隠者1~種族の誇り③
昔の家に滞在することになったアンセムは、20年間溜まっていた新聞を読み漁っている。
アンセムが囚われている間に、大臣や閣僚の顔ぶれがガラリと変わっていた。
知っている名前は、宰相のルーファス・コンテ・カラザールと、帝国軍総司令官のレニー・コンテ・マトロソヴァぐらいで、他の人物はいない。両方とも新しく公爵家に叙勲されている。
他の家柄も疎遠にされているわけではなく、グリッペンベルグ家、タブアエラン家、フォーサイス家などは、クーデター後に赦されて、他の役職に就任していた。例えば、アンセムの時代に宰相だったワリード・ヴィス・グリッペンベルグは、今は士官学校の校長に就任しているようだ。
そういう意味ではレンは公平な人物だろう。理性的に効率だけを追い求める。そして、その結果がラグナ族の生殖管理だという。
彼の息子のアンセムは、それに抗うと言っている。実際、それに勝てるのかどうかはアンセムにも判断できない。ただし、息子の決意は本物だ。
朝、アンセムがいつものように大股を開いて新聞を読んでいると、帝都に空砲音が鳴り響いた。空砲は昔からなんらかの行事のある時に使用されている。
「父さん、街に出てみましょうよ。今日は、アリス族連隊の観兵式、パレードがありますから」
「メトネの娘達か……」
アリス族連隊は、身体を奪われたアリス族の娘達を母とするその娘達の部隊だという。
全員メトネの精神を持つ女性の娘、通称“メトネの娘達”である。
アリス族…… アンセムはメトネ・バイコヌールの事を思い出した。
彼の人生は彼女にやられっぱなしだった。まだ彼女と出会っていないバイコヌール戦役の頃からそうだ。
アンセムは、息子の提案に了承すると、彼と連れ添って街に出る。
父親が息子と街に出かけるというのであれば、別に普通の事であるが、なにか不思議な感覚だ。
市内は、大通りのあちこちに規制線が張られている。さらにそのロープの前には人だかりができていた。
息子の話では、アリス族のパレードは相当な人気らしい
そして、高らかなラッパ、太鼓の音が鳴り響くと、荘厳だけれども、どこか可愛らしい愛嬌のある音楽が奏でられ、大きな歓声が上がってすぐにパレードの行進の足音が聞えて来る。
しばらくして彼らの前にその隊列の先頭が見えて来た。普通の陸軍連隊のパレードでは馬が先頭だが、アリス族連隊に騎兵はいないらしい。
最初に見えたのは、隊列の先頭を進む、軍旗を掲げる儀仗隊だ。
可愛い衣装を着せたら大陸一といわれる美少女種族であるアリス族らしく、鮮やかなミニスカートのワンピースの軍服に、旗を持って微笑んでいる。
沿道の群衆は、この美少女達の集団に魅せられて大きな歓声を送っている。群衆のひとりが声を掛けると、彼女達は市民達の方を見てニコッと微笑み返した。すると、さらに群衆は大きな声援を送った。
観兵式のパレードはどこの国でも大抵行う一般的な行事であるが、皇帝レンのやり方は少し変わっている。
連隊旗の後ろで掲げている旗、そして襷などには、企業や商品の宣伝広告を張っているのである。
ラグナ族は美形種族であり、アリス族はその中でも際立っている。それを最大限に活かしてやろうという、実務的なやり方だった。美少女の魅力という価値を、企業からの広告費集め、寄付金集め、市民からの支持集めの為に使っているのである。
そして、この反響を見ればその広告効果は絶大だろう。ある意味、この考え方は近代的な屯田兵と言えるのかもしれない。
続いて音楽隊が続く。こちらも可愛い衣装を着て、各々楽器を演奏しながら、歩調を合わせて行進している。
その後に続くのが一番人数の多い歩兵隊である。ただし通常の陸軍の行進では持って行進するはずの武器は持っていない。
全員がバトントワリング、つまりバトンを回転させながら隊形を組んで行進している。それほど難しい演技ではないが、器用なアリス族らしく、見事なバトン捌きだ。
そして、白いナース服の衛生隊。
もともと、アリス族の身体を奪ったムラト族の男達はムラト族旅団の衛生兵だったという。その名残で今も衛生兵が配置されているらしい。
最後に、黒いメイド服の支援隊が続く。
この連隊の給仕や部隊の維持管理業務を行っているらしい。
皇帝レンが生殖を支配しているR属の娘達によって構成された連隊は合計で12あるという。これが隊毎に毎月パレードをしているのである。
観兵式で女性の魅力を使うこと自体はアンセムの時代からあった。当時から、先頭に航空騎兵など華やかな若い娘を揃えて、市民の人気を得るよう工夫されている。
だが、皇帝レンの時代のパレードは徹底していた。人選だけでなく、音楽から服装までよく演出を計算されている。
そして、今、目の前を通過したアリス族連隊のパレード。彼女達は種族特性として、フェロモンの力があり、それが訓練されてさらに強化されているようである。もしかしたら、彼女達はその父親次第で、もっと強力な特殊能力を受け継いでいるかもしれない。
彼女達の微笑みを見た帝都の男達は簡単に魅了されてしまう。これでは、帝都で皇帝レンの施政に逆らえる者は誰もいない。
だが、アンセムは微妙な気持ちになった。
例えば、馬の競りをする時、つまり馬を商品として扱うときにも、同様に商品の行進を行う。まるでその時のように思えたのである。
「どうでしたか? 父さん」
「なんともいえないな……」
息子に促されて彼は曖昧な返事をする。
アンセムは、ムラト族がよく飼っている猫を思い出した。
猫は、実用目的、つまり鼠の駆除のような目的で生産されているわけではない。鑑賞目的、“消費者”達を楽しませるために消費される商品として生産されている。
そして、人間が望むように躾けられ、生殖を飼い主にコントロールされる。去勢処理、避妊処置をさせられ、それらはするのが当たり前、しなければ飼い主の責任を果たしていないとまで言われる。
それは、猫だから許されるというけれど、今現在、ムラト族、いやサピエンス族という“消費者”達からみたら、我々ラグナ族も別の種族という意味では変わりがない。
種族の誇りを完全に奪われている彼女達をどう見るのか、それは難しい問題だった。彼女達は両親の決定、配偶者の決定、教育までを徹底的に管理されている。
彼女達は、生殖を自分の自由に出来ない。“ラグナ族保護法”を規定した“啓蒙の法”では、彼女達の生殖権限を持っているのは皇帝レンである。
よって、男は指定された者の中から選ばれ、その子を産む。いつ産むか、何人産むかも自分では決められない。
連隊とは、同じ教養単位で構成される部隊の事で、アリス族連隊の娘達は、アリス族連隊学校で教育、訓練を受ける。連隊学校の隣にある独身寮に住み、そこで全ての生活を支配されている。
アリス族連隊は現役戦力で2万。彼女達の母親は全てメトネの精神が宿っている女で、彼女達はその娘であり、アンセムが刑罰を受けていた20年の間に産まれた娘達のようであった。
彼女達は敵なのか、それとも救うべき存在なのか? もし敵だとして彼女達は滅ぼさなくてはならない相手なのか?
今見たアリス族連隊は支援部隊なので武器は持っていないが、特に強力な特殊能力を持つ航空騎兵や法兵の連隊もある。その彼女達はすべてレンに盲従している。皇帝に命令されれば死力を尽くして戦うだろう。
彼女達と戦う事は正義なのだろうか。
そして、そもそも勝てる見込みがあるのだろうか。
****************************************
午後、アンセムと皇太子アンセムはエルタニン広場の近くにある大衆レストラン“フレッチャ”に移動した。
ちなみに、ここのウェイトレスも全員、メトネの精神が入ったラグナ族を母に持つラグナ族市民連隊所属のウェイトレス隊である。さらに調理場の娘達も同連隊のコック隊であった。
皇帝レンは、彼女達“ラグナ族保護法”に基づいて品種改良した娘を全て軍人にしたが、同時にその半数を即応補充兵、つまり訓練などの時間を除けば、普段は市民として何かの仕事に就いている予備兵力にしていた。
そのため、ラグナ族市民連隊は、帝都で女性が働く職場を独占している。
混んでいる店内で案内され、席に着くと、皇太子のアンセムは父に質問した。
「父さんの時代のアリス族はどうだったんですか?」
「そうだなぁ…… 私が見たアリス族は、怠惰で他人に頼って生きる事しかできない、社会からすれば寄生虫みたいな存在だったな」
アンセムは正直な感想を述べた。
彼が若い頃のアリス族は、可愛いだけでまったく生産に寄与しない種族であった。男を癒す為のマスコットといっても過言ではないし、アリス族達の方も何の生産活動に寄与することを望まない。
ところが、先ほど行進していたアリス族は違う。
彼女達が最も得意とする分野である、その“カワイイ”を武器に市民にめいっぱい愛想を振りまいて、軍隊の広報や、企業の商品を宣伝している。そして彼女達は、貞操を守って男に頼ることなく自活している。怠惰だった生活習慣も独身寮で規則正しく生活させられているだろう。
また、学習面でも、武器や身体を鍛えることはそれほど求められていないが、多くの者が調理師免許や看護師免許など支援に必要な技術を身に付けているという。
20年前ではありえない話だ。彼女達の文化は完全に乗っ取られたのである。
もっとも…… 彼の傍にいたアリス族の娘は、その例外である“努力家の”アリス族だったが。
「以前のアリス族にもいろいろあったが、大まかにいえばあまり社会にとって好意的な種族ではなかった。だから、今日の行進で見たアリス族は間違っていると結論するのは難しいよ」
「それはひとつの結論ですよ、けれど…… 帝国に住んでいた若いアリス族はその全員が皇帝レンによって身体を奪われました。一人の例外もない。帝国のアリス族は皇帝によってその存在と未来を完全に奪われたと言って良いでしょう」
彼の息子がさらに話を続けようとすると、急に入り口の方で大きな声がした。それはとても可愛い声で、それを聞いた男2人は思わず反応する。
「えー、1時間待ちなのー!」
「ここのアイス最高なのに、休憩時間が終わっちゃうよ~」
騒いでいたのは、先ほどのパレードに参加していたと思われるアリス族の娘2人だ。
お昼の大衆レストラン“フレッチャ”は、とても混雑しており、既に店内は、昼食客で満席だった。もちろんパレードを見終わった客がたくさんいるのである。
「ねー、どこか先に入れない?」
「ダメです。お客様、順番をお待ちください」
彼女達は店員のウェイトレスに頼んでいるが、店員の態度はそっけない。ウェイトレスも別の連隊の隊員であり、連隊同士は協力関係にあると同時にライバル同士でもある。ルールを曲げてまで入店はさせないようだ。
アンセムと皇太子のアンセムがいる席は標準的な4人掛けのブースだった。よって席は2人分空いている。
「あ、男がいる」
2人は、アンセムと息子が座っている席を指で示して確認すると、なにかヒソヒソ話を始めた。
「えー、本当にやるの? もしフローラ総監にバレたら怒られるよ~」
「大丈夫よ、別に禁止されてないし。それに今日を逃したら、ここのアイス食べられるのはいつになるか分からないわよ?」
「えー、それはヤダなぁ」
話し合いを終えると、片方のアリス族の娘1人が、皇太子アンセムの方に寄って来た。
「あの~、そこの素敵なお兄さん。私達と、こちらの席で相席でもいいですか?」
アリスの娘は、彼女が種族として得意とする「おねだり」で皇太子に絡んできた。
待ち合わせのツレということにすれば、空いている席に割り込んでも入店することが出来る。
メトネを見て知っているアンセムは、彼女が強力なフェロモンを放っているのが分かる。男なら簡単に落ちるだろう。
「普通の男なら、レディの頼みなら断れないな」
「やった~ お兄さん、素敵です!」
「だが断るよ、自分の欲望を満たすために、男を利用しようなんて許してはおけないな」
「えっ……」
お前達に興味はない、というように冷たく答える皇太子アンセムに、2人のアリス族の娘は驚愕しているようだ。
彼女達は、自分達の魅力に自信があったのだろう。もっとも、それはアンセムが知っているアリス族でも同様である。彼女達必殺の「おねだり」は、昔から最強の一手だった。もちろん、以前のアンセムであれば簡単に落ちていた。今は身体が女なので反応しないが、心は反応している。
「アリスの力が効かないなんて…… この男、何者?」
「あれっ、この人。新聞で見たことがある……」
2人は暫く考えていたようだが、すぐに結論を出した。
「うそっ! 本物のお兄様じゃない」
「えー…… これ拙いよ~」
正確に言えば、皇太子アンセムと彼女達は叔父と姪の関係である。だが、皇太子ではなく、お兄様と呼んでいるようだ。
2人は顔を見合わせると、がっくりと肩を落とした。
「お兄様じゃ仕方がないわ…… ごめんなさいお兄様」
「トリコロールパフェは諦めましょう……」
2人はとても残念そうな顔をすると、肩を落として入口の方に戻り始める。
だが、皇太子のアンセムは彼女達を呼び止めた。
「待った。特殊能力を男に使うようなアリスの娘に負けるわけにはいかないけれど、可愛い妹が一緒にアイスを食べたいとねだるなら、兄としてはぜひとも一緒の席で食事がしたいね」
微笑みながら朗らかに言う男に対し、彼女達は顔を見合わせると、めいっぱい嬉しい表情をして、皇太子アンセムに抱き着いた。
「お兄様、大好き~」
結局、アンセムは皇太子のアンセムの隣の席に移動し、それぞれは向かい合って着席する。
さっそく、彼女達は名乗り始めた。
「あたしは、キトリ・F2でーす」
「リッカ・F2です」
F2というのは、雑種二代目ということである。F1(first filial generation)は、遺伝的にはリュドミルの娘達。その精神はメトネで“AP”成長した者達だ。
F2は、その娘という意味である。
酷い名前の付け方だが、実際はキトリ、リッカが本名でF2は付かないらしい。それを考えると2世や3世といういい方も同様なので、血族大事の存在というのはこういう名前になるのかと考えさせられる。
「ご注文を~」
ウェイトレスがやって来て、注文を受け付けている。
「あたし達は、トリコロールパフェ2つ」
「はいはい」
アリスの娘達の注文はメニューを見なくても決まっていたらしい。
「えっと…… トマトスパゲティを大盛りで」
「私は、テーベ風ドリアと、ハーフ生ハムピザと、ひとくちポテトをラージサイズ、ソルトオイスターのニンニク焼きと、グリルハンバーグのコーンスープセット、シーフフードサラダ大盛り、ポテトはマヨネーズで」
アンセムは普通に軽食を頼んだが、皇太子のアンセムは驚くほどたくさん頼んでいる。
あまりの注文数に驚かずにはいられないところだが、よく考えたら、皇太子のアンセムは体格の良い普通の成年男子である。アンセムも彼ぐらいの若い頃は、かなり食べていたような気がする。
「飲み物は何にする?」
「あたし達はアリス族だから、『Drink_Me』が好きなのよ。お兄様」
「そういえばそうだったね」
不思議なものである。
彼女達は皇帝によって文化を改造されてしまった。本来であれば、飲み物に関する嗜好の遺伝などないはずである。
それなのにアリス族の伝統的な複合飲料である『Drink_Me』を好んでいる。チェリー、パイン、ミルクなどを混ぜた飲料で、その内訳は秘密だという。
どちらかといえば、特定の果汁や茶葉の単一な味を好むラグナ族系統の種族でミックス系飲料の嗜好は珍しい。
注文を終えるとさっそく豪華に盛られたパフェが並び始める。
アンセムは昔それを見たことがあった。後宮で妃達が好物だった菓子である。
「あまーい、おいしー」
「人生の至福の時だわー!」
甘い物を美味しそうに食べる美少女の姿はとても絵になった。
「今日の行進、なかなか可愛かったよ。けど練習大変だっただろう」
皇太子のアンセムはさりげなく質問を始めた。
「そうね~ 今日の為に、二か月も前から毎日練習させられて、やんなっちゃうわ。自由時間はほとんどゼロ」
「あたし達ぐらい可愛くて、特殊能力も自由に使えれば、いくらでも楽に暮らせるのにね」
それはそうだろう。美少女で、若い娘である彼女達の身体にはかなりの価値がある。
欲しがる男はいくらでもいる。直接的に身体を使う方法でなくても、彼女達の外見的魅力を広告にして金を集める方法もある。
さらに彼女達には、親から与えられた特殊能力がある。フェロモンを使われたら、男は簡単に落ちて、彼女達にいくらでもお金を貢ぐだろう。もっとも普通の好色な男なら、フェロモンなど使わなくても結果は変わらないかもしれない。
「君達、独身寮での生活なんだろう? 窮屈じゃない?」
「独身寮は12人部屋なのよ。3段ベッドが4つ置かれているだけ」
「12歳まではひとつのお布団に2人で寝るのよ」
いくら子供とはいえ、布団共用はかなり厳しい。さらに6歳まではなんと布団1つに4人だという。
「お風呂は時間制だし、お洋服もお姉ちゃんのおさがり。こういうパレードの日みたいにお外で食べていい日じゃないと、宿舎の食事はいつもワンパターンだしさ」
「じゃあ、そんな生活嫌かい? 自由が欲しくない?」
皇太子のアンセムは単刀直入に鋭く突っ込む。
「いいわよね、男は自由で。“ラグナ族保護法”でも種族としての義務は種を出すだけだし」
生殖という観点で見れば、男がやることは彼女達が言う通りである。
皇帝レンが定めた“ラグナ族保護法”は生殖を管理する法であるから、それによって男の行動は何も束縛されない。特殊能力を持ちそうな男は種を供出するだけ。その作業は文字通りあっという間に終わる。
さらに、男性的な立場でより無責任に言えば、自分の種で産まれた子に対して何の社会的責任も無いので、もしかしたら“ラグナ族保護法”がない場合よりも自由かもしれない。
「もう…… キトリったら。そんなことフローラ総監に聞かれたら、シオン様に身体を没収されて男にされちゃうわよ」
「うう、それは絶対に嫌だわ。こんなカワイイ身体は絶対に手放したくないし……」
彼女達の話では、連隊の中には厳しい生活が不満で脱走したり、彼女達を求めて求愛した男と駆け落ちする者もいるという。彼女達を欲し、外へと誘う男はいくらでもいるだろう。
だがそういう者は皆捕まり、身体を没収される。
彼女達が逃げ出したところで「男として」やっていくのは容易ではない。
もちろん、駆け落ちした娘に対しては、「男の身体」にされてしまった彼女達に、相手の男が献身的に貢いでくれたり、愛を育めるわけがない。最初は甘い言葉で彼女達を誘う外の男も、醜い男にされた彼女達を進んで奉仕する者など誰もいない。
彼女達は現状に不満はあるが、かといって身体も失いたくないという。
それはそうだろう。女性にとって身体は誇りであり、人生の全てである。
では、彼女達の身体は彼女達のものだろうか? “ラグナ族保護法”以前なら当然そうだ。
しかし、今の彼女達にとって自分の身体は自分の物ではない。皇帝レンと母親のメトネの物である。それが生殖を奪われた者達の立場、家畜にされた者達の立場なのである。
「じゃあ、質問を変えてみよう。身体も含めて考えると、君達はこれからの人生どうしたい?」
皇太子のアンセムはさらに質問した。
「もっと男に甘えて、楽しく生きたいよね」
「ねー」
結局、彼女達の言っている事は本音だろう。彼女達はそういう肉体的欲求を持っている。
いや、アリス族という特徴自体が、その文化の方針を定めているとしたら、そのような願望を抱くのは普通の事なのかもしれない。
それが正しいのか、間違っているのか、それはわからない。だが、フェロモンという能力も、甘ったるい容姿、小柄な体躯も、その願望を叶えるためにそういう姿になったのかもしれない。
では第三者が彼女達の肉体的欲求を制限する事、つまり生殖を制限したり、支配する事は正しいのだろうか。
そう考えると、マキナ教徒が信奉する“啓蒙の法”自体が、身体からの欲求を規制、制限するものだ。それを否定したら、法というものも成り立たない。
男性が性欲に負けて女性の抵抗を抑圧し、強制的に性交渉に及ぶ強姦罪は重罪だ。売春規制も同様である。罰則の法だけでなく、より大きくとらえれば援助の法、つまり帝国の女性に対する出産支援法などもそうかもしれない。
スパゲティを巻きながら、アンセムはある事を思い出して苦笑する。
24年前、彼が帝都の航空騎兵の“シュペルミステール”隊の中隊長の時、寮を抜け出して男と関係を持とうとした娘がいた。
アンセムは彼女に外出禁止の厳しい処分を下した。処女であることを要求される航空騎兵隊は、それを放置しては、軍隊の秩序が保てない。
だが考えてみれば、彼女は女性の生理的欲求に従って訓練と閉鎖された生活を嫌がり、逃げようとしたのである。
それに罰を与えるなら、彼のやったことは今の皇帝がやっていることと変わりがない。
「あ、いけなーい。休憩時間が終わっちゃう。そろそろ隊に戻らないと」
「急いで急いで~」
一時間ほどで、彼らの美少女達をナンパしたデートは終わった。
皇太子のアンセムは彼女達に奢ろうとしたが、彼女達は絶対に譲らない。
彼女達は金銭や交友関係も支配されている。男に奢ってもらうと、支払い関係でそれが露見する。男との関係を疑われると監察にひっかかる。それだけで身体を没収されることはないと思うが、彼女達の連隊の名誉がある。仲間の名誉を守ることは、彼女達の誇りなのだという。
「今日はありがとう~ お兄様!」
「またね~」
元気に手を振る彼女達と別れて、アンセム達も帰途に就いた。
「で、父さんはどう思いましたか? 皇帝レンの娘達と話してみて考え方は変りましたか?」
「私には…… なんともいえないな。昔のアリス族は確かに怠惰だった。今の彼女達は少なくとも、自分達を自分で律している。仲間同士の誇りも持っている。それも事実だ……」
アンセムは悩む。簡単な回答は出来ない。
「私は、ますます是正しなければと思いましたよ」
「どうして?」
自分とは違う答えを出した息子に対して、アンセムは疑問に思った。
「彼女達は、皇帝レンによって理想のアリス族像を無理やり押し付けられているのです。それはアリスの誇りではない」
「しかしなぁ」
「じゃあ、父さんは、なぜアリス族の娘達が男に媚びた生活をするのか分かりますか?」
皇太子のアンセムはいきなり真相に近い質問をする。
「それは、その方が人生楽だからじゃないか」
「それは上辺であって本質じゃないです。帝国のアリス族は女しかいない。種族っていうのは男女があって種族の誇りがある。個人では男性と女性という個々の存在に見えるけれど、種族というのは男女の存在が両方あって一つです」
「それはそうだろうが」
「アリス族は、昔には男性もいたけれど、今は女性だけの種族になってしまった。このような種族っていうのは、なにかが欠落しているんです。そのため、種族の誇りが揺らぎ、偏っている」
「しかしアリス族は、ラグナ族の一派で、独立した種族ではないと思うが」
「最初はどんな種族でもある種族の諸派から始まるんですよ。そこからいくつかの要因が重なって枝分かれして独立した種族になる。その分岐する要因は男女という存在、身体と精神が関わる問題、種族の誇りの問題でしょう」
「つまり、アリス族は新たな種族へと発展する為の過渡期の段階だが、男性を失って不安定になっている。そのため、怠惰で男に寄生して暮らす生活を誇りとすることはその過程の内だと?」
「ええ、アリス族という種族が、今後の未来における進化に向かって、自分達で調整する問題です。第三者から精神や身体を支配され、強制されることじゃない」
「なるほどな……」
つまり、皇太子アンセムの言い分はこうだ。帝国のアリス族は女性しかいない。そのため、酷く不安定な精神を持つ種族になってしまった。
男性という存在がいないから不安定になるというのは言い方として男性、女性という個人からすれば変かもしれないが、自分の対となる異性が社会集団に存在するかしないかは種族の誇りはちゃんとわかっており、それが失われているかどうかも重要な影響がある。
アリス族はその途上にあるという。
それをレンは、生殖の効率という名のもとに支配してしまった。そこに欠陥があるのだと皇太子のアンセムは指摘しているのである。
「だけど、私は、本当の問題点はもう少し邪悪なところにあると確信しているんですけどね」
「邪悪なところか……」
帰り道、アンセムは皇太子のアンセムの正確な洞察に同意する。
それは彼女達の価値を考えれば、十分に想像できる邪悪であった。
****************************************
パレードの午後、連隊本部から後宮のかつて政庁と呼ばれた庁舎で、先ほどパレードに参加していたアリス族の娘達は全員が皇帝レンの前に整列していた。
その全員が虚ろな目をしており、まるで自発的な意識を感じない。
「お父様、アリス族2万人、納入致します。ご検品ください」
先頭にいた、アリス族総監フローラが示す。
「ふーん、こっちの子は父親がランス族の王族だから、“陽彩”持ちかー便利だね」
突然、虚ろな目をしていたキトリ・F2は、卑猥な表情をすると、先ほどまでとは全然違う口調で話し始める。そして、自分の手で自分の身体を触れている。
それは彼女だけでない。次第にアリス族全員に波及していた。
彼女達は全員が皇帝レンの意識によって乗っ取られた。その身体は、彼の神経が及ぶ一部にされてしまっている。
甘い美少女の体躯全てが、所有者の男の支配下にされている。彼女達の自我は、自分の身体を守るようには働かない。全てを受け入れるように働いているだけ。
彼女達は、そのために今まで育てられてきたのだ。
もっとも、乗っ取られたという評価が正しいのかどうかは分からない。
彼女達は産まれた時、いや受精卵として発生した最初の段階から、メトネの魂が封入されていた。単に人数の関係で成長に際して精神の運用に弊害があるので、産まれた後に仮の自我を与えられて動いていたに過ぎない。そして根本にあるメトネの魂は、いつでもレンの支配を受け入れる。
皇太子アンセムの指摘は正しい。
当然であるが、アリス族という美しい彼女達はその魅惑的な体躯を男なら誰もが欲する対象である。それは全て奪われている。
世の中に綺麗な事はない。
そんな世界は存在しない。




