審判1~人生交換2①
帝都から、カバンバイ丘陵を越えた先にアカドゥル渓谷はある。
古くからムラト族の居留地として知られ、バイコヌール戦役、イリ事変、エルミナ戦役など最近の戦乱には全て巻き込まれた。
居留地は深刻なダメージを受けたが、帝都近郊で重要な農業、畜産などの生産地であるため、戦争が終わると直ちに村人達が戻って、政府からも補助金と資材が投入されて集落の復興が行われている。
集められた者達は、皆見た目だけは元々住んでいたムラト族である。ただし、彼らの身体に宿っているのは、ほとんどが別の種族であった。
皇后アンセムは戦争終結後、すぐにこの場所にやってきた。
彼が今、一番話がしたい人物を訪ねて来たのである。
渓谷の居留地の中心地域から離れた郊外にある平屋建ての粗末な家。そこに、ムラト族の中年夫婦が住んでいるという。
アンセムは、その夫婦にどうしても会わなければならない用事があったのだ。
従者と付近で別れ、自ら馬に乗りこなし、独りでその家へ向かう。途中、長閑な農道から見える耕作地の中にその人はいた。
屈みながら、麦米の手入れをしている中年女性。彼は、その顔も姿も知らない。だが、その人を知っている。
アンセムはその姿を認めると、すぐに馬から降りて畏まった。
「陛下……」
「アンセムか」
その姿は明らかに齢40を越えている女性である。しかし、背筋は伸び堂々としていて、行動は若々しい。
その見た目は明らかに一般女性は、皇后のアンセムが声を掛けても、彼を無視するかのように、そのまま麦米の手入れ作業を続けている。麦米の成長は通常の雑草よりも早いが、それでも手入れはあったほうが良い。より収穫量を上げるにはさらに丁寧な手入れが必要だ。
「何しにここに来た。余はただの村人だ。皇后などが構う相手ではない。もう余を相手にしないで欲しい」
「陛下、そこでいいのですか? 全てを奪われ、そんな姿で、こんな場所で」
アンセムはその女性をかつての自分の主君の名で呼ぶ。
「“啓蒙の法”で制定されたTS法だと、余の場合は前の身体が血脈権利項目に掛かり、前の身体の権利は相続できない。だから、今の身体の財産を持つということになる。通常は身体の持ち主と半分ずつなのだが、この身体の持ち主は血脈権利項目で財産を得られる貴族の身体になったので、除外事由によってこの身体の財産、この田畑は私の所有になったのだ」
リュドミルは淡々と法律論を答えた。
「つまり、この畑と小さな家、そしてこの身体が余の財産だよ。余のような政治的無能は、ここで田畑を耕している生活が相応しいだろう」
「陛下は仁君です。それは私が一番よく知っています!」
アンセムは力強く訴える。
「アンセム、私は愚かに戦争に負け、国を滅ぼそうとした。死んでいったものに対して申し訳ない気持ちでいっぱいだよ」
「陛下、必ず元の身体に戻れるよう、私がお救いします。それまで耐えてください」
「余はそんなことは望んでいない。このままでいい。今回の戦いでも、バイコヌールでも…… 私の人生はあの男に手の平で踊らされているようなものさ。余はここで罪を償いながらひっそりと暮らす。それでいい」
「レン殿が戦争に勝てたのは“シオンの奇跡”があったからです。敵は私が必ず倒して見せました」
「アンセム。余のような無能でも、君が嘘を言っていることは分かるぞ。あの男は、“奇跡”で何も手に入れていない。たった一兵の増援も、一発の法弾も、一本の矢さえ増えていない。帝都の人間の精神的な考え方、“皇帝”の意識が変わっただけだ。それだけの事で、たった一か月で我が国を滅亡の危機から救っているのだ」
それは事実である。この皇帝が戦略的に失敗したことは認めざるを得ない。
だが、このような人生の略奪行為を認めるわけにはいかなかった。
「しかし、陛下。これは簒奪です。陛下の人生は、陛下の精神に与えられたものです!」
「アンセム、余は皇帝に疲れたのだ。これでいい。あの男は私の身体で私より上手くやって多くの者を守るだろう」
アンセムは、その言葉を聞いてとても悲しくなる。
「私達の子、皇太子のアンセムはどうするのですか」
「余はもうその子の血を分けた親でも、育ての親でもない。それどころか、子の命を助けたのはあの男だと言うではないか。余はもう親などと名乗ることもできない。アンセム、君に託す」
リュドミルは少し作業の手を止める。
「それにもう一つ…… 私の失敗の所為で身体を奪われてしまった他の者達は、なんとか助ける算段をしてはくれないだろうか、勝手な頼みだがアンセムにしか頼める者がいない」
「陛下、わかりました。あの子は私が立派に育てます。そして、奪われた妃達の身体は、なんとか取り戻すよう尽力します」
皇后の復命を聞いて、ムラト族の一般女性は、頷きながら言う。
「アンセム。実はさ、余は今の生活が結構気に入っている。朝早く起きて、日暮れまで働く。帝都の市民達の腹を満たすための大切な仕事だ。これも素晴らしい人生のひとつだ。余に何も不満はない」
その返事を聞いたアンセムは、もうそれ以上、言葉を掛けることはできなかった。
「陛下、いままでお世話になりました」
アンセムは、かつて後宮で皇帝の私室から退出する際の敬礼をして、その場から離れた。
中年のムラト族女性の身体にされたかつての帝国皇帝リュドミル・シオン・マカロフは、振り返らずに、そのままずっと農作業を続けている。
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アンセムはもう1人、その場所に尋ねる人がいた。
先ほど、農作業をしていた女性の自宅である平屋。その平屋の近くの小さな井戸の近くで洗濯をしている中年のムラト族男性がいる。年齢は先ほどの女性と同じぐらいだろう。
「アンセム様……」
その男は、皇后アンセムの姿を認めると顔を逸らし、小屋の脇に隠れてしまう。
「マリアン……」
「み、みないでください。今の私は…… 」
「マリアン、必ず君を元の身体に戻れるように手配する。だからもうしばらく辛抱して欲しい」
アンセムはその隠れた男の姿を見ないようにしながら問い掛けた。
すると、ムラト族の中年男は、女言葉で優しそうに話し始めた。ただし、男性の低い声ではお世辞にも美しいとは思えない。
「アンセム様。私は今まで、自分の身分や、与えられた身体に甘えていたと思います。だから、女神シオン様の罰を受けたのですわ」
「そんなことはない! 身分や身体は自分の物だ。それを他人に奪われるなんて認められない!」
「アンセム様。私は、私の身体を使っているシンデレラさんとお話ししました。私は、彼女の考えに納得しています。確かに、この身体はとても醜いけれど、でも私はこの前の身体の持ち主を嘲る気持ちにはなりません」
「……」
「アンセム様は精神の強さを持った男性です。その傍に寄り添うことはとても幸せでした。でも、それはきっと愛じゃない」
「そんなことはない。私は君を一生守ると誓った!」
アンセムは男の彼女に問いかける。
「私も、陛下の妻となって一生尽くすと決意し後宮に来ました。だから、これからは陛下と、本当の夫婦としてここでひっそりと暮らします。それは、今までの生活とはぜんぜん違うかもしれないけれど。私は幸せです」
マリアンは、ここでムラト族の中年男性として、ムラト族の中年女性の身体のリュドミルと共に暮らすことが幸せだという。
「一体、マリアンはシンデレラと何を話たんだ?」
アンセムは問うが彼女は答えない。
「それは女同士の秘密です」
リュドミルとマリアンの決意は固い。
帝国最高の権力者と、帝国最高の権威ある姫、それがこんな身体にされてしまっても、今のままを受け入れるという。
「マリアン、君の気持は分かった。だけど、私はいつまでも陛下や君の事を思っている。それを忘れないで欲しい」
アンセムは、そう告げると、マリアンの顔を見ずに去っていった。女性にとって以前から知っている者に醜い姿を見られるというのは精神的に耐えられないのだろう。
彼は、それを気遣って静かにその場から離れる。
「アンセム様、今まで夢を見させていただいてありがとうございました。これからは、私は陛下と共に歩んでいきます」
ムラト族の中年男の身体にされたかつての後宮第1妃マリアン・デューク・テニアナロタは、立ち去るアンセムの姿をずっと見つめていた。




