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塔6~守りたいもの③

 後宮でも、皇帝軍敗北の報告を聞いて混乱が広がっていた。

 警察大臣のフィリップ・コイスギンと陸軍大臣のグリッペンベルグ卿は、遂に準備していた国民総動員令を発令し、帝都市民の軍隊への強制徴用が決定される。

 東から迫るレナ軍がクラスノ市を陥落させ、さらにアテナ族の海軍がエステル川河口のカルガソク市を略奪したという情報が入り、もはや帝都の市民がいままでの生活を維持できない事は自明となっていた。

 商品は管理制となり、レナ軍侵攻の頃から順次制限されていた娯楽や嗜好品は制限される。

 また、個人所有で軍需品に使えそうな物資はほとんど強制に近い価格で徴発された。


 アンセムは、この最大級の国難に際し必死に働いていた。

 皇后という立場上、おおっぴらに人前には出ないが、後宮に隣接する政庁まで出て、昨年の籠城戦の時のような忙しさで、東から迫るレナ軍に対する防衛、北から迫るアテナ海軍をエステル川流域に入れないようにするための防御措置、西に敷かれたアカドゥル渓谷の防衛線の構築等の指示連絡に追われている。

 そのため、後宮の諸事、たとえば彼の身体が皇帝との間に作った子のことなど、すっかり忘れてしまっていた。毎日、自分の子供と顔を合わせる事すらしていない。


 夕方、疲労して帰宅したアンセムに対して、マイラが心配そうな顔で報告する。


「皇后様、今朝から皇太子さまの姿がお見えになりません」

「あれ、確か今日はタチアナが遊んでくれているはずだけど」

「それが…… タチアナ様も姿が見えないのです」


 蒼ざめて報告するマイラ。もしメイド長のティトが病床でなければ、彼女は陣頭指揮をとって問題解決のために正確な対策をしていただろう。

 だが、ティトは病床でもはや動けず、後宮の妃やメイド達はこのような不測の事態に右往左往するだけであった。

 そしてここで、アンセムは致命的なミスを犯す。


「きっと、どこかの部屋で遊んでいるのだろう。マリアンやソーラに連絡して後宮内を探してきてくれ。夕食の時間になれば腹が減って現れるさ」


 アンセムは相当に疲れていた。今朝仕事に出たのではなく、昨日の朝政庁に出仕し、それから30時間も働いて夕方に帰宅したのである。

 男性思考である彼は、家事の事、特に子供の世話などに興味を抱かない。そんなことは女達だけで上手くやってくれと考えていた。


 アンセムは3時間ほど仮眠して、夜半に起きた。だが、夕食の時間を過ぎても皇太子とタチアナの姿は見つからない。妃やメイド達は後宮内を総出で、隅々まで探したがそれでも見つからないという報告を受けると、さすがに彼も事の重大性を理解する。


 後宮は閉鎖空間である。万全を期すならば、城門の封鎖措置や通過者の確認などは簡単にできたはずなのだ。

 もちろん、後宮警備隊がいるので、アンセムは何者かが勝手に皇太子を連れだせるはずがないという思い込みもあった。


「まさか…… タチアナが?」


 そして、タチアナとその侍女達が後宮にいないという報告は、アンセムをさらに動揺させた。


 アンセムの後宮改革により、後宮の出入りの条件は比較的緩やかになっていた。

 特に士官学校の出身者は、日帰りであれば簡単に許可が出る。

 これは、前線に多くの人が取られたため、特に女性に関しては士官学校の教官の確保が難しくなっているためだった。

 法兵はともかく、航空騎兵の教官は男には務まらない。理由は至極簡単である。かつては航空騎兵にも戦術や武術指導のために男性教官もいたが、生徒と男女の関係となって航空騎候補生を引退させたことがあった。

 そのため、航空騎士官学校は厳格な男子禁制となったのである。

 現役の航空騎兵は皆前線で戦っている。そして、卒業して航空騎兵にならない者はすぐに“ヴェスタの加護”を失うので、実戦的な教官にならない。卒業生でかつ“ヴェスタの加護”を持つ後宮の士官は非常に重要だったのだ。


 調べるとタチアナは朝に、いつもの教養のために侍女を連れて後宮を出たという。

 だが、彼女はアンセムに昨日、皇太子の面倒を見ると言っていたし、航空騎士官学校を調べると今日は来ていないという。

 10か月の乳児など、泣きさえしなければ、何処にでも隠して後宮外に連れ出せるだろう。

 そもそも、後宮内で信頼していたタチアナが、このような行為をするなどとは思いもよらない事だったのである。


「タチアナ様が連れ出すとすれば、どこへ……」


 マイラは蒼ざめている。極論すれば、皇太子の身に何かあれば世話係のメイドは死刑である。いや、ただの死刑ではおそらく済まされない。


「マイラ、心配するな。君の所為じゃない。子供は私が探し出す」


 アンセムはマイラを男らしく慰めたが、本来、これはすべて彼の責任である。

 彼は自分の子供がいなくなったというのに、すぐに対策を取らなかった。

 乳幼児である皇太子アンセムに必要だったのは、不安で動揺する女を慰める男らしい態度ではなく、母親らしく常に優しく子供を見守る温かさだったはずである。


****************************************


 翌朝、皇太子の所在はすぐに判明した。後宮籠城の後に仮の政庁として使われていた陸軍省にいたのである。

 そして、この場所の新たな主となった者は、帝都内に通告を出した。


「北方総督、シェルパ・コンテ・タルナフはここに宣言する。先皇帝、リュドミル・シオン・マカロフを本日付けで廃位。皇太子アンセム・シオン・マカロフが新たな皇帝として即位するものとする」


 タルナフ伯は自分の配下の第2師団、ヴァン族、テーベ族の部下を使い、夜の内に恐るべき手際の良さで、帝国議会、陸軍省、警察省、参謀本部そして各新聞社や通信施設などの帝都機能の中枢を抑えた。

 そして、帝都の全ての機能はあっさりと無血占拠されてしまったのである。


 陸軍大臣のグリッペンベルグ卿などは、皇太子が人質になっているという以上抵抗できず、大臣達もほとんどが拘束されてしまった。


 昨年の種族解放戦線のクーデターと同じような手口だが、彼らがもともと非政府系組織として流血を伴う強引なやり方でそれぞれの施設を占拠したのに対し、タルナフ伯はもともと次期宰相候補と目されていた人物である。

 彼が皇太子を建て前にしてクーデターを実行してしまえば、兵士や市民の動揺は驚くほど少ない。


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