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審判3~勇気の剣③

 帝都アスンシオンを訪れていた先王の8男イェルド・アクセルソンは、皇帝レンに挨拶すると、自分の方針を自ら語った。それに対しての援助の要求は一切ない。


「私は、レナ王になります。現国王ヤンネを廃し、他の兄弟を倒してレナ族を正しく導きます」

「イイネ、頑張ってね」


 皇帝レンの返事は冷たい。彼の計画を聞くと、ムラト族用語のイイネ、つまりそれなりに頑張れと応援しただけである。

 イェルドは、そのままその日の内に出立した。


 その夕方の閣議で、第5師団長のレーヴァン・コンテ・タブアエランは質問する。


「陛下、良かったのですか? イェルドは前途ある若者ですし、ある程度、我々の支援をつけても良かったように思えます」


 タブアエラン家は親子そろって、レナ王国への支援に反対していたが、彼の滞在を受け入れて、情が移ったのか、今度は気が変わったようだった。

 レンはその質問に微笑んで答える。


「もちろん、こっそり全力で支援するさ。既に配置も進めているよ」


 閣僚達は、そのあっさりとした返事に驚く。

 確か先月、今回のレナ内戦にまったく介入しないと明言していたはずである。

 だが、閣僚は皆、今のこの皇帝はそういう人だと知っているので、レンが決定した事項に異論を出す者はいない。


「まず、第4師団をタイミィル半島に派遣する。師団長のレニーはノリリスク市に上陸し、防衛を固めてほしい」

「タイミィルにいる現国王ヤンネを支援するのですか?」


 ロウディル・コンテ・マトロソヴァの身体を使う第4師団長の第16妃レニー・コンテ・マトロソヴァは質問した。


「支援しない、現国王の亡命も認めない。我がアスンシオンの兵は今回の内戦で一歩も国境を越えない。ただノリリスクに上陸するだけ。名目はそうだな、アテネ族の海賊に対する自領の警戒としておこう、表向きはそれの防備って事でね」

「内戦介入を決意されたのでは?」

「戦争っていうのは敵がいる話だ。敵は、我々のノリリスク上陸を当然国王派への支援だと考えるだろう。アスンシオンは陣地構築的主義の国だし、レナは攻撃主義の国。早期にノリリスクの国王派を倒そうと北に増援を送り込むはずだよ」

「こちらが北に兵力を向けると相手も北に兵力を向けるのですね。それは理解できます」


 レニーの応答に対し、皇帝レンは近くにいたアンセムを呼んだ。


「アンセム君」

「はい」

「君はクラスノ市に進出して、ヴェルダン峠、その南のメルセン峠、バイエル共和国の通商ルートを使って、街道や経路を整備すること。イェルドは上レナ州で決起するから、それを支援するための必要な物資を、上手く計算して送り込んでほしい」

「ヴェルダン峠は敵の警戒が厳しく、メルセン峠の冬季は極めて険しく、バイエルルートはバイエル共和国の監視があり軍需品は運べません。効果的に輸送出来るとは思えませんが」

「そこは君が創意工夫と計算で頑張ってね、期待しているよ」

「……わかりました」


 レンの作戦目標は比較的単純である。北方のタイミィルに兵力を派遣して反国王派の注意を惹きつける。

 その間にイェルドに南の上レナ州で決起させて、アンセムに支援物資を運ばせて援助するというものだ。


 方針変更に、閣僚からは疑問の声が上がる。

 特に、通商大臣のパーペン卿は先の妥当そうな介入案を否定されたので、今回の案との相違点について疑問を思った。


「レナ側から正式に援助の要請があったのだから、国境を越えて支援してもよいかと思うのですが。特にバイエルルートは関税の割合で明らかに効率が悪いです」

「要請があったのは相手国の一勢力からね。レナ族という種族としての総意じゃない。この点をまず留意してほしい。こういうところは、上っ面の文書だけじゃ上手くいかないものだよ」

「それに、この方法だとイェルドが負けたら全ての投資が無駄になります」

「まぁ、負けるかもね。そういうことはよくある事だよ」


 一同は不審に思った。この皇帝は重要な事は自ら裁決し、他人の命運に委ねたりしない人物だと思っていたからである。


「ところでさ、ラグナ族にはノエル祭、ムラト族にはクリスマスという文化がある。ここではサンタクロースという架空の人物が、願いを抱く子供にプレゼントを与えることになっている。でも実際にこっそりプレゼントを与えるのは親だ。じゃあなんで、親が直接与えず、サンタが与える事にしていると思う?」

「直接与えると、子供はまた親に欲しがるからでしょうか?」


 宰相のグリッペンベルグ卿は答えた。彼の家は子沢山で有名である。


「宰相の家柄はみんな優秀だよね。頑張ったから、親が子に報酬を与える。子はさらに頑張る。このシステムは問題ない。むしろ努力した子供は、親から正当に報酬が与えられないと、やる気がなくなってしまうものだよ」

「サンタクロースも同じじゃないのですか?」

「違う、それならとっくの昔にサンタクロースなんて風習は無くなっているよ」


 レンは説明を続けた。


「努力する子供には、親が正当に評価して報酬を与える。でも、それだけじゃダメ。子供は、願いを抱く事を知らないといけない。願いは勇気を与える端緒だよ。でも願うだけで、親が報酬を与えるんじゃ、その子供の願いはとても脆弱になってしまう」

「つまり、願望に対する、陰ながらの援助者ということですか?」


 レンの生徒であるカラザール家当主代行のルーファス・コンテ・カラザールは尋ねた。


「そういうこと。子の努力と親の報酬の話は、現実的な努力を育む。子の願望と架空の人物からのプレゼントの話は、願望による精神的な未知への挑戦意欲を育む。我々が今必要なのは後者なわけだ」


 いつの時代でも願う心は努力にとって必要な基礎である。けれども、他人が強く勧めたり、促したりしても上手くいくものではない。

 それは、願望に対して挑戦するという「勇気の剣」を心に宿す為の必要な儀式なのだという。


****************************************


 レナ王国の内紛に対する方針の決定により、皇后アンセムは工兵隊を連れてクラスノ市へ、レニー・コンテ・マトロソヴァ率いる第4師団はタイミィル半島のノリリスクに派遣される事になった。


 第4師団には、アンセムが知る多くの者も参加していた。師団傘下には身体がムラト族で元宮女の精神の入った旅団が所属している。

 それに師団長自体がレニーであり、ムラト族旅団長はタチアナ、隊員にはソーラなど、ムラト族の男にされた知人もほとんどが加わっていた。


 それだけではない。アンセムの侍女コンドラチェフの身体のマイラも参加するという。こちらは、師団に所属するラグナ族の歩兵連隊の隊員としてだ。

 アンセムは彼女達が心配でならない。エリーゼの時のような悪夢の記憶が脳裏をよぎる。


「これは、陛下に女神シオン様に身体を元に戻して貰うように願ってもらえる大きなチャンスなんです」


 アンセムは、ソーラ達と会って引き留めようとしたが、それは拒否された。

 皇帝は元に戻る条件のひとつとして、忠誠心を示し戦功を積む事を挙げていた。

 女性にとって自分の身体は人生の幸せの根本である。これを自分の手に取り戻そうと、彼女達の決意は固い。

 ただし、戦いを嫌がっている者もいる。貴族や若い女としての身体を失い、生きるために必要な技術(スキル)の何もない女性は、ムラト族旅団という軍隊に参加してその給料を貰うしか、生活する術がなかった。また、“男の呪い”の問題もある。

 それで日々の糧を得ている以上、正式に軍としての派遣される赴任先を断れない。


 だが、マイラは違っていた、彼女は自ら志願したらしい。

 彼女は皇后アンセムの侍女なので、立場は彼の使用人である。だから、アンセムの戦功によって、元に戻してもらえる可能性があった。事実、閣僚にいる貴族家ではそのようになっている場合が多い。

 だが、マイラもアンセムの提案を断った。


「お嬢様、私は自分の意志で決断しました。第4師団に参加してタイミィル防衛に参加します」

「マイラ、戦争は君のような女性が行くところじゃない。殺し合いをする場所なんだぞ」

「危険なのはわかっています。けれど、それが男に産まれた者の生き方でしょう?」

「君は男として生きる必要なんてないんだ。私の傍にいて、私の身支度を手伝ってほしい、それでいいじゃないか」


 妹を失ってから、アンセムはマイラをとても可愛がっていた。おそらく家族のように感じていたのだろう。

 シオンの奇跡で身体が変わってもそれは変らないし、彼女の身体のコンドラチェフは彼が直接教養した弟子である。


「男の身体でお嬢様のお身体に触れることなど畏れ多い事です。だから、コンドラチェフさんに、お嬢様のお支度の方法はすべて伝えました。これからは、私の身体の彼がお嬢様のお世話をしてくれます」

「しかし……」

「私は、元に戻りたいとは思いません。コンドラチェフさんは、私の身体大切にしてくれています。以前、お嬢様の傍でお仕えしていた時は、それはそれで喜びだったんですけど、その人生が私の全てかと思うと、少し違う気がします」


 マイラは努力家で優秀な娘である。短期間でレディメイドに必要なスキルを好成績で身に付けた。もし、男だったら優秀な人材になることは間違いない。


「私は、男でも女でも全力で生きたいんです。私と同じように男にされた他の子は“男の呪い”を辛いというけれど、私は社会に挑戦するための身体が与える活力だと思っています」

「マイラ……」

「お嬢様、今までお世話になりました。元の身体に戻るかどうかは私ではなくコンドラチェフさんが決めます。彼が戻りたいなら戻るし、彼が私の身体を気に入ったのなら、戻りません。それでいいんです」


 アンセムは、マイラに、このままの人生でいいと言われては反論のしようが無い。

 そのような見送りがあった後、第4師団は出撃準備を終え、帝都を出発していった。


 そして、アンセムも帝都で必要な資材の発注を終えると、部下の工兵コンドラチェフ、エイブル、ストラトス、そして副官に付いたシムス・リッツ・フォーサイスなどを連れて出発する。

 見た目だけは、皇后がレディメイド3人と、10歳の娘を連れているようにしか見えないが、みんな実力のある士官達であった。


 アンセム達は脚の速い小型艇(カッター)を使用して、次の日にはエニセイ川の分岐、クラスノ市に到着した。

 クラスノ市は、上流にバイエル湖周辺のバイエル共和国が位置するエニセイ川と、ヴェルダン峠及びメルセン峠を分水嶺に持つニージュニャヤ川の合流地点である。

 河川交通は輸送量が大きく速い。化石の時代には、化石燃料を使用して、道路という手段を主な輸送に使ったが、化石燃料を使わない場合は、陸上輸送は家畜か徒歩に頼る事になる。これでは輸送力が小さくなった。

 そのため、輸送量の大きい河川での物資輸送は非常に重要である。

 到着したアンセムはさっそく、河川港湾の工事、道路工事の計画を練り、武器や食料、弾薬、衣服などの物資輸送体制を確立する。


 次の日の打ち合わせには、通商大臣の息子のカウニス・リッツ・パーペンと、後宮師団の補給大隊長ラインが参加した。彼らは必要な物資の搬入について打ち合わせを終えると、物資の調達のため、ラインは帝都に、カウニスはイリ市へと向かった。


 これは前線で武器を奮って戦う類の(いくさ)ではない。

 前線で戦う予定の味方が実力を発揮できるように、陰ながら支援するための工作準備と補給である。華々しい記録など何も残らないまさに地道な職務であった。


****************************************


 8男イェルド・アクセルソンは上レナ州にいた。

 部下は誰もいない。協力者である妹達の支援もない。たった1人だけである。


 イェルドは、そのまま先々代の11男、叔父のペッテル・アクセルソンの館に向かい、その宴席で彼を斬り殺した。


 ペッテルは昔からバイエル共和国とヤクーツクの間にある上レナ州を領地とし、通過する商隊から勝手に通行税を取って私腹を肥やしていると噂されている人物だった。今回の内戦でも中立を示し、流通物資を支配して巨万の利益を得ている。


 イェルドは、ペッテルが客人の気を惹くために最初に宴席を設けることを知っていた。また、彼はペッテルとは叔父と甥の関係であり、母系では従姉妹だったので、歓待を受けるだろうという予想はあった。


 彼はペッテルを倒し、力強くレナ王国の統一を宣言すると、家中やその部下は、皆イェルドに服属した。

 特にペッテルの家にいて、イェルドと仲の良かった10男のリュリク・アクセルソンは直ちに兄のイェルドを支持する。

 イェルドの行動は、完全に他家の乗っ取りである。それでも勇気なくただ私腹を肥やすだけのペッテルより、自ら勇気を示してレナ国王になると宣言したイェルドは彼ら家中の支持を受けたのである。

 そして、時を移さず、彼の下には続々と解放戦争に必要な支援物資が到着する。もちろん、分水嶺を越えた向こう側にいる皇后アンセムが手配した物だ。


 勇気は人を惹きつける。だが、物質は得られない。願望の達成には、まず勇気、次に仲間、そして最後に物資がいる。それはこの順番でなければならない。


「願いを叶えるのは、いつだって未来を変えようと志す『勇気の剣』、そしてそれを可能にするための計算された物資か……」


 イェルドはアスンシオンで訓練された妹達の部隊と合流すると、その積み上げられた物資によって準備を整える。

 4月上旬のレナ川の氷結が上流から僅かに解け始めるころ、王都ヤクーツクへの進撃を開始した。


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