愚者2~人生交換1①
帝都で起きた“イ=スの奇跡”によって、元第18師団長ハティル・コンテ・ドノーは、妹の第8妃プリムローザ・コンテ・ドノーの身体になってしまった。
彼の2人の従者であるガウェインとパルトは、プリムローザの2人の侍女であるグリスとドーラの身体になってしまった。
皇帝レンとの会見の後、ハティルは彼らと家路を急いでいた。
「くそっ、ドレスが邪魔で歩き難いぞ。なんでお前らこの服の脱がせ方を知らねーんだよ!」
ドノー家当主のハティルは、自分の身体である妹のプリムローザの着ていたチュールパニエ入りの豪華なスカートに不満を漏らした。
「ハティル様、無茶いわないでくださいよ。身体はメイドでも、中身は従者なんですから」
従者ガウェインは、侍女グリスの顔を使って不貞腐れた顔をした。男の従者である彼らには、ドレスの脱がせ方などまったくわからない。
「家に戻ればプリムローザ様や、その侍女達もいると思います。早くドノー家に戻りましょう」
従者パルトは、侍女ドーラの身体を使って軽快に移動している。スカート丈の短いメイド服は容易に動けるようだ。もっとも歩き方はまったく品が無い。
「だから歩き難いって、お前ら裾を持てくれ!」
ハティルの早足を妨げるのはスカートの裾だけではなかった。動くたびに上下に揺れるプリムローザの大きな乳房も、彼の行動を効果的に阻害している。
しかし、その感触はなかなか新鮮であったし、彼自身、胸が大きい女の方が好みだった。その感触を自由にできるので特に不満は無い。
ドノー家は、代々優秀な騎兵を輩出している貴族家である。
5年前のバイコヌール戦役で当主であったハティルの父が戦死してからは、長男の彼が家督を継いで家を仕切っている。そして、今回のエルミナ戦役からは、名門のドノー家を率いる当主として若くして師団長に任命されていた。
ドノー家は、公爵家に継ぐ位階の伯爵家、早くから皇家へ娘を入宮させていることから見ても、帝国で相当な影響力を持つ家柄である。
小一時間ほどかかり、彼らはやっとドノー家の邸宅に辿りついた。
出入り口の門扉付近で、数人のメイド服の娘達が槍を持って警備をしている。
「プリムローザ様? いや、もしかして旦那さまですか? 私は執事のカロンです」
メイド服に長槍という不格好な組み合わせの娘が話しかけてくる。
「ああ、私がハティルだ。お前がカロン?」
ハティルは、入れ替わる直前まで会話をしていた執事のカロンを確認した。執事のカロンは、ドノー家に入ったばかりの若いメイド、リプルの姿になっていた。
カロンは、ドノー家に先々代から使える老練の執事であり、家の管理を統括している。今回も彼を出迎える為に門扉まで来たようだ。
「後宮にいると思われましたので、迎えを出そうと考えたのですが、馬に乗れる男が全員女になってしまい、簡単に出来ませんでした。申し訳ありません」
「いいさ、入れ違いになっては大変だ。ただでさえ、身体違いになってしまったのに」
ハティルは気の利いた事を言ったつもりだったが、従者も執事もまったくウケていないようである。
「それでは、皆様がホールでお待ちです」
メイド服のリプルの身体を使う執事のカロンに案内されて、ホールへと向かう。
ドノー家の大ホールには、よく知った姿、つまり自分自身であるハティルの身体と、従者のガウェインとパルトの身体があった。
もちろん、この入れ替わり前はこの家にいたので、当然なのだが、自分の姿を第三者の視点で見るというのはなかなか不思議な感覚である。
「あ! あたしだ。ちょっとアンタ、あたしの身体返しなさいよ~!」
いきなり、自分のプリムローザの身体を指さし、迫ってくるハティルの身体。
彼は大柄なので、迫って来る姿は迫力がある。
「まて、まてって。お前プリムローザだな、ハティルだよ。お前の兄の」
「やっぱり、お兄様なのね。あたしの身体にヘンなことしていないでしょうね~?」
「あ、ああ。大丈夫だ」
隣で、従者のガウェインとパルトの姿のグリスとドーラも、グリスとドーラの姿のガウェインとパルトに同じ事を聞いている。
3人とも否定したが、実は胸は揉んでその柔らかさは堪能していた。ただ、それは必要な不可抗力と否定したい。
邸宅のホールに集まったドノー家の人々は、見事に全員が入れ替わっていた。
叔父達親類は、父と娘、母と息子が入れ替わっていた。使用人達も女のメイドは男の使用人と入れ替わっている。つまり、家内全員の性別が完全に逆転していたのである。
性別が足りない場合は、他の親類家まで飛び火している。
「お兄様の身体、ゴツゴツしていてなんか固いですわ。合うドレスを仕立てるのは大変ですわねぇ」
ハティルの身体を使うプリムローザは、男の身体でドレスを着るなどと言っている。
「プリムローザ、その身体でドレスは勘弁してくれ。ドノー家の沽券に関わる」
ハティルは、プリムローザに懇願する。兄であるハティルは、妹のプリムローザが大のドレス好きであることは知っていたが、かといって今のプリムローザが自分の姿で髪を結いあげて、ドレスを着るなど、ドノー家の名誉が穢れてしまう。
さらに法律論をすれば、アスンシオン帝国で女装は“啓蒙の法”で禁じられていた。女性の男装は可能だが、後宮などの公の場所では禁止されている場合もある。
「まぁ、お兄様ったら失礼しちゃう! 女装ではないのですわ! 私はレディなのですから」
「ここに明日、施行される予定のTS法の資料があるから、各自読んでくれよ。それだとやっぱり、プリムローザが今の身体で女装するのはナシってことだが」
ハティルは持ってきた資料をメイドのリプルの身体の執事カロンに手渡した。
「まったく、とんでもない事態になったものだ。これから我々はどうなってしまうのか。この現象は元に戻れるのか?」
一番年上の叔父マーティスは不満を漏らす、彼も相当に不便を感じているらしい。
「叔父上、陛下の話では、今回の件は帝都の女神シオンのもたらした“奇跡”という話ですが……」
ハティルはレンに説明されたまま答えた。
「ハティル、陛下はどうだったのだ? これからどうなる?」
当然、後宮で皇帝と接触しているハティルに質問が集中する。
叔父達が昼に調べたところでは、政府、貴族院、市民議院の各議員ともに、ほとんどが身体はあっても精神が見つからず、有力者の精神はどこにいったのかわからない状態であった。
七公爵家は全滅。極端な事を言えば、帝国の高い位階でまともに精神が見つかっている有力貴族は、伯爵家のドノー家、マトロソヴァ家、タブアエラン家ぐらいであるという。
伯爵家以上の当主は貴族院に常任議席を持っており、ある程度の行政権がある。
マトロソヴァ家の当主ロウディル・コンテ・マトロソヴァの身体は、家人と共にこの混乱する帝都に素早く戒厳令を布告した。
帝都全域に、自己の認識する精神の自宅に帰宅を促し、今晩の外出禁止を布告したのだという。
ハティルは、入れ替わった直後、突然身体が妹のプリムローザの姿になり、従者達も近くに居た侍女の身体になってしまった事に激しく混乱していた。当たり前だが、彼らは後宮内の構造など知らず、下手に移動もできない。
女性化した身体に驚いていたところ、しばらくして皇帝の身体を使うレンが現れる。
その皇帝は、ハティルにこの作戦が女神シオンに願った意図的な計画だと明かした。
ハティルは驚くと同時に、最初は強く反発する。
だが、皇帝レンはハティルの心を動かした。
まず彼に、忠誠を誓うのが国家か、皇家か、皇帝かを尋ねる。
ハティルがその全てだと応えると、皇帝レンはこう言う。
「エルミナ戦線の最初の軍議で、君だけが唯一、有利な大兵力を活かしてのファルス軍への強攻、早期決着を主張した。それは、エルミナ戦役の悲劇的敗戦を回避し、勝つことのできる正しい戦術だよ。あの居並ぶ実績やら知識やら経験やらが豊富な将軍達の中で、君だけが戦術を理解し、そしてそれをあの席で主張するだけの勇気を持っていたんだ」
ハティルはこのレンの指摘に驚いた。
突破主義のハティル・コンテ・ドノーは、同僚から「猛牛」とあだ名される。
だが、彼はそれを必要だから計算してやっているのであって、盲目的に突破を好んでいるわけではない。エルミナ戦線での長い対峙の際、有利な戦力を活かさない上層部、自分の主張が理解されないことに、若い彼は酷く悔しい思いをしていたのである。
皇帝レンは、そんなハティルの戦術を唯一、最も成功に近いと評価した。
「それに、リュドミル皇帝は、君のような人は嫌いなんじゃないかな。心当たりあるだろう?」
外向きには声に出さない。しかし、ハティルは皇帝リュドミルが嫌いだった。同性愛者の噂も大嫌いだったが、直情的なクセに変な所にまで規律に細かいところも気にいらない。
さらに親友が死んだとか、敗戦とか、そういう感情的な理由で引き籠っていることも不満だった。
皇帝が心を入れ替えて現在の国難に立ち向かってくれなければ、この危機は乗り切れないと感じている。
それが、字句通り心が入れ替わってしまったのである。
そして、彼の側も皇帝から遠ざけられている事は、薄々感じていた。おそらく彼はタルナフ伯に似ている性格なのだろう。
実際に両家は懇意にしていたし、ハティル自身も英雄肌のタルナフ伯を尊敬していた。
タルナフ伯のクーデターの際には驚いたが、正直に言えば、あのときもし帝都にいれば、皇太子とタルナフ伯を支持していたと思う。
彼にとっては国家と皇家が忠誠の対象であって、皇帝の個人的人格に興味は無い。タルナフ伯が皇太子を得て皇家の血脈を守り、さらに行政権を得ることで国家を手に入れたのなら、皇帝という個人に忠誠を尽くすつもりはまったくなかったのである。
そして、自分のように考える者が多い事が分かっているからこそ、レンという男が、素早いタルナフの処刑を行わなければ、事態の収拾がつかなくなると進言したのが理解できた。
「叔父上、私は今の皇帝を支持します。我々は国家と皇家の血筋に忠誠を誓っていて、皇帝の人格に忠誠を誓っているわけではない」
「しかし、どんな得体の知れない奴が陛下の身体を使っているということだろう? それは簒奪ではないか」
「喩え陛下がどのような人格であっても、我々は皇家の血筋に忠誠を誓わなければならないはずです。人格が名君でも暗君でも関係ありません。それに、実際に私が話をした限りでは、男として仕えたい主君に感じました」
「しかし、私達の男の尊厳は奪われてしまったのだぞ」
叔父は下を見て、自分の凹凸のある身体を眺めながら嘆息する。
「奪われていません。私の身体は、プリムローザがちゃんと預かっています。叔父上達の身体もそうです。そして、明日から施行されるTS法でも我々の家名と財産は守られます。今の陛下も私達の家名を守ると約束していただいています」
ハティルは叔父達にはっきりと宣言する。
結局のところ、彼らドノー家の親戚達にとって一番重要なのは家名の存続である。
当主のハティルは勇敢な若者であり、叔父達からも可愛がられていた。それが今の皇帝を支持すると強く言った以上、叔父達も事態を受け入れるしかない。
「そうだな。我々は皇家に忠誠を誓っているのだから、陛下がどのような性格になられても受け入れるしかないのかもな」
ハティルの意見に賛同する叔父達。
「しかしだな…… ハティル。困ったことがあってだな」
叔父マーティスは真剣な眼差しで言った。
「叔父上、なんでしょうか?」
「我々が預かっている郊外に駐留する帝国騎兵と騎兵訓練生達だが、全員の身体が町の娘と入れ替わってしまっているのだ。今のままではまったく使いものにならん」
「全員ですか……」
ドノー家は、ファルス王国への反撃のために帝国の熟練騎兵を掻き集め、さらに叔父達も指導して新規の訓練兵を教養し、新しい騎兵隊を錬成していた。
叔父達が悩むのも当然である。男性の身体であるが戦ったことのない女性の精神の兵士と、戦ったことのない女性の身体を使う男性の精神の兵士、この二種類に分かれてしまったというのだ。
「男性騎兵の身体の女性の精神を訓練するのと、男性騎兵の精神の女性の身体を訓練するのと、どちらが正しいのだろうか……」
叔父のマーティスは真剣に悩んでいる。ただし、それも彼の娘のプリメラの身体なので、何か変である。
「TS法を文面通りに解釈すると、精神の人格が準拠ということになっていますから、男性騎兵の精神の女性の身体を訓練することになりそうですね」
「ということは、私は今後この身体で戦えと言うのか、娘のプリメラはまだ10歳だぞ…… いかに陛下に忠誠を尽くし、戦場で貢献するのが我が家の習いとはいえ、10歳の娘を戦いに出すのはなぁ……」
叔父の心配ももっともである。このままいけば、ハティル自身、プリムローザの身体で戦場に行く事になってしまう。かといって、自分の身体を使うプリムローザに代わりに戦争に行かせるのは無理そうだった。
彼女は、今まさにハティルの身体の髪の毛を、ガウェインとパルトの身体を使うグリスとドーラに結わせて、ネックレスやイヤリングなどのアクセサリーを付け始めているのである。
彼は、この件は明日の会議で詳しく検討しなければならない案件だと思った。




