隠者1~種族の誇り①
それから20年の歳月が流れた――
後宮東にある資材搬入門で、妹エリーゼの身体のアンセム・コンテ・ヴォルチと、姉アンネの身体のランスロット・リッツ・ローザリアが、僅かばかりの手荷物だけを持って立ち竦んでいる。
エリーゼの身体は39歳、アンセムの精神は47歳。
アンネの身体は42歳、ランスロットの精神は41歳。
彼らは20年という長い刑期を終えた。
その間、彼らはあらゆる身体的な行為を強制され、逆らうことは一切許されなかった。エリーゼとアンネの身体は、皇帝レンとその仲間たちによって文字通り好きなように使われた。
特殊な薬品を使う“AP”成長は母体及び子宮を酷使する。そのため、エリーゼとアンネともに通常よりも早く卵子を使い果たして閉経し、既に子供を作る能力を失っている。
そして、刑期終了と共に用済みとばかりに後宮から追い出されたのである。
もっとも追い出されたのは彼らばかりではない。
第33妃ソーラ・リッツ・レルヒェンフェルトなど、宮女の身体に戻った娘達も、その後、特に役立つ能力がない場合は後宮から追い出されている。
だが、残った者もいた。ソーラの友人、第44妃グレンダ・コンテ・メリヴァーサは看護師の資格を取得し、第22妃ルッカ・ヴィス・ベズイミアニは調理師の資格を取得してそれぞれ後宮内でナースメイド、キッチンメイドとして働いている。
ラグナ族の品種改良を行う彼ら皇帝レン達にとって、若い女性の持つ生殖能力という役立つ肉体的能力を失い、さらに彼らの役に立つ精神的労働力も価値が無いなら、不必要としてあっさりと追い出す。表面的には自由を与えたというけれど、とても残酷な仕打ちである。
少なくともソーラ、そして、アンセム、ランスロットも、ここにいる彼女達から産まれた娘10人以上の産み親、母親である。そういう女性を用済みとしたのだ。
アンセムとランスロットは途方に暮れている。
刑期の間はほとんど情報が遮断され、釈放されても何をしていいのかもわからない。そんな状態で、彼らの荷物は追い出された彼らに与えられたのは彼女達が入宮した時に来ていた古着と、男性が持つ仕事用の鞄一つだけ。
彼らは確かに自由を得た。
だが、その自由はあまりに非情である。
****************************************
帝国歴3018年、ハイランドを蹂躙して属国化したアスンシオン皇帝レンは、帝都で発生した皇后のクーデターを瞬く間に静めた。
翌3019年、アスンシオン帝国とレナ王国は、両国に隣接するバイエル共和国に圧力を掛け、国内への軍隊の通過権を認める不平等条約を結ばせる。
同年、東方のジュンガル諸族、東方諸族が帝国に従属。
3020年、前年の条約はさらに拡大され両国はバイエル市に駐兵権を得る。
同年、ヴァルキリー共和国が帝国によって乗っ取られ、乾燥精子による生殖を放棄、帝国皇帝への従属を受け入れる。
3021年、バイエル共和国で不平等条約に反対する政権が発足すると、アスンシオン、レナ両国は同国に対して軍事作戦が発動され、傀儡政権が樹立される。
3022年、ファルス王国とエルミナ総督領の圧迫などにより、カスピ海のティルス王国が帝国の宗主権を承認し、帝国傘下の王国として加盟する。
同年、南方インディア地方のカンバーランド、ローランド、リンガーランドが相互に帝国に対して援助条約を締結、事実上帝国傘下の王国として加盟する。
3023年、アスンシオン帝国皇帝は、1年間かけて東方の七国地方に遠征。七国地方のラグナ系エンカ族は一部を除いてその支配下に入る。
3028年、タリム共和国のカチュア族が帝国の総主権を認め従属を決定、遂にアスンシオン帝国は大陸を統一した。
アンセムのクーデターから10年。
大陸の覇権、ラグナ族の独立は全て皇帝レンの手に堕ちた。
それぞれ国によって支配体制の内容に強弱あるものの、最初は地味な条約から始まり、徐々に様々な権利を奪われる。
特に、レナ王国以外に制定された、「ラグナ族第一主義法」と「R属保護法」は、ラグナ族の生殖に関する権利を大幅に縛っていた。
文字通り全ラグナ族と、一部のR属を支配する皇帝レンは、特殊能力のありそうな女達の身体を全て集めて、その生殖を管理している。逃れようとしても身体ごと奪われてしまう為、逃げようがない。
その全ての子は、“MTOC転生”によって、メトネの精神が宿っており、さらに“AP”によってすぐに大人に成長する。
つまり、帝国傘下に服属させられたラグナ族は、その未来をレンによって完全に掌握された。
ラグナ族は皇帝レンが生殖を管理する家畜にされたのである。
最初は抵抗する者もいたが、全て叩き潰された。そして、反乱すると文字通り根こそぎ奪われてしまう
大陸統一からさらに10年、各地は抵抗勢力も次第に下火になり、人々は抵抗する事を忘れるようになった。
ラグナ族の品種改良にはメリットもあった。
失われていたラグナ系種族の特殊能力が判明したのである。
まず、失われていたトルバドール族の特殊能力は、“GPS”という能力であることが判明した。
これは、どんなに遠くに行っても自分の居場所がわかるというもので、ある地点の場所を記憶しておけば、距離や方位が正確に判明する。
また、これらラグナ族の持つ“ヴェスタの加護”関連の特殊能力は、ほぼ複合して得られる事も判明する。
アスンシオン帝国のラグナ族に伝承される能力“レ―ヴァテインの剣”が手に入ったどうかは、まだわかっていない。
そして、大陸のラグナ族はかつてない程に繁栄していた。
人口は増加し、流通は活性化、法制度は整備され、不正や犯罪は表舞台から消えた。
それまで、大陸のどの国も少なくとも男子は国民皆兵制度によって兵役が義務付けられているか、それに類する制度を保持していたが、皇帝レンによって常備軍は大幅に減らされ、ほとんどが後宮で作られたラグナ族の特殊能力持ちの娘、“メトネの娘達”の精鋭に置き換わった。
さらに皇帝レンは貴族に厳しい統制を行い、能力的にも血脈的にも価値がないと判断された殆どの貴族家が廃止された。
この20年の間で最も重要な事実は、帝国支配地の様々な場所に、女神シオンの能力を中継する電波塔、“シオンの神殿”が建設され、シオンの力、いわゆる“Wi=Fi”が大陸中に届くようになり、もはや皇帝レンに普通に逆らえるものは存在できないということである。
ペットにとって飼い主が神、住まいが飼育小屋ならば、今のラグナ族にとって皇帝レンは神、都市は彼らの畜舎である。
****************************************
「ランスロット、これからどうする」
「そうは言ってもな……」
アンセムは、途方に暮れながら盟友に語り掛けた。話し掛けられたランスロットもどうしていいのか分からない。
2人は20年前とは様変わりした帝都の景色を眺めながら、ただ呆然とするだけである。
そこへ、1台の馬車が通りかかる。その馬車は彼らの前で止まると、すぐに使用人が降りてきて馬車の戸を開けた。
中から出てきたのは、40歳くらいのラグナ族の男性。その姿はランスロット・リッツ・ローザリアの身体である。
昔の若々しい覇気ある感じはないが、紳士的雰囲気を漂わせている。
「ランスロット!」
その男は、ランスロットの身体で、ランスロットに対し彼の名前を呼んだ。
「まさか、姉さん!?」
ランスロットは姉のアンネの身体になり、アンネは弟のランスロットの身体になった。それ以降、変わりがなければ、そのままのはずである。
「どうしてここに?」
「何を言っているのよ。今日、出所すると聞いていたから、迎えに来たに決まっているでしょう」
まるで彼らが罪を犯して刑期を終えた者に対するような言い草だが、事実アンセム達はクーデターという大罪を犯したので、それは間違いではない。
「私の身体も大分老けたわね……」
ランスロットの姉、アンネ・リッツ・ローザリアは、かつての自分の身体を見つめて懐かしそうに言う。
「申し訳ありません、姉さん」
「なんであなたが謝るのよ」
アンネは、ランスロットの身体となった後、衣服の販売ブランド会社を興した。そして、彼女のデザインは広く受け入れられ、20年という歳月の間に会社は成長、今では彼女の持つローザブランドは大陸中に支店を置くほどの盛況だという。
後宮にいた頃の彼女は柔和で経営者の雰囲気などまったく感じなかったが、秘めたる才能を持っていたようだ。
「あなた達は不服だろうけど、今の陛下は仕事や能力に対しては公平な人よ。私も、レン陛下の政治じゃないと、こんな人生は歩めなかったでしょうね」
彼らはレンの政治を否定して反乱を起こした。
だが、このアンネの指摘通り、レンの政治じゃなければ彼女は一生を後宮で無為に暮らすだけだったはずだ。彼女の社会的成功はレンの政治のおかげともいえる。
「姉さん、私は姉さんの身体であの男の子供を20人も産まされました。そしてそれを奪い取られて、こうして捨てられた。それでも姉さんはあの男を評価するのですか」
「ランスロットには悪いけど、私は代わりに働き盛りの男の身体を貰ったわ」
「けれど、姉さんは女性としての人生を歩めなくなってしまった」
「私の女としての人生は、あなたが私を後宮に入るように私に頼んだ時に終わっていたの。皇帝陛下の子供を産むだけの存在にね」
アンネは切なそうに目を伏せて言う。
「……姉さんは、私が姉さんを後宮に入れた事を恨んでいたのですか」
「いいえ、私はいつだってあなたの成功と幸福を願っている。私達はたった2人しかいない家族じゃないの。あなたの居場所は私が作っておいたわ。さぁ、私と一緒に帰りましょう。あなたの人生は、これから始まるの」
ランスロットは俯いている。
彼はいままで絶対に涙などみせることのない男であったが、家族の優しさに触れ、そして忘れていた何かを取り戻していたようだ。
振り返ると、ランスロットはアンセムと力強く握手する。
「すまん、アンセム。私はここでお別れだ。私は姉上と一緒に行く」
「ああ、良い友と出会ったよ、ありがとう」
こうしてローザリア姉弟は馬車に乗って去って行った。
アンセムはその去りゆく姿をみて、家族を思い耽る。
ランスロットには家族がいる。しかし、アンセムには何もない。ヴォルチ家は叔父の不正で取り潰しになり、親族は散り散りになってしまった。
自分はどこに行って、何をすればいいのだろう。
ローザリア姉弟は、人生がこれから始まると言ったが、自分は何をしていいのかもわからない。
彼は孤独になって、ただあてもなく帝都の街並みを歩き始める。
景色は様変わりしていたが、道はあまり変っていなかった。工兵士官である彼は地図を見て道路を覚えるのがとても好きだった。
ふと気がつくと、彼は23年前に暮らしていた懐かしい邸宅に来ていた。
士官学校時代や、父がいた時代、ずっと住んでいた懐かしい家だ。
この家は確か、アンセムの身体が戦死した時に、他人の手に渡ったはずである。今は別の誰かが住んでいるようだ。
それでも、建物の外観は変らない。
アンセムは昔を懐かしむように外からその建物を眺める。
すると突然、屋内から、言い争う若い男女の声がした。
邸宅の外まで響くほどの大きな声である。
「お兄様、だから私は何度も申し上げているでしょう!」
「そんなわがまま、言わないでくれよ! エリーゼ、君にしかできない事なんだからさ」
エリーゼ?
アンセムは聞きなれた単語を耳にし、夢や幻をみているような感覚になる。
昔の懐かしい自宅を見て、記憶が呼び起こされて白昼夢でも見ているのだろうか。
「アンセム、私はそんなところに絶対行きませんからね!」
はっきりと聞こえた、幻聴ではない。
今度は、女の方が男をアンセムと言ったように聞こえた。
彼は慌てて、そのかつての自宅の玄関を叩いた。




