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運命の輪2~令嬢達の要塞⑤

 アンセムは、タチアナらに連れられ、屋外運動場にやってくる。

 屋外運動場では、放射状の離れた位置に標的が設置されており、すでにスナイプ競技の準備ができているようだ。

 この運動場は、様々なクラブに使用されるが、屋外運動場ではほとんどスナイプ競技しか行われないという。

 理由はとても単純明快である。宮女達は日焼けするのを嫌がって屋外スポーツは人気が無い。

 よって皇帝の鍛錬や一部の弓術経験者しか利用しないので、いつもこの状態のままらしい。


 スナイプは弓を使った得点競技である。制限時間内に可能な限り射撃を行うが、どんな弓を使用しても構わないのが特徴で、リロード時間によって最高得点が違ってくる。

 例えば、弩だと射程が長く命中率も高いがリロードに時間がかかり、不利になりやすい。ただし、標的を完全に外すとマイナス点があるので、あてずっぽうでも数さえ撃てば有利というわけでもない。

 射撃位置には線が引かれていて、ここから弓を撃って標的に当てる。標的は二重円が書かれており、射撃線からの距離によって基礎得点が違う。二重の中の円は基礎点が二倍になる。


 アンセムは、帝都勤務になってから、毎日のように弓術の訓練をしていた。

 実際の戦争でも法兵隊の法撃戦の後には弓の射撃戦が行われるのが普通で、実戦的な訓練である。

 こういう場所なら、女ばかりの世界でも、少しは男の世界の雰囲気を感じていた。


 タチアナやソーラ、ニコレは、なぜか皆、左胸だけ防護する胸当てをつけていた。アンセムはそれがなんのためにあるのか、理解が出来ない。


 最初に、タチアナが短弓を持って射撃線に立ち射撃を開始する。

 短弓は射程がやや短いが連射速度が速く、安定性に優れる武器だ。


「うーん、まぁまぁかな?」

「さすがタチアナ、早くて正確じゃない」


 タチアナの腕前は、アンセムから見れば普通であった。男性レベルの大会なら中堅まで届かないかもしれない。女性レベルならもう少し上だろう。


 続いてソーラが射撃線に立って、長弓で射撃を開始する。長弓は射程距離と連射速度に優れるが、弓を引くのが難しいため、習熟に訓練がいる。

 ソーラは弓をそれほど深くまでは引いておらず、丁寧に狙いを定めていて連射速度も低い。


「さすがソーラ、上手いわねぇ」

「えへへ、一番遠い的に当てたわよ~」


 タチアナは褒めているが、工兵士官のアンセムからいえば、実戦的ではないと思った。

 確かに遠距離にも関わらず命中率は高かったが、長弓の長所は命中精度ではなくて、連射力である。それを犠牲にしてあんなにゆっくり引いていては実戦で役に立たない。

 ただし、放たれた射撃自体は正確だった。

 アンセムは経験則から、長距離の狙撃は、緻密な計算をする者より、こういう天然系の性格の方が命中率は高い気がするのはなぜだろう。


「さて、次はパリスさんの番ですね。”月影”の力が久しぶりに見れるわ」

「テーベ族が短剣で投擲する姿は絵になるわよねぇ」


 次にパリスが射撃線に立つ。テーベ族らしく、太腿にガーターベルトをつけて短剣を差している。

 競技のスナイプでは、投擲武器の使用は規定違反だが、練習ではよく行われる。現実の戦闘でも投擲戦は頻繁に発生するからだ。

 パリスは、テーベ族の種族武器である投剣を次々と放った。

 テーベ族の投げる短剣は、彼女達が持つ特殊能力により射程内では障害物に命中してもそれを破壊して貫通し、勢いが衰えない。


 これをテーベ族では“月影”と呼んでいる。テーベ族に伝わる神話では、かつて月の女神から授かった力だという。

 ただし、射程外に入るとその力は失われるし、絶対に破壊できないものは貫通できない。また、もともと短剣は精密には狙いにくく、それ専門の技術がないと命中させるのは相当に難しい。

 前述の通り当てるのが難しい短剣を、パリスは驚くほど華麗な素早い動作で、近い標的を次々と破壊していく。


 彼女が外した弾はなかったが、スナイプ競技の合計得点という意味では、かなり低かった。近い標的は点数が低く、短剣の携行弾数は短弓に及ばない。スナイプは一回の射撃で使用する弾はすべて携行しなくてはならないからである。

 だが、タチアナもソーラもニコレも揃って拍手をしている。


「お嬢様方には及ばないようです」

「月影って切れ味鋭くて、すごくカッコいいよ!」


 パリスは振り返ると、にっこり微笑んで、いつものメイドの挨拶で答えた。

 ソーラは褒め称えているが、実際の戦争ではどうだろう。射程距離が短いのは致命的で、もう少し長射程の武器がいいような気がする。

 テーベ族の男性は長射程の投槍を使うが、女性に比べて“月影”の能力が大幅に落ちるらしい。


「ニコレ、ちょっと手本みせて」

「わかったわ」


 今度はカウル族のニコレが射撃線に立つ。

 カウル族の短弓を使った射撃は、とにかく連射速度が速い。カウル族は元々遊牧騎馬民族であり、アンセムは実戦でその戦い方を見たことがある。

 騎乗しながら弓の連射を加えるその技術は、軽装の歩兵相手には絶対な威力を発揮した。

 カウル族は、男子は騎上射撃を、女子は射撃を習熟させられ、ニコレもその培った技術を活かして、ラグナ族では及びもつかない俊敏さで連射を行った。

 しかし、結果的にはニコレの点数自体は、スナイプ競技としてはそれほどでもない。


「うーん…… 今日はちょっと調子がでないわね……」

「あ、今日のニコレはあの日だったかしら」

「あの日?」


 アンセムは疑問に思ったが、その時点では結論を出せず、極めて男性的な視点で彼女達の点数が伸びない理由を分析した。


 長弓を使っていたソーラは、射撃のセンスは高いが、難易度の高い長弓を引くにはまだ訓練が足りていないようだった。具体的には基礎筋力が足りない。後宮で女性が筋力をつけるというのは難しい事なのだろうが、長弓を使うなら必要なことだ。


 短弓を使っていたタチアナは、慎重すぎて近い標的を狙い過ぎである。狙いは正確だが、多少は短弓の射程ギリギリの的を狙わないと点数が伸びないだろう。


 テーベ族のパリスは、そもそも投擲の投剣を使用しているので点数外である。ただし、実際の戦闘を構想すれば、この命中精度と、“月影”という種族の力を使った強力な貫通能力は、こと屋内の近距離戦闘に関しては、現れた敵はひとたまりもないだろう。


 カウル族のニコレは、さすが短弓に慣れている種族で連射速度は抜群であったが、全体的に集中力が欠けていて、射程外の標的を狙い過ぎており、ミスが多かった。ただ、実戦において複数人で弾幕を張る戦い方ならこういう方がいいのかもしれない。カウル族の女は、柵で囲った集落の村を守っているので、この射撃戦で敵を防ぐのであろう。


 アンセムは脇にあった長弓をそっと取りあげて構える。

 工兵は射撃戦闘の訓練科目が多く、アンセムはその成績がとても良かった。こういう場面で得意な分野に対して女にいいところを見せようというのは男の性である。


 彼の身体は完全に別人になり体格も筋肉の付き方もまるで変わってしまったが、集中力は失われていないはずだ。


「ちょっと! エリーゼ様。そのまま撃ったら……」


 標的に集中しているアンセムの耳にソーラの声は聞こえない。

 研ぎ澄まされた精神集中で放たれた矢は正確に遠くの標的の中心を射抜いた。

 タチアナとソーラは驚いた様子でアンセムを見たが、それはアンセムの射撃の上手さに対してではなく、弓を放った後に苦痛で悶絶し、蹲るアンセムを見てであった。


「い、痛っ!」

「大変、すぐに医務棟に連れていきましょう!」


 その時、アンセムは弓を撃つ時の彼女達がなぜ左胸だけ胸当てを付けて射っていたのか、その身を持って理解した。

 女の身体では矢を放った後に弦が乳房に当たるのである。そして胸に当たると凄く痛い。

 アンセムは今まで感じた事のない程の激痛に呻き声しか出なかった。


****************************************


 タチアナとソーラは、アンセムを医務棟の診察室に運びこんだ。

 すぐに、医療を行うナースメイドによる左胸の腫れに対する消毒が行われる。


「痕が残らないケガで何よりでした」


 侍女のマイラはアンセムに優しく話しかける。女性にとっては痛い事よりも痕が残らないかどうかの方が大切らしい。


「左胸の炎症ですね。ロキソフェンを投与したから、痛みと腫れは次第に治癒すると思います」


 ナース長のユニティが、アンセムの負傷について説明する。

 アンセムは痛みを堪えて涙目になりながらも、椅子に座って素直に話を聞いていた。


「エリーゼの胸が大きすぎるのが悪いんだよ……」


 アンセムはぼそっと自分の失敗をエリーゼの身体に所為にして、身勝手な責任転嫁を呟いた。


「ほんとに大事がなくてよかったわ。エリーゼ様ったら、スナイプ未経験なら最初に言ってくれればよかったのに」


 タチアナは言う。未経験じゃない、女として初めてだっただけだと抗議したかったが、そこは堪えた。


「でも、扱いが難しい長弓であの距離を正確に射抜くなんて、エリーゼ様、絶対才能あるわよ」


 ソーラは褒めている。アンセムは逆にソーラに対して上官気分を思い出して「もう少し練習しなさい」と言いたかったが、そっちも堪えた。


 医務棟は、後宮の医療を行う施設である。

 後宮での医療は全て自前で行い、皇帝だけでなく宮女達の診察や、後宮の健康管理も担当している。

 帝国の最高権力者として皇帝の健康には最大限の注意が必要であることから、ナースメイドの一部の者達は優れた医学の技術と専門の知識を持ったエリート達が集められている。

 もちろん、医務担当のナースメイドだけでなく、看護担当のナースメイド達の能力も極めて高い。


 ユニティは、ナースメイドを統括するナース長であり、医学のエキスパートである。

 後宮の女性達の中でナースメイドの医務担当だけは、特例で“ヴェスタの加護”、つまり処女である制限が無い。理由は彼女の様な最先端の知識と技術を持つタイキ族の娘を採用するためである。


 タイキ族の容姿は、肌が白くて髪が薄い青色、女性は小柄な体格をしている。極めて非力で体力も乏しいが、正確な動作を行い、知能が抜群に高く、記憶力も優れていて、一度見たものは絶対に忘れないという。他の種族と比較して、寒冷に強く湿気に弱い種族で、目や髪、そして肌の質感がかなり異なる。

 帝国内ではかなり少数派の種族であるが、その知力の高さから様々な専門技術的な職業に就いている事が多い。

 後宮でタイキ族を医務担当として雇う為だけに、特例が設けられていることでもそれは理解できる。


 外見上では簡単にはわからないが、種族分類学者はタイキ族を人間はおろか生物でもないと指摘している。

 理由は、他の生物と違い、身体の主な構成元素がケイ素であることらしい。よって体内のあらゆる構成物質が違っており、血液も白い。だが、不思議な事に体内の恒常性に関する機能は、人間に極めて酷似しているという。

 帝国で使用している種族分類学者が作成した人類系統表では、ラグナ族はR属、カウル族はH属という人間種の分類であるが、タイキ族はT属を当てられているものの欄外扱いである。


 治療の後、カウル族ニコレは恥ずかしそうにユニティに話しかけている。


「あの、ユニティさん。アレ……を」

「あ、アレね。はいはい」


 アンセムはよく分からなかったが、ユニティは看護担当のナースメイドに合図すると、袋に入れた何かの製品をニコレに渡しているようだった。


 治療が終わり、そろそろ陽は沈みかけていた。アンセムはタチアナ達と、挨拶して別れる。

 しかし、アンセムはナースメイドがニコレに渡した物に興味があって、そのままユニティに尋ねてみた。


「ユニティさん、ニコレは何かの病気なのですか?」

「ああ、あれは月経よ。貴方達R属のラグナ族にはないんだっけ」


 月経…… 確か種族分類学で、H属の人類と高等霊長類に特有の症状で、排卵時に受精が行われなかった場合、子宮の内膜が剥がれる症状だっただろうか。


「子宮の内膜が剥がれるって、痛そうだな」

「まぁ、本当は排卵と月経には絶対的な因果関係があるわけではなくて、例えば貴方達R属は排卵されてもホルモンバランスの恒常制御で、めったに月経は起こらないみたいね。ストレスがあると発生する事もあるけれど」

「薬で治せないのですか?」

「治すものじゃないのよ。ただし、月経は女性にとって必須なものでもない。H属の人類でも妊娠中や出産後のしばらくの間は月経がないけれど、いたって正常よ」


 病気ではないのに痛みと出血があるという。それは恐らく大変な事なのだろう。


「ふーん…… H属の女は大変なんだなぁ……」

「本当は、突きつめればもう少し重要な秘密があるんだろうけどね」


 ユニティは静かに呟く。


 なぜH属の人間種に月経があるのか、なぜR属にはないのか、その事実は種族分類学者にある仮説を推定させている。

 R属とH属は、混血可能な近縁の人類種であっても、同じ祖先系統から分岐したのではないという仮説である。


 だが、現時点ではその仮説を証明する方法はないし、仮にそれが事実だとしても彼らの運命が変わるわけではない。


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