審判4~肉体の監獄③
皇后アンセムと、ロウディル・コンテ・マトロソヴァ、ランスロット・リッツ・ローザリア、ハティル・コンテ・ドノーの4人は、診療棟のナース長ユニティの元を訪れた。
彼女はどうして後宮がこういう状態になったのか、詳しく教えてくれるという。
ユニティはタイキ族らしい普段通りのクールな表情で説明を始める。
「健康なラグナ族の若い男性は、精子を1日に1億から2億匹生産します。そして、健康なラグナ族の女性は、月に1回排卵します。射精された精子と、成熟した卵子が出会うと受精し受精卵となります。この受精卵が、子宮内に着床すると胎盤が形成され、ようやく妊娠状態になります」
「まぁ、それぐらいなら初等部でも知っている保健レベルだな」
「この生殖のシステムは不変です、人間の感情が挟む余地は、この人間が出来るシステムにはありません」
つまり「子宮内で精子と卵子が出会う」という仕組みの為には、男女の愛が必要かもしれないが、身体の生理的機能で人間が誕生する仕組みは決まっているということである。
「このうち、精子は活動休止保存能力で保存できます。レン陛下は自身…… リュドミル陛下の精子を普通に使わず、常に保存していたようなのです。直接的に認知できる生理のないラグナ族の女性でも、排卵周期はあり、排卵日は計算すればわかります。その日に、人工授精用の器具を使って乾燥保存した精子を子宮内に注入すれば、若い彼らラグナ族なら約80%の高確率で妊娠します。この技術自体は、戦処女の時代のヴァルキリー族でも行われていた一般的な生殖技術で、精密な機械は特に必要ありません」
ユニティの説明によると、皇帝レンは生殖医療技術を使い、後宮にいる宮女全員に、皇帝リュドミルの遺伝子を持つ子を孕ませたことになる。
「どうしてそんなことをするのか意味が分からん。いつでも好きな時に抱ける女がこんなにいるんだ。男の欲望の赴くまま自由に好きなだけ女を抱いて、それで男として気分がいいじゃないか」
ハティルは当然の疑問を思った。
「生殖を効率的に進める為です。R属の受精率はH属の約4倍もあります。だから性交渉によって1回で全部を女性の子宮に放出するより、小分けにして排卵に合わせてタイミングよく子宮に注入したほうが効率的です。それに……」
「それに?」
「これは、家畜の繁殖では一般的な方法です。牛ではほぼ全頭がその方法で生産されています。豚や羊では半々ぐらいでしょうか」
「家畜!?」
そういえば…… アンセムには心当たりがあった。
以前、皇帝レンは若い女性の身体を“宝箱”だと言っていた。
財宝ではなく、財宝を入れる為の箱である。
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その日の夜遅く、皇帝レンは職務を終えて後宮に帰宅する。
南方のハイランド王国で再び内戦が発生し、その対応の協議に時間が掛かったのだという。
アンセムは皇帝の部屋の前でレンを出迎えた。リュドミルの時は儀礼的に妃達が出入り口で並んで送迎したが、レンは面倒なのでそういう挨拶は中止している。
レンは彼に会うといつものように微笑みながら応対した。
「やぁ、アンセム君。君の活躍のお陰でレナ王国にも平和が訪れたよ。次はハイランドだが、こっちは私が直接処理しようと思う。君もそろそろ臨月だろうからしばらく休んでいてくれ」
アンセムは敬礼しながら、それには答えず、質問を繰り出した。
「陛下、どうして、宮女達にこのような事を施すのですか?」
皇帝の隣に寄り添うよう控える、第21妃メトネ・バイコヌールの身体のフローラが、アンセムを睨みつける。
「アンセム、お父様はお仕事で疲れて帰宅したのよ。質問は後にして頂戴」
そういう彼女も他の宮女達と同様に妊娠しているようだった。
「うーん、そうだね。タダで教えたらつまらないなあ。少しでも秘密を当てたら、教えてあげてもいいよ」
「それでは、陛下は…… 私達ラグナ族そのものを奪おうとしているのではないですか?」
アンセムは単刀直入に答えをぶつける。
「正解! アンセム君、よくわかったね」
熱心な生徒を褒めるように答えるレン。しかし、アンセムはそれでも疑問がある。
クーデターの成功と戦乱の終結で、この男は帝国の権力全てを奪ったはずだ。おそらく男としては位を極めているだろう。
だが、それは過程に過ぎず、この男には次の目的があるという。
いや、メトネの精神が何処に行ったか判明していない。この男の作戦傾向からいって、彼女はその計画の為にどこかに行っているはずだ。
けれども、アンセムにはそれが想像もつかない。
「アンセム君、レーヴァテインの剣って知っている?」
「皇家の血筋に遺伝される伝説の能力です……」
今のラグナ族はその特殊能力を失ってしまったが、皇帝家の男子からは稀にその特殊能力を持つ娘が産まれるという。
ランス族の“陽彩”や、ハイランダー族の“惑星”と同じ“ヴェスタの加護”が必要な能力である。
レーヴァテインの剣の効果は、とても強力な攻撃ともいわれているか、記録が曖昧で詳しい事は分かっていない。
「ラグナ族にはね。“天使系タレント”と言って、“ヴェスタの加護”をエネルギー源に使った素晴らしい特殊能力があるんだよ。でも、ラグナ族の精神がそれを大切にしようとしないから、一部を除いてほとんど失われてしまった」
レンの指摘は事実である。
伝説では、多くのラグナ族がその特殊能力を使えたらしい。ランス族に聖女連隊があるのは、その純潔を維持しようする思想があるため、国家と種族を挙げて特殊能力を持つ遺伝子を残そうと努力しているからだ。
そういう思想のないトルバドール族では既に能力名も効果も失われ、ハイランダー族は一部の神官だけに受け継がれている。そしてラグナ族では皇家にしか残っていない。
とはいえ、ラグナ族に対して遺伝子の与えた能力を維持するために、特定の相手としか結婚しないように強制することなどできない。
また、特殊能力があっても戦争には勝てない。エルミナとファルスの差を見れば歴然だ。
「だからね。これからは私が、ラグナ族の生殖を全て管理して、素晴らしい種族になるように品種改良しようと思っているんだよ」
「!?」
余りに衝撃的なレンの説明。
その意味はアンセムでも理解できる。
文明が産まれる前から、人間は多くの種族を自分達の好みにするため、品種改良をしてきた。
家畜であれば、優れた生産性を持つ家畜にする為、ペットであれば見た目の見映えや色合いを自分達の好みにする為、何世代もかけて生殖をコントロールすることで、良い特徴を残させる。
遺伝子を持つ“人間以外”の人間にとって有用な全ての種族、イヌ、ネコ、ウマ、ヒツジ、ウシ、ブタなどの家畜や、全て食用、薬用、資材用などの植物は、人間に利益をもたらす為に、人間によって生殖を操られてきたのだ。
この男は、それをラグナ族に対して行うと言っている。
だが、そこまではアンセムもある程度予想はできていた。なぜなら、皇帝レンは、聖女連隊や、天槍連隊など、特殊能力を持つ娘の身体を優先的に自分の物にしているからである。
「ところで、アンセム君。君は私がラグナ族を家畜にするのが目的って言ったけど、家畜の定義って知ってる?」
アンセムは次の問いに対してすぐに答えが出ない。
「昔、うちの文化でさ。壁の中に閉じこもっていることを、『家畜として暮らす』なんていう比喩表現があったんだけどね。それは実際のところは家畜じゃない、生存戦術のひとつだよ。家畜とか…… 良い言葉を選ぶならペットっていうのはね。檻の中に閉じ込められて生活させられることを言うんじゃないんだ」
まるで生徒に教える教師のように説明するレン。
「生殖に関する事を、他の種にコントロールされてしまう状態のことをいうんだよ。犬や猫みたいにペットとして可愛く、牛や馬みたいに人が使役して役立つようにさ。私がラグナ族の美しさと特殊能力が未来に役立つ素晴らしいものになるように、責任をもって改良するよ」
皇帝の地位はラグナ族の支配者だ。
実は、過去にそれに近い事をやろうとした君主は何人かいた。極論をすれば、エルミナ王国では今もそれをやっていると言えなくもない。
ランス族の“陽彩”を持つ女性は、“陽彩”を持つ可能性がある男性としか結婚できない。
だが、エルミナ王国でも社会的な結婚相手はともかく、具体的に肉体の行動までは強制しない。“陽彩”を持つ子が産むために、女の排卵日に必ず性交渉をさせるような事はできない。
だが、このレンという男のやり方は、シオンの奇跡と、生殖医療技術を使って、強制的にそれを実行する方法である。
「レン陛下、このような強引なやり方をせずとも、法令の整備でもそれに近い事は可能です。このような他人の生殖の権利を奪うやり方は、生命の倫理に反します!」
「何言ってんだい。人間は、猫でも犬でも牛でも馬でも、みんなそうやってきたじゃないか。それに後宮に入るという事は、自らの生殖に関することを皇帝の権限に委ねるという事だろう? 君はそれを認めて、妹を捧げたんじゃないか。今更、それが嫌だなんて言ったらだめだよ」
それを言われると反論できない。
実際、皇家に後宮設置が許されているのも、聖剣レーヴァテインの特殊能力を期待しているからだ。
そのラグナ族が自ら定めた後宮のシステムを最大限効率的に運用していると言われれば、それは事実である。
だが、アンセムにはもう一つ尋ねたいことがあった。
「それでは、私達幹部が、全員女性にされたのは子供を孕ませるためなのですか?」
「違うよ。去勢して反抗意欲を削ぐためさ。家畜っていうのは、牛も豚もみんな去勢するんだよ。じゃないと反抗して管理がしにくいだろう」
東方の七国地方にも後宮がある。そこでは宦官という去勢した男達が管理を担っている。宦官によって、国が滅亡する原因を何度も作っているのに、なぜか宦官は何千年もなくならない。
その理由は、このレンという男が示したことが図星であろう。
「男の身体はね、自分より強い奴や、組織の上の男に対しても反抗することがある。でも、歴史上、自分達の組織の敵ではなく、自分より有能な男を打倒した女性は1人もいない。女の身体と遺伝子の構造を考えれば真理だよ。これは、いわゆるムラト族用語でいう、“(イケメンに限る)”って奴かな、カッコまでが用語だよ。イケメンっていうのはイイ男ってことさ」
国民が持つ肉体の欲望をコントロールする。それは、確かに為政者には必要な能力だ。
だがこの男はシオンの奇跡を使って、それを異常なまでに拡大しているのである。
「君達優秀な士官は全員女の身体にしたのは、それが肉体の監獄だから。その身体だと本気で逆らえないでしょ」
アンセムは知った。
既にラグナ族という種族の未来はこの男に奪われていた。
そして予め反抗しそうな男達は、予めこの皇帝が支配する檻に閉じ込められていたのである。




