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塔6~守りたいもの⑨

 第二次アカドゥル渓谷の戦いから数日後。

 皇帝リュドミルは悲壮な表情で帝都に帰還した。

 兵達はファルス軍の軽騎兵の追撃から逃げるのに必死で皆疲れている。国家の危機として徴兵され、出陣した時の勇壮な表情はどこにもない。

 そして、華麗な装備で知られた皇帝親衛隊の面々も、相当な損害を受けており、皆顔を伏せ一様に暗い。


 その重い足取りのまま後宮に戻った皇帝を出迎えたのは、メイド長ティトの亡骸だった。

 結局、皇帝は親友の最期を看取ることができないまま、彼女は皇帝が到着する2日前に息を引き取ったのである。


 皇帝は冷たくなっているティトの顔を優しく触れる。


「なんて私は無力なのだ。子供も、友も、人々も救えない。何もできないじゃないか」


 リュドミルは両目から涙を溢れさせる。


「大帝国の皇帝? 最高権力者? いったいそれが何になる! 私の願いは何一つ叶えられない! 守りたいものは何ひとつ守れない! こんな無力な地位、何の役に立つものか!」


 リュドミルは慟哭しながら、泣き叫ぶ。

 そして、彼は顔を抑え、遺体の安置所から走り去った。


 その後、彼はそのまま自室に引き籠り、一切出て来なくなる。

 この一部始終を間近で見ていた皇后アンセムは、彼に何の声も掛ける事は出来なかった。


****************************************


 政務を放棄した皇帝に代わり、皇后アンセムは決戦の準備を整える。

 まず、帝都にさらなる強制動員令を発令した。これにより、帝都の男子は全員徴兵する。

 そして、コーカンドから後退してきた第5師団、そしてアカドゥル渓谷での戦いから撤退しできた第10師団、第13師団、第18師団、南方の第11師団、東方の第21師団を引き揚げさせて部隊を統合し、なんとか6万程度の正規兵をかき集めて帝都師団を結成させた。

 彼は、第5師団のタブアエラン師団長に命じて、これらの部隊の再編成を依頼している。

 アンセムの育成した工兵士官、コンドラチェフ、ストラトス、エイブルの3人には、帝都南方のカバンバイの丘陵地帯に、強制徴用した男子を労働者に使って防衛陣地を形成させている。


 帝都市内も決戦に備えて、それぞれ防御区画を整備し、バリケードを構築している。また、航空騎兵の襲来に備え、市内各所に対空攻撃の準備や、防火対策を整える。

 女や子供は退避させたいところだが、東方からレナ軍が、北方からアテナ軍が迫って来ている現状では、どこが安全かもわからない。

 結局、皇后アンセムの決断は、以前、彼が後宮でそうしたように、非戦闘員も大量に動員して、前線の援護に当たらせることにした。


 アンセムの作戦。それは、完全な総力戦である。国民そのものを敵にぶつける。

 既にファルス軍の威力偵察部隊は、帝都に隣接するイローヴィア湖西対岸まで現れているという。


 マイラの手伝いで、いつも着ている皇后のドレスから、航空騎兵のような戦闘服に着替えているアンセムのところに、第21妃メトネ・バイコヌールがやってきた。


「アンセム~ 外に出て戦うのぉ?」


 アリスの娘は、いつものように甘い口調で語りかけてくる。


「ああ、メトネは留守番を頼むよ」


 アンセムは優しく答えた。すでにリュドミルは精神的に参っている。彼が立ち直るには時間がかかるだろう。

 皇后アンセムは閣僚らと話し合い、自ら指揮を執って防衛指揮を行うことになった。後宮籠城戦の功労、叛逆者タルナフの早期討伐、彼の“鮮血の姫”という異名は国民にも鳴り響いている。


「そんなことするならさー、タチアナのパパの案でまとめちゃえばよかったじゃない。そうすれば、皇家の血脈と、国は助かったかもよ」

「それじゃあ、陛下は助からない。陛下を見捨てるなんて、私にはできないよ」


 リュドミル皇帝は聖剣レーヴァティンを継承する建国王の唯一の子孫、ラグナ族の種族の誇り(エラン ヴィタール)である。

 アスンシオン帝国はこの血筋と共に生れ、受け継がれて発展して来たのだ。皇太子亡き今、その血筋を失わせるわけにはいかない。

 そもそもこの後宮自体が、その血筋の喪失を警戒して造られたという側面もあるのだ。


「じゃあさ、あの、レンとかいう軍師さん? その人を解放して、策を練ってもらったら?」

「陛下があの男を使わないっていったんだ。その意に背く事はできない」

「……」


 メトネはアンセムが目を離した隙に、一瞬、彼を冷徹に見下したような表情をした。しかし、彼が向き直ると、元の愛くるしい甘い表情に戻っている。


「へぇー、アンセムは陛下の個人的な感情を守るために、国民を犠牲にするんだ」


 メトネはアンセムの方針を見透かしている。

 もはやこの戦争に勝ち目はない。だから、国力をすべて抽出し、総力戦で粘り続けて、ファルス軍に大きな出血を強いる。

 相手が勝ち戦でこれ以上の消耗を嫌がれば、それを材料に皇帝の助命を前提として交渉に持ち込む。

 アンセムは、リュドミルという個人を救うために、国民を犠牲にする作戦を立てたのである。


「メトネ、君はよく心の奥が見える子だと思うよ。その通りだ。私は陛下の意志の為に戦う。その為に国民を犠牲にする。私の立場は皇后だ。私の所為で失った子供の為にも、私は彼を守らなければならない」

「そう。それじゃあ、頑張ってねー」


 メトネは愛らしく手を振った。


「よし、じゃあいくか」


 皇后アンセムはエリーゼの頬を叩いて気合いを入れ直す。


 彼は、その日の内に馬を駆って後宮を出立した。

 敵の主力が到達する前に、最終防衛ラインとなる帝都南方のカバンバイの丘陵地帯に強固な防衛線を引かなくてはならない。

 アンセムが指揮するその防衛線は部下のストラトスにより「プリンセス・ライン」という名称が付けられていた。

 心配そうな様子で、多くの妃やメイド達がアンセムの出陣を見送る。


 メトネも表面上は微笑みながら見送っている。だが、彼女が他に聞こえない声で小さく呟いた言葉は、それとは正反対のものだった。


「アンセム…… あなたのやり方じゃ、あなたの守りたいものは守れないのよ」


****************************************


 帝都アスンシオンの遥か地下深く、白色の作業着を着た男と、ゴスロリというドレスを着ている女が歩いていた。

 地下とはいっても、そこは完全に整備された通路、地下宮殿(バジリカ シスタン)の第5層、その最深部である。

 その通路は、地上の世界では考えられないような不思議な明かりが灯っており、床も壁も見た事のない素材でできていた。

 白い作業服の男、タイキ族のシークは、正錐つまりピラミッド構造の黒い塊を持っていた。

 この黒い塊は、表面だけ見れば黒の石板モノリスオブタクティクスに似ている。おそらく、なにかの情報を集積するためのものだろう。

 ゴスロリドレスの女、ノード族のシオンは、シークを導くように奥の部屋へと誘う。彼女が近づくと、通路に突然扉が現れ、そしてその扉は手も触れていないのに勝手に開いた。

 シオンは、シークをさらに第5層で最も重要な制御室へと誘う。そこは、周囲をすべて黒の石板で覆われたような部屋であった。


 ノード族は、遥か昔、この第5層エリアを管理する事を目的に造られた。

 身体の構造的にはタイキ族と同じ系統であるが、生殖能力を手に入れたタイキ族とは違い、ノード族にそれはない。

 その生き残りであるシオンは、シークからピラミッド構造の黒い塊を受け取ると、その部屋の中央の台座、ノード族でいうところのポートに “イ=スの正錐”を設置する。


 2人は一言もしゃべらない。おそらく、彼らに会話は必要ないのだろう。彼らにとって言葉など、意志疎通に使用する音波の出入力に過ぎない。

 そして、彼らからすれば、人間の精神など、感覚器官から入力された情報を、保存してあるデータベースに照らし合わせて恣意的に処理し、行動を出力するための単なるルーチンである。

 ポートに設置されたこの“イ=スの正錐”には、人間の肉体から、人間の精神だけを抜き取るという特殊な力があった。

 そして、シオンには、精神的な効果をその管理するエリア全体に及ぼす力、“Wi=Fi”を持っている。

 彼女は、ポートと“イ=スの正錐”を連結させ、それを起動させる。そして、今まで溜めていたエネルギーを全て消費して“Wi=Fi”の威力を最大限に拡大し、“イ=スの正錐”の力を解き放った。

 この“イ=スの正錐”の特殊な力を、彼女の力が届く範囲内の全ての人間に適用する。

 それがどういう事態になるのか。

 少なくとも、その影響を受けた者は、いままでの自分の姿を保っていられなくなる事は確実である。

 シオンがその力を解き放つのを見て、シークは彼のマスターであるレンの言葉を思い出して思わず呟いた。


「“奇跡”とは、未来を変えようとする勇気の剣」


 彼は、この場で呟くなど意味のないことだと知っているのに、人間の心を得たといわれるタイキ族の男は、その瞬間に思わず感傷的になっていた。

 この“イ=スの奇跡”によって変えられた未来を幸福だと思えるかどうかは、きっと、この“奇跡”が来る事を願う一部の者達だけになるだろう。


 だが、それが未来の可能性を広げるための決断、戦術(タクティクス)の本質なのだから。

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