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隠者1~種族の誇り②

「だから私は何度も嫌だと申し上げているでしょう!」

「そんなこと言わずに…… 頼むからいう事を聞いてくれよ!」


 階段上でその若い男女はどこかで聞いたことのある口論をしている。

 彼らの姿は完全に同じではない。だが、その2人の容姿はどことなく自分やエリーゼに似ている。

 アンセムは、そんなまるで過去の残像を見ているような光景を、第三者として眺めていた。


挿絵(By みてみん)


「だから嫌ですと……」


 女は、身体を翻し階段を降りようとするが、その瞬間足を踏み外して態勢を崩した。


「キャッ!」

「エリーゼ! 危ない!」


 確かに、男は女をエリーゼという名で呼んだ。

 アンセムは、慌てて階段下で受け止めようと態勢を整える。昔の記憶が呼び起こされ、怪しい奇跡が発生するのではないかと考えたのである。


 だが、その必要はなかった。

 エリーゼと呼ばれた娘は、階段上で態勢が崩れた状態から、鋭敏な反射神経と驚異的な身体能力で、身体を空中で一回転させ、見事、階下に着地したのである。

 外見はドレス姿なのに、まるで体操選手のような身のこなしだ。

 一応、彼女は太腿に“VAF”のリングを装備しているようなので、その援助はあるだろう。けれど、それだけではこんな動きは出来ない。


 すると、そのエリーゼと呼ばれた娘は、華麗にポーズを決めた着地姿勢で、アンセムの姿に気が付いた。


「あなたは誰?」


 きょとんとする娘。

 階段上にいた男は慌てて降りて来る。すると、予想外の名前でアンセムを呼んだ。


「あ、父さん」


 アンセムのことを親として呼ぶ男は1人しかいない。


****************************************


 アンセムは、自分がかつて暮らしていた邸宅を尋ねると、戸口に23年前エリーゼの侍女だった娘、タウダが現れた。

 そしてすぐにアンセムに対し「会って欲しい人がいる」という。

 タウダに促されて、勝手知ったる邸宅の二階に向かおうとすると、この口論を目撃したのである。


 一同は応接室に移動すると、懐かしいソファーでくつろぎながら、かつてのエリーゼの侍女に尋ねた。


「それで…… あの後タウダは、ローラシアに行っていたというのか」

「はい、旦那様のお子を身籠っていたのです…… 旦那様に言えず黙っていてごめんなさい」

「そうか、つまりこの娘は……」


 目の前に座っている娘は、血縁上は自分、つまりアンセムの娘ということになる。

 しかし、何か妙な気分だ。

 この娘は血縁的には自分の子であるが、自分が種をつけたわけではない。そして、問題は誕生日である。これは偶然決まるわけではない。

 皇太子アンセムの“1日前”がエリーゼの産まれた日である。もちろん正確ではないが、妹のエリーゼはアンセムの身体で早い内に、タウダと最後までやっていたことになる。

 もっとも、アンセムもエリーゼの身体で、早い内に皇帝リュドミルと最後までやっていたので文句のいいようがない。

 それらを妄想し、我ながらなんと好色な家系だと苦笑せざるを得ない。


「お嬢様が戦死された後、ヴォルチ家を継いだ叔父様達の追及を避けるため、身を隠していたのです」


 エリーゼとタウダは同い年である。もちろん39歳で老けたなどと言ったら、世のご婦人方に別の意味で厳しい追及を受けそうだが。やはり疲れは顔に出ている。


「そうか…… すまない。叔父上に任せていれば安心だと思っていた。私の過ちだ」


 タウダは、昔話を語った。

 当時の当主はアンセムの身体である。これに子供がいたことになれば、叔父が叙勲された伯爵家の継承に傷がつくかもしれない。

 帝国の“啓蒙の法”では、出産されないと人間としては認められないが、妊娠中の子でも相続権は認められる。だから、タウダの子が当主のアンセムの実子だと承認されれば、叔父は自分の子に継がせることが出来ないかもしれないのである。

 だから、タウダを狙ったのである。少なくとも子供を堕させてしまえば、その危険は無くなる。タウダはそれを察してヴォルチ家から逃げた。すべてはアンセムの、いや、エリーゼと自分の子を守るためである。


 結局、叔父のファーガス・コンテ・ヴォルチは小物だった。

 アンセムの子が産まれれば、確かに継承権は混乱するが、所詮は庶子である。庶子への相続権は貴族審査委員会が認めなければ継承権はない。確かに当主戦死の場合は、他の場合よりも子への相続が認められる場合が多い。それでも認定はかなり困難である。

 それに、実際、産まれた子は女の子だった。

 それを知った叔父は安堵したのか、タウダへの追及は無くなった。しかし、今度は伯爵という「たなぼた」的な身分と権益に溺れ、時代の変化についていけなかった。

 伯爵になった事を良い事に、その家名を出汁(だし)に銀行を騙す詐欺事件を起こした。皇帝レンとその配下の優秀な官僚がそれを見逃すわけがない。

 ヴォルチ家は取り潰しになり、財産はすべて没収された。もっとも、皇后のエリーゼがクーデターを起こしたのに、当時の実家にはお咎めがなかったので、そういう意味では公平な処遇である。

 その後、競売に出されていたヴォルチ家の邸宅はある人物が買い取り、タウダとその娘はその者から家を借りて住んでいるという。


 そして、その隣に座る男。

 自分はその若者を良く知っている。なぜなら、彼が胎児の時から知っているのである。

 その男は彼の子、皇太子アンセム・シオン・マカロフだ。

 皇太子アンセムの容姿はリュドミルと自分を足したような姿をしている。息子は、アスンシオン大学の学生だという。

 普段は大学の研究員として、特に皇帝レンから干渉されない気楽な生活を送っているらしい。


 クーデターの失敗によって20年の刑罰を言い渡されてから、アンセムは皇太子アンセムと引き離された。自分の子と面会することも許されない。

 リュドミルに後事を託された以上、どうなったかは気にはなっていたが、どうすることもできない。

 それに、男親であるアンセムは、子供の為に自らの信念を曲げる事、クーデターを断念するような事はできなかった。このあたり娘のエリーゼを守ることを第一に考えたタウダとは対照的である。

 昔のタルナフ伯の一件で反省したはずだが、それでも、男としての本質は治らない。

 いや、歴史上、妻子を人質に取られたり犠牲にしたりしても、信念を曲げない男はいくらでもいる。妻子は大事だが、それでも考え方を変えない男は、人類史がいくら続いても存在するのである。


 アンセムは後ろめたさを感じている。自分は親として、この子に何もしてやれていない。今更、親の顔なんて出来ない。

 彼が逡巡していると、皇太子のアンセムは自ら話し始めた。


「皇帝レンは、先生として、有用な知識をたくさん教えてくれました。彼のおかげで世界の本質が少し見えたような気がするし、学業には十分な援助をしてもらっています」


 皇太子のアンセムは言う。子供に適切な教育を施して養う。そんな親として当たり前の事をレンは当たり前にやっている。

 アンセムは親として心底恥ずかしい思いだ。


「でも、私は親としては見ていない」


 皇太子アンセムははっきりとそう告げる。

 かつて自分の乳房に吸い付いて乳を吸っていた幼子は、正面に目を見据えて、真剣な眼差し、そして自分で判断して語っている。


「でも遺伝子的には、お前はあの身体の子なんだぞ」

「私の『勇気の剣』は、父さんから貰ったものですよ」


 自分が産んだ息子は、血縁的には妹の子なので、自分は母なのか父なのかよくわかららない。さらに産んだのはサーラマなので、これも当てはまらない。この中で間違いない事であれば、自分が作った事には間違いない。彼の意志で、彼の子宮内に精子と受精させて作った。生命の生殖的、遺伝的に考えれば母だろう。


「しかし……」


 アンセムは言葉に詰まる。

 メトネの言っていた『MTOC魂封入』という理論ならば、『勇気の剣』の剣を与えるのは、男の身体、精子を生産する方である。妊娠する方ではない。

 だから、皇太子アンセムがさらに続けて言った事は予想外のものだった。


「父さん、確かに中心体は精子側にあるのかもしれないけれど、その中心体と人間としての遺伝情報がすべて揃った状態で育まれるのは母親の胎内です。『勇気の剣』が手に入るのは、最初の一回目だけではないはず」

「……」


 確かにそうだ。

 アンセムはずっと、『勇気の剣は未来を拓く』というレンの言葉を考えていた。

 未来を変えることが出来る『勇気の剣』が、誕生した時しか手に入らないわけがない。人は決意し、そして他人の決意を受け継ぐこともある。なにかの啓発で一念発起することだってあるはずだ。


「父さん。私は、父さんに言わなければならないことがあります」


 改まって、皇太子アンセムは言った。


「私は、アスンシオン帝国を継ぐ者として、皇家の血脈を簒奪する偽皇帝のレンを倒し、ラグナ族の種族の誇り(エラン ヴィタール)を取り戻します」

「なっ……」


 皇太子自らのクーデター宣言である。

 以前のクーデターでタルナフ伯は皇太子を利用した。そしてアンセムも皇太子を利用した。それは意志のない赤子を傀儡にする卑怯なやり方、この子の意志はどこにもない。

 しかしこの皇太子は、今は自らそれを言い出している。


「ま、まて。あいつは…… あいつは恐ろしい奴だ。女神シオンだけじゃない。今は、帝国皇帝として積み上げた強大な権力、そして…… 恐ろしい戦術的才能を持っている。あの男の意図を挫くことなんて」


 それを聞いて躊躇する。

 アンセムには到底勝てる見込みがあるとは思えなかった。


「父上、男は何のために存在するのですか」

「……」

「それは、種族の誇り(エラン ヴィタール)を守るためです。私は屈服しません。絶対に。ラグナ族の誇りを守るために戦う、そして勝ちます」

「しかし、女神シオンの力を使われたら勝ち目が……」


 アンセムはそれでも逡巡する。決意や勇気だけで勝てるなら苦労しない。

 彼は誰より、皇帝レンの強さを知っている。そして、それに帝国内に張り巡らされた“シオンの神殿”による通信網によって、女神シオンの力を、この帝国にいる全ての人間に対して行使できる。

 身体を奪われてしまえば、どんな抵抗も不可能だ。


「叔父様、これを付けてください」


 娘のエリーゼはそう言うと立ち上がり、アンセムに銀色の首飾りを掛けた。それはかなり不格好で異様に軽い。材質に拘るアンセムが見立てたところ、外側はアルミニウム製だろう。とても流行しているお洒落なアクセサリーには見えない。


「これは、“チャフ”という名前のアイテムです。女神シオン…… いや、ノード族の持つ“Wi=Fi”の効果を防ぐことが出来る」

「女神シオンの力を防ぐ? そんなことが出来るのか」


 アンセムは説明を聞いて驚いた。女神シオンの力“Wi=Fi”は、個人の精神に作用させる精密な電波の為、簡単な妨害装置で容易に乱れてしまう。シオンの使う周波数は特定の周波帯で決まっており、それを変更することはできない。

 だから、その電波を撹乱する物質を身に付けていれば良いというのである。


「どんなに強大な権力、軍隊、特殊能力にも対抗策はちゃんとある。それは全て可能な事だからです。可能な事は破れないなんてことはない。それが戦術の理ですよ」


 アンセムは再び驚いた。

 彼は皇帝レンと女神シオンには対抗不能だと思っていた。

 だが、この若者は違う。決意があるから対抗する手段も考えつく。

 勇者というのは、こういう男の事をいうのだろう。


「勇気の剣……」


『勇気の剣』、それは世界の認識する力であり、事象を確定する力、未来を創る力であるという。

 そして『勇気の剣』を心に宿す者を勇者という。

 目の前に座っている彼の息子は、正真正銘の勇者だった。


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唐突な頭アルミホイルかよは笑うしかない。
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