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僕がお前で君が俺 (前)

 今日は朝から太陽が憎らしいほどにジリジリと地面を焦がしていた。

 照り返す日光もまたうっとうしいほどに蒸し暑く、時折、辺りの木々の葉を揺らして吹く風だけが心地よかった。

 そんな夏の日に、俺は一人で郊外にある霊園を訪れていた。

 俺が俺にゆかりのある人間に会うために。


 園内を歩き回り、数ある墓の中から目当てのものを見つける。

 お世辞にも立派な墓には見えないが、手入れだけは綺麗にされているようだった。

 ここに来る途中、多少遠回りをして街中の花屋で買ってきたヒマワリの花束を供え、見よう見まねで手を合わせる。

 こういった作法が苦手な俺だが、多少不作法でも、バチが当たるなんてことはないだろうと思いたい。

 あっさりと墓参りを終えてしまった俺は、やることもなくなり、感慨にふけるようにして墓前に立ち尽くした。

 ふと、あの冬の日の出来事を思い出す────


 ”アイツ”が俺の中から消えてしまった後、情けないことに俺は体力の限界からか、立っていることするらままならなくなり、警察の厄介にならざるを得なくなった。

 巷を騒がせていた暴行犯グループの尻尾を掴ませない犯行に手を焼いていた警察は、菅たちからの連絡を受けるなり、大所帯ですぐに飛んできた。

 当初、現場の責任者だという警官は、建物内の惨状に俺のことを訝しむような目で見てきたが、すぐに災難だったね、なんて慰めの声をかけられ、俺も他の三人と同様に被害者として手厚く保護された。

 正直な話、俺もあの惨状を引き起こした人間の一人として社会的な罰を受けさせられるのだろうと覚悟はしていた。

 どうなるものかとおとなしく行く末を見ていたのだが、ふたを開けてみれば、俺の行いは正当防衛として認められ、それどころか暴行犯グループの逮捕に貢献した勇敢な学生なんて扱いをされていたではないか。

 もちろん俺としては、世間にそんなことが出回ってしまうと、面倒な事この上ないので、その正体と事実だけを一部の関係者の胸の中だけにしまいこむよう取り繕ってもらい、ありがたく感謝状と親や教師からの心配と説教だけを頂戴した。

 ついでにこれはあの後に聞いた話なのだが、あの無謀にも勇敢に俺に挑んできた銀髪の男率いる馬鹿どもを多く輩出した学校は、あの出来事を期についに生徒たちの素行の問題が大々的に取り上げられ、これからは教育委員会による大きな教育改革と教育指導が行われるようになるのだとか。

 これで一部の治安が悪いとされていたこの街も、静かになっていくだろう。


 あれから、もう八か月が経つ。

 相変わらず勉強の苦手な俺だったが、アイツが残した優秀な成績の貯金のおかげで無事に三年へと進級し、こうして夏休みを迎えることができた。

 曲がりなりにも学生生活を楽しんではいるものの、いまだに完全には溶け込めず、ふとした日常の出来事などに戸惑うことも多い。

 自分の内でふんぞり返って傍観者でいたときの方が、よっぽど気楽なもんだった。


 夏の暑さも忘れ、ボンヤリと物思いに入り浸っていた俺の耳に砂利を踏みしめる足音が聞こえた。

 足音は俺の少し後ろで止まり、その視線を背中に感じる。

 どうやら俺の待ち人が来たようだ。

 ちょうど木陰の下にでも移動しようとしていたところに、タイミングが良いことで。

 俺はゆっくりと振り返り、十数年ぶりに”奴”との再開を果たした。


「久しぶりだな、『神谷 隆一』さんよ」

「…………」

 そこに立っていた男は俺が想像していたよりもみすぼらしい姿だった。

 泥にまみれた作業着に身を包み、ボサボサの髪に、手入れの行き届いていない無精髭。

 目の下にはクマがあり、頬も痩せこけ、生気というものをあまり感じなかったが、俺の記憶にある眼光の鋭さだけは失っていないようだ。

 

 不思議と俺は平静に奴を見据えていた。

 感動の再開とは到底かけ離れていることは当然として、ついこのあいだまで、業火のように抱いていた怒りも、殺意もこの男を前にして何も沸いてこない。

 生ける屍と化したような姿に同情でもしてしまったのだろうか?

 いや、この姿はこいつが受けるべき当然の報いでもある。

 同情なんてする価値もない。

 むしろあのときの俺を前にして、こうして生きているられるだけ、まだ恵まれている方だ。

 まあ、死んでいたのと生きているのと、どっちが幸せだったかなんて、他人である俺にはわかりはしないが……


「……デカく、なったな」

 低く、掠れたような声。

 十数年ぶりに突然現れた俺を前にしても、男に当惑している様子はない。

「おかげさまでな。あんたに飼われていたときに比べれば、天国のような暮らしをさせてもらってるもんでね」

「そうか。それはよかった」

 少し皮肉りながら返してみたが、男はまるで意に反さない。


「どうして俺がここに来たのかわかるか?」

 墓前に供えたと言いつつ、横たえるように置かれただけの花束を見れば誰にでも一つは想像がつくだろう。

 今日は俺が生まれた日でもあった。

 だがそれは、俺を生んだと同時に死んでいった俺の本当の母親の命日でもあったのだ。

 その人がどのような母親であったのかなど、生まれて一度も顔を合わせることのなかった俺には、もう聞き知ることしかできないが、仮にも命を課して俺を生んでくれたのだとあっては、一度くらいは挨拶をしておかなければ、それこそバチが当たるというもの。

 そう思い立ったのがつい先日のことだが、このとき俺はある予感を覚えた。

「期待半分で来てみたが、まさか本当に会えるとは思ってもみなかったぜ」

 今日ここに来れば、あの男に会えるのではないかということを。


「……毎年、ここには来ているからな」

 力なのない声で男は言った。

 そうと知っていれば、俺はもっと早くにこの男と再開することができたのだろう。

 まあ、もしそんなことになっていれば、俺がこんなに冷静でいられたわけもないだろうが。

「はっ、毎年律儀に墓参りとは、案外女々しいところあるじゃねぇか。それとも、いつまで経っても未練たらたらか?」

 俺の嘲りに男は素直にうなずいた。

 こうも薄い反応を返されたのでは、なんの面白みもない。

 俺は小さくため息をつく。

 男は、そんな俺をずっと見つめていた。

 真剣な面持ちとでも言うのだろうか、雰囲気に緊張が感じ取れた。


 男は相変わらず静かな口調で、俺に尋ねてきた。

「俺が、憎いか?」

 あまりの質問の馬鹿馬鹿しさに、つい笑いが漏れてしまう。

「くはっ、そんなことをわざわざ聞く必要があるか? テメェの胸に手を当ててよく考えてみろよ。お前が俺に何をしたのか」

「……そうだな、すまなかっ──」

「──おっと、謝るなんてマネはするなよ。そんなのうわべの謝罪なんて泥の上塗りだぜ」

「…………」

 奴をまくし立てる言葉だけは、淀みなくスラスラと出てきた。

 実感が湧かないだけで、俺はまだ奴のことを憎み続けているのかもしれない。

「ところで聞いたぜ、あんたの話。俺が生まれるまでのことも、そんなみじめな姿になってまで金を稼いでいることも」

 男は何かを言おうとして口を開けたが、結局は一言も発さずに開いた口を閉じた。


 この十数年で俺と奴の立場は大きく逆転した。

 過去の行いからなる立場だけではない。

 当時は俺が幼すぎただけで、今ならばあの程度の男など一捻りにしてやれるだろう。

 生殺与奪さえも俺の自由だ。

 所詮、奴は弱い人間。

 奴のせいで失うばかりだった俺は、奴から離れたことによりこうして様々なものを得ることができた。

 そして俺から奪うだけだった奴はすべてを失い、今ではこうして過去にすがって見苦しく生きている。

 俺のためだと金を送ってくるのも、毎年墓参りに来ているというのも、奴にはもうそれしか残されていないからだろう。


 なんてむかっ腹が立ってくるんだろうか。

 考えれば考えるほどに、腹立たしい────まるで、以前の自分を見ているようだ。

 だから気持ちがわかるだなんて、綺麗事を並べるつもりはないが、俺もあの男と確実に同じ道を進んでいた。

 ただ俺は、たまたま俺をその道から引っ張り上げてくれた人間がいただけだ。

 しかし、あの男にもそういった人間がいたはずだった。


 でも失った──俺が生まれたから。

 だから憎んだ──俺という存在を。


 もし仮に俺が同じ立場だったら……なんて考えるのは無駄。

 だが、せめてものよしみだ。

 俺がこの場で、みじめな奴の人生に引導をくれてやる──


「前から、お前に会ったときに言おうとしていたことがある」

 俺の声に、俯きがちだった男が顔を上げた。

「今さら謝罪もいらないし、もう金もいらない。だから──お前の命を俺に寄こせ」

 さあ、どう出る。

「……それでお前が、幸せになってくれるのか?」

「なんだと?」

 俺が期待した答えは、「はい」か「いいえ」のどちらかだった。

 だが奴はあろうことか、そのどちらの答えも示さず、俺に問いを投げてきやがった。


「何を言ってやがる。まさか今さら自分の命が惜しくなったか?」

「違う。俺がお前から望まれた死に命を乞う資格がないのはわかってる。俺が死んで、お前が幸せになってくれるのならば、俺は喜んでこの命を差し出そう。だが、そうでないのなら断る。俺はまだ、罪を償っていかなければならないからな」

 奴は目の色も変えずに、淡々と俺に告げる。

 どうやら狂っているわけでもなさそうだ。

 今の奴からは、狂気の片鱗すらも視えない。


「あくまでも、その命は俺のために使うと言うのか?」

「そうだ」

 男は即答した。

「社会的な罰ならお前にはもう下っているはずだ。どうしてそこまで、俺の未来にこだわる?」

「お前が、俺とアイツに生まれてくれた子供だからだ」

「ッ────!」

 その言葉に俺は忘れかけていた憎しみを思い出す。

「ふざけるなっ! 今さら父親ヅラなんてしてんじゃねぇ!!」

 俺たちはもう血のつながった親子ではない。

 ただの他人だ。

 俺には今の俺の世界がある。

 それをこんな男のためだけに作り替えるのは死んでもごめんだ。


 今にも飛びかかっていきそうな俺の剣幕にも男は動じることなく答えた。

「お前の言うとおりだ。俺にはもうお前を息子と呼ぶ権利もない。だがそれでも、俺はお前に幸せになってほしいんだ。生まれたばかりのお前を抱くことすらできなかった、アイツの分まで」

 ここに来て、初めて奴は俺に明確な感情というものを晒す。

「おこがましいことだが、時々夢に見る……俺がいて、お前がいて、アイツがいて……みんなで楽しく食卓を囲んでいる、そんな夢を……」


「…………」

 聞くに堪えぬ痛ましさだった。

 語るだけ無駄なその夢とやらに想いを馳せ、叶わぬとわかっていながら、その理想と現実の狭間から抜け出せず、死ぬまで終わることのない最大の責め苦を自らに課す。

 それは俺を前にしても変わらない。

 奴の一言一句に嘘や偽りの言葉はないのだろう。

 そして俺が奴に差し伸べる手を持ち合わせていないことも理解しているのだ。

 まさしく、すべてをあきらめた人間のそれ。

 この先に光はないとわかっていながら暗い穴の中を歩き続けるも同義。

 本当に哀れな男だ。

 侮蔑も失笑も通り越す。

 こんな奴に一度は殺されかけた自分が情けなくなってくる。

 これなら、あのときにトドメを刺してやるべきだったかもしれない。

 もうこれ以上、何を話しても時間の無駄だろう。


「……勝手なことばかり言ってすまないな。俺はどうしようもない男だよ。何もかも自業自得だってのに今でもお前にこんな自分勝手な願いを託してしまっている。今の話は全部、忘れてくれ」

「はっ、勝手にしな。そんなことを言われずとも、俺は俺でまっとうに生きていくさ、少なくともお前よりはマシな人生をな。金はもういらねぇよ。あとはテメェで勝手にしろ。夢を見て生きるも、夢を抱いて死ぬも、どっちでも好きな方を選べばいいさ」

 どうにも後味の悪い最後だった。

 奴の破滅の様を見ても、胸の奥がすっきりしない。

 たとえ奴をこの場で殺したとしても、きっと心持ちは同じだろう。

 俺はここに来るべきじゃなかったのかもしれない、と後悔すら感じながら、早くこの場を立ち去ろうとしたとき、

「悪いが、金の仕送りは続ける」

 男は、ぽつりとつぶやいた。

 俺は動かそうとした足を止め、舌を打って奴を見咎めた。

 しかし奴は構わずに続ける。


「──だからお前は、決して俺を許すな」


 臆面もなく奴は俺に向かってそんなことをぬかしやがった。

 許すな、だと?

 いいや、それは違うだろう。

 ここは見苦しく、許しを請うところだろうに……

 なぜ奴は、わざわざそんなことを俺に言ったのか。

「…………」

 そんなことを面と向かって言えるぐらいなら、最初からちゃんとしておけよ……糞野郎が……

 今、やっとわかった。

 俺が奴を本当はどうしたかったのかが。


「はっ……」

もし”アイツ”がここにいたら、俺になんて言っていただろうか。

それにしても、俺は”アイツ”と、とんでもなく面倒な”約束”をしてしまったようだ。


「おい」

 呼びかけ、俺はポケットから取り出したものを投げ渡した。

「返しておく、そいつは俺が持っていても意味のないものだ」

 男は、俺から受け取った『ひまわりのブローチ』を唖然と見つめている。

 元々の要件を済ませた俺は、今さっきにできた新たな要件を男へと伝えた。

「そういや、放っておけばいいものをウチの叔父たちもあんたのことを心配してたぜ」

 男は幽霊のようなツラをゆっくりと上げる。

「顔くらいは見せてやりな。そんな死にかけのツラでも喜ぶだろうよ」

「いや……俺に、そんな資格は……」

「兄弟なんだろ? だったらこれ以上、自分勝手な愚かな真似をして、肉親に余計な心配をかけるな。まあ、家に来るのなら、なんだ……飯を食っていくぐらいなら許してやるさ」

「……………………」

「もう手放したりするなよ。本当に大切だと思っているのならな」

 そうして俺は、奴の見るに堪えない顔から目を背け、止めていた足を踏み出した。


「ありがとう──涼」


 背中から聞こえた鼻水混じりの咽び声に、どういうわけか俺は小さな笑みをこぼしてしまったのだった────

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