよかったわ」
その男は微笑む。
顔は違ったが、その冷ややかな笑い方はアンセムの昔の彼女、ミュリカ・ヴィス・パブロダに間違いない。
ミュリカはシオンが起こした奇跡により、ラグナ族の一般男性の身体にされたという。
その後、パブロダ家は取り潰されたが、彼女はそれで挫けることはなかった。持ち前の行動力と才覚で精力的に働き、今では大企業“モラセス”社の重役だという。
20年という歳月は、実力がある男なら結果を出して出世するには十分な時間だ。
そして、彼女は自らが出世するだけに留まらなかった。密かに、アンセムの身体の子であるエリーゼを匿い、ヴォルチ家没落後、この家を買い取っていたのである。
「どうして、君がエリーゼを…… 私を助けるんだ」
アンセムは当然のように疑問に思う。
「別に、貴方の為じゃないわ。全ては皇家のため。皇太子様に頼まれたからよ」
彼女は、女性が貴族家の当主になれない事、それどころか権利が無いのに貴族女性としての生き方を様々に強要される事に関して、かなり不満を持っていた。
彼女のように士官学校でも成績が良く行動的で才女であれば、制度に関して不公平に思うのは当然だろう。ただし、それはあくまで貴族的立場であって、皇家に忠誠を誓い、種族解放戦線のような、貴族の特権の排斥を含めた男女平等主義も嫌っていた。
彼女とアンセムが付き合っていた時、2人の愛はおそらく若い男女の関係として本物だったのだろう。だが、彼女の人生への思想と、彼の人生への思想が2人の愛を妨げたのである。
「別に私は貴方の妻に納まってもよかったのよ」
意外な回答にアンセムは戸惑う。
「それなのに貴方が曖昧な返事をするから。新しい男が出来たって言った時も、貴方は文句ひとつ言わなかったじゃない」
「それは…… でも、私は君の願いを知っているから。それを奪うなんて事は出来ない」
「私は私の人生で私のやりたいことを諦めないわよ。でも、女であることも諦めない。貴方は私を女にしてくれるんじゃなかったの?」
「でも、ヴォルチ家の妻となるって事は……」
「そんな小さい事言っているから貴方はダメなのよ。戦いではやたらと大きく出るくせに、恋愛には肝の小さい男だわ。私を孕ませて強引に家に連れ帰るぐらいの甲斐性を見せたらどうなの」
「君が嫌がっていたじゃないか……」
「嫌いな男なら付き合ってないわよ。このバカッ」
23年前、アンセムはその一歩の踏み込みができなかった。そして、彼女との関係から逃げるようにバイコヌール戦役に行き、1年2カ月の死闘を越えて、そのまま疎遠になってしまう。
「まったく、貴方は昔から女の扱いが下手ね」
「これでも、人生男と女を半分ずつやったつもりなんだが」
「そんなにやっても女心が分からないなんて、本当に鈍感だわ」
アンセムの女性関係は積極的なようで、実は逃げてばかりだ。そう痛烈に批判されてしまう。
「ミュリカさんには助けられっぱなしです。私もいろいろな面で助けてもらいました」
皇太子アンセムはコーヒーを飲みながら言う。
当然皇帝リュドミルと雰囲気が似ているので、妙に違和感がある。
「私は貴族主義者でパブロダ家の復興を望んでいるもの。皇太子さまが約束して下さるなら当然よ。でも、アンセム。私が出来ることはここまで。私は“現にそこにある社会体制”で立身出世を目指す事しかできない。貴方達の計画には加われないわ」
実は、ミュリカと付き合っていたバイコヌール戦役時、士官学校の生徒であるミュリカにも動員命令があった。だが彼女は、出兵を辞退する。
男性と違って、女性の動員はそれなりの理由を付ければ簡単に回避できる。彼女自身は戦功で出世しようとは考えないし、女性の場合は徴兵拒否を禁止する“啓蒙の法”もない。そして、社会的に女性は戦功で国家に貢献するようには求められていない。そもそも、戦功で立身出世など望まないのは、女性であれば普通の発想だろう。
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暗い地下室で、娘のエリーゼは、巨大なネコのぬいぐるみの中から、縛り上げたアリス族の娘を引き摺り出した。
猿轡をされ、身じろぎ一つできないように体中を厳重に縛られ、さらに“チャフ”のネックレスをつけられている。
その少女の顔は恐怖と苦悶に怯えている。
「後宮潜入ご苦労さま、エリーゼ」
「こんな悪い事するのも、あんな気持ち悪いところに行くのも、二度とごめんだからね!」
「わかったわかった」
不貞腐れるエリーゼ。
それはそうだろう。今やっている事は少女の誘拐である。
皇太子のアンセムはそれを宥めた。
アンセムが邸宅を訪れた時、口論していたのは、エリーゼが後宮に潜入する役目を請け負うかどうかだった。
後宮に行くか行かないかで口論していたという事実にアンセムは思わず苦笑せざるを得ない。
「少し話をしようか……」
皇太子のアンセムはそのアリス族の娘の猿轡を外した。その少女の表情は蒼ざめ、目に涙を一杯浮かべて、体中を震えさせている。
その少女は、よく見ると、昼間ファミレスで一緒に食事をしたキトリ・F2である。
「こ、この首輪を外して…… 外してよぉ! あたしを自由にしていいから、この首輪だけは外してぇ」
どうみてもこちらが美少女を拉致する凶悪犯罪者だ。
しかし、アンセムは不思議に思った。
彼女は縛られている事、連れ去られたことに恐怖を怯えているのかと思ったが、そうではなく、首に巻かれた首飾り“チャフ”を気にしているようだ。
彼女は涙を流しながら身体を捩らせて必死に抵抗しようとする。だが彼女の四肢はまったく動かず、首にかけられた首飾りは外れない。
それに、アンセムと皇太子のアンセムは昼間この少女と出会ったはずである。しかし、彼女はその事をまったく覚えていない。
「うわっ、凄いフェロモンが出ている。父上、エリーゼ、こっちは任せた」
「はいはい」
皇太子のアンセムは鼻を抑えて顔を真っ赤に興奮した様子ですぐに退出する。エリーゼは呆れた顔で返事をした。
アンセムも娘のエリーゼも何も感じなかったが、彼女達アリス族連隊の娘達は特殊能力を訓練されている。彼女達が持つフェロモンも強力に操れるのだろう。
彼女の持つ切り札を、あまり効果的でない方法で放出してまで、縛られる事や連れ去られた事より、“チャフ”を第一に嫌がっている、そして昼間の事を覚えていない。
その理由はひとつしかない。
「やっぱり…… 君達、メトネの娘達は女神シオンの力を使って繋がっていたのか」
帝都にたくさん存在する“メトネの娘達”がどうやってお互いの意志を疎通しているのか。
それには当然、女神シオンの能力が疑われる。彼女達が産まれてからずっとその影響下にあるならそうだろう。
「お父様とお母様の声が聞こえない…… あたし、壊れちゃう…… 壊れちゃうよぉ」
キトリはボロボロと大粒の涙を流し始めた。嗚咽も漏らし意識も混濁しているようだ。もはや美少女の顔は崩れ、狂気に満ちている。
皇太子アンセムが分析した結果は彼の予想通りだった。
彼女達メトネの娘達は、産まれた時から、皇帝レン、そして母のメトネの声を聞いて操られている。その声によって魂の干渉を受け、産まれた時から彼らの望むように育成されている。
極論すれば彼女達はレンとメトネの身体の一部に過ぎない。
いつも繋がっていることで自我を維持している彼女達は、それが切れたことで自分では何も判断できず、泣き叫び、ただ助けを請うばかりになってしまう。
その様子をエリーゼは平然と撮影球で記録していたが、泣き叫ぶ無力な少女を縛り上げる様子を観察するというのは男心が痛む。
アンセムも見ていられなくなり、エリーゼに任せて退出した。
部屋に戻ると、皇太子のアンセムが脱出の準備を進めている。
「父上、帝都退去の準備は整っています。最後の情報収集も終了しました。私はこれから仲間が集まるタイミィルに向かい、皇帝レンによる家畜的支配からの脱却、ラグナ族の独立を目指して戦いを始めます」
彼の息子はまっすぐと彼を見ている。いや、彼を見ているのではない。ラグナ族の将来を見ているのだろう。
アンセムは自分の息子ながらに深く感心した。
もし、抵抗闘争を始めれば、最大の敵は、この“メトネの娘達”だろう。
兵力も相当な数だし、訓練されている。特殊能力もあり、忠誠度も高い。極論すれば損害をまったく恐れない恐怖の兵士である。
対策をしないで独立を宣言するなど机上の空論、どんなに工兵技術を駆使した防衛施設でも防ぎようがない。
だが、“メトネの娘達”に致命的な弱点があるなら、敵は一般の帝国兵と同盟軍だけになる。勝機はそこに見出せる。
この皇太子のアンセムは、帝都でその証拠と効果の確認、そして皇帝レンによるラグナ族の支配に関する情報収集をしていたのである。
「父上の人生は、父上が決めるべきです。ここに残って、ご友人やミュリカさんらと暮らすのも良いでしょう」
「……」
「しかし、私はラグナ族に対する重大な凌辱の確かな証拠を掴んだ以上、ラグナ族を商品として扱う事を見過ごせない」
もちろん、今までもその疑いはあった。いや、アンセムはラグナ族が品種改良をされていることは知っていたし、目的も愛玩や快楽の為である事も気が付いていた。
さらに言えば、最初にこのシオンによる奇跡が発生してから、身体を奪われた女性達が弄ばれていることは分かっていたはずだ。
アンセムはそれに一度逆らった、しかし負けて屈服されられたのである。
「この20年で、私も臆病になったものだ」
アンセムは呟く。
そして決意した。
「私も行く。私もお前と一緒に戦う。既に母親として失格なのに、息子が戦おうとしているのに父親が逃げたんじゃ、それこそ父親としても、男としても失格だ」
「父さんが来てくれたら本当に助かります。私達の仲間は実戦経験が乏しいから、これから戦う事に関して凄く不安だったのです」
皇太子アンセムは感謝の意を表す。実戦経験が無いのは事実だろう。戦争は経験が勝る。いくら闘志があっても戦えない。
「あの娘はどうする?」
「彼女は解放します。撮影球で証拠は取れたので十分です」
「そうか…… では私に少し話をさせてくれないか」
「わかりました。では、先に行って準備しています」
皇太子のアンセムはエリーゼ、タウダと共に既に準備してある脱出艇に向かい始めた。
アンセムは、再び地下室で縛られているキトリ・F2のところに近寄っていく。相変わらず彼女は泣き叫んでいる。
「た、助けてぇ。この首輪を外してぇ」
「この首輪を外してやろう。けれどそれには条件がある。これを外したら、レンかメトネと話がしたい。できるかな?」
「それはお父様とお母様次第よぉ、頼んであげるから、外してぇ……」
「それでいい」
この“チャフ”を外すと場所が特定されるという。だから、外した場合は速やかに移動する必要があった。
アンセムがキトリの首から首輪を外すと、そのアリスの娘は急におとなしくなった。先ほどまで異常など錯乱していたのが嘘のようだ。
アンセムはすぐにその娘に話しかける。
「レン陛下、メトネ。私の声が聞こえますか」
「……」
だが、キトリ・F2はアンセムの問いに返事をしない。
そして、周囲の様子を敏感に覗っているのはわかる。おそらく、この場所の情報を仲間に送っているのだろう。
「時間稼ぎか…… まぁいい。レン陛下、いままでお世話になりました。私は再びあなたの敵になります」
アンセムは彼女に敬礼をして振り返る。
「メトネ、君とも敵じゃなくて、違う形で出会いたかったな」
だが、階段を上がって立ち去ろうとしたところへ、突然声を掛けられた。
「待ちなさい、アンセム」
キトリ・F2はアンセムをその声で呼び留める。
再び振り返ると、彼女はさっきまでの表情ではなく、甘ったるく無邪気、そして相手を挑発する小悪魔のような顔をしていた。
彼にはその表情によく見覚えがある。
「あくまでも男として生きようというその姿、なかなかイケてるわよ。帰って来れたらご褒美をあげるわ」
「それはどうも」
アンセムは一言だけ返事すると、そのまま懐かしい邸宅を後にする。
「結局、私の人生は女から逃げてばかりだったなぁ」
彼は呟き、すぐに皇太子のアンセムらが待つ、イローヴィア湖に浮かぶ小型艇に乗った。
そして、すぐに発進する。深夜の操船は難しいはずだか、まったく問題とせず、皇太子のアンセムは船を操って帝都から離れていく。
アンセムは、少し前に20年の刑罰から解放されたばかり、荷物はない。
けれど、彼は失くしていたものを取り戻した。
それだけあれば十分である。