審判5~Hサピエンスの戦術④
皇后アンセム・コンテ・ヴォルチと後宮師団長ランスロット・リッツ・ローザリアを首謀者とするクーデターは鎮圧された。
彼らは縛られ、そして皇帝レンの前に引き摺り出されている。
周囲には、産まれたばかりのエリーゼの身体から産まれたメトネ、アンネの身体から産まれたメトネ、そして極め付けにメトネの身体から産まれたメトネなどが、彼らを取り囲んでいた。彼女達は、全員がアンセムが良く知る意地悪な小悪魔風に微笑んでいる。
そして、皇帝レンはいつものように穏やかに微笑んでいた。
「やぁ、アンセム君、大変だったね」
まるで他人事のように話し始める皇帝レン。
「こんな奇想天外な奇跡を使うやり方で挑まれたら勝ち目がないですね」
アンセムは不貞腐れたように言う。
「アンセム君は私が奇跡で勝ったっていうけど、この世界にはね、可能な事しか起きない。稀で可能な事が起こる事を奇跡っていうんだよ」
「腹の中の子供が叛乱を起こすなんて、ありえませんよ」
「どうして? 昆虫や魚類なんかの他の生物では意外とあることだよ。生物が生きるための戦術のひとつ。人間では珍しいだけさ。それにスキュラ族は似たような能力があるだろう? 知っているはずだよ」
確かにそうだ。スキュラ族は子宮に寄生し、“AP”に近い成長の特殊能力も持っている。アンセムはそれを知っていた。
「……メトネが大量に産まれてくることも?」
だが、メトネの言う集団憑依など聞いたことが無い。あきらかに無茶苦茶な現象である。
「アンセム君さ、人に魂が宿る瞬間っていつだと思う?」
皇帝レンは急に妙な質問を始めた。それは宗教的な話であろうか?
「わかりません。“啓蒙の法”では、子宮から体外に出て産まれた時から人として扱う事になっていますが」
アンセムは杓子定規に答える。
「実はね、ある仮説があるんだ。これを『HY抗原のシャワーによるMTOC魂封入』説としようか」
また、メトネの言っていた意味の分からない単語が出て来た。
「まず事前知識。精子っていうのは射精の段階を経ないと受精能力が無い。でもこれっておかしいよね。機能だけ考えれば、精嚢から注射で直接取り出しても使えるはずだ。事実、卵子は卵巣から取り出して薬で成熟させれば使える」
「……」
「次に、男の精子の通り道である輸精管、これがとても長い。効率だけ考えたら短いルートを取ればいいのに、わざと長いんだ。普通に進化したらあり得ない構造なんだよ。で、この理由はどうやら輸精管内でHY抗原のシャワーという現象が起きて、射精直前の男が、精子に何かを与えているらしいんだ。これがないと精子は受精することができない」
要するに、男性が放つ精子は、射精する瞬間に、男から何かを与えられてから放たれる。それがないと受精能力がないという。
「そして、精子だけにあって卵子にはないもの。それが微小管形成中心(MTOC; microtubule organizing center)という細胞内器官、いわゆる中心体だ。これはね、細胞分裂で司令官の役割をして、遺伝子を整列させる役割がある」
司令官…… 整列させる……
アンセムはその単語に思わず反応する。まさか生物学で軍事用語がでるとは思わなかったからである。
「実はね、HY抗原のシャワーで、影響を与えているのはこのMTOCなんだよね。ここまでは仮説じゃなくて事実だ」
皇帝レンは向き直って、さらに続けた。
「戦術というのは司令官が考えるものだ。それは部隊の未来の運命を担うという事。『勇気の剣』の使い方だよ。細胞ではそれを中心体が担っている。身体の設計図である遺伝子じゃない。私はね『HY抗原のシャワーによるMTOC魂封入』で、この精子の中心体に『勇気の剣』が与えられたのだと仮説したんだ」
勇気については、皇帝レンはいつも言っている。未来を変えることが出来るのは、『勇気の剣』だけだと。
それはある意味、納得できる部分はある。
「こうして考えると、精神の魂となる基底部分、つまり魂を分けて精子の中心体に配置すれば、転生みたいな事ができるんじゃないかなって考えたんだよ。魂によって記憶や精神的能力の付き方は千差万別でね。魂が合わないと、記憶は送り込めない」
魂ごとに受け入れる精神の記憶は決まっているという。どんな自我もどんな精神的な記憶や技術でも受け入れるわけではないらしい。
「結局、実験は大成功だったよ。シオンが完璧にシミュレーションしてくれて、メトネが協力してくれたお陰だけどね」
「つまりメトネは……」
「このリュドミルの身体から放たれる精子には、すべてメトネの魂が宿っているってこと。だからそこから産まれる子供にはメトネの精神がいくらでも転載できる」
メトネが最初のシオンの奇跡でどこに行ったか判明した。それはリュドミルの身体の中にいたのである。
メトネは魂をコピーして、リュドミルの身体から放たれる精子全て張り付けていたのだ。
「メトネは、どうしてそんなことを……」
アンセムは産まれたばかりの自分の娘に尋ねた。
「うーん、普通の子ならね、遺伝的な関係を本当の親子って言うんだろうけど、あたしはそんな上っ面の肉体的な親子関係より、『勇気の剣』が貰えるパパの本当の子になりたかったのよ」
メトネの身体から産まれた娘のメトネは、皇帝レンに寄り添うように言う。それは父に甘える娘の姿そのものだ。
メトネが、養父であるレンが好きだったことはアンセムもよく知っている。そして彼女は、その真の意味で本当にその娘になりたかったのである。
「メトネは血縁的には私の娘じゃなかったんだけど、どうしても私の本当の娘として産まれたいって願っていたんだよ」
通常は、精神的な関係は遺伝とは関係ない。だから、メトネがどんな血筋だろうと、レンを父として認識していれば、それでいいはずである。
だが、彼らレンとその仲間たちは、さらにそこから一歩踏み込んでいた。
生物には目に見えない、科学的にも証明することは難しい、それでも実際に存在する、未来を変える勇気というものが存在し、それは先ほどレンが説明した『HY抗原のシャワーによるMTOC魂封入』というやり方で、親子はそのきっかけが受け継がれるという。
「そういえば、バーベル君に聞いたよ。アンセム君とランスロット君は、私について3つの疑問があるそうだね」
アンセムとランスロットは急に名を呼ばれて反応した。
「一つ目、君達を女の子にした理由。これは、前に説明したよね。君達の抵抗意欲を削ぐためさ。男という生き物は常に反抗的なものだからね」
「実は、もう一つあるんだけどね~」
「メトネ、それはまだ仮説の段階だから、黙っていなさい」
「はい、パパ」
エリーゼから産まれたメトネは素直に頭を下げて謝る。
自分達が女にされた理由、それがもう一つあるという。いったいそれはなんだろう。
「二つ目、私が今まで、何をしてきたのか? 実はね、私は君達の世界に産まれたんじゃないんだよ」
突然、レンは珍妙な事を言い出した。おとぎ話にある、宇宙の果ての星とか、異次元とか、時空の彼方からでも来たとでもいうのだろうか。
けれども、そういう答えでも不思議ではないかもしれない。明らかにレンの知識は異常である、異世界から来た正体不明の存在でも不思議ではない。
だが、レンの答えは人知を超えた物ではなかった。それは人知の範囲内だったのである。むしろその回答は、彼らにとって理解不能だったほうがまだ良かったかもしれない。
「アスンシオン大学の種族分類学者がした分類は間違っているよ。私はムラト族じゃない。太古の昔にいた最初の人間種、H・サピエンスさ」
「レン殿が太古の人間種!?」
「まぁ、H・ムラトはH・サピエンスの直系の末裔なのだから、ムラト族で正しいともいうけどね」
ランスロットはその答えに驚愕している。
アンセムは外にいた以前の身体のレンを殆ど知らないが、ランスロットはよく知っているからだ。
「しかし、それは何十万年も前の話で、この時代に存在できるはずが……」
「まず、活動休止保存能力という生物の能力がある。これは、細胞を結晶化させて、呼吸も新陳代謝もしない状態で保存するという能力だよ。この能力を自ら持っているクマムシという動物は、野外でも1000年以上は寿命を延ばせるんだ」
帝国にはいないが、南の赤道近くには、攻撃した相手を活動休止保存能力状態にすることができる種族が知られていて、その能力は“石化”という名前で呼ばれている。
その状態ならば、かなりの長期間の保存が可能である。だが、人間の大きさであればせいぜい100年程度。それ以上だと様々な障害が出る。野外環境の浸食、太陽光線、熱、湿気、そして細菌などからは逃げられないはずだ。
「次に、地下宮殿という建築物が、風化作用などを防いでくれる。これは人類が地下で長い困難な時代を乗り越えるために作った施設で、ここにはきちんと湿度や放射線、温度、細菌などの管理をされている部屋があってね。そこなら1000倍の100万年以上は生きられるさ」
「いったい、レン殿はいつの時代から来られたのですか……」
「私が産まれたのは、今から136万年前だよ」
そう、このレンという男は20年前より以前の所在が不明だった。
それは当然だろう。136万年前から地下で眠っていたのである。
「奇跡といえば簡単だけど、前に言った通り、世界には可能な事しか起こらない。異次元とか、宇宙の彼方なんて行くことはできない。時間や空間を越えて旅行するなんて事は不可能だ。死んで現実とは異なる世界に生まれ変わったりするのもね。でもね、世の中には唯一、実際に行くことが可能な異世界がある」
レンは上を示していう。
「それは、未来だ。我々は未来に行くことが出来る。そこが異世界といえるなら、そこは未来という異世界だ。私は136万年前に滅びゆく世界を見ていて、こことは違う豊かな別の世界に行きたいと願った。その願いを叶えてここにいる」
アンセムもランスロットも声が出ない。
だが、未来へ行くこと、活動休止保存能力という能力が実在すること、地下宮殿という施設で適切に保存管理すること、これらが全て可能な事は理解できる。
「最後に、女神シオンがなぜ私に従うか? だけど……」
ふと気配を感じて、アンセムとランスロットが振り返る。
すると、彼らが破壊した女神シオンが立っていた。
その顔はアンセムがスコップで叩いたままに歪み、不気味な機械が露出している。姿勢も崩れ、もはや奇怪な怪物としか言いようがない。
それは無表情で静かに皇帝レンの方へ近づいて来た。
「レ…… ン…… ギギッ」
それは人間の声とは思えないような奇怪な音を発している。それでも、彼女はレンに向かってゆっくりと歩いて来る。
「ああ、音声機能が上手く動作していないね。ごめんね、この時代は資材がなくて修理は難しいよ」
シオンはそのままレンの傍に辿り着くと、親に寄り添う子のように、すべてをその男に預けた。
アンセムもランスロットもその姿を見て理解する。
彼が化石の時代から生きている人間なら答えはひとつしかない。
「可哀そうに、アンセム君もランスロット君も酷いことをするよな」
レンは、その子を撫でながらいう。
「この子がなんで私に従うかって? そりゃそうさ。だって私が作ったんだから」
そう、女神シオンがレンを認めたわけでも、贔屓していたわけでもない。
シオンは最初からレンの物だったのである。
「おまけとして、どうして私がラグナ族を管理したいか教えてあげるよ」
真相を知り、もはや抵抗する意欲も消え失せたアンセムとランスロットに、レンはさらに言った。
「メトネ、ラグナロクっていう単語は何を示している用語かな」
「終末の破壊と救世主です。パパ」
ランスロットの娘のメトネは可愛く答える。
「ラグナ族はね。私の知人、つまりラグナ族の創造主ともいえる人が、滅びゆく終末の世界を救い、優秀で気高く美しい身体に作ったんだ。けど、私が目覚めたときに、なんだか堕落していてね。私はそいつに人々の導きを託されている。だから、私が種として正しい方向に品種改良することにした」
「私達は、あなたからみて堕落していたのですか……」
アンセムは答える。
ラグナ族は自分達が堕落しているとは思っていない。
もちろん、堕落している者達はたくさんいる。けどそうではないものもいる。だから“啓蒙の法”などの戒めるルールを作り自分達を律している。それはムラト族やかつてのサピエンス族とも変わらないはずだ。
だが、レンはアンセム達の身体を指して言った。
「ラグナ族は、我々のH・サピエンスのアバター、つまり終末後に使う身体として最初から仕組まれて作られたんだよ。優れた能力と美しい身体、理想の人類の身体さ。だからラグナ族の生い立ち自体が、我々『人間』にとって素敵な衣装みたいなものなんだ」
「わ、私達が『人間』の衣装!?」
「せっかく、こんなに美しくて、凄い特殊な能力があるのにさ。君達、愛だの恋だのと勝手に交配するから、せっかく与えた能力が失われたり、バラバラになってしまっている。これは、修繕しないとね」
ムラト族用語で、アバターとは別の身体、代理の身体という意味があるらしい。
「べつに珍しいことじゃないさ。H・サピエンスは遥か昔から、自分達の生産、健康、娯楽の為に他の種族を改良してきたんだ。家畜、ペット、臓器移植用の動物、みたいにね。ここまで理解できると、どうして精神入れ替わりという現象が可能なのかどうかも分かるはずだよ」
レンは続ける。
分かるはず、などと言われても、既にアンセム達の理解の範疇を越えていた。
「精神は存在する。人間の身体は精神を宿すことができる。そして、人間の身体は作ることができる。君達の身体は、最初から我々H・サピエンス達が精神を宿して娯楽なんかに使うために作られた容器なんだから」
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こうして全ての真相は語られた。
そして、今回のクーデター事件の裁定も下る。
皇帝レンは誰も死刑にしなかった。
首謀者、皇后アンセム・コンテ・ヴォルチと、後宮師団長ランスロット・リッツ・ローザリアは懲役20年。
陸軍大臣のゴーヴィン・コンテ・タブアエランと、ムラト族旅団歩兵連隊長タチアナ・コンテ・タルナフ、第5師団長のレーヴァン・コンテ・タブアエラン、アンセムの副官シムス・リッツ・フォーサイス、第6師団歩兵大隊長マシェリは懲役4年である。
皇帝レンの話では、今まで貢献したり、世話になった分は恩赦で減らしておいたという。
そういう意味では、国家反逆という大罪にしては比較的公平な処分が下ったともいえるだろう。
そして、これから皇帝レンの時代、つまりラグナ族が家畜化される時代が始まるのである。




