愚者4~女神の軍団①
帝都アスンシオンから1日の距離にアスタナ要塞はある。
クリャージ川の下流に位置し、東方から帝都に侵入する場合、陸路、および河川路の要衝にあたる。
帝国軍は、帝都に駐屯する戦力を除けば、東からレナ軍が襲来した時の為に設備の整ったこの要塞に精鋭部隊と河川艦隊を集結させていた。
この場所は“イ=スの奇跡”の範囲内である。彼ら駐屯していた兵達は全員が身体を取られた。要塞の主力である航空騎兵“ミラージュ”“アルセナル”“シュペルミステール”の残存部隊の処女達、そして女性の主力法兵隊“ソミュア”も、文字通り身体ごと全部接収された。もともと、旅団長レンもここの監獄に収監されていたのである。
それ以外の、駐屯する男性兵士の身体になった帝都の女性達はすべて帝都に戻された。彼女達は身体の変化にどうしていいかわからず、占領した彼らに従う他無い。
さらに帝都から増援のムラト族旅団も後宮旅団と名前を変えて続々とこの要塞に集結し、要塞の機能はすべて接収されている。
後宮旅団の騎兵長に就任したハティル・コンテ・ドノーはその構成をみて苦笑した。全員が見事に、若い女性ばかりだったのである。
「後宮旅団とは適切な名前だな、レン団長のハーレム師団だ」
そういう彼自身も、後宮の妃である第8妃プリムローザ・コンテ・ドノーの身体であり、さらに、ドノー家が訓練していた騎兵を連れて参加していたが、その騎兵は本来皆屈強な男子だったはずが、全員見た目は若い乙女である。
「凄いな…… ランス族の“聖女連隊”、ハイランダー族の“天槍連隊”、エルミオンヌ族の“聖旗”隊、バサラ族の“戦巫女”達、さらに後宮のテーベ族の“月影”持ちのメイド達がみんないるじゃないか……」
レニー・コンテ・マトロソヴァの身体のロウディル・コンテ・マトロソヴァは、この師団の法兵長に就任した。そして異様な陣容について感想を漏らす。
彼の部下についた、ムラト族旅団の法兵大隊長マックが挨拶している。
以前のマックの姿は酷く肥えた体格だったはずだ。だが、今の彼の身体は、精鋭法兵“ソミュア”の隊長、グリンダ・コンテ・サラエヴォニアである。以前と同じなのは身長と胸囲ぐらいだろう。彼の以前の身体を知るロウディルは苦笑せざるを得ない。
「んー、今まで最低のPN回路しかもっていなかったのに、いきなりこんな凄い魔力を手に入れちゃったんだな」
マックは笑っている。帝国最弱と噂されるムラト族の法兵隊は、いきなり帝国最強の法兵隊の身体を手に入れたのだ。いや、手に入れたというより、奪ったという方が適切だろう。
もっとも、ロウディル自身も帝国で最高の魔力の持ち主と勲章された妹レニーの魔力を手に入れている。
そして、彼もハティルと同様に自分が訓練した法兵を連れて来ていた。彼らも全員が若くそしてPN回路が強い女性の身体になってしまっている。
アスタナ要塞の会議室ではさっそく、各隊の隊長達を集めて会議が行われた。大きな机に帝国の地図を広げ、机の周囲に各隊の隊長が座っている。
そこに集まった身体の面々を見て、ドノー伯はさらに苦笑せずにはいられない。
エルミナの王女エルマリアや、ハイランドの亡命王女メリエル、エルミオンヌ族でエクス教徒の修道女モニカ・ローズ・ノイマン、自らは戦わないが強力な力を有するというバサラ族の巫女長の涼香、後宮のテーベ族の防衛長テミスが勢ぞろいしていたのである。
しかも各隊の部隊長として、真面目な顔で鎮座しているが、女性のような表情や仕草は一切ない。
「しかし、戦い嫌いだったエルマリア王女や、メリエル王女、非戦主義のエルミオンヌ族の修道女、バサラ族の巫女長。野外戦闘を嫌うテーベ族の女達まで揃っているとは壮観だなぁ」
ドノー伯は、エルミナ戦線でエルマリア王女について快く思っていなかった。彼女達が援軍に来なかったせいで多くの仲間が失われたのである。また彼女が序盤にカウル族の軽騎兵隊との連携を拒否したため、帝国軍に大きな亀裂を作ってしまった。
彼は女を頼るのは性分ではないが、その高慢な態度は未だに恨みに思っている。その彼女が第三者に身体を没収されて、望まなかった戦場に無理やり連れ出されているのである。
彼女の身体は能力の特性上、“ヴェスタの加護”を失っていないのは間違いないが、寸前までは悪戯されているだろう。ムラト族の男に身体を自由にされる状態になってしまえば、その身体は綺麗ごとでは済まない。
現に、今の座り方もスカートなのに脚を開いて座っているので下着が丸見えである。もっとも、それはドノー伯も同じだった。
妹プリムローザの身体なので、あまり淫らな姿はさせたくないのだが、脚を開いて座る事に関してはどうしようもない。
もっともこの会議室にいる者全員がその状態で、さらに隊員も全員その状態なのだから、気にしていないというのもあるだろう。
そして、この師団で唯一、身体も男である者が部屋に入室してくる。
ただちに起立して敬礼する面々。もちろん、全員が男性の敬礼である。
「まず、最初に言っておく事は、我々はこのアスタナ要塞では戦わない。明朝、河川艦隊で出発するよ。それじゃあ、トーマス。作戦を説明して」
レンの傍らに控えていたアリス族の娘キトリ・コンテ・コリアークの身体の師団参謀のトーマスが地図上に敵を配置して説明する。
「レナ軍は、3万ずつ10個の師団に分かれ各師団の行動方針もバラバラです。そして帝国領東部地域に分散しています。これには、こちらの反撃が無い事や、また彼らの間でも方針が不一致である事が伺えます」
机上の地図にレナ軍の配置が駒にして置かれる。レナ軍は、主にエステル=エニセイ川とその流域に分散しているが、それは軍事学上からみて一貫性のない酷い配置だった。
帝国の中央部分、エステル=エニセイ川の合流地点にノヴォル市があり、川はそこから北へ流れて南オビ海に流入する。ちなみに、ノヴォルから下流は、ノヴォルより東の住民はエニセイ川と呼び、西の住民はエステル川と呼んでいるのでとても紛らわしい。
公的な呼称はエステル川だが、実はエニセイ川の方が河川経路は長く、河川名称の基本ルールでは長い方が優先なので、それに従えばエニセイ川が正しい事になる。
「レナ軍第8師団だけがノヴォル市を通過。パブロダル市に向かって西進しています。他の師団はクラスノ周辺にいて、援軍に来れない位置です」
「なぜ、敵の第8師団だけはこんなに突出するんだ?」
ハティルは当然の疑問を質問する。
「突出しているのは、第8王子のイェルド・アクセルソン率いるレナ軍だよ。彼は若いし、名声もないから、気張っているんだろうね。ほら、以前のハティル君みたいにさ」
会場から笑いが漏れる。騎兵長のハティル・コンテ・ドノーは、1年前、エルミナ戦線で自分の意見を司令官のテニアナロタ公から、気張っていると判断されて、窘められたことを思い出した。
プリムローザの身体は恥ずかしさを感じやすいのか、彼は顔を赤くして、開いていた脚を閉じて縮こまる。
「いや、ハティル君。君が間違っているわけじゃないさ。間違っているのは、他の奴ら。戦争っていうのは1人でやるんじゃないんだよ。第8師団の戦果拡大方針は間違った策じゃない。むしろこちらの抵抗が微弱なこの場合では効果的な作戦さ。問題点は、他の師団がそこを支援できない位置にいるのが悪い。けど今頃、レナ軍の本営では、第8王子が勝手に進軍している事に対してみんなで文句を言っているだろうね」
レンは冷徹に分析している。
その意見を聞いて、彼は再度やる気が出て来た。若い彼にとって、作戦方針を褒められるということにこれほどの喜びはない。
「第8師団の行動が間違っているわけではなく、他のレナ軍師団が間違っていても、これから叩くのは第8師団さ、そこが戦術の不条理なところだね。そのために我々は主力をこの要塞に集結させたわけだ」
ムラト族旅団は合計約3万。しかし、ムラト族旅団は帝都の維持にも兵力を割いているため、全員はいない。だが、ドノー伯の騎兵隊とマトロソヴァ伯の法兵隊を合わせれば3万程度になるだろう。
主力とはいっても、身体だけ見れば、ここにいるのは若い乙女だけで構成された奇異な集団に見える。
だが、ここにいる隊員達は知っていた。この師団は、各国の精鋭、“聖女連隊”“天槍連隊” “戦旗”“戦巫女”“月影”、そして航空騎と強力なPN回路の保持する法兵。ほとんどが“ヴェスタの加護”を持っており、“VAF”による強力な防御力を得ている。
各国でこのように処女を集めて精鋭を作るのは、特殊能力維持のために貞操を守るためである。“ヴェスタの加護”は、男性の身体しか破れない。男女混合の部隊を作れば、それは多くの女性が失ってしまう場合が多い。それは女性の権利だから、どの国でも否定できないのだ。
この後宮師団は皇帝を除けば、女性しかいない。いくら男性の精神だからといって自分の身体に悪戯しても、男性の身体でないと“ヴェスタの加護”は破れない。
「レナ軍第8師団は、ヴェルダン要塞の砦群を薙ぎ払った強力な法兵がいると聞いています。河川艦隊で攻撃を仕掛けても、火力で甚大な被害を受けるのではないでしょうか?」
マトロソヴァ伯は、法兵らしい意見を述べている。レナ族の法兵の火力の高さは大陸中で有名だ。
河川艦隊は、マスト一本のガンボートが基本であるが、アスタナ要塞より下流はマスト2本のコルベットも運用できる。
ガンボートもコルベットも法撃用の射台があり、相応の火力があるが、撃ち合いになったら、いくら機動力があっても、木造の河川艦では危険であった。
「陸の師団に、川の艦隊をぶつけるような真似をしちゃダメ。不沈の陸の砲台に、可沈の艦隊をぶつけるなんて愚策中の愚策だよ。川の艦隊は敵の通れないところを通れるから有利なんだ。我々は、このまま河川艦隊に乗ってパブロダルを河川で抜け、第8師団の背後に回り込んで布陣、国境付近で戻って来る敵を迎え撃つよ」
会議室にいる一部が“国境”という単語に疑問の表情をした。この場所に国境が出来たことなどないはずだ。だが、レンは意を介さず自軍を示す駒を、その彼が示す場所に進めた。
「しかし、背後に回り込んで布陣して、敵は必ず戻って来るでしょうか? アスタナ要塞は空です。そのまま進んで落されでもしたら、帝都までの道はガラ空きです」
「そんなことはできないさ。レナ族は歩兵と法兵主体の国なんだよ。本国との連絡路を抑えられたら、そんな浸透作戦は出来ない。それにそのまま進軍するのは、我々に背中を向けて進軍することになり、用兵上もかなり問題だ」
「はい……」
「がはは、マトロソヴァ伯は噂通りの心配性だな。我々は団長の策を信じて戦うだけだぞ」
エルマリア・フォーラ・コーカンドの身体を使うムラト族旅団第1歩兵連隊第1大隊長ゲイリーは豪快に笑い飛ばした。
その様子を見ていたドノー伯は、以前のエルマリア王女の態度を知っているので、それと比較してあまりに違うので、可笑しくて仕方がない。
「レナ軍は、今までまったく戦っていないからね。きっと、若い第8王子の性格からいって、戦いたくてウズウズしているさ。絶対に仕掛けて来るって。敵の配置がそう主張している。戦争とはそういうものだよ」
マトロソヴァ伯は、抽象的な精神論に不安になったが、分析的には確かにそうだろう。地図と配置を見て、敵の意図を察するのは名将の器のひとつに違いない。
「敵の航空騎兵対策はどうしますか。レナ族の航空騎兵はとても優秀です。こちらの航空騎兵はすべて旅団員が身体ごと接収していますが、まだ3日しか訓練しておらず、空戦はとてもできません」
航空騎の精鋭“ミラージュ”の隊長、メーヴェ・コンテ・ランヴァニアの身体を使う、ムラト族旅団第2騎兵隊長ハリーが言う。
「敵は道中のこちらの飛行場を接収してないでしょう。敵が決戦を志向する日に、払暁攻撃を仕掛ける。狙いは主にカタパルトだ。少し危険だが、現状ではいくら数がいても航空騎兵での迎撃戦は無理だよ、覚悟の上で挑むしかないね」
「了解しました」
つまり、開戦が予想される日に、夜明けとともに航空騎兵を全部出して、あとは下がるという方針だ。後宮師団は、整備された飛行場を利用できるので発着だけはできるだろう。だが、整備力も訓練されていないので、再出撃は不可能に近い。
「それじゃあ、もう質問はないかな? じゃあ、解散」
皇帝が宣言すると一斉に隊員達は立ち上がる。
そして要塞からは順次部隊が発進した。エステル川の河川艦隊はほぼすべてアスタナ要塞に集結していたが、それでも3万の兵力は一度に揚陸できない。
そのためパブルダル市に輸送してから、後方へ送り込むことになっていた。




