愚者4~女神の軍団⑤
オムスク市は、南オビ海とイルチェイシュ湾に突き出た半島にある都市である。アスンシオン帝国の南オビ海における中心的な港湾都市として栄えている。
この港に、アテナ族の海賊、自称白海王ロックズヒルは自分の海賊船艦隊を率いて押し寄せていた。
帝国海軍は指揮を失って逃げ回るだけ。エステル川河口の街カルガソクに籠って出てこない。
この海賊船の旗艦であるガレオン船の上で、ロックズヒルは自分の若い娘を出迎えている。
料理を豪快に机の上に並べて、粗野に食べるのがアテナ族の習わしだった。
「わはは、さすがは俺の娘サイだ。捕らえられた要塞から逃げ出してくるとはな!」
「ああ、アスンシオンの軟弱な監守なんか、一発で捻ってやりましたよ」
サイと呼ばれていた娘も胡坐をかいて、豪快に料理を貪っている。アテナ族は、女性も男性的な思考という不思議な文化を持っている種族だった。
白海王ロックズヒルの娘サイは、北方総督タルナフ伯によって捕らえられ、アスタナ要塞に収監されていた。
その娘が、混乱に乗じて戻ってきたというのである。
「わはは、あの目障りなタルナフの奴もクーデターに失敗して死んだそうじゃないか。これでオビ海は俺達が荒らしたい放題だ」
「……そうですね」
「さっそくこの港町オムスクの襲おうっていうわけだな。敵は手薄、よく情報を持ってきたぞ!」
アテナ族はR属のヴァン族とラグナ族の混血種族である。女性がラグナ族で男性がヴァン族に分類されている。
主に北極海や白海周辺に本拠地を持つ種族で、ヴァン族のライバルともいえる存在である。ヴァン族がアスンシオンに服属する前は、この2つの種族とも同じようなことをしていたという。
アテナ族は、ヴァン族とラグナ族が混血した種族だが、今、帝国で暮らしているヴァン族の男とラグナ族の女が子供を作るとアテナ族になるわけではない。アテナ族は、単に男性のラグナ族を失ってしまったラグナ族の一派がヴァン族の男を頼って出来た種族である。
アテナ族の処女は“天使の弓”という特殊能力を持つ。この能力は、矢が遠くまで届き、そして命中力も威力も上昇するというものだ。ただし、アテナ族は混血が進んでいる所為か、この使い手は非常に少ない。
オムスクの南側港湾があるイルチェイシュ湾に密かに侵入する海賊船。
だが、話に聞いていた港の門は封鎖されており、港湾内には侵入できない。また、上陸を防ぐ防御体制も取られていた。
「なんだ? おかしいじゃねーか。サイを呼んで来い!」
「お頭、サイお嬢がいません!」
「なんだって! アイツ、俺達を売りやがったな!」
ロックズヒルが罠に気がついたときには時既に遅かった。
彼らの艦隊はイルチェイシュ湾のさらに奥深くの湾に閉じ込められてしまっていたのである。
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オムスク市の海軍司令本部では、姉の第76妃ミーティア・コンテ・カラザールの身体を使う、新しい海軍司令官ルーファス・コンテ・カラザールと、アスタナ要塞に収監されていた、タイキ族のフレームレートがいた。
彼らは計画通り、ロックズヒルの海賊船艦隊をイルチェイシュ湾に誘導されたことを確認すると、湾口を廃船と鎖、杭を使って出入り口を封鎖した。
このあたりの海域は水深が浅く、あちこち暗礁だらけである。それは、この辺りが昔は内陸だったというので当然であるが、それを利用した廃船作戦であった。
事前に、イルチェイシュ湾で暮らす帝国傘下の水棲種族メロウ族に話を付けていたし、海軍も密かに移動していた。
彼らが封鎖成功を喜んでいたところへ、服を濡らしてビショビショの姿の、ロックズヒルの娘サイが入ってきた。
「フレームレート。さ、寒いぞ。早く着替えをくれ。夏とはいえ、寒流が入るオビ海の夜の水はやっぱり冷たいな」
「今回の作戦、ゴードンさんのお陰で上手くいきましたよ」
サイの身体を使っているのは、タルナフ伯の元部下で、アスタナ要塞に収監されていたゴードン・ガロンジオンである。
彼は、濡れた服をいきなりこの場で脱ぎだした。
「ちょっと、ゴードンさん! いきなり服を脱がないでください。貴方の身体は、アテナ族の若い娘の身体なんですから」
「アテナ族の女性は男性思考ですから、標準的ともいえますけどね」
フレームレートは無表情で解決するように言う。
「それに、ここには女の身体とタイキ族しかいないけどな」
ゴードンは大笑いする。彼は“イ=スの奇跡”によって、タルナフが捕らえたアテナ族の娘サイの身体と入れ替わっていた。
ゴードンとフレームレートは、アスタナ要塞内でレンと取引をした。その結果、ゴードンはサイの振りをして、白海王の海賊船に戻り、彼らをイルチェイシュ湾に誘導したのである。
狭い湾内に閉じ込められた海賊船のガレオンや、キャラックは、翌朝には見事に砂浜に打ち上げられてしまった。満潮になって脱出するのだけが彼らの望みだったが、計算通り先に干潮が来て、この場所は湾が干上がる。
アテナ族は、河川航行はあまり心得ていないので、長距離の輸送に適したガレオンやキャラックという比較的大型の船を使う。
彼らは海賊だが、普段は、北オビ海~カラ海~バレンツ海~緑海と航行して北極圏で物資の輸送を行っている。
この北極海は、深海に恐ろしい巨大な怪物が生息するようになってから、唯一航行できるルートだった。
北極海だけは、アイスランド付近に海嶺があって、深海は他の地域と繋がっていないため、巨大な怪物がいない。
ルーファスは、彼らの処理については一番被害の少ない方法を考えた。とてもではないが、廃船作戦と干潮の所為で帝国海軍の軍艦による攻撃はできない状況にある。
そこで、まずゴードンが使うサイの身体の“天使の弓”の力を使って、旗艦以外の海賊船に降伏勧告を促す。彼らの船に飛来した矢は、攻撃の為ではなく、降伏勧告の文書が括り付けられていた。
文字通り暗礁に乗り上げてしまえば、袋の鼠である。彼らは降伏か死かしか選べない。
海賊は裁判をすればほぼ死刑になる可能性が高いが、頭目ではないなら、降伏勧告に従うのなら助命される可能性は高い。
頭のロックズヒルは恐ろしいが、死ぬのであれば、従ういわれはない。海賊の団結力などその程度である。
動けなくなった頃合いをみて、に弩や投石器による攻撃を仕掛ける。主力として投入されているヴァン族の兵士達は、アテナ族とは長年の仇敵同士であった。
そして、旗艦が攻撃を受けても他の艦は反撃しない。降伏勧告の脅しが利いているのである。
結局その日の内に、ロックズヒルは討ち取られた。海賊たちはほどなくして降伏。その艦隊は、帝国軍に接収される。
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皇帝レンは、正式な外交使節として、外務大臣のヴィラード・ヴィス・ヴェネディクトをレナ王国の王都イルクーツクに派遣した。
レナ軍も次々と撤退を開始している。
講和が成ったことでレナ軍第8師団長イェルド・アクセルソンは、条約にある捕虜の受け取りの為に後宮師団を訪れていた。
ところが、彼の仕事は簡単にはいかなかったのである。
「帰りたくないってどういうことだよ! ミア」
「だって、すごくカワイイ服をたくさんくれたのよ。ごはんもすごく美味しいし。お兄様、私、もう少しここにいる」
彼の妹、航空騎兵のミア=モニカ・アクセルソンが、急にわがままを言い始めたのである。
「戦争は終わったんだ。早く帰って土地が凍る前に麦米刈をしなくちゃならないんだぞ」
「嫌っ! 私、皇帝陛下の側室になりたい。お兄様、認めてちょうだい!」
「あのなぁ、皇帝の後宮にはこんなにたくさん美人の女性がいるんだ。お前1人が入ったって相手にされるもんか」
「いやだー、陛下の寵愛を受ければ贅沢し放題なのよう。ねー、いいでしょう? お兄様」
レンは、彼女達レナ族の捕虜に、恐ろしい仕込みをしていた。それは、奇跡でも何でもない。衣食住に訴える「おもてなし」作戦である。
妃や若い娘の身体を手に入れたムラト族旅団員は服をたくさん持っていた。TS法では服は身体の所有物とされているからである。
しかし、中身が男である彼らは、たくさんの服を着替えて楽しむという発想はない。だから、持っていても無駄である。
そこで、レンは、捕虜にしたレナ軍第8師団の航空騎と法兵の若い娘達に、その服をプレゼントしたのである。
さらに、一流の演出家であるシンデレラの企画と、超一流の料理人である第2補給大隊長リッキーとフレッサの夫妻を使って、彼女達に帝国料理のご馳走を提供し、とどめに、ふかふかのベッド、素敵な調度品、暖かい部屋を用意したのである。
レナ川流域は、自然が厳しく、食糧事情が悪い。娘達は、みんな簡素な服を着ている。レナ族の食事は特に拙い事で有名だし、冬は凍てつくほど寒い。では、夏は涼しいのかというとそうでもなく、人口の多い南部は強力な太平洋高気圧の影響に入って、蒸し暑いのである。
彼女達のような境遇の若者には、この「おもてなし」作戦は強烈な効果があった。
捕虜達は口々に帰りたくないと言い出したのである。
「帰りたくないー。私、ここに残って綺麗な服を着て、美味しい物たべてー、暖かい部屋で暮らすのー」
ミアは子供のように地団太を踏む。その姿を見てイェルドは困ってしまった。同い年の腹違いの妹である。それほど強くは言えない。
とはいえ、捕虜が指揮官である兄を捨てて、アスンシオンに嫁いだりしたら、彼は指揮官失格の烙印を押される。父の余命も少ない。8男の彼に王位は回って来るはずもないが、その時、部下の妹も統率できないなら、領主の地位からも堕ちるかもしれない。ただでさえ敗戦で彼の地位は危機的状況にあるのである。
だが、皇帝レンは、優しい微笑みで助け舟を出した。
「ミア、お兄さんを困らせてはいけないよ」
「陛下……」
ミアが皇帝レンを見る視線は完全に恋する乙女の視線になっている。
「君達のお父さんは、死に至る病だというじゃないか。こういう時、子供は傍にいてやらなくちゃならない、違うかい?」
「で、でも私の兄弟は100人もいますし」
「はは、親からすれば子供が1人でも100人でも大切さは同じだよ。それに、これからアスンシオンとレナは平和になるんだ。和平がまとまってからなら、いくらでも遊びに来なさい。君は航空騎兵なんだし、道中の飛行場を整備しておくから、すぐに飛んで来れるだろう?」
「は、はいっ! わかりました」
顔を赤らめて頷くミア。実際、平和になって両国の航空騎兵による連絡網が使えるなら、補給と天候さえ円滑に進めば、早朝に出発したら、その日のうちにヤクーツクからアスンシオンまで辿り着ける。
「仕方ないなぁ。じゃあ、お兄様、帰ってあげるわよ。さー、帰りましょう」
「やっと納得してくれたか。ほら、シーラも、帰るぞ」
だが、もう一人の妹、シーラ=マリー・アクセルソンは、微笑みながら返事をした。
「お兄様、お姉様、私はここに残ります」
「な、何を言ってるの、シーラ。さっきの話聞いていたでしょう、和平が完全にまとまってからじゃないと」
「私はまだ14歳だから、まだ側室にはなれませんけど、代わりに、帝都の学校に留学できます。だから、私はアスンシオンで法兵士官学校に入学することにしました」
「え!?」
レナ族では16歳未満の男女は結婚できないが、留学が認められている。寿命の短いレナ族では若者の冒険や留学、見分を広める行為は、広く推奨されているのである。
「というわけで、お兄様、お姉さま、私は立派なレナ族の母になるために勉学に励みます」
兄のイェルドは呆れて、姉のミアは不満そうだったが、勉強の為にと言われると、イェルドもミアも拒否できない。
こうして、留学を希望した、シーラと同い年の部下数名の法兵は、帝都の士官学校に入学することになったのである。
もっとも、彼女達はすでに卒業生クラスの能力を持っている。火力だけなら、現役法兵とも比較にならないほど強力だ。
「シーラ君か、なかなか、面白い子じゃないか」
レンは彼女を見ていて思わず頷く。彼は教師の為、好奇心旺盛で勉学に熱心、そして才能のある子が好きだった。
「はい、皇帝陛下。私は陛下もとても面白い方だと思っていますわ。貧しい生活をしている私達の心を物で釣ろうなんて本当に面白い。これから、いろいろ勉強できそうですわ」
「はは、これは参ったね。けど、いろいろ教え甲斐があって、いいね」
彼女は見透かしていて、意外と辛辣である。だが、よく見えて、よく判断できる子であるようだ。
そして、彼女が期待に胸を膨らませて優しく微笑む姿は、確かに女神アルテナの末裔を思い出させるようだった。




