審判3~勇気の剣④
「師団長、兵員輸送中のガレオン船1隻を沈められました」
「損害は?」
「船員100名と、ムラト族旅団1個大隊…… 宮女の精神が宿った約800名です」
「海水温は1℃、救助は絶望的ね」
タイミィル半島西側にある州都ノリリスクにおける駐屯地で、タイキ族の男である参謀のフレームレートは、師団長に淡々と結果を報告する。
受けている第4師団長レニー・コンテ・マトロソヴァも無表情に聞いていた。
同席していたタチアナ・コンテ・タルナフは、報告を聞いて嘆息した。彼女の知る限り、その船には後宮の友人達が多く乗っていたのである。
アスンシオン帝国の海軍の船舶は、水深の浅い南オビ海やアラル海、エステル川などの河川で運用する為、快速で喫水線の浅い船が多い。
これらの船は波浪に非常に弱いのが特徴である。また、沿岸運用を想定しているため索敵能力も劣っていた。南オビ海では多くの島嶼やテーベ諸都市同盟に点在する飛行場が利用できるので、航空騎兵による監視で対応できるからである。
だが、ノリリスク市周辺の北オビ海は南オビ海よりも水深が深く、日常的な航空索敵は行われていない。輸送船には極めて危険な海域である。
アテナ族の海賊達は北極海で使用する大型のガレオンや快速のクリッパーなどの波浪に強い船舶で襲撃を仕掛けて来た。
もちろん、帝国海軍も警戒に当たっているが、海流を熟知した神出鬼没の海賊相手に苦戦を強いられている。
タイミィル派遣軍である帝国軍第4師団の兵力4万は順次ノリリスクに派遣された。
公式にはノリリスクの防衛の為、しかし一般向けの噂話では、レナ族の内紛に乗じてタイミィル半島の全土奪回のため集められた兵力とされている。
だが、彼女達の上陸は単なる陽動である。タイミィルの定められた国境で防御を行うだけで、進軍はしない。
彼女達はその動揺の噂を作るためだけに派遣され、そして道中で一部が犠牲になったのである。
ただし、輸送船1隻程度の被害であれば、予想されたより被害は少ない。
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4月中旬
北レナ州を出発した8男イェルド率いる国王派は、王都ヤクーツクから進軍して来た5男ジェリド率いる反国王派の軍勢約10万を、たったの5000人で撃破した。
冬季、レナ族は凍結したレナ川を物流の幹線道路として利用する。もちろん軍隊の進軍ルートにもなる。そのため、10万の軍勢も凍った川の上を徒歩で進軍していた。
王都を抑えるジェリドは、他にも複数いる反国王派に付け入る隙を与えないため、またイェルドに態勢を整えられる前に迅速に撃破する必要があった。
ところが、翌日には決戦というところまで進軍した際、レナ川付近に潜伏していたイェルドの妹のシーラ=マリー・アクセルソンが法兵隊を率いて、彼らの退路となる川の氷を爆破したのである。
凍結した河川は容易に破壊され、たちまち凸凹になって通行不能となる。
すると、河川を道路として利用した補給が続かない。まだ十分に寒い春季の東シベリアで10万もの兵力の補給が断たれたら、どんなに大軍でも数日で運命は決まってしまう。
たちまち、部隊は恐慌状態になって脱走者が続出。戦闘続行不能になると、降伏を拒んだ5男ジェリドを、先々王の13男ロドリルは捕縛して投降したのである。
5月上旬
5男ジェリドの敗退で空白となった王都ヤクーツクを、北から進軍した7男ラムナルが占領する。
皇后アンセムから補給物資を受け取って、再び進撃体制を整えたイェルドは、レナ川の融解に合わせて川沿いに進軍を開始した。
ヤクーツクを支配するラムナルは未だ凍結している河川上に砦を作って、南から進軍してくるイェルドに対して防衛体制を整えていた。
ただし、ラムナルはアスンシオンがタイミィル全土奪還を目指して派兵したという情報に踊らされ、北に多くの主力を割かれてしまっている。イェルドの進軍に対して、遠くタイミィルに向かった部隊は王都の防衛に戻すのに間に合わない。
次の戦いはレナ川の凍結と解氷の戦いになった。
川は船を利用して水上を輸送できる。凍結した川は平坦な陸路として輸送に利用できる。
5月中旬ころは、レナ川中流域まで氷が解けていない。普通は6月上旬ころまでゆっくりと解氷するものだった。
だから、陸路からの急進撃を警戒して、川の上に陣地を作らざるを得ない。
だが、豊富な法弾を受け取ったレナ軍はその法兵火力を活かし、上流で川を堰き止めている氷塊を破壊しながら前進した。
途中で堰き止めている氷塊を破壊すると、川の水が一気に流れて下流に洪水が起きる。
上流のイェルドは解氷後の河川交通を独占でき、下流のラムナルは陣地を水浸しにされてただ突破されるだけ。
実は、法兵によるレナ川の解氷作業は過去にも何度か行われたことがある。都市すぐ下流に大きな氷塊が出来てしまうと、それに堰き止められて都市が水浸しになってしまうからだ。
それらを戦術として組み込み、イェルドの部隊は容易にラムナルの防衛線を突破して行った。
5月下旬には、レナ川中流域までの凍結は解氷され、イェルド側が一方的に部隊を送れるようになると、ラムナルは王都を捨てて自領の北方に逃走する。
こうして8男イェルドは、王都ヤクーツクに入城を果たしたのである。
そして、彼が王都への入城と同時に最後の報告を受け取っていた。
長男の国王ヤンネが、先に降伏した先々王の13男ロドリルに暗殺されたという連絡を受けたのである。
ロドリルは降伏後、アスンシオンに亡命していた。
そして、国王派に合流すると言って、タイミィルに赴き、その接見の席で国王を殺したのだ。
ロドリルはそのまま逃走し、国王暗殺を実行した首謀者としてアスンシオンに亡命した。
8男イェルドは、王都ヤクーツクで、死病に蝕まれながらも現れた先々王の2男スバス、中立だった6男アスモと会見し、正式に国王として認められた。
逃走していた7男ラムナルは国王の恩赦の連絡を受けて投降する。
内戦勃発から8カ月、あくまで表面上は独力で、8男イェルドがレナ王国の内乱を静めたのである。
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6月中旬
8男イェルドの国王就任式典。
アスンシオン側からは、8カ月前と同様に外務大臣のヴィラード・ヴィス・ヴェネディクトがやってきた。
彼は前回同様、儀礼的な挨拶を行う。
アスンシオンから物質的な援助があったことは誰が見ても自明だったので、この席で何かしらの外交的配慮があるかと、イェルドの兄妹は考えたが、何も発表されなかった。
他の地域を治める、王族達や兄弟は、イェルドの国家への貢献と勇気に感服し、臣従した。
そして、国王就任後、病床の叔父スバスは新国王に質問する。
「まったく、戦下手と噂されていたお前がこんな短期間でどうしてここまで成長したんだか。これだから若者はわからん」
叔父達の評価では、イェルドは決して良いものではなかった。行動派なのは理解されていたが、短慮であると考えられていたのである。
「叔父上、レナ文化のピュア教では、父からは勇気を、母からは愛情を貰うと教えていますね」
「ああ、そうだな」
「私はアスンシオンの皇帝陛下に勇気を、皇后様に戦術と物資を貰いました。今回の解氷作戦の計画、必要な資材の手配、法兵の訓練、飛行場の整備は全て皇后様の教養によるもの。そして、最初に叔父のペッテルを倒して私の勇気を『レナ族の誇り』に示す事。一見、無謀に見えるかもしれないけれど、だからこそ、それがレナ族という種族の誇りに響く勇気なのだと教えてくれたのは皇帝陛下です」
「そんなに感謝しているなら、せめて相手に塩ぐらい送ったらどうだ?」
「子は親に謝礼などしません。見返りを求める打算では、勇気や愛情は真に有効な方法を示せない。でもまぁ、僕は皇帝陛下と皇后様には敵わないなと思いましたよ」
「まぁ、それでよい。アスンシオンとの友好はお前の兄も、私の兄も、私も必要だと思っていたのだ。レナ川とエステル川は繋がっていない。両国は敵対している時よりも友好的な時間の方が遥かに長いのだからな。お互い、必要な領分を守って生きて行けば良い」
「はい、叔父上。私は、私が生きている限り、母なるレナ川を守ると誓います」
「その言葉を聞いて安心した、いつでも兄上の下に報告にいけるぞ」
叔父のスバスは、すでに死病の麻痺が下半身まで来ている、今年は越えられないだろう。
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トゥーラ市では、皇后アンセムが忙しい撤収作業に追われていた。
今回のレナ内戦でのアンセムの仕事は極めて地味な役回りである。表立って活躍することはなく、ただ前線の様子を聴取し、必要な資材を整え、道路や飛行場、施設を整備し配置するだけ。だが、これは工兵本来の仕事の一つであり、アンセムはそれを見事なまでに完遂した。
だが、一度配置した資材の撤収は、そう簡単にはいかない。ノリリスク市に陽動のため配置された第4師団が帝都に引き揚げても、アンセム達工兵隊はなかなか帰れなかった。
もっとも、この時のアンセムは、仕事を副官のシムス・リッツ・フォーサイスに任せて、すぐに帝都に戻らなくなければいけなくなった。
それは社会的な仕事上の事ではなく、生物学的な要因による。
アンセムの腹の中には、皇帝リュドミルの遺伝子を継ぐ2人目の子が、既に九カ月目を迎えていたからであった。




