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審判2~皇帝の休暇2③

 1日目夜――


 皇帝専用レジャー施設には、温泉が付随している。

 アスンシオン帝国は安定陸塊(クラトン)に位置する為、土地は安定していて火山は少なく地震はほぼ無い。そのため本格的な温泉地はイリ地方やバイエル地方などの遠くに行かなければ存在しなかった。


 ただし、全くないわけではない。帝都から近くのテケ湾のリゾート施設では、唯一、天然の温泉が存在した。

 もっとも湯量は少ないため、水を足して湧かさなければならない。温泉の定義的には本物の温泉と言えるかどうか微妙である。


 アンセムは、ここ最近ずっと帝都南方のカバンバイの丘陵陣地や前線で戦っており、後宮に戻っても仕事が忙しく、風呂に入っていなかった。彼は仕事が忙しくなると風呂に入るのが面倒になるタイプである。

 しかし、風呂が嫌いというわけではないし、休暇に来た以上は、愉しみのうちの一つである。彼は、久しぶりの湯船で仕事の疲れを癒す。


 皇帝レンの戦争終結と同時に、まず将兵に余暇を与えるという考え方は大賛成だ。堅苦しい儀礼式典や勲章劇よりも、まずは疲れを癒したい。

 彼は、昼間ランスロットと話し合った事を考えながら、静かに湯に浸かっていた。

 現在の後宮に侍女はいない。宮女の身体が全てムラト族旅団に落ちてから、後宮の仕事は全員で分担になり、侍女という区分は無くなったのである。

 もちろん、慣れている彼は自分の髪の毛を結って濡らさないようにしていた。


 そんな、ゆったりとした時間を過ごしていたところへ、騒々しい別の男性客が入ってきた。

 もっとも、その身体は男ではない。エルマリア・フォーラ・コーカンド、つまりエルミナ王女の身体を使うムラト族旅団の歩兵連隊長ゲイリーと、その部下の聖女連隊の隊員達である。


「連隊長~ ここが、温泉ですか」

「いやぁ、オイラ風呂なんて何年ぶりかなぁ」

「うむ。しかし、女の身体で入る風呂はまた格別だな!」

「いやっほぅ!」


 彼らは身体も拭かずに、いきなり風呂に飛び込んできた。まるで子供である。

 清廉さと美貌で謳われた王女達の言動から考えれば、あきらかに下品で低俗な男の会話、態度、行動だ。

 王女エルマリアや、聖女連隊の娘達の持つ長く美しい髪は、そのまま温泉に浸けられている。彼らには髪を湯で傷めないようにするという発想などないのだろう。


「ふぅー、お湯がきもちー」

「連隊長~、おっぱいがお湯に浮きますよ~ すげー」


 もっとも、聖女連隊の身体を使う彼らは“ヴェスタの加護”がないと、“陽彩”の力が使えなくなるので、皇帝レンの命令で、最後の一線を越えられないようにはなっている。

 また、ムラト族旅団の男性精神の隊員は女の身体でも男湯を、ムラト族旅団の女性扶助会員と元々から後宮にいる宮女、つまり女性精神の者は女湯を使うように指示されていた。


 アンセムはその様子を眺める。

 見ず知らずの男達によって裸にされ、その女の身体の秘密の全てを見られ、さらにその行動まで好きにされてしまうなど、元の持ち主の娘達にとっては哀れだとしか言いようがない。

 だが聖女連隊は、味方を見捨てて戦場から無断離脱したために、帝国軍は30万近い損害を出した。死んだのが半分、捕虜になったのが半分である。

 彼女達の今の運命を自業自得とは考えたくはない。しかし…… 彼女達が戦っていればこんなことにはならなかったのに、とは考える。


「さっきの夕食も凄く豪華な料理で最高でしたよ!」

「うむ、やはり旅団長に付いてきて正解だった。男が命を預けて付いていく男は、ああいう人でなくてはな!」


 命を預けて付いて行くことのできる男か…… アンセムは彼らの会話を遠巻きに聞いていた。

 すると、彼らもアンセムが湯に浸かっているのに気が付いたようである。


挿絵(By みてみん)


「ほほう、これは“鮮血の姫”殿ではないか、こんなところで出会うとはな!」

「どうも……」


 エルマリア王女が、裸で腰に手を当てて仁王立ちし、男性口調で高圧的に話しかけられるというのは、かなり異様な感がある。しかし、アンセムは冷静に返す。


「5年前、バイコヌール戦役のアタス砦の攻防戦。覚えているかい? 俺はオマエの放った矢の所為で大ケガをしてね。一か月も生死の境を彷徨ったんだ。旅団長が用意してくれた薬のお陰で辛うじて一命を取り留めたが、俺の左腕は腱を切られて動かなくなって、旅団長の片腕ともいわれたオレの戦士としての人生はそこで終わったと思っていたよ」

「……」

「だから、オレは1回オマエをぶん殴ってやりたいと思っていたんだ。でも、今のオマエの身体は皇后様だし、オレの身体もお姫様なんで、女同士、男の時の恨みで殴るのは勘弁しておいてやるよ。だがな、オレはオマエを許したわけじゃねーからな!」


 険悪なムードで睨みつける聖女連隊の隊員達。

 だがアンセムは涼しい顔で応答した。


「あの矢は、西の櫓を取りに来た指揮官の首を狙ったものだ、私は殺すつもりで矢を放った」

「なんだと……」

「当時は補給を失って、弩の矢は簡単には補充できない状態だった。あの状況では次の装填も間に合わない。もし、あの一撃を外していたら、死んでいたのは私だよ」

「……」

「私の狙いは正確だった。貴殿の反応が良かったんだ。命拾いしたな」


 暖かい風呂場なのに、凍り付く空気。

 だが、アンセムの話を聞くと、エルマリア王女の身体は大声で笑い出した。


「ガッハッハ。こりゃ、確かに凄腕のスナイパー様だ。先日の敵将を射抜いたという実力はマグレじゃねーようだな。いいだろう、男同士、オマエの実力に免じて、恨みは忘れてやらぁ」


 さっきは女同士と言っていたが、今度は都合よく男同士となっている。

 その男は大声で笑い出すと、今度は急に微笑みながら話しかけてきた。


「俺はゲイリー、バイコヌール戦役じゃレン団長の下で歩兵を指揮していた。よろしくな!」

「黒牛のゲイリーって呼んであげてください」


 隣にいたエステル・フォーラ・タシケントの身体を使うアベルという大隊長が茶化す。


「ちょ、待てよ! 今はエルマリア王女の身体なんだぞ、黒牛はねーだろ」

「いや、勇ましくていいじゃないですか。私も“鮮血”ですし」

「……まーそうだな、アンタみたいな凄腕が仲間になるなら大歓迎さ。俺達、前線の兵士は後衛に腕のいいスナイパーがいるとすげぇ戦いやすいんだぜ。生存率も全然違う。マジな話さ」


 いつのまにか風呂場では、戦いの自慢話や、苦労話などの武勇伝を語り始める。もちろん、男湯では当然の光景だ。


 アンセムが、彼らと裸の付き合い? をしてみると、彼らはなかなか漢気のある者達だった。リーダーに命を託す突撃歩兵部隊という形容がぴったりだ。戦争では最も危険な仕事であるが、誰かがやらなければならない。


 アンセムが戦話に思わず長湯していると、次の順番の聖女連隊の隊員達が次々と入ってきた。

 連隊員は4000人もいる、だから、入浴時間は時間制になっているらしい。

 しかし、新しく入ってきた彼らは、いきなり連隊長に報告を行っている。


「ゲイリー連隊長! 隣の女湯にマリアン姫の身体のシンデレラ達が入っているみたいです」

「なんだと……」


 エルミナ王国ではエルマリア王女が最も有名な姫だろう。

 しかし、アスンシオン帝国では、第1妃マリアン・デューク・テニアナロタが最も有名な姫だった。帝国民なら誰でも知っている。

 もちろん、美しい姫の話に心が高鳴らない男はいない。


 すると…… 彼らは、顔を見合わせ、風呂場でいきなり人間ピラミッドを組み始めたのである。

 明らかに隣の女風呂を覗こうとしているようだった。


 エルミナ王国の姫が、アスンシオン帝国の姫の入浴を覗こうとし、それに協力してピラミッドを作っている聖女連隊の面々という状況は極めて異様だ。


「あ、ええと…… ゲイリーさん。女の裸が見たいなら自分にもついているじゃないですか、わざわざ女湯を覗かないでも」


 アンセムは、さすがに止めに入った。


「ヴォルチ伯、君は男の魂を忘れてしまったのか? 美女の身体など3日も見れば飽きる。だが、畳と女は新しい方がいい」


 無茶苦茶な言い分である。


「連隊長は、黒牛って異名を持つほどに、そりゃあもう男欲の塊みたいなギンギンな人なんです。ムラト族旅団で一番命知らずな部隊の隊長なんですから、それは適役なんですけどね」


 エウレカ・フォーラ・コーカンドの身体を使うセシルという大隊長が補足した。


「じゃあ、堂々と女湯に入って行けばいいじゃないですか、“啓蒙の法”では、女の身体のあなた方は、通常、女湯に入ることになっている。わざわざ覗かないでも……」


“啓蒙の法”で決められたTS法では、トイレ、風呂、更衣室の使用は身体に準拠することになっている。だから、彼らが帝都でそれらを使用する場合は女側の施設を使うことになる。

 それは当然だろう。男の更衣室でエルマリア王女の身体が着替えたら大変なことだ。


 だが、ゲイリーという男は王女の顔で真面目に答えた。


「ヴォルチ伯、我々男は、女からみればいつもスケベでいかがわしい事を考えているかもしれない。実行には移さないが、いつもエロエロでとても紙面にはできないことを、妄想している」

「男なら誰でもそうじゃないですか」

「確かに、我々が女湯に堂々と入っても“啓蒙の法”では無罪かもしれない。でも団長が、女性精神の女性に気を遣って、今回の余暇では男湯と女湯に精神による区別で割り振ったのだ。我々は命知らずの突撃隊員だ。団長の決定には絶対に従うのだよ。例え、命を捨てるような危険な命令でもね」

「じゃあ、なんで女湯を覗こうとするのですか?」

「決まっているじゃないか、そこに女湯があるからだ」


 意味がわからない。ムラト族特有の様式美だろうか?

 彼らは、気合を入れると、ただちにピラミッドを男湯と女湯を隔てる木製の塀の高さまで組む、そして、ゲイリーはそのピラミッドを勇ましく登って行った。


「湯煙でよく見えんな…… お、も、もう少しで覗け……」


 ゲイリーは興奮して、塀の上から身を乗り出し、まさに彼女達の裸体が見えんとしたとき、その男女の区分する境界線はミシミシと軋む音を立てて始めた。


「あ、連隊長。その壁は地面の支えが弱い。そんなに寄りかかると倒れ……」


 アンセムの工兵知識による指摘など、興奮して目を血走らせる黒牛とその仲間達には届かない。もっとも、彼らも女の裸を見て男性として興奮するような身体の部位は無いはずである。

 そして、熟練した工兵士官の構造物の強度に対する予測は見事に的中した。


 バターン――


 その壁は大きな音を立てて倒れる。


 女湯側は湯煙では良く見えないが、数人の女性がいて、倒れた壁をみて声を失っている。

 ただし、繰り返すようだが、男湯側にいるのも、身体だけは全員、若く美しい娘である。


 アンセムは女湯をみると、第1妃マリアン・デューク・テニアナロタの身体を使うシンデレラや、その友人達がいるようだ。


「な、な……」


 女湯の娘達は、しばらく声が出ないようであったが、すぐに身体を背けて悲鳴を上げ、そして、一部は叫んだ。


「キャー! ノビタさんのエッチー!」


 ノビタさん?

 ムラト族用語は本当に意味が分からない。


****************************************


 結局、アンセムは女子風呂覗きの参考人として、風呂上がりにレン団長の前に釈明に引き出された。

 片側にエルマリア王女の身体のゲイリー達、もう片側にマリアンの身体のシンデレラ達がいる。


 ゲイリー達は釈明に来ているというのに、バスタオルを“腰に”巻いて、手を腰に当てて牛乳を一気飲みしていた。

 なんでも、ムラト族の風呂から出た際の習慣だという。

 バスタオルを男のように腰に巻いているので、上半身は丸見えである。


「ゲイリー、アンタ、前を隠しなさいよ」


 第49妃オクサナ・リッツ・フォンタンカの身体を使うムラト族扶助会のスイカは、強気で注意している。

 勇ましい黒牛も女には弱いらしい。指摘されて、渋々とバスタオルを胸から巻いた。


「旅団長、ゲイリー達が女の子のお風呂を覗いたんです。死刑よ、死刑!」


 第55妃ペリカ・リッツ・ラッパロの身体を使うムラト族扶助会のダイナは、強くレンに訴えた。レンは彼女の話を微笑みながら聞いている。そして、そのままペリカの身体のダイナに尋ねた。


「ところでさ、相手側の身体は女の子じゃないか? でも覗かれるのは嫌なのかな?」

「嫌です」

「どうして?」

「嫌らしい視線で見られるのが嫌です」

「なるほどねー」


 皇帝レンはアンセムに向き直るとにこやかに尋ねた。


「さて、アンセム君。帝国の“啓蒙の法”の法的解釈では、彼らの行動は罪にはならない。どうしてだい?」

「それは“啓蒙の法”では、女の身体と男の身体で領域を区分され、プライベートゾーンを知られる権利を分けているからです」

「でも、彼女達は嫌がっているよ?」

「“啓蒙の法”、マキナ教徒はルールを定める法で、精神は自由です」

「どうして精神は自由なの?」

「精神は常に自由であるべきだからではないでしょうか」

「違う、精神を証拠に法で裁くことができないから、マキナのルールでは、その効力を及ぼすことが出来ないので、現実から逃げているのさ。精神の性別を誰かが男だとか女だとか決めても、証明する手段はないからね。証明する手段が無いから、罪を問うことはできない」


 マキナ教徒は“啓蒙の法”に従う事を旨としている。

 本件はそれでは裁けない。シオンの起こした奇跡による異常事態だと言ってしまえばそうだが、そんな奇跡は無くとも、男性的精神を持つ女性や、女性的精神を持つ男性は実在する。


 法で裁けない場合はどうするのか? マキナ教では、そういう場合は新しい法を作れと教えている。

 だが、マキナ教では同時に、精神の自由も保証している。精神を測る方法も、精神だけ縛る方法も存在しない。「男性の身体」「女性の身体」を法的に区分することはできるが、「男の精神を持つ女性」「女の精神を持つ男性」などという法的定義は証明不可能だ。


「彼らの行動は“啓蒙の法”では罪に該当しません……」


 アンセムはマキナ教徒として、妥当な回答をした。


「ちょっと、アンセムさん! あたし達は入浴を覗かれたんですよ? 罪に該当しないってことは悪くないってことですか?」

「そうは言っていないけど…… 法的定義は証明が不可能です。精神は自由で、それを拘束する法などないのだから……」


 ペリカの身体を使うダイナや、オクサナの身体を使うスイカに責められて言葉に窮する。


「まぁまぁ、アンセム君。精神っていうのは、不思議だよね。存在するのに、存在しない。縛られるのに、縛られない。難しいよな」


 皇帝レンは微笑みながら、言った。


「じゃ、ゲイリー。判決、彼女達に謝りなさい」


 レンがそういうと、エルマリア王女と聖女連隊の身体は、全員が整列して土下座し、頭を下げた。


「ごめんなさい」

「しょうがないわね、勘弁してあげるわ」


 結局、その一言で今回の件は後腐れなく終わった。


 アンセムは考えさせられる。

 法と精神、身体と性別。

 法と罰とは? 精神と身体とは? 性別とは?

 その中には、昼間のランスロット達と話した疑問点のヒントがありそうな気がしてならない。


 だが、考えに耽る彼の沈黙は、次のエルマリア王女の口から発せられた言葉で吹き飛んだ。


「まてよ。次は、確か賢者連隊のツァオンの身体の入浴時間じゃなかったか?」

「連隊長、時間に間違いないです」

「よし、アリハント族のデカ乳を見に行くぞ!」

「おう!」


 彼らは、雄叫びを上げて、再び温泉風呂へと突撃していく。なるほど黒牛という異名は相応しい。

 アンセムは彼らの行動力に思わず閉口した。


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