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塔6~守りたいもの⑧

挿絵(By みてみん)


 皇帝リュドミルは、アカドゥル渓谷の防衛線に戻るとさっそく戦線を指揮しているローザリア卿やチェルノフ参謀長と今後の方針を協議した。

 だが、ローザリア卿の表情はとても険しい。彼に親しい側近達も同様である。

 彼は、皇帝を諌めたマトロソヴァ伯らが更迭されたことを知っていたが、臆せず進言する。


「陛下、レン殿を拘束したというのは本当ですか?」

「ああ、あのような卑怯者。我が国には不要だ」

「なんということを……」


 ローザリア卿はさらに表情を曇らせる。


「どうしたのだ、ランスロット。貴殿は余だけを見ていれば良い。ファルスなど、貴殿の適切な助力があれば、我々で粉砕できるだろう」

「畏れながら、陛下。レン殿の知恵なくして現状の打破は極めて困難です」

「なんだと…… お前まで、お前まで余を無能呼ばわりして、あの叛逆者を擁護するというのか!」

「陛下、適切な現状分析と敵の行動予測なくして、有効な策を練る事は難しいのです」

「敵の分析? ちゃんとしているぞ。敵はサマルカンド市を攻略し、続いてカラザール市を攻略しようとしている。どうだ? 合っているだろう」


 リュドミル皇帝はチェルノフ参謀長の示した現状分析をそのまま言った。


「陛下、敵の狙いは何だとお考えですか?」

「カラザール市の占領、そしてそれを救援しようとする我々の撃破だ」

「……」


 表面的、つまり物質的にはそうだろう。だが、皇帝は重大な見落としをしている。

 それは、戦場で働く精神の働きである。戦争は人間の精神が動かすのである。


「陛下、レン殿は心の広いお方です。処罰した陛下が赦せば、必ずや復帰し、この国難を打破する策を巡らせ、我々を窮地から救ってくれるでしょう」

「お前まで私を無能扱いするのか! 見損なったぞ、ランスロット!」


 皇帝は激昂している。その怒号を帯びた表情を見て、ローザリア卿はなぜ、このリュドミル皇帝が戦いに勝利できないのか、ようやく確信した。

 彼は、言葉では勝利を望んでいると発言している。しかし、内情は自分の精神的な満足をより優先させているのである。

 誰かを助けたい、気にいらない奴を遠ざけたい、皇帝らしく誇り高く振舞いたい、自分の拘りを通したい。そして、ローザリア卿は知らなかったが、親友を殺した恨みのある奴に復讐したい。

 それらは人として、個性としては大切なものかもしれないが、戦術においては不要である。

 そして、皇帝がこのような状態になってしまえば、理性的な反論など無意味であった。


「ランスロット! 指揮官を信頼できない将軍など必要ない。貴様は帝都に帰って頭を冷やせ!」


 結局、皇帝リュドミルはローザリア卿、参謀のグリッペンベルグ卿、タクナアリタ卿など、諌めた幹部の指揮権を解任し、帝都に帰還させた。

 しかし、信頼していたローザリア卿の反発に、さすがの皇帝も不安になる。


 だが、チェルノフ参謀長は、自分が用意した反撃作戦に自信をみせた。

 彼が立案した作戦はこうである。


「アカドゥル渓谷南に位置するファルス軍の兵力は僅か6万程度、こちらは北に10万、南に10万配置されています。これらの戦力を同時に動かし、敵を南北から挟み打ちにします」


 チェルノフ参謀長の見立てでは、ファルス軍はサマルカンド市に歩兵隊や法兵隊、航空騎隊の主力を残しており、先日サマルカンド市が陥落した以上、そこを攻略した部隊がこちらに来て防御を固められては、シル川流域のカラザール市とバイコヌール市が完全に孤立してしまい手遅れになると説明した。

 だから、敵が合流する前に、皇帝自ら率いるアカドゥル戦線の部隊とカラザール市にいる元の西路軍によって南北から挟撃しようという作戦を立てたのである。

 アスンシオン帝国に時間的余裕はまったくなかった。国内を東から強力なレナ軍が迫っているという心理的圧迫により、ファルス軍への対応には早期の決着が望まれたからである。

 そのため皇帝は早急な打開策を求めて、チェルノフ参謀長にその希望に沿う作戦を立案させ、それを実行に移したのである。


****************************************


 そして、第二次アカドゥル渓谷の戦いが繰り広げられたが、その結果は第一次と同じとなった。

 ファルス軍は、南方のカラザール市から出撃した軍を無視し、まず北方から来る帝国軍に全戦力をぶつけて叩いた後、反転して南方から進軍する軍を追い返したのである。

 あたりまえの各個撃破戦術だが、こんな当然の反撃策すら対応できないほどに、アスンシオン軍の指揮能力は落ちていた。


 結局、皇帝も参謀長も表面上の数字しか見えていなかったのである。

 確かに、見た目の数字だけ比較し、机上の理論では敵を倒せる兵力で、敵に勝てる作戦だった。

 だが、帝都から連れてきたばかりの訓練未了の即席兵士と、長い戦いで疲労している残存兵。そしてローザリア卿などの優秀な将軍達を失い乱れた指揮系統。その混成部隊である。

 数字だけ額面を揃えても、その通り活用できるわけがない。

 幸い、ファルス軍は北から攻めてくる皇帝軍を叩いた後、追撃に移らずに反転したので、大敗にも関わらず、損耗率は少なかった。

 だが、敗戦による精神的損失は、アスンシオン軍の将兵、そしてそれだけでなく古参の幹部達まで、その最後の骨格を打ち砕いたのである。


****************************************


 カラザール市から出撃した帝国軍は、第二次アカドゥル渓谷の戦いの敗戦後、カラザール市に戻ろうとするが、その道中、カラザール市の防御に残ったプルコヴォ公がファルスに降伏したという知らせが届く。

 西路軍司令官、いやもう西路軍はないが、その司令官がファルス軍に投降した。

 皇帝軍との共同作戦のため、出撃していた第10師団長のエッツゲン卿、第18師団長のドノー伯、そしてカラザール伯らは、いきなり敵中に孤立することになってしまった。


「よもや帝国名門貴族、七公爵家のひとつがあっさり寝返るとは……」


 ドノー伯は公爵の寝返りに毒づいた。兵士達は次々と脱走し、もはや戦いにならない。


「陛下の敗戦の報告を聞き、今後の先行きを不安視したのでしょう。エルミナのタシケント太守もそうですが、彼らは自分の立場を維持する事が国益よりも大切な人達です。自分の地位を保証すると敵に誘われたら、彼らの地位を保証できない国家に従属している事よりも優先されるのでしょうね」


 カラザール伯の次男ルーファスは冷たくプルコヴォ公を評価する。


「負けてから言っても遅いが、ルーファスの案で戦えばよかったのになぁ」


 ドノー伯は残念がった。

 この戦いの前、ルーファスは皇帝軍と共同した挟撃ではなく、カラザール市に駐留する河川艦隊を使用したシル川沿いを遡っての上流への進撃を提案した。

 サマルカンド攻防戦では、タシケント太守のエルミナ軍部隊が現れたという。であれば、上流のタシケント周辺は敵の戦力は減っているはずだ。

 そして、シル川水系に確固たる勢力を築く事で、現在カラザール市北方まで深入りした敵の補給を脅かすことができる。

 だが、この提案を司令官のプルコヴォ公は子供の戯言と一蹴した。

 結局、挟撃策はファルス軍の機動力で叩かれ、それを聞いたプルコヴォ公は寝返った。そして、彼らは敵中に孤立し、進退窮まってしまったのである。


「しかし、これはさすがに困りました。どちらに逃げても追撃を受ける事は必死です」


 ルーファスも、これ以上の策はない。なんとかして北方へ逃れるしかないが、被害は甚大なものになると予想される。


「カラザール伯、ご子息が泣きごとを言っているぞ。こういうときこそ男の見せ場ではないか」


 ドノー伯は強気の発言をしている。


「ではドノー伯、残った部隊でアタス方面の街道を突破し、伯爵が先頭で敵を突破してくれないか」


 暫定的に指揮官となったエッツゲン卿は、ドノー伯に先頭で退路を突破しろと命じている。


「心得た」


 ドノー伯は了解すると、ただちに部下を連れて突破部隊を編成し、自ら指揮して行動を開始する。


「さて、ルーファス。騎兵隊のグーゼフに付けるから、お前もドノー伯の後から脱出しなさい」


 ルーファスの父、カラザール伯は息子に言い聞かせる。


「師団長、父上…… 」


 ルーファスはなかなか立ち去らない。

 エッツゲン師団長とカラザール伯は最後尾、つまり敵の追撃を防ぐために残る役目を引き受けて撤退するつもりなのである。

 彼は言葉に詰まる。カルシの戦いでは陽動作戦の成功で殿(しんがり)部隊を置かずに撤退できた。だが今回の場合、それは不可能である。

 ルーファスが希望的観測を抜きにして計算すれば、最後尾の部隊が撤退できる可能性はない。

 エッツゲン師団長は笑いながら言う。


「ルーファス、なにも悲しむことはない。死ぬ役を選べるならば、我々年寄りが喜んで若者達の盾となろう」


 そして、父のカラザール伯は優しく言った。


「ルーファス、私はレナ戦役、バイコヌール戦役の時もいつ死んでいてもおかしくなかったのだ。それがレン殿の支えで生き永らえて今もここにいる。お前は賢い子だ。必ず帝都に戻って、レン殿の役に立って欲しい」

「わかりました。父上、師団長。ですが、今生の別れは申し上げません。そして、失礼を承知で申し上げます。最後尾で戦闘をされるならば、ここから近いアタス砦で籠城してくださませ」


 ルーファスは決死の覚悟を持った老将達に、この街道での防御ではなくアタス砦に入れと言っている。


「なぜだ? 砦に入っては、追撃部隊を阻止できなくなるのではないか?」

「アタス砦は街道の要衝。敵は砦を無視して追撃することも一応可能ですが、敵はまだサマルカンドから主力が到着しておらず兵力は少ない。背中から攻撃されて分断される事を恐れて、アタスを放置しての追撃は躊躇するはずです」

「しかし、それでは時間稼ぎにしかならんではないか」

「はい。ただの時間稼ぎです。しかし、たった1日の戦闘で死ぬ事を求めずに、より長い時間、味方の退却するための時間を稼いで死ぬ事を求めてください」


 つまり、ルーファスは父と師団長に、どうせ死ぬならもっと効率的に死んでくれと言っているのである。

 2人は唖然としたが、すぐに大笑いするとそれを了承した。


「はは、これは間違いなく大物になるぞ、テオドル。こんな息子がいて羨ましい限りだ」


 ルーファスは、2人の大きな笑い声を聞きながら敬礼すると、その場を退出した。


 カラザール市北方で孤立した中路軍と西路軍の帝国軍残存部隊は、士気の低下で多くの脱走兵を出しつつも、ファルス軍の包囲網を突破し、追撃を防いで、約半数が帝都に辿りついた。

 第10師団長タイラー・リッツ・エッツゲンと、その盟友テオドル・コンテ・カラザールは、少数の決死隊を率いてアタス砦に籠城する。


 彼らは自ら剣を振るって攻め手であるファルス軍の大将軍、アル・タ・バズス率いる精鋭と交戦し、味方が撤退するまでの時間を稼いだ。

 アタス砦には火が放たれて、焼け落ち、エッツゲン卿、カラザール伯ともに行方不明となる。一説には戦死したとも、大火傷を負って捕虜になったともいわれている。


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