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愚者1~イ=スの奇跡③

「陛下をどこにやった! 他の皆は無事なのか!」


 アンセムは皇帝の姿をしたその男に詰め寄る。


「あら、アンセム。陛下ならここにいるじゃない? 聖剣レーヴァティンの血脈を受け継ぐ偉大な皇家の血脈を受け継ぐ皇帝陛下さまが」


 その男の代わりに、抱きついているメトネが、甘えて擦り寄るように返事をする。


「そうじゃない。陛下の心だ、みんなの心はどこに行ったんだ!」


 アンセムが問うと、メトネは文字通り、小悪魔のような表情を浮かべて言った。


「役立たずの精神は、みーんな他所へ追い出しちゃいました! 前の陛下も、ここにいた子達も、ついでに帝都の住人達も、役にたたない奴らはみーんな!」


 メトネは両手を広げて全部を強調する。


 あまりに衝撃的な回答。

 つまり、彼らはこの精神入れ替わりという現象を意図的にコントロールし、自分達に不都合な人間の精神だけを選別して追放したというのである。

 だが、アンセムはなぜメトネはそれらを全て知っているのかわからない。

 目の前にいるメトネは、確かにアンセムの知っているメトネであるように見える。


「メトネ…… 君はいったい何者なんだ?」


 アンセムは、今度はメトネに対して問い掛ける。


「あたし? あたしはお父様の娘よ。この計画の為にずーっとスパイしていたの」


 メトネはクスクスと笑っている。


 そうだ。

 なぜ気がつかなかったんだろう。

 普通のアリス族は皆、怠惰で努力をしない種族といわれている。

 美形種族といわれたラグナ族一派の中で、アリス族はとりわけ幼く可愛らしい容姿に恵まれている。さらに異性を篭絡する特殊能力もある。


 だから、彼女達アリス族には「可愛らしく座っていればすべて他の誰かがやってくれる」という彼女達の種族の誇り(エラン ヴィタール)を象徴するような成語まである。

 だが、メトネは明らかにそういうアリスの娘達とは違っていた。

 彼女の人間観察眼、そして状況判断能力。それらすべてが“ただの女の子”の領域を越えている。

 今まで一緒に暮らしていて、誤魔化されていたが、よく考えれば気がつくチャンスはいくらでもあった。

 最初にアンセムの中身を男だと見抜いたのはメトネだった。

 後宮籠城戦の際、妃達に仕事をさせる時に「とりあえず一番ワガママそうなアリスの娘から処罰すれば、みんな一生懸命に働くようになると思うよ!」とアドバイスしたのはメトネだった。

 休暇の際の余興の騎馬戦で、圧倒的不利の中、恐るべき機動力と状況判断力で勝利したのはメトネだった。


 裏切られたんじゃない。

 最初から騙されていたのだ。

 いつかこの卑怯なクーデターを起こすために、この「レンと仲間達」は、ずっと仕込んでいたのだ。

 アンセムは心の底から怒りが込み上げてきた。


 もちろん、平然と人々の人生を奪い取った彼らに対してもそうだが、おそらく、それにまったく気がつかず、騙され続けていた自分に対する怒りもある。

 アンセムはその男に詰め寄る。


「本物の陛下を何処へやった!」


 アンセムは沸き上がる感情に任せ怒号をあげる。その表情は美しいエリーゼの顔立ちでありながら、強く覇気ある男のものだ。


「そんなに遠くへは行っていないよ。ただ、まぁ、もう誰も彼を皇帝なんて敬わない身体にはなっちゃってるけどね」


 レンという男が皇帝リュドミルの口を使って応える。


「酷過ぎる…… こんな、こんな酷いやり方で他人の人生を乗っ取るなんて…… 奪われた陛下の人生は、彼女達の人生は…… 帝都の人達の人生はどうなるんだ!」


 アンセムはさらに強く彼らを糾弾した。


「あのさー、アンセム。それじゃまるでお父様達の身体は、最初から人生が不幸だって言ってるようなものじゃない。つまり、アンセムは、あたし達…… じゃなかった。お父様達ムラト族の存在自体が不幸だと思ってたってわけ?」


 メトネは意地悪そうに問う。


「そんなことはない!」

「じゃあ、別に陛下やここにいた女達が誰の身体になろうが、関係ないじゃん。新しい身体で幸せを探せばいいのよ」

「彼らが今まで積み上げてきた人生と、これからの人生があるんだぞ!」

「あははっ! あんな間抜けが国を指導していたら、それこそ皆の人生がメチャクチャ~」


 メトネはアンセムを嘲笑う。


「こんな卑怯なクーデター絶対に認めない! お前はただの卑劣な掠奪者だ!」


 怒りに任せて叫ぶアンセム。

 だが、レンを卑劣と追及したところで、メトネの表情が急に変わった。

 腰に抱きついている態勢から離れ、皇帝の身体の前に出ると、恐ろしく冷たい目線でアンセムを睨む。


「アンセム…… お父様を侮辱すると許さないわよ」

「許さないからどうしたっていうんだ!」

「フン、この偽善者が。アンタに、お父様を侮辱する資格なんてないってことよ」

「なにを…… 私は、こんな卑怯な真似は絶対にしない!」

「そうかしら? じゃあねぇ、アンセム。あたしがアンタをぶちのめしてあげるから、覚悟しなさい」


 メトネはその小さい身体、美少女の容姿からは考えられないような恐ろしく脅迫的な言葉を放つと、急に真顔になり、後ろに居た皇帝の身体に対し、スカートの裾を持つ正式な女性の恭順の礼をする。


「お父様。この者の説得は私にお任せください」


 頭を下げ、忠実な部下のように許可を求めるメトネ。


「ああ、いいよ。でもけっこう手強そうだけどね」


 皇帝の姿をしたレンは、そういうと彼女の頭を撫でている。するとメトネはいままで見た事のない、たとえば子供が親から褒美をもらった時のように無邪気に微笑んだ。


 メトネは振り返ると、アンセムに向き直る。その真剣な顔は、何か恐ろしい宣告をする前触れのようである。


「アンセム、貴方。バイコヌール戦役のアタス砦で14カ月の籠城戦をしていた時、おがくず入りのスープを食べて凌いでたって、言っていたわよねぇ」

「それがどうした」

「うふふ…… そのスープ。なにを具に入れていたの?」



「いい? 人間の男はねぇ、一日平均2500kcal、最低1200kcal必要なのよ。食糧無しの水だけで生きられるのは、理論上3カ月が限界ってとこね。アンセムが包囲されたアタス砦に備蓄してある食糧から計算すると、だいたい10カ月目から餓死者が出始めるわけ」


 宣告を続けるメトネに対して、アンセムは金縛りにあったようにぴくりとも動けない。


「だからね。あと4カ月足りないの。アンセムが包囲されていた14カ月間生きる為には、なにか工夫しないと絶対生き残れないのよ。何処かで生存に必要なカロリーを得ないとね」


 やめてくれ……

 もうそれ以上いわないでくれ……


 アンセムは、地面に倒れ込み、そして頭を絨毯に付けてうな垂れる。


「あらぁ? 自分に都合の悪いことはさっぱり忘れちゃったの~? あははー、なにソレ。アンタ、お父様を卑劣呼ばわりしておいて、アンタ何?」


 焦点が定まらず、彼の呼吸は乱れ、頭の中を真っ白にする。そうしないと彼は正気を保っていられない。


「答えなさい! アンセム」


 そうだ……

 まだ死にたくなかった。

 それがどんなに人の道に外れた酷い事だとわかっていても。それでも生きていたかった。

 まだやりたい事がたくさん残っていたんだ。


 記憶から消し去っていた彼の人間としての罪が心の奥底から湧き出て、その苦痛はエリーゼの瞳から涙を溢れさせる。

 メトネは、床に突っ伏して倒れ込み、小刻みに震えるアンセムに静かに近寄る。


「アンセム。私達は貴方を責めたいんじゃないのよ。貴方が勝利するため、生きるために選択した決断は、尊いものだわ。でもね、アンセム。自分のした不徳を棚に上げて、私達を卑劣呼ばわりするのは、どういうことかしら」


 メトネは急に穏やかな語り口で迫る。

 だが、その封じていた記憶を呼び覚まされてしまったアンセムは、心を打ち砕かれ、もう彼女の言葉に返答する事は出来なかった。

 騙され続け、全てを奪われた敗北、そして打ち砕かれた彼の精神。

 もはや、アンセムは廃人のように倒れ込むだけであった。


「あらら……」


 アンセムの反応が無くなったので、メトネは困った顔をする。


「お父様、申し訳ありません。やりすぎました」


 振り返って皇帝の身体に頭を下げるメトネ。その男は、そのままメトネの隣に進み出て、彼女の頭を優しく撫でると、アンセムに静かに語りかけた。


「ねぇ、アンセム君、ちょっと聞いて貰いたいな」


 よく知った皇帝の声。

 その言葉にすぐに反応する事は、臣下であるアンセムの身体に強く染みついていた。

 声に反応し、ゆっくりと頭を揚げるアンセム。


「アンセム君、君は私の事を知らないかもしれないが、私は君の事を良く知っているよ。メトネから聞いたんじゃない。バイコヌール戦役の時さ」


 優しい口調で語りかける男。すると男は昔話を始めた。


「あの1年2ヵ月の対峙、君がいたアタス砦の見張り台の視線の先に私はいたんだ。男同士なら、顔を合わせなくても、お互い戦術を駆使して全力でぶつかりあった相手ってのは、その力を理解しあえるものさ。それは、君にもわかるだろう?」


 5年前のバイコヌール戦役、アタス砦の攻防戦。

 アンセムは少ない兵力でありながら工兵技術を駆使し、砦を最後まで守りきった。

 もちろん、カラザール伯軍を率いるレンの部隊は、アタス砦だけでなく、カルサク砦、バイコヌール市方面、アカドゥル方面と戦線を抱えていたから、すべてアタス砦だけに構っていたわけではない。

 だが、それでも彼が実質的な指揮官として砦を守り通したのは事実である。


 アンセムは自分が完全に無力だと打ちのめされていた。

 だが、彼の目の前にいる男は、彼の努力と知略、そして非道、それらを全て理解して彼を認めている。


「アンセム君、以前タルナフ伯のクーデターの時にも聞いたが、もう一度問おう。君は何に忠誠を誓う? 国家か、皇家か、家名か、それともリュドミルという個人か」


 問いかける皇帝の声。


「私は…… 私は、国家と皇家と陛下に忠誠を誓っています」


 小さい声で答えるアンセム。

 それは士官学校で毎日宣誓する言葉である。


「既に国家、アスンシオン政府は我々が取った。皇帝の権力も、皇家に伝わるレーヴァンティンの血脈も私のもの。そして今、リュドミルの精神は、どこかの一般市民に宿っている」


 レンは、アンセムに対し、リュドミルという一個人の精神“だけ”に対して忠誠を誓うのかと聞いている。


 アンセムは返事に詰まる。

 彼という人格を知り、ティトに後事を託された。たとえ身体は別人であっても、精神はリュドミルという人格には違いないはずだ。

 見捨てるなんてできない。


「君が、プリンセスラインでどう敵と戦うつもりだったのか当ててやろう。現状ではもはや東西から迫る敵に対して勝ち目はない。だから、君は国民を総動員して、君の持つ陣地戦技術で少しでも敵の出血を強い、その抵抗を取引材料に皇帝の生命を助命してもらおうという魂胆だろう?」


 アンセムの作戦意図はまさにその指摘通りである。


「しかしねぇ、君が徴兵した市民兵は普通の一般市民だ。その生命を犠牲にして、君は皇帝という一個人だけの生命を助けようというのさ」


 アンセムはいったん少し落ち着いた身体がまた震え始めている。

 いままでの皇帝は直情的であり、作戦や状況の分析については思考が甘い人間だった。それがここまで正確で冷徹な現状分析を語っている。

 もちろん、この身体の中身がレンであることは承知していたが、彼の作戦が完全に見透かされている事に怯えが止まらない。


「だけど、君の策じゃ国家も皇帝も、国民の命も守れない。ファルス軍が皇帝の存在をそのままにして外交的に妥協するわけがないからだ。私は、タルナフがなぜ皇帝の存在をそのままにしておかないか、君に説明したよね。それと同じ理由さ」


 タルナフ伯のクーデターの際、アンセムはいったんタルナフの要求を呑んで、皇帝の延命を図ろうとした。

 だが、レンはそんな未来はないと分析した。相手がいったん有利な立場に立ったら、自分の不利になる存在を生かしておくはずがない。

 アンセムは、皇帝の命を守らんとするために、冷静な分析を見誤っていたと認め、強行な作戦を承認したのである。


「アンセム君、我々と共に来なさい。君がダメになるには早すぎるよ」


 新しい皇帝はレンに手を差し伸べている。


「もし、君がそれを断ってここから去るというのならば、現状で敵に勝利する手段は帝都で焦土作戦をするしかないね。今、私が市民兵を遣っても上手く機能しないだろう。前の皇帝陛下様は、国民の人気が無いからねぇ。君は私が皇帝の地位を奪ったというけど、まったく…… 酷い借金だよ」


 焦土作戦とは、町や土地のインフラを自ら壊して物資を持ち去り、餓えた市民や破壊されたインフラを敵に明け渡して、敵の補給に負担を掛ける作戦である。


 実は、アンセムもその作戦については検討していた。

 だが、それを行うには皇帝の承認、少なくとも皇帝の帝都からの退去が絶対条件で、彼の性格から言って、それを実現するのは不可能だと判断したのである。

 精神的な拘りが作戦に支障をきたす典型例であった。

 もちろんアンセムにも、焦土作戦には抵抗があった。この作戦は、全ての市民を犠牲にすることで戦術として成り立っているからだ。


「焦土作戦をしないで戦う為には、“鮮血の姫”と異名を持つ程に市民から信頼され、そしてかつ、私に対抗しうる程の実力を持つ優秀な防衛指揮官が必要だよね」


 アンセムはあからさまにこの男に揺り動かされていた。

 この新しい皇帝は、前の皇帝とは違い、勝利するための手段でそれが有効なら、容赦なく焦土作戦を選択するだろう。

 だが、アンセムはそれでも納得することができない。


「……」


 アンセムは黙りこむ。

 すると、その新しい皇帝は、別の提案をした。


「じゃあさ。今から私は君の抵抗を打ち砕くよ。もしそれで君の精神が挫けたら、諦めて心から降伏しなさい」


 既に彼の心はメトネの文言で一度打ち砕かれていたが、この男はさらにそれを打ち砕くという。

 いったいそんな方法があるのだろうか。


 新しい皇帝が合図すると、奥から第1妃マリアン・デューク・テニアナロタが現れる。だが、その雰囲気からいって、おそらく中身は別人だろう。女性の歩き方であったが、マリアンの持つ独特の育ちの気品が無い。

 彼女は、眠っている赤子を抱いている。

 アンセムはその赤子を良く知っていた。


「アンセム……」


 彼は再びエリーゼの目から涙を零れ落とす。外見的には、その涙自体、先ほどの敗北に打ちのめされて流した涙と同じである。

 だが、その成分はまったく違うものだった。


「実は、水練達者なローランダー族の拳聖隊を予め水中に潜伏させておいたのさ。まぁ、別にこの子を助ける為だけじゃなくて、君や私の部下が落ちたり、タルナフが泳いで逃走する可能性も考えての事なんだけどね」


 皇太子アンセムは、アンセムの声を聞くと、安心したように目を開き、彼を求めるようにその小さな手を広げる。それはこの乳幼児が、彼に抱かれる事を要求する仕草だった。


「ままー ままー」


 アンセムはその子の言葉を初めて聞いた。


「……しゃべった、アンセムがしゃべった……」

「大丈夫だよ、この“イ=スの奇跡”は、4歳以下や動物には適用できない。人間の精神が入る為には、容量が足りないからねぇ」


 アンセムは、マリアンの身体から幼いアンセムを受け取る。

 その無垢な笑顔は、久しぶりに母親に出会えた喜びでいっぱいだった。


「ごめんなさい…… ごめんなさいアンセム…… ごめんなさい陛下……」


 アンセムは、その子が寝付くとその子を再びマリアンの身体に預ける。

 そして、皇帝に対して向き直って跪く。


「陛下…… いえ、レン陛下。貴方をアスンシオン皇帝と認め、忠誠を誓います」


 アンセムは皇帝に対する正式な敬礼を行った。


 これは、リュドミルという個人の精神に対しては裏切りかもしれない。でも彼は、リュドミルの人生“も”守るために、この新しい皇帝に従うのだ。

 ムラト族旅団長レンと皇帝リュドミルの人生は交換され、リュドミルはどこかの名もない一般市民となった。彼はその一般市民達を守るため、決断し、この戦争の勝利を目指す。

 けれども、その決断をした彼は、それほどの不安は無くなっていた。

 メトネや彼らの仲間が、なぜレンに従うのか、彼にも理解できたからである。


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