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塔6~守りたいもの⑦

 皇帝が出撃した後の帝都は、混乱の極みに達している。

 東方から迫るレナ軍がエニセイ川とエステル川の分岐のある要衝ノヴォル付近まで進撃しているという。

 また、西方もシル川水系は既にファルス軍が浸透していて、こちらも戦況は最悪だった。

 そして、オビ海沿岸地帯はアテナ族の海軍が跳梁し打つ手がない。

 帝国内に安全な場所などなく、各地の住民は難民となって次々と帝都に流れ込んで来た。

 各都市では男子が防衛のために強制徴用されたため、難民には特に女子供が多く、さらに増援部隊として帝都の男子が連れて行かれたので、治安維持に当たる人員も不足している。


 帝都内の治安が悪化したため、エルミナより亡命してきたエルマリア王女と聖女連隊、そしてハイランドより連れて来られたメリエル王女と天槍連隊は、改造した政庁内に居住することになった。

 政庁が後宮に隣接する区域と聞いてエルマリア王女は嫌がったが、皇帝が不在であること、そして今までいた宿舎の狭い部屋での待遇に不満を持っていたため、綺麗で広い庭園のある政庁への移動を了承した。

 対象的にハイランド王国のメリエル王女は、妹である第40妃カスタルと面会するが、すぐにも帰国したい旨を伝えている。

 表面上、アスンシオン帝国はハイランド王国の王制を支持していることになっているので、国王と王子を失った以上は、アスンシオンが認める君主はメリエル王女である。

 だから、こちらも扱いは一応、王族の亡命である。

 だが、彼女達がここで確保されている理由は、ハイランド共和国の参戦を避けるための人質であった。


****************************************


 アスタナ要塞の奥深く、暗い牢獄に閉じ込められたムラト族旅団長レンは、鎖で繋がれたまま酷い暴行を受けていた。

 看守はなるべく殺さないようにこの男を苦しめるように、という命令を受けている。

 棒で叩かれ、鞭の音が鳴り響き、身体の肉は引き裂け、体中に出血の痕が浮き出ていた。

 だが、その暴力は一昼夜だけだった。鞭を打っていた看守に、その上司と思われる者が何かを耳打ちすると、その拷問は中止されたからである。


「ふん、運のいい奴だ」


 看守は捨て台詞を吐いて立ち去って行った。

 アスタナ要塞の司令官には法兵士官の出身者が就く事が多い、おそらく現司令官バンドゥール・リッツ・ヤロスラヴリの人間関係からいってマトロソヴァ伯が口を利いたのはすぐに理解できる。


「まったく、あの皇帝は子供ですね。本当に」


 レンは1人になった独房で呟く。彼の両腕の骨は棒で叩かれた時にヒビが入ったようだ。

 彼は意識レベルを低下させ、半分眠っている状態、仮眠状態となる。

 すると、彼に直接声が聞こえて来た。耳に聞こえているのではなく、精神に直接語りかける様な声である。


「お父様…… 聞こえますか、お父様」


 頭に響く声、この連絡はサキュバス族のリスミーが持つ“明晰無”の能力を、ノード族のシオンが持つ“Wi=Fi”の能力で飛ばしているものだ。

“明晰無”は夢の情報をコントロールする能力であり、“Wi=Fi”は精神的な効果を範囲内に拡大するものである。

“Wi=Fi”の範囲には限りがあり、対象数を増やすとシオンの負担が増大するため、あまり何度も使えない。

“明晰無”は映像も伝達できるが、その場合も“Wi=Fi”で送る情報量が莫大に増えて負担が増えるため、効率化を図ることと、距離がある場合で精度を高めたい場合、音声だけを送っていた。

 声を発しているのは、彼の2人の娘達のようである。


「パパ、怪我は大丈夫? 痛くない?」


 2人の娘は、レンの精神が、身体が発する痛みによって苦しんでいる事を心配していた。


「大丈夫だよ。人間はこの程度じゃ死にはしないさ」

「パパに痛い思いをさせるなんて絶対に許せない! 絶対に倍返ししてやる……」


 片方の娘は、恐ろしい口調で復讐を誓っている。


「ところで、例の作戦の為にシオンはエネルギーをなるべく溜めなくちゃならない。決行は一カ月後、メトネは後宮の準備を予定通りに。フローラはトーマスに例の作戦を避難民まで拡大して進めるように伝えてくれ」


 レンの指示は手短であった。必要事項は既に打ち合わせてあるからである。


「わかったわ、任せて頂戴。お父様」

「こっちも準備を進めておくね。大好きよ、パパ」

「ああ。あとは任せるよ。じゃあシオン、“Wi=Fi”はもう切ってくれ」


 レンが命じると、リンクされていた“明晰無”は直ちに切断される。

 そして、後にはアスタナ要塞の暗い地下室の静寂だけが残った。彼は、あまりの身体からの痛みに仮眠状態からすぐに目覚めてしまう。


「ふーっ、準備が整うあと一ヶ月はとりあえずこのままでしょうね。作戦が始まったら忙しくなるでしょうから、まぁ、せいぜいここでゆっくりしていましょうか」


 レンは傷ついた身体を床に転がした。

 だが、骨の折れた両腕は腫れあがって熱を持っており、なにをするにも常に激痛が走る。身体中の皮下出血も彼に酷い苦痛を与えていた。


「ああ、こりゃ痛いや。やっぱり、後で仕返しすることにしようかなぁ」


 レンは、知恵者とは思えない感情論で、先ほどの自分の意見の手の平を返している。


****************************************


 エルミナ王都サマルカンドの攻防戦は最終段階に来ていた。

 シル川水系の補給路さえ無事であれば、いくらでも籠城に耐えられるよう計画された強力な城壁や天然の要害も、王都に住む大多数の市民を抱えている環境で、補給を断たれては長く持たない。

 さらに、ファルス軍は戦術的な勝利を最大限に利用した精神戦に出てきた。

 ファルス軍の航空騎部隊は、包囲下の困窮で苦しむサマルカンド市民に対して、アスンシオンに亡命し、贅沢な暮しを続けているエルマリア王女や聖女連隊の様子を、撮影球で撮って印刷したビラを上空から大量にバラ撒いたのである。

 彼らランス族の種族の誇り(エラン ヴィタール)であったエルマリア王女と聖女連隊が、国を見捨てて国外に脱出したことは、国民に知らされていなかった。

 亡命が事実だと知り、かつ自分達が困窮しているのに、優雅な暮らしを続け、さらに戦う事から常に逃げる彼女達をみて、包囲下の困窮に耐え抜く為に必要な、市民の精神力は完全に打ち砕かれた。

 エルミナ宰相のエフタルは必死に市民の暴動を抑えようとするが、大都市を支えるには彼らの方針は余りにも意思統一が成されていない。

 それでも、サマルカンド市の城壁は堅固さを誇っていたが、この市門の攻略に、タシケント太守ら寝返ったエルミナ軍の将兵が加わり、最終的には市の隠された地下水路から侵入した部隊によって、市門を突破されてしまう。

 騎士長バンクレインは騎兵隊を指揮し、市内を駆けて市門を死守しようと奮戦するが、政府を見限った市民達の妨害により、それもままならない状態だった。

 開かれた市門から突入したファルス軍は、その日のうちに市内全域を制圧する。


 サマルカンド市民は、王女や聖女連隊の怠惰に怒り、エルミナ政府の対応に不満を持って自国の政府を見限ってファルス軍を迎え入れた。だが、それはファルス軍との交渉によって認められたわけではない。

 彼らの安易な行動は、ファルス軍による徹底的な王都の略奪という結果で示される。

 長期間に渡るエルミナ戦役で鬱憤の溜まったファルス軍は、市民が城門の解放に協力したなどという事実は無視し、見境なく略奪に走って財宝を奪い市民を虐殺した。

 結局、アイダール湖に浮かぶ大陸一美しい都と謳われたサマルカンド市は、破壊と暴力が吹き荒れる地獄と化す。


 総司令官のテニアナロタ公ら、アスンシオン軍の将兵は疲れ果てていた。

 市街は陥落したが、アイダール湖の中央部に浮島のように突き出た王城は健在である。

 だが、すでに反撃する余力はない。援軍も来ない事は誰もが知っていた。


「総司令官、エフタル宰相が敵に投降しました」

「そうか……」


 事実上、エルミナ王国の実質的に指揮していた宰相が降伏したことにより、エルミナ戦役はエルミナ王国の滅亡で幕を閉じた。

 王都市街の陥落と政権の降伏を受けて、エルミナ王国の諸都市は、ファルス軍に対して自ら物資を供出する代わりに略奪されないという条約を結んで次々と降伏している。


「いまさら言っても仕方がない事だが、義憤に駆られて安易にエルミナなどに来るのではなかったなぁ」


 中路軍参謀のハウンズ・リッツ・ユクスキュルが嘆息する。彼の息子は第22師団長として、敵中に孤立し戦死したと報告されている。

 テニアナロタ公も肩を落としていた。彼の息子のマチスが市街戦で敵の捕虜になったという。市内で奮戦していたエルミナ軍騎士長バンクレインは、どこかに潜伏しているらしい。


「先帝アヴァルス三世陛下と、先のエルミナ国王オストラゴス三世陛下に遺言され、リュドミル皇帝とエルマリア王女の婚姻を承り、両国の安寧を請け負っていたが…… 無念だ」


 実は、帝国宰相のテニアナロタ公は、この両者を結婚させて、両国を統一させる橋渡しをするように両者から遺言されていた。

 ただし両国の内政的実情には違いがある。同じラグナ族系統、マキナ教徒が主体の国とはいっても、アスンシオンの制度を受け入れられないエルミナのランス族もいるし、エルミナのラグナ族第一主義を受け入れられないアスンシオンの国民もいる。

 それらをうまく調整して事にあたったはずだったが。結局、リュドミル皇帝はエルマリア王女を人格的に無視し、エルマリア王女はリュドミル皇帝の性格を嫌悪した。

 先の指導者達の感情論による遺言によって、今回のエルミナ戦役へのアスンシオン帝国の全面介入に繋がり、現の指導者達の感情論による人間関係の不和は、そのまま両国の連携の乱れという顕在した事実となって、彼らの全面敗北を招いたのである。


 そして、エルミナ王国がファルスに降伏する為の条件がやって来た。

 テニアナロタ公や、帝国軍幹部らのいる王城の一角にエルミナ軍の兵士が突入して来たのである。

 アスンシオン軍将兵の全員武装解除、これはエルミナが降伏するにあたり、ファルス側がする当然の要求である。

 だが、テニアナロタ公も、ここにいる帝国軍将兵達も、ここでおとなしく捕縛されることで今後のアスンシオン国内での戦闘で、敵に交渉材料としての利になってはいけないことは確認しあっていた。


 エルミナ王国での戦いは終わったが、アスンシオン帝国の戦いはこれからも続く。

 テニアナロタ公を始めとした、帝国軍将兵は武装解除を拒否し、激しく抵抗した。

 彼らの奮闘は、降伏したエルミナ軍だけでは対応できず、ファルス軍の精鋭も投入される羽目になった。

 彼らは、サマルカンドの王城の一角にて最期の一兵が果てるまで奮戦し、その勇猛さを大陸に轟かせたという。

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