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僕がお前で君が俺 (後)

 時刻は午後七時。

 今夜は叔母たちに、絶対に家に帰ってくるように言いつけらていたので、目的を果たした俺は、昼過ぎには家に戻っていた。

 なんでも理由は秘密だそうだが、今日の日付を考えれば大体予想はつく。

 いつまでも子ども扱いするなと言いたいところだが、無碍にすることもできない。

 クソ暑い気温に対抗するように冷房をガンガンに効かせた自室で適当に時間を潰していた俺は、最終的に寝た。

 そして叔母に夕食だと起こされ、リビングに行くと……


「「誕生日おめでとー!!」」


 祝いの言葉と、五人分のクラッカーで迎えられた。

「……で、なんで、お前らがいる?」

 いつも学校で嫌というほど顔を合わせている三人に向かって言う。

 俺の誕生日のことは予想に容易かったが、ここにいるメンツまではさすがに予想外だ。

「あらあら、ダメよ涼君、そんなこと言っちゃ。今日のこの催しだってみんなが提案してくれたんだから」

 くすり、と嬉しそうに言う叔母。

「はっはっは、こういうのも賑やかでいいじゃないか」

 豪快に笑う叔父。

「へへん、感動して泣いたっていいんだぜ」

 呆れるほどドヤ顔の菅。

「はい、私たち一生懸命準備しました」

 朗らかに微笑む津山。

「今日くらい素直に祝福されなさい」

 屈託のない笑顔を浮かべる茜。

 そんな陽気な世界に迎え入れられた俺は、むず痒い気持ちをごまかすためにフン、と小さく鼻で笑った。


「ほら、早く座った座った。今日はご馳走だぜ!」

 促されながら椅子に座ると、テーブルにはパーティー料理のような、なかなかに手が込んでいそうな品々が所せましと並べられていた。

 俺に料理のなんたるかなんてものはさっぱりわからないが、素直に美味そうだとは思った。


「茜ちゃんたちも一緒に作ってくれたのよ」

「へぇ、ちゃんと味見はしてくれたんだろうな?」

「ぬっ、失礼ね。どれもこれもぬかりはないわよ」

「安心しろ、涼。全部、俺のお墨付きだ」

「菅君は、料理できないからって味見ばかりしてましたもんね」

「さ、皿の準備くらいしたわい!」

「はっはっは、みんな仲が良さそうで、なにより、なにより」

「さあ、冷めないうちにいただきましょうか」


 こうして始まった俺の人生初の誕生日パーティーは、ささやかながらも、とても賑やかだった。

 できることなら、あんたにも見せつけてやりたかったよ。

 あんな無用な心配をされずとも、俺はもう十分に満ちている。

 だから次は……

「…………」

 まったく、どうにも今日は調子が狂う。

 いったい何を考えているのだろうか、俺は。

 ふと、思い浮かべてしまった光景をすぐに記憶の隅に放った。

 別に俺が焦る必要もない。

 それは、いつか起きたら、程度の可能性のままでいい。

 今は、ただ興じよう。

 この楽しい一夜のひとときを思う存分に────




 時間はあっという間に過ぎていき、宴もたけなわとなった。

 夜も更けたいい時間になり、このパーティーもお開きになる。

 だが、ここでお別れとはいかず。

 俺は叔母の言いつけで、女子もいるからという理由のもと、三人の見送りを外まで任されてしまった。

 夜の住宅街を、四人でぞろぞろと歩く。


「くぅ~! 飯もうまかったし、盛り上がったしで、今日の誕生日会は大成功だったな」

 誰よりも騒いでいた菅が、満足気に口を開いた。

「はい。とても気のいい神谷君のおうちの方々の協力もあって、準備もスムーズにいきましたしね」

「まあ、うちのは困ったことにいつでもあんな感じだからな」

「贅沢なこというなよ。うちの親と交換してやろうか?」

「何言ってんの。誰の家の子供になったって、恭太郎に対しての小言は、きっと消えないわよ」

 ぶうたれる菅に茜が釘を刺した。

「そいつは同感だ」

「ですね」

 ちぇー、と拗ねる菅をよそに俺たちの中で笑いが沸く。


「あ、そうだ、涼。あんた、私たちのあげたプレゼント、そのままにしないでちゃんと使ってよね」

 誕生会の最中に、俺は全員からプレゼントなるものを贈られた。

 わざわざそんな気を使われるようなことまでされなくてもよかったのだが、叔母たちの手前もあり、全員分を素直に受け取った。

「使えるもんだったらな」

 どうにも人の厚意というもがくすぐったく感じてしまう。

「またそんなこと言って……」

「悪いな。これが俺の性分のようなんでね。いい加減にあきらめてくれ」

 こればかりは、どうしようもない。

 長年をかけて形成されてきた俺の人格の基盤は、もう矯正のしようがないくらいに捻くれてしまっているらしい。


「しっかし、不思議なもんだなー。今の尖った涼にも、違和感を感じないなんてよ。俺のことを恭太郎と呼んでくれていた時代が懐かしくなってくる」

 約八か月ものあいだ、当然といえば当然だが、俺が『神谷 涼』の日常を引き継いでいる。

 最初のうちは、以前の一週間とは違い、俺らしさを表に出した俺と”アイツ”とのギャップに学校の人間はもちろんのこと、叔父と叔母も戸惑いを見せていた。

 正直、煩わしいと思うときも少なからずあったが、俺にはどうすることもできず、余計な波風を立てないように時間が解決してくれるのを待つばかりだった。

「そうですね。でも友達の変化を受けれてあげるのも、また友達の役目です。もちろん良い方向のものだけに限りますけど」

 その点、こいつらには感謝している部分もある。

 俺の変化をあっさりと受け入れ、何一つ変わることなく自然と接してくれていたこいつらがいたからこそ、俺はこんなにも早く日常に居座れるようなったのだろう。


「当たり前だぜ。俺と涼の友情は永遠だ。というわけで、涼。この夏休みという幸せのひとときには無粋な、宿題という苦労を一緒に味わおうぜ」

「まさか恭太郎、夏休みも半分は終わってるのに、まだ何も手をつけてないの?」

「いやー、今年ことは早めにやろうと思ってたんだけど、毎日がホリディだと思うと遊びの手が止まらなくてさ」

「呆れた」

「いくら毎日がホリディといっても、あと二週間足らずで学校始まりますけどね」

「それを言うなって。で、どうだ、涼。どうせお前もまだ手つかずだろ?」

「お前と一緒にするな。もうだいたいは終わってる」

「なっ、裏切り者ォ!! どうしてそういうところだけは変わらないんだ……」

「やかましい」

 結局この話は、また別日に集まって四人で一緒に宿題をやろうという流れで落ち着いた。

 無論、わからないところを教え合うためのものであり、決して菅の宿題を手分けしてやろうという甘いものではない。


「ところで、皆さんは自分の進路ってもう決めましたか?」

 津山の一言で、次の話題へと移る。

 俺たちはもう三年だ。

 夏休みが明ければ、すぐに自分の卒業後の進路を本格的に定めなければならなくなる。

「私は進学よ。専門か四大になるかは、わからいけど、保育士になるためにの資格を取るわ」

「へぇ、保育士さんですか。茜ちゃんらしくていいですね」

「言いだしっぺの津山は、どうするんだよ?」

「私も進学ですね。将来はトリマーになりたいと思っています」

「トリマー? ああ、動物関係の仕事ね」

「ちょっとざっくりしすぎですけど、そうですよ」

「そうやって、なりたいものが明確だといいよなぁ。俺はとりあえず就職だろうけど、何するかは決まってねーし。叶えたい欲望ならいくらでもあるんだが」

「別に今すぐに決める必要もないと思いますよ。今のご時世、むしろ私たちのように決まってる方が稀だと思いますし。働きながら将来を考えるっていうのも一つの手です」

 皆が、それぞれに自分の想いを語っていく。

 それを俺は、ただ黙って聞いていた。


「それで、涼はどうしようと思ってるの?」

 茜が黙りこくっていた俺に話題を振ってくる。

「俺は……」

 俺はどうするべきなのだろうか?

 自分のことなのに、まるで他人事のようにわからなくなる。

 具体的な人生設計というものを考える日が来るとは夢にも思わず、今の今までずっと考えるのを先延ばしにしていた。 

 だが、そんな俺にもとりあえずの逃げ道は、用意されている。

「別にやりたいこともないんでな。とりあえずは進学するさ」

 これといった目的はないが、学歴の上乗せをしておけば、その先の選択肢は今よりも広がるだろう。

 ありきたりだが、今はそれが最善の選択だと俺は思う。

 あてにしているとは思いたくないが、進学費用にも困ることはない。

 それに”アイツ”ならきっと、進学の道を選んでいただろうしな。


「なんだ、涼も進学組かぁ」

「だったら、涼は今よりも勉強頑張らなくちゃだめよ」

「はっ、大きなお世話だ」

「強がってる場合じゃないでしょ、このあいだの期末だって、どうにか平均点ギリギリだったんだから」

「っ……」

 反論する気にもなれず、ため息をつく。

 俺はつくづく、行儀よく椅子に座って勉強するだなんて利口な真似ができない人間なのだと、この学生生活で思い知らされた。

 二年のときに受けた人生初の期末テストは、我ながら散々であり、アイツが残した優秀な成績の貯金があったおかげで、こうして進級できたものの、今学期の勉学の成果も著しくはない。

 なんとしても補修地獄を回避するために、不本意だがこいつらの力を借りて、俺は前回のテストを乗り切った。

 それでも点数は茜の言う有様だったが……


「はは、今の涼なら筆記受けるより、部活に入ってスポーツ推薦狙った方が確率高いんじゃね?」

「何言ってるの……三年生はもうとっくに引退よ。楽することばっかり考えてないで、おとなしく勉強するのが一番の近道。急がば回れ精神よ」

「でも、今までの神谷君の成績を総合して考えると、推薦にも引っかかる可能性も無きにしろ非ずってところですね」

「だー、ごちゃごちゃうるせぇな。推薦だろうが筆記だろうが、受験くらい受かってやるよ。いざとなったら、校長脅してでも……」

「こらこら、不正に動こうとしないの」

「ふん……」


 そうこうやかましく話しているうちに、別れ道に着いた。

「じゃあ、俺たちはこっちだから。また明日連絡するぜ」

「今日はありがとうございました。おやすみなさい」

「ああ」

「気をつけてね」

 軽く手を挙げて、菅と津山の二人を見送る。


「私は構わないけど、涼もこのあたりで引き返す?」

 二人とは別方向だった茜が、俺にそう尋ねてくる。

 さて、どうするか。

 俺は少し悩み、

「……このまま借りを作り続けるのも癪だ。返せるうちに少しでも返しておく」

 もう少しだけ、茜の見送りを続けることにした。

「あらあら、だったら紳士らしい、しっかりとしたエスコートをお願いしようかしらねぇ」

「はっ、暴漢くらいからなら助けてやるさ。第一、お前を襲うような見る目のない奴はもうこの辺には、いないだろうけどなぁ」

 お互いに憎まれ口を叩きあう。

 なかなかどうして、こういう習慣は消えないらしい。

 茜の奴は、なぜだが楽しそうに微笑み、先を歩き出した。

 俺も遅れずについていく。


 夜のとばりの中を二人並んで、ただ歩く。

 先ほどとは打って変わって、今度はとても静かだった。

 別段、気まずさは感じない。

 今日は月の綺麗な夜だった。

 澄んだ空に浮かぶ真円はいつ見ても美しい。

 あの月に少しでも近づくことができたのか……俺にはまだ、わからない。


「綺麗な空ね」

「ん、ああ。そうだな」

 どうやら茜も、俺と同じように空を眺めていたようだ。

 満月以外にも、夜空を飾りたてる星々がいくつも輝いている。

「こんなに星があると、どれがどれだかわからなくなっちゃいそう」

「違いない」

 夏の大三角形というものはどれだっただろうか。

 興味本位で、少しだけ星座というものについて調べてみたことはあるが、実物となると見分けがまったくつかない。


「…………なあ」

「…………ねえ」


 偶然にしては、ややできすぎたタイミングだ。

 互いの声が重なり、俺はたちは思わず顔を見合わせるなり、吹きだした。

「お先にどうぞ。今だけはレディファーストってやつを尊重してやる」

 俺の方は特に内容もなかったので、都合よく譲ってやることにした。

 茜は少し気まずそうにしながら口を開く。

「あの……今になって聞くのも、あれかもしれないけど……」

 何を聞こうとしているのか、茜はその先を躊躇する。

「なんだ? そこまで言ったのなら最後まで言っちまいな。俺にはもう、お前に聞かれて困るようなことはないはずだぜ」

 中途半端に止められても逆に気になってしまうので、後押ししてやる。

 すると茜は、それならと、続きを言う気になったようだった。


「もう一人の涼って……今、どこにいるの?」

「…………」

 そういえば、あの事件の後はゴタゴタしすぎて、誰かに俺のことを打ち明けている暇なんてなかった。

「俺よりも、アイツの方がいいか?」

 我ながら意地の悪い聞き方をすると、茜は大慌てしたように取り乱す。

「べ、別に、どっちが良いとか悪いとかじゃないわよっ! ただ、突然見なくなっちゃったから……」

 いったい、どう答えてやったものか。

 俺たちのことを知っている茜には包み隠さずに教えてやっても問題はないが、さて……

「────」

 一度、目を伏せ、落ち着いて考えてみる。


「アイツは今、休暇中だ」

「……休暇?」

 茜は首をひねった。

「ああ、俺が散々苦労をかけちまったせいでな。しばらくは休暇と称して、どっかに傷心旅行にでも行ってるよ」

 結局、いくら考えても答えは出ない。

 俺にはもう、アイツの存在を感じ取ることはできないし、どこに行ったのかもわからない。

 本当に消滅してしまったのかもしれないし、どこかでのんきに寝ているのかもしれない。

 ただ、これだけは言える。

「そうだったんだ。じゃあ、元気になったら戻ってこれるってことよね?」

「まっ、それがいつになるのか俺にもわからないがな。気長にアイツが帰ってくるのを待っててやってくれ」

「ええ」

 俺たちの記憶にこうして残っている限り、アイツの歩んできた道も、存在も永遠に消えることはない。


「あっ……で、でも、涼も勘違いしないでよね」

「何がだ?」

「確かに、もう一人の涼がいなくなったは寂しいし、帰ってきてくれたら嬉しいけど……私はあんたのことも、ちゃんと……す……」

「す?」

「…………好き、だから……」

 そうつぶやくと、茜は顔を真っ赤にして、俯いてしまった。

 しかし、これはとんでもない不意打ちだ。

 この妙な夜の雰囲気が助長しているのかもしれないが、いくらなんでも大胆すぎるだろう。

 ストレートな一撃は、俺には刺激が強すぎて、開いた口がしばらくは塞がらなかった。

 茜の奴も、今になって自分がどれほど恥ずかしいことを口走ったのかを気づいたようで、横目で俺の反応をチラチラと見てきやがる。

 照れながら好きだなんて言われて、落ち着きをなくしている俺もどうかしているが……

 それにしても、『神谷 涼』の体質も合わさり、おかしな三角関係が生まれそうだが、そんな泥沼は勘弁願いたい。


 結局、うんともすんとも言えぬまま、俺は頬をかく。

 皮肉も減らず口も思いつかない。

 茜の奴がやかましく弁解の一つや二つでもしてくれれば、こっちとしてもとっかかりやすいんだが、今のあいつにそれは期待できそうにないな。

「…………」

 俺にしてみれば、いきなり強烈な拳を叩きこまれたようなものだ。

 だが、やられっぱなしってのは俺の主義に反する。

 泣き寝入りなんてみっともない真似はせず、ここはガツンとやり返して然るべきだ。


「なあ、茜」

「なに……んっ────!!」


 それは時間にして二秒くらいの出来事だった。

 俺は、振り向きざまの茜に、今できる限りの一撃を返してやった。

「なっ……なっ……なぁ────! ば、馬鹿ッ、そ、そんな……こと……い、いきなりっ……!!」

 俺から解放された茜は、顔をこれ以上ないほどに上気させている。

「前にも言っただろ? やったらやり返されるのも、やられたらやり返すのも当然だってな。気に入らなかったのならお前もやり返せばいい。手でも足でも頭でも、骨の一本や二本くらいなら、くれてやる」

 いちおう、最悪を想定しての覚悟はしていたつもりだ。

「……そんなこと、するわけないじゃない……ただ私が言いたいのは、その……シチュエーションっていうか、雰囲気作りっていうか……もっとこう」

「くく、あっはっはっは!!」

 普段とのギャップに、俺はもうこれ以上、笑いがこらえきれなかった。

 いったいどこの誰だ、こいつは?

 俺の知っている『西崎 茜』は、果たしてこんなに乙女も赤面するような少女だったのか。

 酒でも飲んで酔っ払っていると言われた方がまだ納得できるってもんだ。


「な、何がおかしいのよ!?」

「いや、わるいわるい。今日は俺もお前もおかしな日だと思ってな。いい加減、元に戻れ。このままじゃ、家に着くまでに夜が明けちまうぜ」

「お、覚えてなさいよ! そのうちあんただってギャフンッと言わせてやるわ」

 どこか不満を残しつつも、茜はいつもの調子を取り戻す。

「ああ、せいぜい楽しみしてるさ……っと」

 茜は突然俺の手を取った。

「……これも仕返しの一環だからね」

 さっそく俺に仕返しをしているつもりらしい。

「わかってるよ。こいつもなかなかに強烈だ」

 茜の手を握り返す。 

 俺たちは、手を繋ぎながら、また満天の空の下を二人並んで歩き出した。


 さて、これで俺が一歩リードしたわけだが、悔しかったらさっさと帰ってこい。

 二人だと狭く息苦しいと感じた世界も、一人で過ごすにはいささか広すぎる。

 お前が帰ってた暁には、俺たち二人のことを叔父たちや菅たちにも知らせるとしよう。

 もちろん、あの男にも……

 たぶん多少なりとも驚かれはするだろうが、それもいいだろ?

 だって、俺はお前じゃないし、お前も俺じゃない。

 そうだ、俺たちは────




【「僕がお前で君が俺」完】




 ──おかえり、涼──


 暖かな声で、少女は少年を迎えた。

 一瞬驚いたような少年は、少女の姿にすぐに微笑みを浮かべる。

 これは夢か幻か、はたまた現実なのか……

 それはこの瞬間にはわからない。

 けれども少年は、この奇跡に感謝し、彼女に伝えた。


 ──ただいま、茜──

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