審判3~勇気の剣①
かねてより病床だったレナ王国の国王、オロフ・アクセルソンは37歳で崩御した。
レナ族ではこれでもやや長命な方である。なぜなら、彼らは“女神の呪い”という宿命を背負っており、平均で年齢35歳ぐらいまでの間にほぼ全員がALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気に罹る可能性がある。この病気は、発症すると徐々に身体の運動神経だけが破壊され、最終的には呼吸ができなくなり、2~4年で死に至る。
国王オロフも35歳の時に発症、2年後に亡くなった。
オロフ・アクセルソンには男20人、女80人の子がいた。レナ王国には男子しか王位継承権が無い。
ただし、レナ族はピュア教徒で、慣習に従っており、特にルールは明文化されていない。昔からそうだからという理由で皆従っている。
オロフの長男ヤンネは、良く言えば融和主義者、悪く言えば愚鈍な事で知られていた。
3か月前のアスンシオンとファルスの戦争への介入に、彼は王族で1人だけ反対していた。結局、その介入の結果は、軽微な損害と短い期間でアスンシオンとの係争地を全て奪還したのだから、介入は正しい判断だったという評価になり、彼の為政者としての資質はさらに疑われる事になる。
実際、国王オロフが病床の身でヴェルダン要塞の奪取を命じたのは、王太子の能力を案じての事だったともいわれている。両国最大の連絡路であるヴェルダン峠を抑えれば、アスンシオン側から大軍で進軍できるようなルートはない。国防上、国境が安定すると考えられたのである。
国王崩御後、王太子のヤンネは国王に就任すると、さっそく同腹の弟、4男のヨルゲンを補佐役に、先々王の2男、つまり叔父のスバスを宰相に任命して、その政治態勢を固めた。
ここで、この新国王は他の王族達の顰蹙を買う外交融和策を打ち出した。
王都ヤクーツクで行われる国王就任の式典挨拶に、アスンシオン帝国は外務大臣のヴィラード・ヴィス・ヴェネディクトを派遣していた。
新国王はその祝辞を受けると、なんとタイミィル半島の1/3にあたる西側地域をアスンシオンに返還すると宣言したのである。
確かに、レナ王国にとってタイミィル半島の西側は維持しにくい土地だ。タイミィル半島最大の都市ノリリスクは凍結しない半島西側の北オビ海に面しており、オビ海を勢力圏とするアスンシオン側に有利で、レナ側はオビ海に海軍を配置できない。このような地勢のため、北極海を拠点とするアテナ族の海賊集団の攻撃をとても受けやすいのである。
冬季、この地域を維持するため軍を配備しなければならないのは、貧しいレナ王国の国庫的には大きな負担だった。かといって守らずにアテナ族に荒らされたら元も子もない。
いわゆる心優しい君主を目指す彼は、兵力と財政の負担を両方軽減でき、さらに今後のアスンシオンとの友好関係を築く素晴らしい策だと考え、一定の商品の関税優遇措置と引き換えにこの領土返還を実行した。
アスンシオン側はこれを快諾したが、この外交的妥協措置に2男フレスと、3男バルド、そして、先々王の4男、つまり叔父のイルマが猛反発、即位式をボイコットする事態になったのである。
新国王の就任はこのように、さっそく混乱から始まった。
そして、ヤンネの融和主義はこれに留まらない。その政策のほとんどを極端な弱者救済の慈善事業に注いだため、国王反対派は僅かな間に勢力を増すことになる。
それから1か月後の12月、事態は急変した。
増え続ける反対派の勢力に危機感を抱いた国王派の4男ヨルゲンは叔父のスバスと手を組んで、2男フレス、3男バルド、叔父のイルマを甘言で王都に呼び寄せ、そのまま捕らえて、謀叛の罪により即日処刑したのである。
短気な性格のヨルゲンは、“女神の呪い”の兆候が見られた年長の叔父のスバスを説き伏せて、国家の禍になりそうな反対派を一網打尽にしようと考えたのだった。
レナ王国は極圏に近い国である。冬至に近い季節は夜が長く、猛烈に寒い。このような状態で人はほとんど活動できなかった。
だから、相手が行動を起こしにくい時期を見越して、先手を打ったのである。
だが、処刑された弟達と親しい者達が治まるわけがない。
2男フレスと同腹の5男ジェリド、3男と姉妹腹(母親が姉妹)の7男ラムナル、そして先々王の4男である叔父のイルマと同腹の先々王の13男である叔父のロドリルは新国王に対して反乱を決意、レナ王国は内戦に突入した。
8男イェルドは、アスンシオンとの外交交渉を成立させた功績で、タイミィル総督に任命されていた。これは、実際のところ左遷に近い人事である。介入戦争での戦術的敗北により戦下手、さらに国王のタイミィル割譲にも賛成したため、反国王派から敗北主義者と見下されている。
彼は、国王ヤンネ、4男ヨルゲンとは姉妹腹だった。だから国王派与党とみられている。
タイミィルの東側に隣接する、オレネク=アナバル州は4男ヨルゲンの領地で有り、7男ラムナルの領地である下レナ州に隣接している。
7男ラムナルは国王派殲滅の為、オレネク=アナバル州に侵攻を開始、同地を占領すると、さらに兵を進めてタイミィル半島へと向かった。
別の反国王派である5男ジェリドはレナ川支流のアルダン州を領地としていたが、4男ヨルゲンに殺された2男と3男の領地だったアムール州、オホーツク州という豊かな土地を抑えた。
反乱を起こした各派だったが、各派同士も連携が取れていない。彼らは王都に進軍せずそれぞれの地盤固めに走ったのである。
・国王派
長男ヤンネ、国王、ヤクーツク州
4男ヨルゲン、オレネク=アナバル州(失陥)
8男イェルド、タイミィル州
先々王の2男スバス、ヴィリュイ州
・反国王派
5男ジェリド、アムール州、アルダン州、オホーツク州
7男ラムナル、下レナ州
先々王の13男ロドリル、オリョークマ州
・中立
先々王の11男ペッテル、上レナ州
6男アスモ、コリマ州、カムチャツカ州
先々王の18男ブロル、インディギルカ州
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4男ヨルゲンの要請を受けてオレネク=アナバル州奪還へと向かっていたタイミィル総督の8男イェルドは、早くも補給が行き詰って後退を強いられていた。
極圏のこの地域における冬季の寒さは半端ではない。
正午の気温はマイナス40℃。しかも極夜といって少し明るくなる程度である。このため、レナ族の北方における冬季戦はごく少数で行われる。
常温保持効果を持つVAFを備えたレナ族の戦処女達は、基本的には内戦には与しない。ただし全員協力しないわけではなく、親しい家族は協力する。
レナ族は寿命が短いため内戦がよく発生する傾向がある。その際、関係する王族同士とその家族は争うが、無関係な一族は男しか兵士を出さない慣習があった。
8男イェルドは500人程度の越冬部隊を率いて進軍し、同数の兵力を率いる7男ラムナルの襲撃を受けて潰走した。
7男ラムナルと8男イェルドは産まれた日が1日違いで、以前からすこぶる仲が悪かった。
さらに冬季でも温暖なアムール川水系の下流を制圧した5男ジェリドは、力を付けて王都ヤクーツクを覗っている。
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1月、敗れてタイミィル半島に戻ったイェルドは、王都を捨てて同地へと退避した国王ヤンネと打ち合わせ、アスンシオン帝国に援軍を求めることになった。
使者には、先王の32女、妹の航空騎兵のミア=モニカ・アクセルソンが選ばれる。
彼女はさっそく、整備された航空連絡網を利用して、帝都に飛来した。
「というわけで、我々が国王派を援助するなら、タイミィル半島の残り、ヴェルダン峠、プトラナ台地の東半分を返還すると言って来たよ」
皇帝レンは、閣議の席で国王ヤンネの書状を見せる。
「それは、かなりの好条件では? 我々は労せずして、昨年レナに奪われた領土を取り戻す事ができます」
孫娘リリカ・ヴィス・グリッペンベルグの身体の宰相ワリード・ヴィス・グリッペンベルグが進言する。彼は相変わらず馬の鞍を足場にしていた。
「しかし、国王派はかなり劣勢と聞く。そのような亡国の政権による外交譲歩の提案など意味が無いのではないですか?」
姉の第38妃アンネ・リッツ・ローザリアの身体の後宮師団長ランスロット・リッツ・ローザリアは、レナ王国の国王派は、既に各地で撃滅され負ける寸前だという。
確かにこのような提案をしてくること自体が、窮状を表しているだろう。
「少なくともヤンネは現時点での正式な国王で、ヤクーツク政権が正当な政府です。我々は去年、この国王と政府を承認しております。これらの割譲の案件でも受け取っておけば、様々な場面で外交的に有利になると考えます」
姪の第50妃ルーラ・ヴィス・ヴェネディクトの身体の外務大臣ヴィラード・ヴィス・ヴェネディクトは、今後外交的に有利になると見通しを示す。
「しかし、我々はまだエルミナ戦役の傷が癒えていない。国力を蓄えずに安易な餌に飛びついてよいものだろうか?」
「現在稼働可能な兵力は4個師団程度。冬季戦の準備も不足しています。厳寒のレナ川流域への介入は極めて危険です」
クーデリア・コンテ・タブアエランの身体の陸軍大臣のゴーヴィン・コンテ・タブアエランと、第25妃ナーディア・コンテ・タブアエランの身体の第5師団長レーヴァン・コンテ・タブアエランの親子は揃って反対した。ただし精神は親子でも身体は姉妹である。
彼らの主張は、安易な介入は破滅だと指摘している。それは、エルミナ戦役で十分身に染みている。
「全部を拒否するか、全部を受け取るかという100か0かという話ではないでしょう。少なくともいくつかの権益だけ受け取っては?」
ニコリスコエ公の孫のミッフィー・デューク・ニコリスコエの身体の通商大臣フィルス・リッツ・パーペンは利益優先主義を主張した。
一見妥当な提案にも見える。
「それじゃあ、ダメだなぁ」
彼らの議論を微笑みながら聞いていた皇帝レンは立ち上がって語り出した。
一斉に閣僚達が注目する。彼らの議論に意味など無く、皇帝レンは自分判断を下すこと知っていたからである。
「みんな、表面上の物質的な事しか見えていないよ」
帝国の重臣をまるで、教室で生徒を相手にするように話し始める皇帝。
「文書を持ってきたのは、確かイェルドの妹だったよね。彼女をここに呼んでくれ」
レンが指示すると、控室にいたミアはすぐに現れる。そして、皇帝の前に跪いた。
「皇帝陛下、お久しぶりです。どうか、お兄様達をお助け下さい」
ミアは半年前、帝国軍に捕虜になった際に皇帝に面会していた。だから、今回も兄に対して援軍を求めるよう説得したのである。
タイミィルにいる国王ヤンネに事態を収拾する能力はなく、王都ヤクーツクにいる4男ヨルゲンは既に風前の灯火だ。8男イェルドはタイミィルで再起を図ろうと考えていたが、戦力不足でどうにもならない。
「もし、我々が援軍を出さなかったら、国王派、つまり長男ヤンネ、4男ヨルゲン、そして8男イェルドは殺されるだろうね」
皇帝レンは、冷徹にそういう分析をした。
「戦況は極めて劣勢です。叛乱勢力はそれぞれバラバラの組織ですが、王を廃位させるという意図では一致していますので」
ミアは立ち上がると正式な礼に則って意見を述べた。
レンは優しそうに答える。
「そうだね、じゃあ帰ってイェルドに伝えてくれ」
一同、息を呑む。誰しもがこの会話の流れならある程度の援助を承諾するものと考えた。既にその介入の内容がどれぐらいの規模になるかという予想の段階になっていたのである。
だが、レンの次に放った言葉は、優しい口調とは裏腹に、まったく予想外のものだった。
「自らが生き延びるために、自国の権益を譲り渡して、他国に援軍を求めるなら、さっさと死んだ方がいい」
その場の空気が凍り付く。
この皇帝レンは、正式な外交使節、しかも帝国にかなり利益のある提案を拒絶し、他国の国王や王族に対して「死ね」と言ったのである。
「そ、そんな……」
余りの言葉にミアは何も声が出ない。動揺して小刻みに震えている。彼女が以前皇帝レンと出会った時はとても好意的な対応だったので、今回もそういう回答が得られるものと考えていたのだ。
「その方がはやく内乱が終わる。ずっとお国の為さ」
「陛下! それではお兄様が殺されてしまいます。どうか、どうか兄をお助け下さい」
ミアは涙を浮かべ懇願する。レナ族は同族母の兄弟姉妹はとても仲が良い。彼女がアスンシオンに援軍を求めたのも兄弟を守らんとする為であった。
「志無くして、ただ生き永らえようという人間は、亡命しても受け入れるつもりはない」
皇帝レンははっきりと宣言し、彼女の兄妹を見放した。亡命も認めないと言っている。
周囲の閣僚達は、わざわざ使者に対してそんなことを言わなくても良いのに、という表情をしていた。
ミアは泣き崩れてしまった。レナ王国に援軍が出来る国はアスンシオン帝国しかない。援軍も亡命も不可能ならば、親しい兄は死ぬ。
そして、皇帝レンはそのまま会見終了を宣言すると退出してしまった。
他の閣僚も嘆息しながら後に続く。
それでも最後までその接見室に残っている者がいた。アスンシオン帝国の法兵士官学校に留学していた先王の48女シーラ=マリー・アクセルソン、彼女の妹である。
彼女は静かに姉に近寄っていく。
「姉さん、レン陛下は言われました。『未来を変えたいなら、勇気の剣を見せなさい』と、他人から与えられる未来に志などありません」
「でも、敵は3倍以上もいて、皆がお兄様の命を狙っているのよ! 勇気なんて目に見えない物なんて、いくらでも……」
「物質のペンは物質の剣より強いかもしれないけれど、精神のペンは精神の剣には勝てません。精神のペンで未来は変えられない。お兄様にはそうお伝えください」
ミアはそれでも混乱していたが、妹のシーラに諭され、決意する。
「わかったわ…… お兄様が自分で決断しろ、ということね」
彼女はそれを聞くと航空騎を駆ってすぐに帰国の途についた。
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レナ王国の援軍要請を一蹴した後、閣僚達の中にはせっかくの相手側から譲歩したのに、わざわざ蹴らなくてもと異論が出た。
特に、物質的利益に聡い通商大臣のパーペン卿は不満なようである。
「陛下、あれでよかったのですか。奪われた領土を楽に取り返す好機ではなかったのでしょうか」
「楽? どこが? 失う物の方が大きいでしょ」
「関税の是正、タイミィルのニッケル鉱山、ヴェルダン峠の通商権だけでも受け取っておけば大きな利益が見込めました、これぐらいならほんの少しの軍を動員すれば被害も受けずに得られたはずです」
「そうだなぁ、ところでパーペン。泥棒はいつか必ず捕まる。なんでだと思う?」
「それはいつかヘマをするからじゃないですか」
「そうだね。楽して儲けようとする奴は、次もそのようにしか行動できない。そしてそのまま堕ちる。それはね、精神から『勇気の剣』が失われる瞬間だよ」
「利益を得た後に、味方の引き締めを図ればいいだけではないでしょうか?」
「そんなことはできない。だって、精神は実在する数値だからね。目に見えないだけさ。そのマイナスと、得られるプラス、差し引きすればこの取引は大損だよ」
「……私には判りかねますが」
納得できないパーペン卿、代わりに外務大臣のヴェネディクト卿が質問した。
「しかし、もう少し優しい断り方があったのではないですか? あれでは恨まれるだけです」
「短期的にはね。でも長期的にはどうだろう。私は、レナ族が国家の利益を売り渡して個人の利益を得ることは認めないとはっきり示した。後で、誰かがレナの政権を取った時に、流動的に利益を得ようとする人物と、そうでない人物、どっちの方が信頼に足る人物だと思うかい?」
「なるほど、長期的には我が国の外交方針をしっかりと示した方がよいということですか」
「その通り。外交は国家100年の計さ」
皇后アンセムは、この話を傍で聞いていた。
このレンという男が言う「勇気の剣」とはなんだろう。彼はいつも「勇気の剣は未来を拓く」と言っている。
勇気なんて誰でも持っている。決意次第でどうにでもなる。だから軍隊の指揮官はいつも勇気を口にした。
しかし、レンの主張では、指揮官が唱える勇気など、本当の意味での勇気ではないのだという。
自分の意志で未来を変えてやろうという志が伴う勇気、そして立ち向かう剣でないと、きっと意味がないものなのだろう。




