運命の輪3~入宮初夜①
夕食は後宮回廊の北にある中央ホールで行われる。
ホールには長テーブルが二列で向かい合って設置されており、妃ごとに席順が決められていた。
妃は基本全員出席で、上座中央に空いている席はおそらく皇帝が座るのであろう。
席順は皇后や正妃がいないので、今は妃になった順番で序列されている。一番右端には、テニアナロタ家のマリアンが座っている。左端にはアティラウ家のミリアムがいた。当然アンセムは末席に座る。もちろん、さっき別れたばかりのソーラやタチアナ達もいる。
全員が着席すると、すぐにキッチンメイドがカートに乗せた料理を順番に運んでくる。
夕食は、食事ごとに担当が決められ、その担当者が指揮を取って全員分を調理している。だからキッチンメイドの中でも最も責任ある最大の見せ場であるという。
食事の内容はアンセムですら食べた事のないような豪勢なものであった。ボリュームある肉料理、温かいスープ料理、珍しい魚料理、新鮮な野菜や果物。とにかく種類が多く、精神だけは食欲旺盛な男子であるアンセムは嬉しくてたまらない。
それに、朝食と昼食が軽食で、午後はあちこち回って運動をしたので、正直腹が減っていた。
「それでは、皆様、ごちそうになりましょう。我らラグナの末裔に種族の誇りを。いただきます」
「……いただきます」
全員に配膳が終わると、一番端にいるマリアンが食事の挨拶をして、全員が唱和する。
しかしなんだか様子が変だ。こんなにウマそうなメシが並んでいるのに、みんな表情が暗い。
だいたい、彼が過ごした後宮と同様の閉鎖空間ともいえる士官学校の寮生活じゃ、愉しみはほぼ食事だけだったので、彼はとても不思議に思う。
アンセムは貴族なので、出された料理を相応のマナーを持って味わっていた。
作法に男女の違いは若干あるが、このあたりは特に問題はなさそうである。椅子に深く腰掛けず、脚を開かないように注意するぐらいだ。
料理は食べきれないほどに量が多い。夕食の残り物はメイドが処理する事になるので、わざと量が多いのだという。すべてを食べる妃はほとんどいない。
他の食事と違い、夕食の会場は極めて静かであった。朝食も昼食も彼女達は雑談しながら楽しそうに食事していたが、豪勢な料理にも関わらず、みんな下を向いて寂しそうな表情をしている。
良く観察すると、朝や昼と違うドレスを着ていたし、アクセサリーも違った。アンセムのように極めて簡素な装いである。
事前のマイラの入れ知恵では、夕食の際は皇帝リュドミルも同席する。皇帝は食事中に女がする雑談の類が大嫌いなのだそうだ。また、過度な装飾も嫌うので、妃達の会話も必要最小限度にされ、装飾も少しだけなのだという。
後宮で一生暮らす彼女達にとって皇帝に嫌われるということは身の破滅も同然である。そして、その主が留守であってもメイド長のティトが部屋の隅に立ち、妃達に目を光らせていた。
ティトは、21歳とタイキ族のユニティを除けば後宮最年長で、皇帝と同い年である。
……いや、中身だけなら最年長は24歳のアンセムであろうけれど。
皇帝は後宮の絶対命令権者である。
その権限は絶大で、あらゆることが可能であり、後宮内では帝国の法律である”啓蒙の法”は通用しない。閉鎖された後宮では、どんな恐ろしい罰を与えることも可能なのである。
後宮で次に最も格上なのが皇太子の母、皇后である。男子が皇太子となった時点で皇后と呼ばれ、後宮では皇帝に次いだ権力者となる。
妃の中で、皇帝の正妻として内外に公表された妃は、正妃と呼ばれ、皇后がいない場合はその役割の代理となる。正妃というのは皇帝のお気に入りの妻の印でもあるので、そのまま皇后になる場合が多い。
現在の皇帝に子はなく、まだ皇后も正妃もいない。
後宮で皇帝は大きな判断しかしない。後宮の運営、家事などの様々な決定は、皇后や正妃が行う。しかし、今はそれがいないので、全てメイド長が仕切っている。
妃や他のメイド達との年齢差もあり、ティトの立場は比例して重い。実際に、皇帝の起床補助係、つまり朝に起こしに行く仕事は彼女の役目だという。
そういう立場なので、名のある貴族の妃達もティトの扱いには気を遣わざるを得ない。
メイド長が監視する中、妃達は静かに食事を続けていた。
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夕食後、アンセムは動き難いチュールパニエの入ったドレスを脱ぎ捨て、下着姿でソファーに大の字に横になった。エリーゼにさせる格好としてはかなりみっともない。
彼は一流の料理人の作った美味しい食事をたらふく食ってゴロンと横になり、満面の笑みを浮かべている。腹いっぱい食べる幸福には男女の身体による違いはないようだ。
「あー、食った食った。帝都の五つ星レストラン並みの最高級の料理があんなにたくさん。お腹いっぱい。満足だー」
「お嬢様は、そうとうお腹が減っていらしたのですね」
「ほら、デリバリとか、弓の練習とかで運動したからさぁ。朝メシも昼メシも少なかったし」
「お嬢様が、あんなにデリバリに興味があるとは思いませんでした」
マイラはアンセムのドレスを整えている最中、そう質問する。
「え、だってほら。女の子のユニフォームがヒラヒラとしていて可愛いじゃないか。エリーゼに頼んでも嫌がって着てくれないからさぁ」
「身体が妹様の姿になったのをいいことに自分で着せたわけですね……」
「そうそう、役得役得」
マイラは何が役得なのだろうかと思ったが、甘いお菓子やフリルの付いた衣装に興味を持ったりする姿をみて、この中身が男の妃も、意外と可愛い側面があると感じている。
ふと、アンセムは気になった事があった。
夕食の会場では妃達全員を確認する事ができたが、アンセムの目からすれば、すべての妃が彼のお気に入りの美しい姫である。
あんなにたくさんの美少女をいつでも自由に好き放題できるなんて夢のようだ。
旨い食事を好きなだけ食べて、美しい娘を好きなだけ抱く、男としてこんな素晴らしい生活はない。
しかし、あの中の誰かが、陛下の寵愛を受けていたりするのだろうか。
「ところで、後宮が出来てから1年ぐらい経つけど、陛下にお気に入りの女はいるのか?」
「陛下は、今まで後宮のどの女性とも寝所を共にした事はないようです。普段は会話もほとんどありません」
「誰にも知られないように、こっそり関係を持っているということは?」
「定期の検査がありますし…… それに後宮の女は全て陛下のものなのですから、関係を秘密にする理由はないかと思います」
世間の男なら妻がいる身分で他の女と関係を持つ場合は秘密にするだろう。
しかし後宮では意味のないことだ。
そしてこの生活は、婚活中だったアンセムにとっては夢のような環境だが、皇帝陛下にとってはそうではないという。
彼はその理由についてひとつ心当たりがあった。
「ふーん、やっぱり…… あの噂は本当だったのか」
「お嬢様は、理由をご存じなのですか?」
アンセムは皇帝の近衛兵には成れなかったが、要人の警護に携わったことがある。当然、近衛兵達との警備の打ち合わせに参加することがあった。
その時、ある噂話を聞いたことがある。
現皇帝、当時は皇太子だったが、陛下にはお気に入りの従者がいて、その者と親密な関係だという。
その従者はもちろん男である。
後宮は先帝が作ったとされているが、正確には先帝の妻である先の皇后が、1人息子が女に興味が無い性格なのを心配して整備したと噂されていた。
先の皇后は、相当に嫉妬深い性格だったらしく、優柔不断と言われた先帝に絶対側室を持たせなかったらしい。
ところが母親というのは不思議なもので、夫が別の女と子を作るのは許せないが、息子がたくさんの女と関係を持ち、子をたくさん残そうとするのは良いらしい。
種族分類学者的に言えば、これは自分の遺伝子をよりたくさん残したいという遺伝学的な本能であるという。
その仮説が正しい前提であるが、確かに夫が他の女と関係を持って子供を作っても自分の遺伝子は残らないが、自分の息子が複数の女と関係を持てば、その分、自己の遺伝子を遺すことができる。
しかし、後宮の完成を見ずに先帝の皇后は病で亡くなり、後を追うように先帝も崩御した。後宮というシステムだけが遺されたが、皇帝からすれば、どんなに器量の良い娘を揃えたからと言って、そう簡単に女と子を作ろうとは思わないのかもしれない。
マイラの話では宮女達もそれは薄々感じていたらしく、そういう噂の類はあったのだという。21歳の壮健な男子が、これだけの美女達に目もくれないのは異常である。
ただ、後宮という閉鎖空間の中にいては外の事情について調べようもない。
「……それは、皇帝陛下には後宮の外に、お気に入りの男性がいるということですか?」
「まぁ、そうなるね」
要するに男性版の”マリル行為”である。
同性愛は帝国の”啓蒙の法”では禁忌とされているし、広報したり記事にすれば不敬罪に問われる。
「だけどその従者はもういない。前の戦争で死んだよ」
「そうなのですか……」
その従者は、バイコヌール戦役で、味方の救援に向かう当時の皇太子率いる軍にいたが、敵の奇襲を受けて命を落とした。
「では、他に新しい意中の…… 別の思い人がいるということでしょうか?」
「それはわからないなぁ」
そのあたりはいくら考えても噂話の類なので、結論は出なかった。




