それでも僕は許せない (前)
時刻は、午後六時に差し掛かろうとしている。
男は細く長い銀色の髪を北風に揺らしながら、屋上の胸壁に寄りかかり、暇を持て余すように黒い空を見上げていた。
口から吐き出される紫煙は空へと昇り、まるで星々を覆い隠す分厚い雲を形作っているようだ。
男はただ、待ち続けていた。
仲間からの連絡、待ち人の到来を。
しかし、いくら待っても音沙汰はない。
男がどれだけの待ちぼうけを食らっていたのかは、足元に散乱しているタバコの吸い殻を見ても歴然だ。
それでも男は確信していた。
どのような姿であれ、奴は必ずここに来る、と。
電話越しに向けられたあの敵意は本物だった。
そして、その狂気すらも……
同類であるがゆえに感じ取ることのできる異質の気配。
お互いに邪魔者であると認識しあえば、排除しようとする心理もまた必然だ。
不意に軋んだ音を立てて、屋上の出入り口である扉が開いた。
「これはこれは、招かれざるお客さんだ」
男は屋上に上がって来た者たちの姿を見て、苦笑いを浮かべながら言った。
そんな男の姿にギョッと身を固めたのは、恭太郎、茜、美咲の三人だ。
「顔は存じないけど、よくここまでたどり着けたね。さてはその制服、キミたちもカミヤ君のお友達だろ? だったら歓迎するよ」
「………………」
男と会話を交わそうなどという気は、三人にはさらさらないらしい。
どのようにしてこの場を安全に切り抜けるか、それだけに思考が奪われている。
「そう警戒をしなくてもいいよ。ちょうど暇を持て余していたところでね。少し話し相手になってくれないか?」
三人は自分たちを見て何もしてこない男に対し戸惑いを覚えながらも、涼の居場所を聞き出すチャンスと相手の口車に乗ることにした。
ここに入り込んでからの驚愕と緊張の連続に心身ともに疲弊していた三人も、ひとときの安寧を求めていたのかもしれない。
「涼は、どこにいる?」
男と距離をとったまま、恭太郎が慎重に声を投げた。
「さあ、この建物のどっかにいるんじゃないかな」
三人の緊張を察しているのかいないのか、男は飄々とした態度で答える。
「う、嘘をつくなっ。お前たちが涼をここに連れ込んでるのを俺たちは見てたんだからな!」
「あらら、見られちゃったんだ。いちおう警戒はしていたつもりだったけど、気づかなかったよ。これは一本取られちゃったねぇ」
予想外の乱入者をまるで気に病む様子もなく、男は続けた。
「まあ、キミたちの処遇は後回しにするとして、だ。俺は嘘なんかついちゃいないよ。俺たちは今、勝負の最中なんだ」
「勝負?」
「そう。俺たちがカミヤ君を仕留めるのが先か、カミヤ君が俺たちを仕留めるのが先かの単純な勝負だよ」
「なんだよそれ……お前らは何人も仲間がいるんだろ? そんなの涼が不利に決まってるじゃねーか!」
「俺も最初はそう思ってたけど、困ったことにこちらの状況は著しくない。何を手こずってるんだか、こっちの兵隊もかなりカミヤ君にやられちゃってるみたいでね」
「じ、じゃあ、まさか……さっきの奴らは涼が……?」
室内で偶然に発見した無残な男たちの姿を思い出し、恭太郎は忘れかけていた吐き気を催した。
おそらくは抵抗せざるを得ない状況だったのだろうが、文化祭の時にも似た暴力の連鎖に三人はどこかやるせない気持ちになってしまう。
黙してしまった恭太郎に代わり、次に口を開いたのは美咲だった。
「あなたたちは神谷君をどうするつもりですか?」
タバコを咥えなおしていた男へと確信を衝くような問いを投げかける。
美咲の問いに、男の飄々とした雰囲気が揺らいだ。
足元へ落としたタバコをぐじぐじと踏み潰し、美咲の方へ向き直る。
「もちろん、死んでもらうよ」
そして簡潔にそう述べた。
息を吐くように殺害予告をする男の言葉を鵜呑みにすることができず、三人は言葉を失ってしまう。
そんな三人を見て、男は優しそうに微笑んだ。
「でも、寂しがることはない。せっかくこんな場所までカミヤ君を探しに来たんだ────キミたちもすぐにその後を追わせてあげるよ」
狂気が渦巻くようにして、三人を包み込んだ。
ここにいては本当に殺されかねないと、恭太郎がいの一番に二人の手を引き、屋上から逃げ出そうと振り返る。
「残念だけど、逃げるのが少し遅かったね」
同情するように男が発言するのと、恭太郎たちが扉の前で足を止めたのは同時だった。
扉を開くとそこにはすでに、金髪の男が立っていたからだ。
男の道を開けるように恭太郎たちは、元の位置へと後ずさってしまう。
「覚えてるぜ、お前たちのそのツラ。特にそこの女は俺の顔に張り手まで食らわしてくれたよなぁ」
金髪の男のねぶるような視線に茜は苦虫をかみつぶしたように顔をしかめた。
「なんでだよ……どうしてお前がここにいる!?」
呪うように、擦り切れそうな声で恭太郎が金髪の男へと問いただした。
顔の傷跡に短く刈られた金色の髪。
数か月前とは変わり果てた姿ではあったが、その変わらぬ声と横柄な威圧態度に薄れかけていた過去の記憶が嫌でも呼びさまされる。
恭太郎たちの中で、あの文化祭での出来事は、あの場で完結していた。
当然、この男との関係も何もかもが、過去と成り果てるはずだった……
「なんだキミたちも弟の知り合いか」
その声に三人は我に返る。
「弟?」
言われてみれば、目元の作りなど、この二人には似ている部分があった。
特に腐りきった性根なんかはもってのほかだ、と恭太郎は内心で悪態をつく。
「まったく、できの悪い弟を持つと気苦労が絶えないよ。こうして俺が尻拭いまでしてやらなきゃならないんだからさ」
「ふざけんな! 兄貴ってのはそんなことをするためにいるんじゃない! 兄貴ってのは弟を守って、手本になってやる存在だ!」
同じく弟を持つ恭太郎にとって、今の発言は、到底納得できるようなものではなかった。
兄としての理想の在り方を恭太郎は男へと訴える。
「キミの言うとおりだ。だからこうして俺が手本を見せてやってるんじゃないか」
同じ兄であったとしても、二人の価値観はあまりにも違いすぎた。
一般の中で、些細な違いはあれど平凡な日常を送ってきた恭太郎たちに、一般の外が日常である男たちの倫理観は計り知れない。
当然が当然でない世界。
しかし、それもまた必然だろう。
だからこうして彼らは対立しているのだ。
「お前たちが、そこまでして涼を付け狙う理由はなんだ?」
二人の兄弟はついに、今までこらえていた笑いを惜しげもなく晒した。
その問いにいったいどんな意味があるのかと。
彼らの耳には恭太郎の言葉など、まるで道化の言葉としてしか届いていない。
良心に訴えかける言葉も、脇の下をくすぐられるに等しい行為だ。
答えは一つに決まっている。
「カミヤリョウをぶっ殺すためだよ」
メンツのため、復讐のため……言葉というのは便利なもので、理由という建前をいくらでも生み出すことができる。
だが、その奥底にある感情は、怒りと不安だ。
──俺たちに仇なす『神谷 涼』の存在が許せない。
──俺たちを脅かす『神谷 涼』の存在を許さない。
兄弟が望むのは『神谷 涼』の消滅だった。
「なあ兄貴。アイツがここに来る前に、こいつらをヤっちまってもいいか?」
「殺すなよ」
「あいよ。こいつらの有様を見たアイツの悔しがる顔が目に浮かぶぜ」
のしり、と金髪の男が動き出す。
恭太郎は、二人の姫を庇うように自分の背に隠した。
今まさに始まろうとしている惨事を余興として愉しむつもりの銀髪の男は、新たに咥えたタバコに火を点けるためにライターのヤスリを親指で弾いた。
ボッ、と勢いよく点火したライターの炎だが、はたと吹き荒れた突風によって消えてしまう。
「…………」
それは単なる予感だった。
しかし、感じたことのない不吉の前兆のようでもある。
いったい何人が感じ取れているのだろうか、突風に紛れて辺りを漂っていた濃厚な死の気配を……
風がやみ、雲の隙間から欠けた月が顔を覗かせた。
”来る”
予感が確信へと変わったそのとき……
勢いよく扉を破り、男が一人、屋上へと飛び込んできた。
何事かと、突然の出来事に皆の視線が奪われる。
「──案内ご苦労」
ふと、労いの声が扉の奥から聞こえた。
扉を破った男は、決して自分から屋上に飛び込んできたのではない。
この者によって、投げ込まれたのだ。
血だるまにされ、投げ込まれてきた男は、今さら見間違うはずもなく銀髪の男たちの仲間だった。
労いの声も今の衝撃で意識を失った男には届いていないだろうが、本人もふざけてやっているのだろう。
誰もが聞き覚えのある声、そして待ち望んでいた存在に自然と体が扉の方角へと向けられた。
燦然と浮かび輝く月とは正反対のように。
しかし、その月に勝るとも劣らぬ純黒の存在感。
重厚な不吉をまとい、漆黒の眼差しをたずさえながら少年がその姿を見せる。
「これで十一人。残りは、テメェら二人だけだ」
絶望を届けるために『神谷 涼』が現れた。
やっとの思いで見つけた残りの標的をリョウはその目でしっかりと確認する。
標的となるのは銀髪と金髪の男の二人。
しかしこの場には、一、二……三、四、五人。
「……?」
想像もしていなかった人間が三人も紛れ込んでいたことにリョウは目を見張る。
「どうしてテメェらがここにいる?」
もしや何かの意図があり無理矢理にでも連れてこられたのか。
万一の可能性を確認するためにリョウが銀髪の男へと視線を向けると、それに気づいた男は含み笑い浮かべ、首を横に振った。
俺が連れてきたわけではない、と。
学友の存在は、リョウにとっても招かれざる客という見解で相違ないようだ。
眉をひそめ、恭太郎たちを鋭い視線で見咎めた。
「その……涼がこいつらに連れて行かれるところを見ちまったから、心配になって……」
「心配だ? はっ、何様のつもりだよ。足手まといの身の程を知らずが。テメェらの存在なんて俺の邪魔でしかない。怪我しないうちにとっとと帰んな」
「…………」
さすがの恭太郎といえども、リョウにここまでの嫌悪感を押し出されてしまっては委縮するしかない。
ここがいつもの教室でもあったのなら恭太郎の背後に控える茜なり美咲なりが、リョウに反論を返すかなだめるかしただろう。
しかしここはいつもの教室ではない。
本当なら今もこんな内輪揉めを繰り広げている場合ではないのだ。
「まあまあ、カミヤ君。せっかく来てくれた友達にそんなこと言っちゃかわいそうだぜ」
辛辣なリョウの口を止めたのは、まさかの銀髪の男だった。
「彼女たちはただの見届け人さ。キミの最期の、ね」
リョウを前にしても男がリョウに望む結末に依然として変わりはない。
その最期を見届けさせたのち、三人も同様にあの世送りにする予定も……
リョウも男が三人を素直に解放するつもりはないだろうことは見透かしていたが、恭太郎たちがどのような経緯と悪運でこのようなところまで来て、どのような結末をたどるのかなど、所詮は興味の外だ。
「まあ、俺の邪魔をしなけりゃ、テメェらがどこで何してようが俺の知ったことじゃないか」
あくまで舞台を傍観しているだけの観客としてなら、そこにいようがいまいが同じこと。
黙って見ていろと言わんばかりに三人に視線の釘を打ったリョウは、当初の筋書きどおり、残りの獲物の狩りを続行することにした。
「で、テメェが俺の相手をしてくれるのか?」
すでにリョウの眼中には銀髪の男以外ない。
「そうなるしかないようだね。情けないことに愚鈍な弟もあの有様だし」
銀髪の男もリョウを相手にできるのが自分一人だということは自覚済みだ。
散々息巻いていた金髪の男はといえば、目の当たりしたリョウの威圧感を思い出し、体をすくませていた。
「しかし、見違えたよカミヤ君。それがキミの本性かい?」
「さあな」
言われ飽きた言葉をリョウは否定も肯定もしない。
何が本物の『神谷 涼』かなど、リョウにとってはもはや意味がない。
男はリョウと会話をするあいだも、リョウの体を下から上まで観察し、ひどく落胆したようにぼやいた。
「それなりのメンツを集めたつもりだったけど、手傷の一つも負わせられないとは、存外に使えない奴らだったね」
そう、そこに立つリョウは満身創痍どころかほとんど無傷の状態だった。
服や肌に汚れはあれど、外傷の類は見られない。
それほどの圧倒的な実力の差でもって、リョウが十一人の仲間たちを屠ってきたことが一目瞭然である。
「あながちそうでもない。暇つぶしのおもちゃ代わりにはちょうどよかったぜ」
「白状させてもらうと、俺の書いたシナリオにはこんな展開はなかった」
リョウがここまでたどり着いた実力に男は舌を巻く。
「当然だな。俺は俺のシナリオにしか従わない」
「キミを仲間に誘おうかという迷いもあるにはあったけど、今のキミを見て吹っ切れたよ。キミは俺にとっても危険足りうる存在だ。やはり結末だけは変えるわけにはいかない」
「はっ、タヌキ野郎が。そんな長い前置きなんていらねぇよ。はっきりと言ったらどうだ? 気に入らないから俺を殺したいってな」
男が長々と語っていた内容も、リョウにはその一言で事足りた。
「ふふ……無粋だねぇ。雰囲気作りってのは何においても大切なことだよ」
ここに来たときからリョウが最も興味を惹いていたのは、この銀髪の男だ。
周到に隠していても、リョウの嗅覚を欺くには至らない。
羊の皮を被った狼では、生ぬるい。
もとより男は自分が羊ではなく、狼であると偽っているのだ。
狼の皮を一枚剥いだその下に秘めた、おどろおどろしいまでの狂気の沙汰を隠すために。
しかし、そんな相手だからこそリョウも存分に愉しめるというもの。
空虚な心を満たすに足る相手になってくれるのでは、と期待を抱く。
「じゃあ、そろそろ始めようか。キミの死刑執行を」
「ご自由に。せめて一分は持ちこたえてくれよ」
「まずは、お手並み拝見といかせてもうよ」
飄々とした態度でそう言うと、男は無防備な歩みでリョウとの距離を三メートルほどに縮めた。
対峙するリョウは動かない。
先手は譲るとばかりに待ちに徹し、男の出方をうかがっていた。
どちらがどちらも相手の技量を問おうとしている。
リョウの思惑を男はいち早く察した。
「まいったな、子供相手に気を使われるだなんて。ここは俺がキミに先手を譲る役じゃない?」
「遠慮はいらねぇよ。どっちから仕掛けようが、勝つのは俺だ」
静寂の間が訪れる。
寒風が吹きすさむ。
そして──
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
──長い銀色が、風に逆らうように流れた。
慢心はあれど、決して油断をしていたわけではなかった。
ただ乾いた風を受ける両目が生理的に瞬きをしただけ。
瞼を閉じて開いたとき、三メートル先にいた男は──すでにリョウを目前に攻撃態勢を取っていた。
「────」
状況におののくことなく、刹那の時の中でリョウは男を『視た』。
上げた拳を己が顔に目がけて振り下ろそうとしている。
男が踏み込んだ距離、腕の長さ、身長、歩幅……
様々な情報を送り込み、攻撃回避の最適の解を待つ。
後ろに退く──両足が地面にベタついている今からでは、間に合わない。
──ならば、横。
リョウが体をねじる──振り下ろした男の腕が空を裂き、その姿を瞳に捉えながら、リョウはねじりの反動でその場から飛び退いた。
完璧に男の先手を躱したと思った矢先、リョウの黒髪が数本、ぱらぱらと地面に舞い落ちる。
怪訝に眉を寄せたリョウが男の手元を見ると、いつの間に取り出したのか、その手にはナイフが一本握られていた。
実は振り下ろされていたのは拳ではなく刃。
回避が間に合わなければ、おそらくは大きな出血を伴う大怪我を顔に負わされていただろう。
「へ~、よく躱したね」
いけしゃあしゃあと感嘆する男にリョウは失笑を浴びせる。
「手品のたぐいか? 案外セコイ手を使うじゃねぇかよ」
リョウの言葉に男も失笑を交えながら応じた。
「俺を卑怯だと罵るかい? でもそれが甘さだ。どんな手を使おうが最後には勝てばいい。過程にも気を配るけど、結果が伴わなければ意味はないからね」
「卑怯だなんて、そんな無粋なことは言わねぇさ。矢でも鉄砲でも、頼りたきゃなんでも使いな」
共に狂気を宿す二人だが、その性質は微妙に違う。
リョウが敗北を嫌うのだとすれば、男は勝利に貪欲だ。
「勘違いしないでくれよ。俺は別に頼ってるわけじゃない。キミが退けてきた連中、なんであんな癖のある奴らが俺におとなしく従ってるかわかるかい?」
男は、手のひらでくるりとナイフを回し、逆手に持ち替えた。
「俺があいつらより強いからだよ。あいつらも俺に絶対に勝てないとわかっているからこそ俺に従わざるを得ないんだ」
「はっ、それでお山の大将気取ってんのか?」
「それも効率を重視するためだよ。使える手足はいくらあっても困らないからね」
言い終わると、男はギュッとナイフを握りしめ、脚を開き、両腕を上げて構える。
果たして次はどのような攻めに転じるのか。
先の攻防は男が隠し持っていたナイフを使用したという点に目が行きがちだが、それに至るまでの一瞬の踏み込みは見事の一言だ。
他の者たち同様、なにかしらの戦技の心得があるのかもしれないが、あれはただ速かった。
体の機能、瞬発力にものを言わせた踏み込み。
おそらくその速度は、リョウにも匹敵する。
間合いを測るように二人は向かい合ったまま、じりじりと円を描く。
仕掛けたのは、またもや男からだった。
愚直とも思える懐への飛び込みはしかし、瞬きをする暇もない電光石火の歩法。
迎え撃つリョウもまた今度は万全の状態。
男の飛び込みに合わせ、カウンターを狙った拳を穿つ。
それでも男の突進は止まらない。
拳を潜り込むように体勢をかがめ、リョウの一撃を躱しながら進む。
内心で舌を打ち、リョウは不十分な態勢のまま防御にまわった。
低い体勢から打ち上げる拳打を靴底で受け止める。
その選択は体勢が悪化し、バランスが崩れる悪手には至らない。
動作は一呼吸の内に同時に行われていた。
男の拳を足場代わりにし、もう片方の足で蹴りを放つ。
奇抜な攻防の一体化。
が、目を見開き瞠目したのは、なぜだか蹴りを放ったリョウの方だった。
先を行ったつもりが、男はさらにその先へ。
即座にリョウの動きに対応し、男は片腕でしっかりと蹴りを受けめた。
そして地から離れたリョウの腹のド真ん中に前蹴りを突き刺す。
さしものリョウもこの体勢から攻撃を回避する手立てはなく、甘んじて蹴りを受け入れる他なかった。
両腕を交差させての防御は間に合ったが、その蹴りの威力を示すように体が「く」の字に飛ぶ。
着地を成功させても、蹴りを受けた腕には、骨の奥に響くような痛みが走っていた。
リョウの表情は苦い。
「どう、少しは俺のこと見直してくれたかな?」
並ぶ者なしと思われた『神谷 涼』の連携に、食らいつくどころか互角以上に立ち回る男。
小手先だけの技術ではない。
パワーもテクニックも、おまけに頭の回転もが高水準。
「ああ、認めてやるさ。お前は今までの奴らの中じゃ一番面倒そうだ」
その点だけは認めなければならないとリョウに思わず嘆息が漏れた。
「お褒めいただき光栄だ」
攻め手も受け手も恭太郎たち第三者の目から見れば、どちらも真似できないほどに凄まじい。
まさしく高みの存在。
そんな二人でも優劣は存在する。
身体能力はどちらも特上。
一進一退の攻防に先取点を取ったのは男だが、均衡が崩れるというほどの差はまだない。
だとすれば勝敗は、それ以外の要素も大きく絡んでくるのだろうか。
今の今まで戦い続けてきたリョウが体力的に不利か。
はたまた、体格の差で男が有利か。
長い嘆息の後、リョウは不敵な笑みを浮かべ、
「だがな──」
冷やかに宣言した。
「──その程度の腕じゃ、今の俺の相手にはならないぜ」
答えは、否であると。
「ふーん、そう」
興味を示すことなく、男は冷淡に答えた。
ただの強がりだと、きっとそう思っているのだろう。
リョウは不敵に微笑んだまま、だらりと腕を下げ、前傾姿勢をとった。
その姿はまるで、獲物に飛びかからんとする獣王の構え。
獣王ならいざ知らず、これを人間の構えと呼ぶには、いささか理に反しているか。
だがこの体勢こそが、リョウが本能的に編み出した自己のポテンシャルを最大限に発揮できる構えなのだ。
肉体は大きく脱力され、体の隅々まで力が無駄なく行きわたる。
体中に力が満たされたとき、リョウは大きく地面を蹴りだした。
初速からすでに最高速を叩き出すその突進は、まさしく瞬きをする間もない瞬身。
リョウに対峙していた男から見れば、突然目の前に現れられたようなものだ。
瞠目も驚愕も追いつかない。
男はただ反射的に身を退いた。
間一髪、男はリョウの初撃を空振りにする。
一瞬の間をおいて、男は思考を取り戻し、冷静にリョウの追撃を見据えた。
防戦に専念し、隙を見つけ次第、攻撃に転じる算段だ。
それは相手ではなく、自分への配慮だったのかもしれない。
戦いを愉しむためか、はたまた相手をいたぶるためか……
理由は定かではないが、無意識のうちに少年は、自分の力を縛ってしまっていた。
それでも十分に事足りていたが、今日この時、この場所で、少年はそんな自分と対等に渡り合う男に出会った。
だからこそ外すことのできると知った自らの束縛の鎖。
真に力を解放した少年を果たして誰が止められると言うのだろうか……
型も何もあったものではない、どう猛で苛烈な猛連撃。
四肢から矢継ぎ早に繰り出される攻め手の数々は、型にはまらぬ変則的な動きによって縦横無尽の乱舞と化し、男に予測と対応の困難を極まらせた。
またそのスピードに振り回されぬ体捌きも、男に守りの一辺倒を強く。
一向に衰える様子のない動きは、隙を見つけるどころではない。
一瞬でもリョウの動きに対応する判断が遅れたのならば、即座に獣の強攻がその身を襲う。
「遅せぇ!!」
防戦の限界を迎え、リョウの拳が男の頬を捉えた。
男は殴り飛ばされながらも手に持つナイフを投げ放し、リョウの動きの阻害と次弾の阻止を図る。
しかし至近距離の投擲をリョウは流れるように躱した。
一撃、二撃──止まらぬリョウの二連撃を男は防ぐ──が、三撃目に胴に穿たれた、貫くような蹴りに男の表情が目に見えて歪んだ。
「が──ぁっ」
苦しみに息を吐き出し、たまらず胸壁に背中を預ける。
「はっ、やっとそのすかしたツラが消えやがったな」
満足気にうなずくとリョウは男の近くへと歩み寄った。
「ッ……がはっ、がはっ…………ふふ……あはははっ! なるほど。あいつら程度じゃ手も足も出ないわけだ」
呼吸を乱しながらも男は目の当たりにしたリョウの力に納得の意を示した。
「でも誤算だったな、キミがここまで強かったなんて……」
「俺だって自分でも驚きだ。ここまでテメェらをコケにできるなんてなぁ」
生まれ持った才能だけではない。
リョウが体験し、見て、感じ、学び、経験したことの全てが、少年の地力を急速に成長させたのだ。
追い詰められ、逃げ場を失った男の表情はどこか清々しかった。
そしてリョウもこのときだけは見抜くことができなかった────その清涼の下に巧妙に隠された、狂気に満ちた悪魔の姿を。
「終いだ。後悔なら、逝った後で好きなだけしな」
手の届く位置まで、無防備に距離を詰めようとするリョウを男はおとなしく待った。
もたれた胸壁で隠した腕、その手にはすでに男の切り札が握られている。
予備動作なしに唐突に突き出される男の腕をさすがと言うべきか、リョウは無警戒でもとっさの危険に反応した。
前進を止め、逆に飛び退く。
しかし男の突き出した短く奇怪な棒が、瞬く間に五十センチほどまでの長さに伸び、リョウの胸元へと届いた。
バチバチと音を立て、雷のような光を纏いながら────




