審判5~Hサピエンスの戦術①
皇后アンセム・コンテ・ヴォルチと、後宮師団長ランスロット・リッツ・ローザリアは、後宮に建設されたシオン神殿に入って行った。
帝都にある大型の神殿と違い、簡易に造られた急造の建物であるが、神殿内はそれなりに荘厳な雰囲気を漂わせていた。
その中央の台座の上にはシオンが静かに座っている。
彼女はタイキ族風の容姿に、ゴスロリという白と黒のドレスを着ており、目は開いたまま、まるで生命などないかのように動かない。
その場所へ2人の男が武器を構えて、ゆっくりと近づいていく。アンセムはスコップを、ランスロットはサーベルを所持していた。
この有り様を第三者が見れば彼らはただの神殿を荒す暴漢だが、どちらも身体は九カ月の妊婦であるので、あまり様にはならない。
台座の上のシオンは、アンセム達が近づいて来ても、まるで人形のようにまったく動かない。タイキ族はこのように寝る者もいるので、それほど珍しいことでもないという。
2人は頷いて最後の確認をすると、所持していた武器をその人形のようなものに力一杯叩きつけた。
グシャッ――
不快な物が潰れる音が神殿内に鳴り響く。
女性の腕力であったが、頭部に叩きつけたスコップは彼女の顔面を粉砕し、中からこの時代にはない異様な機械が露出している。その周囲からはタイキ族などのT属が持つ白い血液が激しく飛び散った。
それと同時に胸に刺し込まれたサーベルは、彼女の身体を背中まで抜け、付近から電気のようなものが身体中を迸っている。
2人は、その武器を引き下げる。
すると、女神シオンは力を失って台座から崩れ、地面に転げ堕ちた。その頭や手足は人間ではありえない方向に曲がっている。
「やったか?」
ランスロットは、アンセムに対して成果を確認する。
「タイキ族の仲間なら、これで確実に機能停止だろう。次の段階に進もう」
彼らは、まず帝都の守護神シオンを破壊した。この叛逆の初手だけは、他の者に手を出させるわけにはいかない。
相手はあの皇帝レンだ。このクーデターは失敗するかもしれない。
しかし、少なくとも、シオンの破壊によりこれ以降の禍々しい奇跡は防ぐことできれば、更なる犠牲者を出さないことができる。
まだ元の身体に戻っていない者は今の姿で固定されてしまうことになるが、そのために新たに身体を奪われる者を増やすわけにはいかない。
さらにこの女神シオンの能力を放置したままだと、皇帝レンはどのような凶悪な戦術も使えてしまう。
だから、必ず最初に破壊しなければならない対象だったのだ。
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アンセムは後宮の神殿から出て、合図であるシオン撃破の信号弾を打ち上げると、後宮近郊に待機していた兵が一斉に突入を開始する。
後宮を警備するべき後宮防衛部隊は、全員産休中の休暇によって誰もいない。もっとも、例え残っていたとしても、テミス達テーベ族のメイド兵は、今はもう“月影”を持つ身体ではないので、侵攻してくる武装した男達を倒すことはできないだろう。
彼女達の人生にしてみれば、これで良かったのかもしれない。テーベ族は“破瓜の呪い”により、子を産んで、母の喜びを得ることはできない。それが、今は彼女達が忠誠を誓う主人の子供を孕んでいるのである。
突入を開始したのは、ラグナ=ヴァルキリー族のマシェリ達とその仲間、種族解放戦線の一部だった。
シオンの起こした奇跡によって、彼女達ラグナ=ヴァルキリー族の航空騎兵も全員が身体を奪われ、彼女達はラグナ族の若い男になっていた。
彼女達が醜い身体にならなかったのは、おそらく彼女達の能力や実績を考えての事だろう。
ラグナ=ヴァルキリー族は、多くが種族解放戦線に参加し男女平等を強く訴える者達である。それでも女性の身体を失ったら、元の身体に戻りたいと言い出すものと思いきや、そうはならなかった。
彼女達は身体が変わっても、いや、むしろだからこそ声高に種族間の平等を唱えた。そして、その考え方は一部ながら帝都で受け入れられるようになっている。
その代表であるマシェリは、今回のアンセムの作戦を、ムラト族の男の身体になったタチアナから聞いた。
彼らの種族解放戦線の根本思想には、遺伝的な宿命による抑圧を嫌う。
過去には、遺伝子を自分たちの思想に都合の良いように解釈し、出生後の行動によって遺伝子は次第に強化されるという事を信じてしまったこともあった。
彼らにとってみれば、遺伝子の優劣で人々を選別し、他者によって種族の尊厳を奪う行為は明らかに敵である。ましてや、優秀な身体を奪って生殖をコントロールし、家畜化するなど絶対に許せない行為だ。
彼女達は条件を出し、アンセムがそれを了承すると、彼らのクーデターへの参加を決意する。
そして、密かに集めていた同志約1000人で、一気に政庁側から後宮へと雪崩れ込んだのである。
「タチアナ、2年前とは逆にあなたと一緒に後宮に攻め込む事になるなんて思ってもみなかったわよ」
「それは私も同じね」
航空騎兵士官学校の上位成績の同期2人はまさか男性化して、後宮の占拠に向かう事になるなどまったく思ってもみなかっただろう。
余り経験が無いにも関わらず、2人は驚くほど上手く騎馬を乗りこなし、彼女達に指揮された部隊は政庁を突破する。
もっとも政庁に住んでいる聖女連隊、天槍連隊などの精鋭部隊はハイランドに出征しているので誰もいない。
「しっかし、あんた。醜くなったわねぇ。どっからみてもただのオッサン。笑っちゃうわ」
「あんただって、男でしょうが」
「いいのよ。私達は種族の平等を訴えているの。人は顔や姿じゃないもの。志よ、志。ねぇ、同志」
「気持ち悪い呼び方しないで頂戴。私達は、皇太子を頂点とした臣民の独立した権利が守られる社会を目指しているのよ。あなた達の主張に同意しているわけじゃないわ」
「それは解放された後で人民が自分達で決める事よ。それでいいのでしょう?」
「……それでいいわ」
アンセムとランスロットは、後宮に反乱軍を導き入れると、すぐに宮女達を人質に取った。
後宮内に残っている者は約5000人程度いたが、ほとんどが出産間近の妊婦である。彼女達は抵抗する意欲は乏しい。
制圧後、後宮内の何か所かの館に分けて、捕虜を繋いで座らせる。
「隊長! タチアナ! や、やめてよ、こんな争いなんて」
ソーラは、目の前に現れたアンセムやタチアナの反乱に酷く落ち込んでいる。だが、アンセムは怯まない。
「シオンは破壊しなくちゃならない。こんな奇跡は続けさせちゃいけない。私達の種族の誇りは、誰にも渡しちゃいけないんだ。そして、反乱をするなら今しかない。皇帝レンが帝都にいて、女神シオンと一緒にいるときは手が出せない」
「私達はもうすぐ母親なのよ。誰より平和と子供たちの安寧を願っているのよ。陛下に導いてもらって、陛下に護ってもらって、それなのに……」
ソーラは泣き出してしまう。彼女達は、本気で産まれて来る子供達の安寧と、帝国の平和を願っていた。それは母親になる者として当然の考え方だ。
「ソーラ、残念だけど私は女じゃない。家畜として与えられた安寧や、歪んだ状態で与えられた平和など願ってはいない」
アンセムは閉じ込められてすすり泣く彼女達を無視し、次々と広間に押し込めていった。
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後宮制圧後、アンセムは順調にクーデター計画を進めた。
ナース長ユニティは降伏した。キッチン長フレッサは結婚して後宮外から通い勤務になっているので後宮内にはいない。
そして、シンデレラやフローラなど、レン与党の女性精神の持ち主も分けて閉じ込めている。彼女達も妊娠しているので、ほとんど抵抗せずに従った。
ランスロットは市内に出て、新しく建設された政庁に集まっている孫リリカ・ヴィス・グリッペンベルグの身体の宰相ワリード・ヴィス・グリッペンベルグなど、グリッペンベルグ家の人々と面会する。
彼らの家族は全員男女の身体を逆転させられていたが、ランスロットから連絡を受けて、今回の反乱への参加を決めていた。
かつての第13師団で部下だった第24妃リオーネ・ヴィス・グリッペンベルグの身体のダルボッド・ヴィス・グリッペンベルグは言った。
「ローザリア卿、貴方が女の身体にされたままで反旗を翻すとは思ってもみませんでしたよ」
グリッペンベルグ家は優秀な人物を輩出する名門である。しかし、シオンの起こした奇跡の後は低調であった。
それは家風の根幹である男性的意欲を全て奪われてしまったからである。このままでは遠からず衰退するだろう。
「我々はシオンを破壊した。君達はもう元の身体には戻してはもらえない」
「ローザリア卿の話を聞けば、レン皇帝が私達を男に戻す気がないことはわかります。元に戻れないなら、今ある現状で良い選択をしなくちゃならない」
「その身体で一生歩まなきゃならないんだぞ?」
「グリッペンベルグ家の身体は全部ここにある。我が家の道はなんでもできます。だったら、私達の未来を守るために、もうこれ以上、こんな事をさせないようにしなくてはね」
かつての部下、ダルボッドの意見ははっきりとしていた。
家人同士の身体が入れ替わったという事実に目を瞑れば、シオンが起こした奇跡で彼らの家にダメージはない。だが、今後も身体を奪われるようであれば、男性的栄達思考の強いグリッペンベルグ家は滅びたも同然である。
「そういう意味では、家名の栄達を一番に望んだ結果です」
結局、人は迷った時には何が一番大切かを考えて行動する。
グリッペンベルグ家の人々にとって、それは難しい結論ではなかった。
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アンセムは宰相の協力を得て、自分の息子、アンセム・シオン・マカロフを即位させる。
6歳のリリカ・ヴィス・グリッペンベルグの身体の宰相が、2歳の皇太子を抱えて、即位を宣言するさまは、外見的には子供の戯言にしか見えないが、れっきとした新皇帝と宰相であった。
すぐに発布された皇帝の勅命を受けて、陸軍大臣ゴーヴィン・コンテ・タブアエランは皇太子支持を表明、息子の第25妃ナーディア・コンテ・タブアエランの身体のレーヴァン・コンテ・タブアエランが率いる第5師団が帝都を制圧した。
第5師団はもともとタブアエラン家の領地を拠点とする師団で、同家と繋がりが深く、将兵も今回のクーデターに協力している。
もちろん、万一失敗した時に助命されるように、皇帝と宰相の勅命があったという言い訳を忘れていない。
アンセムの副官としてレナ内戦で活動していた第78妃レシア・リッツ・フォーサイスの身体のシムス・リッツ・フォーサイスも、新皇帝からの勅命を受け、トゥーラ市から戻る途中に帝都を守る要衝、アスタナ要塞を抑えた。
こちらにはアンセムが連れている工兵隊が参加している。
警察大臣のコイスギン、通商大臣のパーペン卿は市内から姿を消した。身を隠しているのだろう。レンの与党である他の幹部は、遠征に従事するか、それ以外の任務の為、帝都にはいない。
女神シオンを倒し、帝国宰相と陸軍大臣の支持を受け、皇太子を新皇帝に即位させて、後宮の妃は全て人質とする。
一見アンセムとランスロットのクーデター計画は順調に進んでいるようだった。
だが、彼らの敵は彼らの予想通りには動かない。
自分達の予想通りいかないから敵なのである。




