僕が持つもの、君が持つもの (後)
何事もなく時は流れていき、ついに球技大会当日を迎えた。
指の怪我は無事に完治したが、結局今日まで練習することができなかったのが痛い。
しかし、それを後悔したところでどうにもならないので、今は無事に球技大会に参加できたことに感謝し、今日の試合のことだけを考えることにした。
この球技大会は、学年ごとのクラス単位による総当たり戦だ。
僕が選択したバスケットボールの場合は、補欠を含め、一クラスに二チームずつチームが存在している。
二チームずつあるといっても、クラス単位での総当たり戦のため、二つで一つのチームということになる。
一つのチームが試合をしているあいだは、もう片方は応援に回るということだ。
このため一チームの試合回数は、二~三回となるが、一番下手な僕は一度補欠に回っているため、実質試合に出るのは一回だけ。
もちろん、一回だろうが二回だろうが、試合に出る以上は特訓に付き合ってくれた茜たちのためにも全力を尽くすつもりだ。
その他のルールとしては一試合10分、試合を並行して行うためにコートは分割され、公式のものよりも小さくなっている。
また、未経験者ができるだけ不利にならないようにと、3ポイントシュートはなく、どこからシュートしても加算される点数は2点。
後はボールを持って3歩以上歩いてはならないなど、基本的にバスケットのルールに乗っ取って行われる。
そして上げられた球技大会の幕。
対戦の組み合わせが張り出され、確認をしてみると僕の試合はだいぶ後の方、というか一番最後になっていた。
午前にも一試合あるが、僕は一度補欠になっているので、その試合では応援がメインとなる。
時間になり、第一試合目が始まった。
僕らのチームは、バスケ経験者が恭太郎を含め二人。
対して相手チームには、現役のバスケ部が二人いる状態だ。
試合は終始接戦となったが、シュートの成功率の差が勝敗を分け、僕らのチームは惜敗。
幸先の悪いスタートとなってしまった。
かに思えたが、もう一つのチームが絶好調であり、まさかの全勝という好成績をたたき出した。
これで、まだ学年優勝を十分に狙える範囲となる。
途中、女子の様子も見に行ったが、茜はソフトボール、津山さんはバレーボールでそれぞれ活躍し、勝利を収めていた。
この結果を見て、僕と恭太郎は次の試合で絶対に勝とうと、それぞれ士気を高めたのだった────
そして迎えた最終試合。
ついに僕の出番がきた。
それぞれのクラスの戦績を確認すると、全勝しているクラスはない。
つまり今1敗同士である僕らのチームと相手チーム、勝ったクラスが優勝ということになる。
これを受けて、僕達選手はさらに士気を高め、試合に臨もうとしていた。
しかし、驚くことに相手チームは五人のうち三人が現役バスケ部という強敵揃いであった。
事実上の決勝戦ということもあり、多くの学生が体育館に集まる。
「涼も恭太郎も負けたらただじゃおかないわよっ!!」
「二人ともファイトですよー!」
観客の中にはよく見知った顔も見受けられる。
「こりゃ負けるわけにはいかないな」
「そうだね。頑張ろう」
と、お互いに強敵に立ち向かう覚悟を決めた。
「おい、神谷」
試合前に僕の名前を呼んだのは、前に教室で話しかけてきたチームメイトだ。
「頼むから足だけは引っ張ってくれるなよ」
「うん、できるだけ頑張るよ」
もちろん足を引っ張る気は毛頭ないが、僕がこのチームのお荷物であることには変わらない。
彼はそれ以上何も言わず、最後に僕を一瞥してコートの中に入っていった。
体育館の中はこの時期にもかかわらず、生徒たちの熱気で暑いと思えるほどに気温が上昇していたが、コートの中ではそれがより一層強く感じられた。
球技大会とはいえ、みんな真剣に取り組んでいるのだ。
彼もその一人なのだろうと僕は思った。
まずはコートの中央に集まっての礼。
僕以外の九人とも、この雰囲気に飲まれている様子はなく、引き締まった顔で互いに向かい合っていた。
よしっ、と心の中で活を入れ、僕も顔と気持ちを引き締める。
そして次はジャンプボール。
審判がボールを真上に高く放った瞬間に試合は始まる。
全員がコート中央の円の付近に陣取り、審判がボールを構える。
緊張の糸が張り巡らされる、試合開始数秒前。
この数秒間だけは、館内が静まり返った。
他人の呼吸音が聞こえてきそうなほどの静寂の中で、審判の手からボールが高く放られた。
試合開始だ。
最初にボールを手にしたのはこちらのチーム。
すぐにパスを受け取った恭太郎が、相手が守りに戻る前に一気に敵陣地へと切り込み、シュート。
開始早々2点を先制した。
「いいわよー、恭太郎ッ!!」
大勢の中にいてもよく通る茜の声が聞こえた。
だが喜びもつかの間、すぐに点を取り返されてしまう。
この試合はまさしく一進一退の攻防戦となった。
こちらが点を取れば、あちらも点を取り、またこちらが取り返す。
一秒たりとも気の抜けない展開。
そんな緊迫した試合に観戦者たちは大いに盛り上がり、声援やかけ声がこれでもかというほどに体育館内を飛び交っていた。
その声援を背に受け、コートに立つ僕たちの試合は、さらに白熱したものになっていった。
しかし点数だけを見ればいかにも競っているように見えるが、それは誤解だ。
こちらがやっとの思いでもぎ取った点数を相手はいともたやすく取り返してくる。
華麗なボール捌きに巧みなフェイント。
いかんともしがたい技術の差に、僕だけでなくチームのみんなも苦しめられていた。
それほどまでに現役バスケ部の有無の差は大きい。
さらに僕も、今の今まで練習の成果をまるで出せずにいた。
シュートをしようにも相手の妨害が予想以上に激しく、ボールが思うように飛んでいかない。
3分、4分と時間は刻一刻と過ぎていき、疲れが見え始める後半ではミスが顕著に表れる悪循環に陥っていた。
「おいっ、今のシュートぐらい入れろよ! ヤル気あるのか!?」
途中、チームメイトの彼が僕に放った言葉。
「やめろって、仲間割れしてる場合じゃないだろ」
それを聞いた恭太郎が仲裁に入ってきた。
「ったく、これなら神谷抜きでやった方がマシだったぜ」
最後に彼はそう言って、僕の傍から離れていく。
「あまり気にすんなよ」
「……うん、ごめんね」
自然と出てしまう謝罪の言葉。
試合前の意気込みはどこへ行ってしまったのかと、もう一度自分を鼓舞した。
だが、状況は悪くなる一方だった。
先ほどの出来事を境に均衡が崩れ始める。
相手との個々の技術の差を埋めるためのチームプレイにも乱れが見られ、凡ミスを連発。
シュートは入らず、ボールも奪えずと、今まで競っていたのが嘘のようにどんどん点差が開いていく。
残り時間も2分を切り、僕らへの声援も徐々に小さくなっていった。
僕らのチームを含むクラスが敗戦ムードの中、
「ほらほらっ、あきらめるのはまだ早いわよ!!」
時折聞こえる茜の声が、みんなの唯一の支えとなっていたのかもしれない。
しかし状況は無情にも好転するはずもなく、時間だけが過ぎていった。
今だに僕だけが、まだ何もできていない。
でも、それは仕方のないことなのではないだろうか?
多少練習をしたとしても、もともと僕は運動が大の苦手。
いくら上手くなりたいと願っても、いくら強くなりたいと望んでも、それだけでは自分を変えることなどできないのだから……
そう思ったとき、僕の足は地面に縫われるように…………止まっていた。
「……ごめん」
誰に向けた言葉でもない……
自然と口からこぼれた謝罪。
試合前に僕の中で燃え盛っていた炎はもはや風前の灯となっていた。
そして、その残り火は静かに消えていった────
「──何やってるのよ涼ッ!! シャキッとしなさいシャキッとっ!!」
体育館全体に響き渡るほどの激励の声に我に返る。
その声が僕の中に再び火を灯したのを感じた。
「涼、ボール行ったぞ!!」
恭太郎の声に反応するように、向かって来たボールを反射的に捕る。
しかし僕の意識はまだ試合から離れており、すぐに次の行動に移ることができなかった。
「神谷君、シュートですよシュート!! 特訓を思い出してください!!」
観戦席から聞こえた声に言われるがままシュート体制に入るが、相手はもう僕の目前へと迫ってきている。
今からのパスはもう間に合わない、このままシュートを打つしか僕に逃げ道はなかった。
しかし10点以上開いている点差に僅かな残り時間を考えれば、もう一本もシュートを外すことはできない。
そんな状況の中で、ボールが高く放たれる────
「へっ、あいつのシュートじゃどうせ入りゃしねぇよ。リバウンド捕るぞ!」
「おうっ!」
直前に聞こえてきた声。
この場にいたほとんどの者が、そう思ったことだろう。
しかし、みんなのそんな予想はすぐに外れることとなる。
左手から放たれたボールは綺麗な弧を描き、ふちにぶつかることもなくリングの中央を通り抜けた。
一瞬の間。
みんなが事態を理解するのに、それだけの時間がかかった。
「「──おおおおおおおおっ!!」」
再び湧き上がる歓声。
「ナイスです、神谷君!」
「いいぞー、神谷!」
僕に向けられた声もいくつか聞こえた。
「でも、今のあいつのシュート、なんか上手くなかった?」
「今まで手を抜いてたとか?」
「まさか……」
今までの初心者に毛が生えた程度のプレーでは考えられないシュートに驚く者もいる。
そんな疑問が浮かぶのも無理はない。
それほどまでに先ほどのシュートには目を奪われてしまう流麗さがあった。
僕自身だって驚いている。
なぜなら……
先ほどのシュート放ったのは、みんなが知っている僕ではなく……
「──ったく……見ちゃいらんねぇな」
もう一人の『君』なのだから。
「はっ、お前の運動音痴っぷりにゃあ、さすがの俺も呆れたぜ」
(……返す言葉もないよ)
「選手交代だな。このままじゃ確実にお前が戦犯扱いだ」
(そうした方が良さそうだね。結局僕は、みんなの足を引っ張ってるだけだし……)
「……ふん、だがこのままなめられっぱなしってのは気に入らねぇ」
(どうするの?)
「当然、やられた分はやり返すに決まってんだろ。さて残り時間は一分半。それで12点差ってことは…………あー、どれくらいだ?」
(えっと、だいたい13秒に1回は点を取らないと逆転できないね)
「そうか、なら余裕だな」
(ふふ……)
「あ? 何がおかしい?」
(君って運動はできるけど、計算とか頭使うのは意外と苦手なんだね。僕とは正反対だ)
「うるせぇ。余計なことをぐだぐだ話してる余裕があるなら、俺は引っ込むぜ」
(ごめん、ごめん)
そして試合が再開された。
「さて、まずはボールを奪うところからだ……なっ!!」
相手が味方に投げたパスをすかさず君は奪い、そのままドリブルで敵陣地へと切り込んでいく。
相手もボールを奪い返しにくるものの、左から右、右から左へと巧みにボールを操る君を捉えきれずにいた。
「なんだこいつ……さっきまでと全然動きが違う……!?」
「遅ぇよ」
そしてゴール近くでシュート。
「よっと」
少しもブレることのないボールは、綺麗な弧を描いてリングの中へと吸い込まれていった。
君のプレーは僕から見ても目覚ましいものだった。
ボールを操る技術力、シュート率の高さ、相手の動きに対する反応速度。
どれを取っても高水準。
おそらく運動能力だけを見ても、贔屓目なしにこの中では一番高いだろうと僕は思った。
同じ『神谷 涼』という存在なのに、君が持つもの、僕が持つものでは大きな違いがあった。
時折、僕が君のことをうらやましいと思ってしまうほどに……
「神谷、あまり一人で突っ走るな! 向こうは二人で止めにきてるぞ」
チームメイトの一人が君に向かって注意を促す。
「そんなの関係ねぇな」
しかし相手が二人がかりでボールを奪いにきても、まるで君には止まって見えているかのように的確に相手の隙間を通り抜けていった。
「まだだ、これ以上決められてたまるかよ!」
ゴール前で最後の砦といわんばかりに相手の一人が君を待ち構えている。
瞬時に相手は腰を深く落とし、左右のどちらにでもすぐに対応できるような態勢に入った。
それを見た君も安易に抜くことはできないと思ったのか、相手と数十センチほど距離を取ったところで一度足を止めた。
相手の視線は君がボールをドリブルさせている左手に集中していた。
それはまるで獲物を狙う鷹のよう。
さすがにバスケ部員ともなれば、そう簡単に点を入れさせてはくれない。
そんな彼を君がどうやって出し抜くつもりなのか、僕には想像もつかなかった。
短いようで長い一瞬ののち、先に動いたのは君の方だった。
前方に動き出したと同時にボールを左から右へと移す。
そして相手がボールに手を伸ばしたところで、また左へとボールを移した。
だが彼もそれを予想していたのだろう。
体制を微妙に崩しながらも右手を伸ばし、きっちりと左から攻める君の行く手を遮っていた。
「はっ、頑張るじゃねぇか。けど、これならどうだ?」
直後、キュッという靴と床の摩擦音とともに君の前進が止まった。
それは相手にも予想外だったようで、表情に驚きがにじみ出ている。
すぐに相手はボールを奪いに手を伸ばすが、すでにシュートを打つためにジャンプしていた君には届かなかった。
そして君は左手に構えていたボールを見本のようなフォームで放つ。
ボールは吸い込まれるようにリングをくぐり抜け、さらに得点が加算された。
君が得点を重ねるたびに観戦席からは歓声が上がり、次第にみんなの期待が高まっていく。
先ほどまでの点差は見る見るうちに縮まっていき、ついには同点にまで追いついてしまった。
(でも不思議だよ。同じ体なのになんでこんなに差が出るんだろうね?)
「お前は体の使い方が悪い。もっと感覚に身を委ねてみろ」
(そう言われても……よくわからないよ)
「まぁ、いつかわかるときがくる。さて……」
(どうしたの?)
「残り時間は十秒。ここまで俺がお膳立てしてやったんだ。最後くらいはお前が決めてみせろ。特訓の成果とやらでな────」
そう言い残し、君は僕に体を明け渡した。
君の言葉には驚いたけど、せっかく必死に特訓をしたのだから、その成果をここで試すのも悪くないと思った。
君に言われたとおり、感覚に体を委ねるように努める。
今まで繰り返し練習したシュートの感覚、そして茜達に教えてもらったことを思い出しながら、左手をボールに添え、右手にボールを構える。
そして、思い出された感覚が身体の中をすべてを満たしたとき、僕はリングに向かってボールを放った。
練習のイメージに今までで一番近いシュート。
弧を描いて飛んでいくボールは、そのままリングのふちに当たり…………
ゆっくりとリングの中を転がり落ちていった────
それと同時に試合の終了を告げるブザーが館内に響き渡る。
「今、入ったよな?」
「ああ、確かに入った」
「ってことは……」
「逆転だあああぁぁぁーー!!」
「「──うおおおおおおぉぉぉっ!!!」」
今日一番に湧き上がる体育館内。
僕のクラスの生徒たちはみんな、バスケ学年優勝の喜びを分かち合っていた。
自分の成果に驚いていた僕自身も最後のシュートが無事入ったことに胸をなでおろしている。
「やったな、涼!!」
「わわっ……!!」
恭太郎に後ろから飛びつかれるが、なんとか体制を保つ。
今日はいつも以上に恭太郎もはしゃいでいた。
「なによ涼、やればできるじゃないの」
「最後の方の神谷君はすごくかっこよかったですよ」
いつの間にか僕たちの周りは茜や津山さんなど、クラスのみんなに囲まれていた。
「ありがとう。これも特訓のおかげだよ」
あとは君のおかげだとも、心の中でつけ加えておく。
君がいなかったら、こんな結果にはなっていなかっただろうから……
「おい、神谷」
次に声をかけてきたのは、チームメイトの彼だった。
「その……今まで色々言って悪かったな」
「ううん、全然気にしてないよ」
複雑そうな顔で頭を下げる彼に僕は頭を上げるように促す。
「でもよ、あそこまでできるなら最初からやれよな」
「あはは、ごめん。あれはマグレみたいなものだから……」
痛いところを突かれてしまった。
「それに優勝できたのは、みんなが頑張ってくれたからだよ」
当然一人の力では、ここまでできなかっただろう。
クラスが一丸となってこそ、この結果は得られたものなのだ。
僕の言葉に彼は目を丸くしつつも、
「まあ、そうだな」
と言って、やっと純粋な笑い顔を見せてくれた。
この後もみんなの興奮はしばらく冷めることはなかった。
何はともあれ、これで球技大会は終わりだ。
大変なことも多かったけれど、スポーツの秋もたまにはいいものだと思った。
きっと僕一人では、そんなことを思うようにはならなかっただろう。
自分一人では変えられなくとも、誰かの力を借りれば何かを変えられるのだと知らされた。
君との関係も今日みたいにもっと変わっていければいいと思う一日だった────