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愚者2~人生交換1⑤

 深夜、皇帝の部屋をノックする者があった。


「どうぞー、起きていますよ」


 皇帝リュドミルの身体を使うムラト族旅団長レンが応答すると、ドアを開けて現れたのは後宮第21妃メトネ・バイコヌールの身体である。

 彼女は水色のワンピースの寝巻姿に大きいリボンをつけ、そして大きめの枕を抱えていた。

 そして恥ずかしそうに下を俯きながら呟いた。


「あ、あの。お父様、一緒に寝てもいい?」


 少し、上目遣いに尋ねる娘。


「いいですよ、フローラ。入ってきなさい」


 優しく答える彼女の父。

 メトネの身体を使う妹のフローラは、すぐに顔いっぱいに嬉しそうな表情をすると、枕を両手で抱えて、そのまま皇帝のベッドに転がり込んだ。そして、リュドミルの身体に寄り添うように布団の中へと潜りこんでいく。


「やっぱり、ここが一番安心する……」


 フローラは呟く。彼女も、彼女の新しい身体も、幼い頃からこの場所で、彼女の父に物語の話を聞きながら寝入っていた。

 ここ数年は離れて暮らしていたが、幼い頃に毎日していた習慣は一生抜けたりしない。


 フローラはムラト族のレンとアリス族のメリヌの実の子である。そして、ムラト族とアリス族からはムラト族しか産まれない。

 同じ母親から生まれても、アリス族とムラト族では容姿がぜんぜん違う。

 メトネは、アリス族らしく小柄でありながらスタイルも相応に良く、愛くるしい顔立ちをしていて、髪はボリュームのある美しい金髪、その体躯はあらゆる可愛い服が似合い、まるで絵本から出てきたような美少女という形容が相応しい。

 フローラは、体格だけは似ていたが、アリス族のそれには到底及ばない。もちろん、若い娘であれば相応に小柄で可愛い容姿の少女であるが、種族の差は歴然である。

 そして、実の姉妹なので、他人はこの二人の容姿を比べる。

 フローラは、ずっと姉に対して、劣等感を抱いていた。しかし、メトネはそんな妹に対しても優しく、努力家で知的、周囲への配慮と気配りが出来た。

 もちろん、姉の美しさを妬んだことは一度や二度ではない。それでも、彼女は姉が大好きで、誇りであり、目指す目標だった。

 彼女はずっと姉のようなアリス族になりたい。と考えていたのである。

 バイコヌール戦役の少し前、フローラは、アリス族の文化を学び、アリス族に近づくため、帝都に出てきて、アリス族が集まるアリス倶楽部という組織に入会した。

 父や姉は反対したが、それでも彼女は文化だけでもアリス族に触れて近づきたかったのである。

 文化を学ぶだけなら、種族の違いなど関係はないはずだった。アスンシオン帝国は異種族との共和を謳っていたので、例えば、ラグナ族でもムラト族文化に傾倒する者もいた。だから、それは可能に思えたのである。


 アリス倶楽部とはアスンシオン帝国に住むアリス族の相互扶助組織である。

 帝国のアリス族は、ラグナ族に寄生した稀な種族である。だから、お互い情報交換とアリス族文化の維持のために、この団体があった。

 彼女たちは4年に一度、もっとも可愛いアリス族の少女、アリス・プリンセスを決めるための、“アリスの園”という大会を開催している。この“アリスの園”は、アリス族だけでなく帝国中の少女たちが憧れる儀式である。

 フローラの母メリヌはこのアリス・プリンセスの栄冠に輝いたことがあった。そして、アリス倶楽部の入会条件は、アリス族であること。または、アリス族の娘であること。

 アリス族はラグナ系種族の女性の遺伝子の中に隠れている種族のため、母親がアリス族だと、少なくとも遺伝子的にはアリス族の因子は持っていることになる。

 だから、一応フローラは入会条件を満たしていた。


 だが、現実は彼女が思っていたほど甘くはない。

 いくら母親がアリス族でも、ムラト族とアリス族では容姿に雲泥の差がある。魅力で圧倒的に劣る彼女は、最初は物珍しい客、続いて目障り、最後にはいじめの対象になった。

 美少女種族であるアリス族にとって、可愛いは正義であり、可愛くないは悪である。それだけではない、フローラは彼女達アリス族が最も嫌うことをしていた。

 それは努力する事である。

 アリス族は努力や苦労が嫌いで、何事も他人任せ、怠惰を絵に描いたような種族である。アリス文化は、他人に甘えて暮らすことを目標とし、努力して自ら幸せを掴む、または献身的に他人に貢献しようなどという考え方は意に反する。

 フローラはアリス倶楽部にいつも朝早く最初に来て、お茶会の準備、料理も得意、お菓子も作り、最後に掃除をして帰っていた。

 他の文化からすれば、努力家で若いのにしっかりした娘であると褒められるだろう。でも、アリス族はそうは考えない。

 アリス族は困っていれば誰かがやってくれると考える種族である。困っていなければ誰もやってくれない。困ることが重要なのである。だから労働や努力は彼女たちにとって不要なのだ。

 一見、無茶苦茶な思想のように見えるが、美少女である彼女達の関心を惹くために、彼女達に奉仕しようという男はいくらでもいる。

 そして、女の子がより困っているほど、よりイイ男が寄ってくる。そしてアリス族はその寄ってきたイイ男を確実に堕とす。その篭絡のためにフェロモンという特殊能力がある。

 アリス族のフェロモンは誘惑する能力があるとはいっても、さすがに無関心の男の気を惹くほどまでは強くない。だが困っている女を助けようと、言い寄ってきた男を自身の虜にするなら効果絶大だ。つまり彼女達は困ることは、社会上必要な事なのである。


 フローラは、このアリス倶楽部で彼女達の仲間に加わり、アリス族に近づきたいという一心だった。

 だが、その夢は儚く散る。


 ある日、フローラがアリス倶楽部から帰宅途中、暴漢に襲われた。その身体は傷つけられ、視力も奪われた。

 複数の男が実行犯なのは間違いないが、盲目にされた状態で、女性の性的立場で監禁されては、犯人の男が誰なのかもわからない。それは一方的で、酷く残虐である。


 フローラは数日後に解放されたが、もうアリス倶楽部には行けなくなった。

 地方から駆け付けたレンはすぐに、実行犯は男でも、裏で手を引いているのはアリス族の誰かだと予測した。実際、アリス族は自分たちの気に入らない奴に対して嫌がらせをするとき、自分では実行しない。彼女達には頼めばやってくれる男がいくらでもいるのだ。

 そして、メトネは実際にアリス倶楽部に潜入して調査する。すると、恐ろしい事実が判明した。

 それは、アリス倶楽部に所属するアリス族ほぼ全員の同意で、フローラを追い出す話し合いをしていたのである。もちろん発起人はいたが、その意見に全員が賛同した。


「美しいお花畑を汚す雑草は、さっさと抜き取ってしまいましょう」


 メトネは彼女達がそう話していた事を知った。


 フローラの視力は結局戻らなかった。

 H属のムラト族は将来を悲観すれば自虐死、つまり自殺することができる。彼女は自分の無力さを呪って、自殺未遂を起こしたが達成できなかった。

 大量に飲めば死ぬはずの薬品で死ぬことができず、未遂に終わったのだ。目が見えなかったので、薬品名に騙された。それは、彼女の父と姉の優しい嘘である。

 その後、彼女は精神的になんとか立ち直った。

 自分が父や姉の言いつけを守らずに、自分のわがままでアリス族に加わろうとした事を後悔する。

 ムラト族はけっしてアリス族にはなれない。いくら努力してもアヒルの子はアヒルのままだ。

 でも、フローラには優しい家族がいる。それがすごく幸せだったのである。


 その後、彼女の父レンは、どこからか“イ=スの正錐”という奇跡の欠片を見つけて来た。それは古に伝わる奇跡の効果、精神入れ替わりの奇跡を起こすという。


 レンと彼の昔からの仲間であるタイキ族のシーク、ノード族のシオンは、その奇跡の欠片を試しに一回実験してみた。結果、ある下級貴族の兄妹の心と体が入れ替わった。

 効果は実証され、その“奇跡の欠片”に対する研究は深まる。だが、この“イ=スの正錐”は、次の使用までにかなりの充電期間が必要で、しかもその充電にも相当なエネルギーを消費するという。

 普通の人間の発想ならば、この効果を再び試すため、次の機会まで充電し、また誰かひとりとひとりの身体を入れ替えるのに使うのだろう。


 だが、レンはそれで終わらなかった。彼のアイデアで、その“イ=スの正錐”の入れ替わりの作用を、単発から複数へ、効果の範囲を近くから市内全域へ一気に拡大する方法を考案したのである。

 それは、シオンの“Wi=Fi”の力を使い、この精神入れ替わりの奇跡を、帝都全域、さらに“Wi=Fi”の届く範囲全域に及ぼすという恐ろしい方法だ。この“Wi=Fi”の精神作用を及ぼすには、個人の精神を特定するデータが必要である。肉体ではなく、個人を精神で識別できないと効果は及ばない。

 対象の自我と精神を認識できて初めて、精神作用を伝達することができるのである。そのために、後宮ではメトネが、帝都内では他の仲間が暗躍していた。

 そして、レンはこの方法を踏み台にして、次のステップに進もうと画策していたのである。


 メトネは、この作戦を実施するとき、自分の身体をフローラに譲ると言った。

 フローラは姉が大好きで、いつも姉のようになりたいと思っていた。そして姉を尊敬する妹ではよくあることであるが、彼女は姉の真似をするのが得意だった。

 さらに、いくら信頼しているレンの学校の生徒達や、ムラト族旅団の仲間とはいえ、男に大切な姉の身体を渡すつもりもなどない。

 そして、実際に“イ=スの奇跡”が始まると、姉は自分の身体を妹に与えて、次の作戦の為に別の所へと行ってしまったのである。


 彼女は自分の願いが叶った。

 今のフローラは、彼女がなりたかった姉の姿そのもの、そして念願のアリス族の身体を得ている。そして彼女の心も、彼女の身体も、大好きな人と同じ布団に潜り込んで、その優しい身体の温もりを肌で感じている。

 肉体的に見れば、皇帝とその妃の同衾である。別におかしいところはない。

 だが、精神的にはこの二人は父と娘、実の親子である。彼らは自分の血縁のある身体を捨てて、この体にやってきたのだ。


「お父様。やっぱり、お姉ちゃんは強いよ。お父様に会わないで他に行くなんて出来ない。私、やっぱり、お父様に会ったらこの場所に来たいもん」


 フローラは、メトネの声を使って囁く。


「バイコヌールの時だってそう。戦争に勝って、お姉ちゃん、お父様のところに戻ってくればいいのに。お父様に会わずに、そのまま後宮に行っちゃうんだもの」


 フローラは尊敬する姉のことを思う。姉の身体からは、その身体の喜びが直に伝わってくるからだ。


「メトネはね。自分の弱さを知っているから強いんだよ」


 彼女の父は、微笑みながら答えた。


「弱さを知っているから強い?」

「うーんと、まず、女の子はね。好きな人に触れるとオキシトシンっていう物質が分泌されて、すっごく心地良くなる。で、メトネは私に会うとそれの所為で決意が挫けることを知っているから、会わないようにしているんだ」


 彼女の父は、いつも通り、科学的な説明である。しかし同時に暈しのない直接的な説明でもあった。


「オキシトシンっていけないの?」

「愛情ホルモンと呼ばれていて、いけなくはないさ。むしろ円滑な人間関係を築くのには必須だよ。でも、メトネが目指すものに必要なものとは違うものなんだろうなぁ」

「お姉ちゃんがお父様の夢を叶えるのを目指しているのは知っている。けど、そこまでするなんて…… 少し会って、それから旅立っても……」

「確かに会えないのは寂しいと思うかもしれない。でも、私はメトネもフローラも愛しているよ。どんな時も、どんな場所でも、どんな状態でもね。メトネはそれを知っているから、そうしてるんじゃないかな」

「うん……」


 フローラも知っている。彼女だって、どんな時でも父と姉が大好きだ。


「でも、私は…… こうしてお父様のお話をお傍で聞いていたいよ」

「フローラはそれでいいんじゃないかな。メトネだって、そう思っているから、自分の身体をフローラに譲ったんだろう。私もそれでいいと思うよ」


 フローラは、姉の人生を奪い、その身体で姉の大好きな人の傍を自分が独占していることに罪悪を感じている。でも、同時に、父にも姉にも自分がそれを許されていることも知っていた。

 彼女自身、これからは父の傍でその目的を援けるという意志に迷いはない。

 前の身体はボロボロで、目も見えず、出来ることは限られていた。むしろ父の仲間や、レンの教室の友人たちにかなり負担をかけていただろう。

 でも、父の助言がすぐに得られるこの場所と、この美しいアリス族の身体。姉には及ばないかもしれないが、なんだってできる勇気が湧いてくる。


 そしてもうひとつ、父の傍で安らかに過ごせる以外に、彼女が満足していることがある。

 彼女の前の身体を凌辱した帝都のアリス族の娘達は、その全員が“イ=スの奇跡”によって、その美しい少女の身体をムラト族の旅団員の男達に奪われた。

 事実上、帝都のアリス族という種族や、アリス族文化は、レンの思いのままになったといってよい。

 そして、ムラト族の男が、美少女の身体を手に入れた場合、やることは一つである。

 フローラは、彼女達の身体がどのような目に遭うか知っていたが、彼女は身体を奪われたアリス族の少女達を少しも不幸だとは思っていなかった。

 ムラト族旅団の仲間達は今まで命を賭けて父に協力していたのだ。彼らには、報酬があって当然だと思っている。

 そして身体の所有者がアリス族を示すなら、これからはムラト族の仲間たちの精神がアリス族である。父は彼らに絶対の影響力があるから、今後は父が堕落したアリス族を正しい方向に導くだろう。

 そして身体を奪われた元アリス族の少女達、彼女達はもう二度と「可愛らしく座っていればすべて他の誰かがやってくれる」なんて言っていられない。

 これからは、彼女たちは自分達で努力し働かなければ、誰も見向きもしないような醜い身体なのである。

 彼女達にその労苦を味合わせたとき、フローラの復讐は達成されるといってよい。


 幼い時の安息の地、願いが叶った満足、そして復讐の達成。

 フローラは安堵し、心安らかにゆっくりと夢の中へ落ちていった。


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