塔5~帝国軍壊滅⑦
カルシ市に置かれたファルス軍の本営では、撤退しようとするアスンシオン軍への追撃戦と周辺部隊に対する殲滅を終え、今後の方針について軍議を開いていた。
既に西路軍撤退の情報を入手しており、アム川周辺はファルスの勢力圏になったといってよい。また、前衛部隊はすでにエルミナ王都のサマルカンドの南方に布陣していた。
「サマルカンドはアイダール湖に浮かぶ要衝、シル川によってタシケント、カラザール、バイコヌールと繋がっており、敵の補給を完全に遮断する事は困難です」
宰相のアル・マリクは現状を報告した。
「それは持久戦になりそうだね。攻城戦となれば時間もかかるし」
国王アルプ・アル・スランは嘆息する。彼は戦力の集中で敵を撃破したが、カルシの戦いでは敵の要塞線への助攻をしたので、ファルス側の損害も大きい。
同盟国のカンバーランド軍は、今回の戦勝によりさらに騎兵5000、歩兵20000の増援を決定し、消耗した賢者連隊の補充もした。友好国のデモニアからのさらなる物資援助もある。しかし、それらの物資を集積させ、攻城戦を準備するのにかなり時間がかかる。
「先にカラザール、バイコヌールへと進出し、敵の補給を断つというのはどうだ?」
大将軍アル・タ・バズスは強気の浸透策を提案した。
「それでも敵の補給路は完全に寸断できない。シル川は敵の河川艦隊が優勢で、我々の技術力ではそれを阻止する河川陣地の建設は困難です。それに、カラザール、バイコヌールはアスンシオン領。ここに進軍するなら、我々はもうひとつ覚悟が必要になりますな」
宰相のアル・マリクは説明した。覚悟とは、アスンシオンをエルミナの同盟国ではなく主敵として戦うという事である。
「つまり、アスンシオンの国境は侵さない約定で、彼らと妥協する方針を捨てるということですね」
美形の外交官マールバラは言う。
「それだけではない。アスンシオン領内に積極的に進軍する事で、相手の意図を挫く可能性も確かにある。しかし、逆に敵の国民に火を付けてしまうことも考えられるのですよ。他国の戦争と自国の戦争ではわけが違います」
「では、それについて、わたしくめにひとつ策があります」
今回のグライダー作戦の立役者であるバールバドが手を挙げる。
「宮廷楽師殿のアイデアなら、また奇抜で無茶苦茶な策なのだろうな」
大将軍アル・タ・バズスはいつものように皮肉った。バールバドは苦笑している。
「敵傘下のカウル族は、バイコヌールとカラザールの間にあるマーワラーアンナフルに自治領を持っていますが、どうやら敵のラグナ族達と上手くいっていないようです」
「ほぅ?」
彼らもカウル族の軽騎兵隊は警戒していた。それが戦わずに戦場を離脱したのである。
「どうやら彼らは兄弟で内紛を起こすようです。であれば、我々がその誰かを支援して族長の地位を約束すれば……」
「それはなかなか良い策ではないかな。土産に、我々が占領したエルミナの土地を持参すれば効果的だろう」
アルプ・アル・スランは即座にその提案の有効性を理解し、彼らに十分な利益を与えられる事を提示する。
結局、ファルス軍の今後の方針は、カルシの戦いで完全に勝勢となったことで、各都市に圧力を掛けつつアスンシオンやエルミナに対して、内部離間工作を進める案にまとまった。
軍議が終わり、いつもの戦勝の宴が用意される頃、会場に踊り子のファティマが入って来た。
「アルプ・アル・スラン様、ミトラ様達が到着しております」
踊り子のファティマは報告すると、いかにもファルス風の衣装を着た娘達3人が会議場に入って来た。
「陛下、戦勝おめでとうございます」
彼女達は三姉妹。アルプ・アル・スランの妻ミトラ、アル・マリクの妻アナーヒタ、アル・タ・バズスの妻エラハーである。
「まったく、我が国の戦勝の歌姫達が揃ってやってくるとは、まだ勝利は遠いというのに」
大将軍アル・タ・バズスは苦笑する。
ファルスでは、勝利の後に踊り子を招いた宴をする伝統がある。その席には、子のいない妻がいれば、妻が同席するのが普通であった。
もちろん、勝利の後の宴はどこの国でも行われていることであるが、トルバドール族の女性には他の種族にはあまり知られていない特殊能力があると噂されており、それ専用の部隊がある。そのため勝利の後で彼女達を戦場に連れてくることはよくあることであった。
ただし、ファティマは踊り子連隊の隊長であったが、今までエルミナ戦役での参加は少なかった。彼女の部隊はいつも後方にいて前線には来ない。
理由は、兵力的に劣勢で敗北の危険があったからである。ファルス軍は、強兵ではあるが、敵を侮ったりはしない。ちゃんと敗北の危険性を認識していたのである。
宴の席で、上機嫌のアルプ・アル・スランに、妻のミトラは酒を注ぎながら言った。
「陛下、そろそろ国に戻られることもご検討くださいませ。ローランド戦役から1年、一時的な帰国はありましたが、国民は陛下のご帰還と戦争の終結を望んでおります」
「そうだろうな。むしろアスンシオン軍が適切に対応し、我々を確実に追い詰めて逃げ帰らせてもらったほうが我々夫婦や家族にとってはよかったかもしれない。戦死したエラン・ジャーティマの事を考えれば……」
しかし、アルプ・アル・スランの決意は固い。彼は、家族の為ではなく国家の為に戦うと決めているのである。
「だが、相手が失策したのなら、国益の為に常に戦果を拡大していくまで。それが国王の責務だからな」
ファルス王国のトルバドール族は個人意識が強い国である。
しかし、それは国民の国益意識が低い事とイコールではない。
ファルス軍の強さは、これらのことを国王や幹部が理解し、勝利の為に全力を尽くしていることにあるだろう。
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南ウラル地方の要衝にあるクヴァシ要塞を守るアスンシオン軍第14師団は、ラブリュス王国の奇襲にも関わらず、堅実に守備を固めていた。
近くのアーリア海峡に駐留していたシェルパ・コンテ・タルナフ率いるアスンシオン軍の南ウラル防衛軍は、時を無駄にすることなく、配下の第2師団を率いて進撃を開始、ラブリュス軍に痛撃を与えた。
ルサルカ族の男子は重装歩兵を基幹とする都市種族で、女性の羽衣連隊が有名であるが、今回のクヴァシ要塞攻撃では連れて来ていないようである。ラブリュス軍の兵力は2個師団程度と見込まれる。
アスンシオン軍は要塞という有利な環境にあり、同等の兵力があって、航空優勢もあった。
ラブリュスは精強な軍隊を持つ中規模な国家だが、周辺に敵対する国家をたくさん抱えている。いかにアスンシオンがエルミナ戦線やハイランド戦線に張り付いているとはいえ、主力も投入せず、分遣隊だけでの攻撃はいささか安易すぎた。
もっとも、彼らがレナ王国に提案した、クヴァシ要塞とヴェルダン要塞への同時攻撃という約定を果たすために、杜撰な攻撃となってしまったのも致し方が無いことなのかもしれない。
「閣下、ルサルカ族はアテナ族やレナ族と同盟を結んだようです。アテナ族はおそらく海軍を動員して、タイミィルやオビ海への攻撃を企図しているでしょう」
タルナフの傍らにいる男はフレームレートというタイキ族の男である。彼はタルナフの古くからの参謀であった。
タイキ族は、いくら鍛えても筋肉が強くならない。またPN回路もない。肉体的には極めて非力な種族として知られているが、計算力や記憶力が抜群に良く、器用で、知らない知識や技術を持っている。
「アテナの海賊どもは巣をどんどん遠くへと逃げて行くからな。いくら叩いても殲滅できん。しかし、この状況でアテナ族がオビ海から参戦して来るとなると、ついに我がアスンシオンも進退窮まるな。さらにファルスとレナ、どちら単独でも軍事的に対処するのは難しいだろう」
「軍事力を数字だけで計算すればそうなります」
「ああ、では名参謀殿ならどうする?」
「今回の場合は、顔といくらかの手足を切り落とせば中身は助かるかもしれませんね」
「顔といくらかの手足か…… やはりそうなってしまうのか」
「帝都の軍事力に空白が生まれている今ならば」
「なるほど、では、要望通り帝都に戻るか。ゴードンと打ち合わせよう。あとは…… 後宮のタチアナに」
タルナフ伯率いる南ウラル防衛軍は、ラブリュス軍の侵攻が小康状態となったことからしばらく放置し、皇帝軍と合流するよう命令されていた。
彼は、素早く軍をまとめると、独自の準備を進めながら、その命令に従って帝都への移動を開始する。
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5月下旬、ハイランド戦線に投入されていた帝国軍が続々と帝都に帰還する。
皇帝リュドミルは、すべての師団の到着を待たず、ただちにシル川流域のカラザール市へと進発する予定であった。
大臣達は、皇帝の直情的な性格を不安視したが、このような事態となっては致し方が無い。皇帝の参戦という士気向上、鋭敏な機動によってエルミナに一撃を与え包囲されている味方を援け、ただちに引き返してレナ軍を防ぐ他ないからである。
シル川流域には、エルミナ王都サマルカンドに第1師団とエルミナ第1師団、聖女連隊。上流のコーカンドに第5師団。タシケントに太守のタシケント率いるエルミナ第5師団が配置されている。だが、シル川下流は防御部隊が貧弱で早期に敵が来ると危険な状態だった。
だから帝国軍は、カラザール市に集結し、アム川より河川経路で撤退した第10師団、第18師団の残余部隊、西路軍の第3師団、第6師団、第16師団の合計6個師団を現地で合流させ、河川艦隊を利用してサマルカンド救援を実現する予定である。
しかし、問題なのは帝国傘下のカウル族の動向だった。
カウル族は、族長の死後、長男クトゥクと次男エゲン、そして三男バアトルが対立。特にクトゥクとエゲンは既に自分の遊牧地に戻って、交戦準備を始めているという。
カウル族自治区はカラザールとバイコヌールの間にあり、彼らの動向如何によってはその後の方針を左右する状態にあった。
「ロクな役にも立たない異種族など帝国には不要だったのだ!」
ラグナ族第一主義者のある幹部はカウル族の無断での戦線離脱や、アヴジェ族部隊の寝返りを非難する。
だが、良識的な者からみれば、この指摘はおかしい。
カウル族は当初、同盟種族の中で最も士気が高かったのだ。兵力も帝国政府の要望よりも多く動員しているし、なによりカウル族旅団は族長自ら参戦していた。
無駄な防御戦術で彼らの士気を殺したのはアスンシオンである。
実際、最も役に立たなかったのはエルミナ軍、つまりラグナ族と同族のランス族だった。
それを批判せずに、異種族だけを異種族という理由で非難するのは、結局、彼らの意識は酷く歪んでおり、自分の知りたい情報しか得られない思考に陥っているということである。
出陣の日、皇帝が後宮から出発する際に、カウル族の第20妃ニコレは皇帝に提案した。
「陛下、兄達への説得ですが、私も陛下に同行させてくださいませ」
ニコレは、争っているカウル族の兄弟と同腹の妹である。当然、兄達にも顔が利く。
後宮の妃は、皇帝の子を産むという前提の為、血脈を保護するため外には出られないと“啓蒙の法”で決められていた。
しかし、ニコレはH属のカウル族である。喩え子供が出来てもR属にはならず、その子はアスンシオン皇帝にはなれない。
本来であれば入宮もできないのだが、親帝国派の前族長のノヤンの願いと先帝の承認に拠り、特例で認められたのである。
「そうだな、カウル族の動向はこの戦いで最も重要だ。ニコレには同行してもらおう」
皇帝の承認を得たニコレはカウル族の女性が馬に乗る衣装に着替えると、颯爽と馬を操って皇帝の横へと進み出た。幼い頃から馬に乗るカウル族は、ラグナ族とは比べ物にならないぐらいほど騎乗が上手い。
そして、皇帝は力強く出撃の号令を掛けると、第7師団、第12師団、第13師団、第24師団を率いて帝都を出発した。
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帝都郊外の粗末な貸家に、不釣り合いな衣装を着た娘が2人いる。
1人は床まで付くほど長い薄紫の髪をした、黒と白だけのゴスロリというドレスをきた少女、外見の雰囲気からすればタイキ族が近い。もう1人は、白色と水色のアリスのエプロンドレスという服を着ているムラト族の少女がいる。
ムラト族の女性の目は瞑ったまま。どうやら盲目のようだった。
「フローラ、マスターが帝都に戻られました」
ゴスロリ服の女性がムラト族の女性に声を掛けた。その声は冷たく、抑揚はない。
「シオン、お父様はここに来るかな?」
フローラと呼びかけられた女性は、父親の動向を心配しているようだった。彼女が今着ている服は、彼女が尊敬する姉のお下がりであるが、彼女は大変気にいっていた。
アリスのエプロンドレスは、アリス族の伝統衣装である。もちろん、アリス族が似合う服であった。フローラという盲目の女性は、ムラト族であっても体型だけはアリス族に似ている。ただし、アリス族ではないので、お世辞にもアリスのエプロンドレスは似合わない。
しかし、彼女は目が見えず自分の姿も分からない以上、他の服を着る興味などないのである。
「マスターをここへ呼びましょうか?」
「いいえ、ここに来ても新しい情報は何もないもの。シオン、あとは任せたわ。シークにも伝えて頂戴。次は後宮で会いましょう」
「わかりました」
シオンと呼ばれた女性はそれだけを挨拶すると部屋から出ていった。彼女は肌や頭部の造り、抑揚のない冷たい口調からT属のタイキ族に近い種族だと思われるが、帝国で彼女の種族名は知られていない。
「さて、私もやっと本物のアリスに成れるのかしら」
フローラは、開かない目で彼女が立ち去るのを見送りながら静かに呟く。
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皇帝が出発して数日後、タルナフ伯率いる第2師団とレン率いるムラト族旅団が帝都に到着した。
命令では、先発した皇帝の救援軍を追って合流するようにと命令されている。
だが、この2人の指揮官は、2人ともこの命令には従わなかったのである。




