愚者1~イ=スの奇跡④
アンセムは、寝付いた皇太子アンセムをマリアン・デューク・テニアナロタの身体を使うシンデレラに預ける。
そして、今後の方針を伝達する報告会議の為に、皇帝レンとメトネに案内されて、後宮の談話室へと向かった。
「ところで、メトネ。宮女達はどういう目に遭っているんだ?」
談話室に向かう最中、アンセムはメトネに尋ねてみた。
「どういう目って精神が? 身体が?」
メトネは意地悪く聞き返す。
「両方だ」
皇帝レンに忠誠を誓ったアンセムだったが、それでもここにいた妃や宮女メイド達のことが心配である。
「精神は、ムラト族を追いやった環境が酷いと思うなら、酷い目に遭ってるんじゃないかなぁ。ほとんどはそこに飛ばされているよ」
ムラト族旅団は、皇帝の恣意的な決定により、収容所に連れて行かれ、強制労働に従事されられていた。
アンセムはこれには責任を感じている。
帝国の為に各地を転戦して戦っていた旅団員をそんな目に遭わせておいて、彼は助けもしなかったのに、宮女が同じ目にあってから心配するというのは都合が良すぎる話だ。
「一応、明日の会議で収容所からは解放される予定ね。もちろん、最終的に決めるのはお父様だけどね」
アンセムは精神については理解した。だが当然、分けられたもう一方も心配である。
「じゃあ身体については?」
ムラト族などH属の人間種は自虐若しくは自慰行為をする種族として知られている。
そんな彼らが若く美しい娘達の身体を手に入れた場合どうなってしまうのだろうか。
「据え膳を食わない男はいません。アンセム、そういうとこは甘く考えない方がいいよ。戦術を志すなら、自分に都合のいい知識や情報だけが見えたり、物事を綺麗事で誤魔化すのはダメね」
メトネは厳しい指摘をする。つまり彼女達の身体は新しい身体の持ち主によって凌辱されているのである。
それはアンセムだって理解していた。
例えばエルミナ王国はファルス王国に戦争で負け降伏条約を結んだ。表面上は共存共栄、平和を謳った綺麗事を並べた条約が結ばれている。
だが、これからファルスは占領したエルミナから徹底的に搾取する。
そして、ファルスには戦争捕虜を奴隷にして売る文化がある。一応、この奴隷にも生命の安全や身分を規定したルールはあった。
だが、戦争で負けて捕虜となり、奴隷にされた者は、死ぬまで働かされ、特に若い娘はさらに性的にも搾取される。
それと同様に、奪われた宮女の身体も、男の自由にできる完全な支配下に置かれてしまえば、その身体の尊厳は綺麗事では済まない。
もしここで、メトネから「彼女達の身体には何もされていませんよ」と綺麗事で繕われてもアンセムはそれを信じない。
そんな未来は存在しないからである。
到着した談話室は、いつも皇帝が宮女達と会話する部屋で、一般の邸宅で言う応接室に近い部屋であった。
談話室には、既に11人の後宮の妃が、椅子に座って待機していた。
第8妃プリムローザ・コンテ・ドノー
第9妃オフィーリア・リッツ・ヤロスラヴリ
第15妃ラーナ・リッツ・タクナアリタ
第16妃レニー・コンテ・マトロソヴァ
第24妃リオーネ・ヴィス・グリッペンベルグ
第25妃ナーディア・コンテ・タブアエラン
第38妃アンネ・リッツ・ローザリア
第43妃ベス・リッツ・パーペン
第50妃ルーラ・ヴィス・ヴェネディクト
第76妃ミーティア・コンテ・カラザール
第78妃レシア・リッツ・フォーサイス
の11人である。もちろんそれは身体だけで、彼女達の中身はわからない。皆、ドレスを着て座っているが、既に彼女達の中身が以前と同じだとは思えなかった。
それは、彼女達の座り方をみれば一目瞭然である。
皇帝が部屋に入ると、レニー・コンテ・マトロソヴァの身体が立ちあがり、敬礼をする号令を掛ける。
「皇帝陛下に、敬礼!」
号令に合わせて、全員が起立し、皇帝に対する恭順の敬礼を行う。もちろん、アンセムもそれに倣った。ただし、ここにいる妃達が行ったのは、全員男性用の敬礼で、女性のものとは様式が違う。
そして通常、この号令は上官、または先任者の順に指揮をする担当となる。
アンセムには彼女達の中身がまだ分からないが、レニーの中にいる精神がこの中で最も上官、若しくは先輩なのだろう。
「それじゃあ、最後の幹部を連れて来たので紹介しよう。エリーゼ・コンテ・ヴォルチの身体を使っている、アンセム・コンテ・ヴォルチ君だ。みんな仲良くね」
皇帝レンは、まるで学校の教室に新しい生徒が加わった時のように紹介した。
「え、アンセムだと……?」
「まさか……」
妃達の中からぼつぼつと驚きの声が揚がる。
「身体の中身の話し合いについては、この後に時間を設けるから、その時話し合って欲しい。とりあえず、ここにいる全員が私を皇帝として認めたということで、今後の方針を説明するから注目してくれ」
皇帝レンが話を始めると、すぐに静粛する。
前のリュドミルと語り口はぜんぜん違ったが、それでも声は同じなので、皆、強く反応してしまう。
「先に説明した通り、今回の“シオンの奇跡”で君達の家族の身体は、一部例外を除いて家族同士だけで入れ替わっている。だから、一応、他所者に妻や娘、妹を取られるってことはないわけだね」
皇帝は説明した。シオンとはアスンシオンの女神の名前である。国民に対しては、表向き女神シオンのもたらした奇跡だと説明しているようである。
しかし、どうやらその一部の例外になってしまった者が意見を述べた。
「陛下、私の身体はなぜかヤロスラヴリ家の娘になってしまっていますが」
それを言ったのは、オフィーリア・リッツ・ヤロスラヴリの身体である。
「私も、なんでタクナアリタ家の女なんかに……」
ラーナ・リッツ・タクナアリタの身体も不満を述べた。
「それはねぇ。君達は家同士の仲が悪いから、今後仲良くしてもらえるように、家族全員、相手側の家の人間と入れ替えるように、女神シオンに頼みました」
皇帝の宣告にぐったりとうな垂れるオフィーリアとラーナ。
タクナアリタ家とヤロスラヴリ家が領地争いでかなり揉めている事は巷で有名である。
だが、皇帝レンを主君と認めた以上、その裁定は従わなくてはならない。
「というわけで、マーティン君とバーベル君のような一部例外もあるけれど、一応みんなの家族には赤の他人は入っていない。そして、とりあえず皆、精神の方の自宅に帰っている。これから、君達は自分の家に帰って、我々の方針を伝えること。明日、施行する“TS法”の内容は、置いてある資料にあるから各自持ち帰って説明に使って欲しい」
アンセムはその“TS法”なるものの存在を聞いていなかった。
アスンシオン帝国は、啓蒙の徒マキナ教が主体の国で、“啓蒙の法”に従う。だから災害や戦時の場合、特別立法を制定することは当然であった。
アンセムは、手元の机に置かれていた紙の資料にチラりと目を通すと、“精神入れ替わり特別措置法”、通称TS法の条文や注釈が書かれた書類が用意されていた。TSとはトランスソウルの略らしい。
このTS法は、精神を主眼として身分などの社会権や財産権を認定する法律のようである。
ただし、血筋そのものが身分の基になっている貴族や、身体が特殊能力を持つ場合など、いくつか例外事項もある。
皇帝レンは説明を続けている。
「次に、明日の朝7時から、隣の政庁の政務庁舎で、新閣僚の決定、そして今後の政策を決める閣僚会議を行う。家に戻った際、実家に役職のある親や兄弟がいる場合はその者を必ず出席させること」
アンセムは、この後宮が家であって、帰るところはここしかない。帝都のヴォルチ家邸宅は、叔父が引き継いだが、売却されてしまったらしい。
「それと、アンセム君も明日の会議には出てもらうよ」
皇帝レンはアンセムに向き直った。
「私は、カバンバイの帝都防衛戦線に残した娘達の事が心配なのですが……」
もちろん、アンセムがいう娘達の身体は全員男である。
「どの道、君の乗馬技術じゃ夜に移動できないさ。明日、午前中には閣僚を決めて方針も決める。その時まで待ちなさい」
この新しい皇帝はアンセムの騎乗スキルまで把握していた。
「しかし……」
「あんまり、わがまま言うと、身体に教えちゃおうかな。君は私の側室で、私は皇帝だぞ」
後宮の妃はすべて皇帝の所有物である。
後宮では“啓蒙の法”が通用せず、皇帝はどのような処分もすることができた。
ましてや皇帝レンを主君と認めた以上、身体だけでなく精神も、彼に逆らう事は出来ない。
「畏まりました、陛下」
アンセムは主君に対して敬礼して服従の意を示す。
「さてと、じゃあ会議はこれで解散。私は、次の準備があるのでこれで失礼するよ。みんな、友達と話すのはいいが、あんまり話が長くなり過ぎないで、早く帰るようにね」
皇帝レンは、まるで夜遊びを注意する教師のようにアンセム達に伝え残すと、メトネを伴って部屋から退出した。
「アンセム、お前生きていたのか」
「イリ事変の時に死んだとばかり」
皇帝が立ち去ると、すぐに話しかけて来たのは、ナーディア・コンテ・タブアエランと、レシア・リッツ・フォーサイスだった。
彼はその2人話し方、仕草によく憶えがあったし、彼らの兄弟関係を考えればその中身の予想はつく。
士官学校の同期、レーヴァン・コンテ・タブアエランと、シムス・リッツ・フォーサイスだろう。ナーディアとレシアの兄である。
「レーヴァンとシムスか、懐かしいな。3年ぶりぐらいか」
彼らは士官学校の同期の悪友、いわゆる一緒に悪い事をする親友であった。
士官学校時代、禁止されているナンパや、無断外出、無届旅行はあたりまえ、マキナ教徒では学生の間は禁止されている賭博もやった。
しかし、男同士の同期とはいえ、3人とも身体が彼らの妹の姿というのは何か変な気分であった。
「まさか、レーヴァンと、シムスまで私と同じ立場になるとはなぁ」
アンセムはそういう感想を持ったが、2人の同期はそうは思わなかった。
「何が同じ立場だ。俺達は、お前が死んだという話を聞いて、葬式とは別に見送り会までやったんだぞ」
「自費で花代出し合ったんだ。出した金返せ」
2人は、後宮籠城戦のあったイリ事変で、アンセムの身体が死んだ事で、当然、彼が死んだものと思っていた。
悪友であるから、この3人は会えばいつも何かの愚痴ばかり言い合う。
「しかし、ナーディアめ、入宮する前よりまたおっぱいがでかくなりおって、動き難いじゃないか……」
「お前ら2人はいいよ、妹のレシアなんてまだ初等部4年だぞ。こんな小さい身体でこれから先どうすればいいんだ……」
自分の胸や股間を抑えて身体が男と違う事を再び確認し、がっくりとうな垂れる3人。
アンセムはもうこの身体で2年も過ごしているのだから、今日入れ替わったわけではないのだが、悪友たちの気分が感染して、彼もその仲間のように感じてしまった。
結局、彼らは昔話を語り込んで時間が経過し、他の幹部達は自分の家族の様子が心配で先に帰宅してしまった。
本来であれば、後宮の妃は外出できないが、今の皇帝はそんなことを気にしている様子はない。
夜の11時を回る時計の音が鳴ると、さすがに慌てて、移動を開始するレーヴァンとシムス。彼らも家に戻って、明日の政府会議を家族に報告しなくてはならないのだ。
特にレーヴァンの父ゴーヴィン・コンテ・タブアエランは、第5師団長であり、帝都師団再編成を命じられている要職である。
レーヴァンは、なんで早く時間を教えないんだと愚痴をいいながら、ナーディアのドレスのスカートの裾に脚をひっかけて歩くのにも苦戦しながら慌てて帰宅して行った。
2人を見送ると、アンセムは静かになった談話室に1人残される。
今後の事についてはもちろん不安だったが、少なくとも信頼できる友人が出来たという事は、彼にとっては心が安らぐ。
だが、身体を兄に取られたナーディアとレシアはどういう反応をするだろうか。
ナーディアは、かなり不満を言うだろう。彼女はいつも美容に相当気を使っていたのに、それを全部取られたからである。
兄が大好きだったレシアは、むしろ喜んでいるかもしれない。いまごろはしゃいでいるだろう。
アンセムは机の上に残されたTS法関係の資料を受け取ると、そんなことを夢想しつつ、談話室を後にした。




