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それが俺たちだ (前)

 真冬の日没は早い。

 午後四時を過ぎたと思えば、あっという間に逢魔が時が訪れる。

 ここは人通りもなく、かと言っていつ賑わうのかもわからない工場地帯。

 厚い雲に覆われた空の下、今にも雪が降り出しそうな凍える寒さの中で、三人の少年少女が物陰から、ある廃墟を眺めていた。


「涼が中に入ってから、もう三十分くらいか……」

「一度、中に入っていったきり、誰も外に出てきませんね。こんなところで何をしているんでしょうか?」

「………………」

 その姿は、学校を出てからひそかに涼の後をつけていた恭太郎、美咲、茜の三人だった。

「で、どうする? 涼がまた厄介ごとに巻き込まれてるのは一目瞭然だぜ」

 恭太郎の発言は自分たちの目で見た確かな根拠からくるものだ。

 尾行中に偶然発見した、涼の後をつけていた不審な男の存在。

 そして涼の前に現れた、見覚えのある暴行犯と思わしき人物たち。

 かと思えば、そんな彼らにおとなしくついて行ってしまう涼。

 心配が杞憂であると証明するための尾行だったのだが、現実はあまりにも非情すぎた。

 夢にも思わなかった事態にどう対処することもできず、現状はただ涼が無事に帰還するのをおとなしく外で待っている状態だった。


「神谷君をこのまま放置しておくのも心配ですが、むやみやたらに動くのも危険です。できれば中の状況が少しでもわかればいいんですが」

「けどよ、いつまでもここで悠長にしてて、もしも涼の身に何かあったら……」

 恭太郎は、こうしている時間すら惜しいとも言いたげな口調で、焦りの様子がうかがえた。

 それが純粋に『神谷 涼』という親友を心配してのことだとは、美咲にも十分に理解できた。

 涼の安否を確かめたいという思いは恭太郎と同じだが、美咲はそれでもなお慎重さを優先する。

 どのような危険が待ち受けているかもわからず、逆に自分たちが危険に晒されては本末転倒。

 涼の心配もしてはいるが、今の恭太郎ほど深刻ではなかった。

 それはやはり、もう一人のリョウの存在とその強さを美咲がはっきりと認識できている点が大きい。

 さらにつけ加えるのならば、賢い涼がなんの考えもなしに暴行犯と疑いのある人間にむざむざとついて行くとも考えづらかったからだ。

 それでも一抹の不安がないわけでもなかったが……


「茜ちゃんは、どう思います?」

 議論の外にいた茜に意見を求める美咲。

 だが茜には美咲の声が聞こえていないのか、不安そうな表情を浮かべたまま、廃墟を見つめ続けていた。

 その表情の下でどのような想いを馳せているのか、美咲にはそこまで読み取れない。

 恭太郎のように涼を心配しているだけなのか、それともそれ以外の何かがあるのか……

 どのような理由にせよ、このままでは話が進まない。

 もう一度、美咲が強く茜の名前を呼ぶと、それに気づいた茜は何事もなかったかのように、

「ああ、ごめんなさい」

 と議論に加わった。


「これからどうしましょうか?」

 建物内に侵入しようという恭太郎とまだここで様子を見るべきという美咲に対し茜は……

「私も美咲の意見に賛成よ。恭太郎の気持ちもわかるけど……今は慎重に行動するべきだと思う」

 動くべきか待つべきか。

 二対一で、待つべきである、が多数派であった以上、恭太郎もこれ以上、無理に食い下がるようなことはしなかった。

 自分は良いとしても、横にいる二人は仮にも女性。

 よくよく考えてみずとも、その二人をわざわざ危険な目に遭わせるわけにもいかないかと、恭太郎は己を抑制した。


 そう決まったのならと、ずっと張りつめていた気を緩める恭太郎。

 新たな情報を得るまでは、ネガティブな憶測だけを重ねるのをやめようと空気が弛緩したときだった。

 示し合わせたかのように、何かに気づいた三人は廃墟の方に目を向けた。

「聞こえたか?」

「……はい」

 弛緩した直後に訪れたそれはあまりにも心臓に悪く……

 三人の背筋を凍らせるには十分すぎた。

「悲鳴……かしら?」

 山彦のようにはっきりとしないものではあったが、まるでホラー映画にでも出てくる断末魔を想起させられた。


 それが誰のものであったのかはわからないが、目の前の建物内部から聞こえたのは間違いない。

 まさか涼の身にも何かあったのでは、という胸騒ぎが心臓の鼓動を昂らせていく。

「……二人はどっかに隠れてろ」

 落ち着いたと思ったのもつかの間、今にも駆けだしそうな勢いで恭太郎は言った。

「どうするつもりですか?」

「やっぱり涼が心配だ。今のを聞いちまったら、ここでおとなしくなんてしてられない」

 美咲の静止も構わず恭太郎は門へと近づいていく。


「待ってください」

「止めても無駄だぜ。なんと言われようとも俺は行く」

「私も一緒に行きます」

「そんなのダメに決まってるだろ。お前らを危険とわかってる場所に行かせるわけにはいかねーよ」

「さっきと言ってること変わってますね」

「う、うるせー! とにかくダメなものはダメ。第一、ヘタに動くと危険だって言ったのはお前だろ」

「あんた一人で行かせる方がよっぽど危険よ。私も行くわ」

「西崎、お前まで……」

 何がどこで間違ってこうなってしまったのかと恭太郎は頭を抱える。

 ある意味、発端は恭太郎の行動であるともいえるのだが本人にその自覚はない。


「もしものときは頼りにしてますからね、菅君」

 そんなお世辞には乗るまいと恭太郎は振り向いたが、彼女たちの目に一切のためらいはなかった。

「あーもー、しょうがねー。バッと行ってバッと涼を連れて帰るぞ!」

 自分と同じように火が点いてしまっては、いくら来るなと言っても、聞く耳を持たれないだろう。

 もうなるようになれと半ばやけくそ気味に恭太郎は二人の同行を許可した。

 もしものときは自分が犠牲になってでも、なんて不吉なことを考えたくはない恭太郎だが、有事の際には男である自分が体を張らねばと腹を括っておく。


 幸い、門に鍵は掛かっておらず、手で押すだけで簡単に開いた。

 人影はなかったが、周辺には乱雑に止められたバイクが数台。

 微塵も緑を感じさせない正面玄関前を通り、壊れたまま開け放たれた玄関からひっそりと内部を覗き込んだ。

 当然のように人工の明かりはなく、外から入る自然の薄明かりだけが頼りとなる。

 長く伸びる廊下は暗く、先が見えない。

 閑散とした空気には、息苦しさを覚えさせられた。


「足元、気をつけろよ」

 囁くような声で、二人に注意を促し、ゆっくりと先陣を切った恭太郎が廃墟の中へ足を踏み入れる。

 その後に続く美咲と茜。

 無事に侵入することはできたものの、肝心の涼がどこにいるのかなど三人には皆目見当もつかない。

 とりあえずは勘を頼りに、三人で固まって内部を捜索することにした。

 ここは涼だけでなく、暴行犯グループの人間も少なからずいるであろう魔窟。

 そんな場所に足を踏み入れてしまった以上、危険とは常に隣り合わせだ。

 一瞬の油断が命取りとなる。

 それだけは避けねばと、息を殺し、足音を立てないようにして恭太郎たちは暗闇の迷宮を進みだした────






 リョウが宣戦布告をしてからほどなくして、互いのすべてを賭けた開戦の幕が上がった。

 銀髪の男も重い腰を上げ、総力戦に出ることにしたのだが、

「チッ、ここもはずれか。そっちはどうだ?」

「こっちもノーだ」

 あの電話以降、リョウは誰とも接触をせぬまま姿をくらませていた。

 内部に潜んでいるのは確実だという銀髪の男の予想のもと、男たちもリョウの捜索を余儀なくされた。

 ただし単独では危険があるということで、二人一組を原則として行動している。


「ほんとにまだこの中にいるのか。もうとっくに逃げ出しちまったんじゃ?」

「俺が知るかよ。とにかく探せと言われたんだ。ひととおり見て回るしかないだろ」

「あのガキ、見つけたらただじゃおかねぇ」

 ここでも二人の男たちが、愚痴をこぼし合いながら、内部の一角を捜索していた。

 二人の捜索方法はいたってシンプル。

 一つ一つの室を、端からしらみつぶしに見て回るだけだ。

 室に入り、隠れられそうな場所を確認し次の室へ、の繰り返し。

 あらかたの室を探し終えても収穫のなかった彼らは、新たに場所を移すことにした。

 次はどこを探すかと適当に雑談を交わしていたとき、小さな物音が彼らの耳に届いた。


「誰だ!?」

 男の一人が威嚇をすると、今度は足音を立てて誰かが走り去っていく。

 二人もすぐにその後を追いかけた。

 走り去った影はどうやら階段を使って、上階へと逃げたようだった。

 二人は逃げ去った者が獲物であると確信し、顔を見合わせてほくそ笑む。

 狩人にでもなった気分で、獲物を捕らえるために悠々とした足取りで階段を上っていく。

 しかし順調だった彼らの歩みは、踊り場を折り返した瞬間に止まってしまった。


「──────」

 ぞくり、と身の毛もよだつ悪寒に唐突に襲われたからだ。

 上を見上げても、そこには誰もいない。

 ならば、この悪寒の正体はいったいなんなのか。

 上から下りてくるのは、廊下から流れてくる空気だけ。

 だが彼らには、それが黒い猛毒か何かのように邪悪を纏ったものに感じられていた。

 足が上がらない。

 危険を察知した動物のように本能がこれ以上、上へと行くことを拒んでしまう。


 ──コン、コン。

 ──コン、コン。


 追い打ちをかけるように上階から壁を叩くような不可解な音が響いてきた。

 まるでここに居ると知らせているような異音は、男たちの恐怖心をより強く煽る。

 ただ階段を上っているだけなのに引き返してしまおうか、という気持ちさえ芽生えだす始末だ。

 しかし彼らは、この恐怖に飲み込まれることなく、逆に恐怖を飲み干した。

 たかだが子供一人に何を恐れることがあるのかと、理性を働かせ一段、一段、階段を上っていく。


 ──コン、コン。

 ──コン、コン。


 音を追いかけているうちに、二人はある室の前へとたどり着いた。

 いつの間にか音は鳴りやみ、二人を出迎えるかのように戸は開けっ放しにされている。

 室内に明かりと呼べるものはなく、薄暗い廊下からでは室内の様子を完全に把握することはできなかった。

「……行くぞ」

「おう……」

 恐る恐る、二人は室内へと踏み込む。

 ざっと見回すが、これといって人の気配は感じられない。

 どこかに隠れでもしているのか……?

 相手の出方がわからない以上、一瞬たりとも気を抜くことは許されない。

 視界の確保のため、男は手のジェスチャーで、相方に窓を開けるぞと知らせる。

 廊下からの自然光だけでは、とてもではないが探し物など不可能だ。

 明かりを得るために窓側へと近づこうとしたとき────バンッ、と入口の戸が勢いよく閉じられ、室内は夜よりも暗い闇へと包まれた。


「なんだ!?」

「取り乱すな。ここで焦れば、それこそガキの思うつぼだぞ」

 そう、この程度で焦る必要はない。

 視界が封じられているのはお互い様。

 逃げ道がなくなったのも同様。

 戦力に至っては、二人いるこちらの方が有利だ。

 突飛の事態に冷静さを欠いて、隙を突かれる方が面倒だと男は冷静に状況を分析していた。


「気をつけろよ。闇に紛れて襲ってくるかもしれない」

 あれだけ手間をかけてこの場におびき寄せた結果が、ただ閉じ込めて終わり、などとは到底思えない。

 必ずや何かを仕掛けてくるはずだと二人はその場で背中合わせに臨戦態勢をとった。

「どこからでも、来やがれ」

 張りつめた声のつぶやき。

 いかなる奇襲にも対処してみせるといわんばかりだ。

 鼻で息を深く吸い込み、口からゆっくりと吐き出す。

 緊張に身を固める時間が続いた。


 約二分ほどが経過したが、静寂に変化はない。

 たかが二分。

 されど、やるかやられるかの極限の中にいる彼らには、とてつもなく長い時間に感じられた。

 功を焦り、愚行を犯した者が敗北するであろう後手必殺の状況。

 それは早く気を休めたいという自分との戦いでもあった。


 ──コン、コン。


 長く続くと思われた膠着はあまりにもあっけない結末で破られた。

 室の奥から鳴り響いた壁をこずいたような例の音。

 ついにこの緊張に耐えられなくなったか────

 強張らせていた表情を緩め、男は音のした方へと近づいていくが、その先で男は何かにつまづいた。

 足先には小さな弾力を感じ、小突く程度では動かないほどにそれは大きい。

 廃墟となって長い年月が経過しているこの建物には、椅子や机、棚やロッカーなど、さまざまなものが運び出されぬままに置き捨てられているが、男の記憶には該当するものがなかった。

 その正体がわかったのは、実際に手で触れたてみたとき。

 男の足元に転がっていたのは────人間だった。

 衣服の下に感じる肉の感触もマネキンなどではないことを裏づける。

 

 男が目を凝らし、慎重に顔を覗き込んでみると、

「ひっ──!?」

 心臓が止まりかけるほどの驚きに、男はその風貌に似つかわしくない声を上げた。

 腰をかがめ、覗き込んだ顔は見るも無残な状態で、血に赤く染まっていたのだ。

 そしてそれが、電話越しに助けを叫んでいた仲間の一人だと気づくのに時間はかからなかった。

 声をかけてみても、返事は期待できそうにない。


 ふいに男は、いま自分が何をしている最中だったのかを思い出し、倒れている仲間を放置し立ち上がった。

 その瞬間────ドンッ、と壁にぶつかる力強い音が、室を揺らした。

「なんだ、今の音は!? おい、何があった?」

 振り返り、背後にいるであろう相方に確認を取るが返答がない。

「こんなときに、ふざけてるんじゃねーぞ。返事くらいしろ」

 まるで最初から誰もいなかったのかのように男の声だけが闇に消えていく。

「……そこにいるんだろ、聞こえてんのか?」

 何度、呼びかけても一向に返事が返ってくる気配はなかった。

「なんだ……どうなってんだ、いったい……ッ」

 理解の追いつかぬ状況に苛立ちを募らせる男。

 そんな男の後ろ髪をさわり、と何かが撫でた。

 男はぞっとする感覚に背筋を伸ばし、反射的に腕を薙ぎ払うが、腕は空を切るだけで、触れるものは何もない。


 ──コン、コン。


 また、あの音が聞こえだす。

 音に釣られるように振り向くと、石のように小さく固いものが男の顔に投げつけられた。

「痛ッ! チ、チクショウが……!」

 大した怪我ではないが、皮膚が擦り剥け、額に血が滲む。


 ──コン、コン。

 ──コン、コン。

 ──コン、コン。


 まるで男を呼んでいるような、誘いの音。

 心なしか音は次第に男へと近づいてくるようだった。

「ッ……どこだ、どこにいるっ!?」

 

 ──コン、コン。

 ──コン、コン。


 次は何が来る?

 見えない恐怖に、思わず体がすくむ。

「いつまでも隠れていないで、出てこいっ!」

 押しつぶされそうなほどの怖れに抗い、男は声を張り上げた。

 俺はここにいる、出てこい卑怯者、と。


 その癇癪を起こした幼子のようにふためく男の姿は、見ているものを存分に愉しませた。

 男の声に出向く気になったのか、はたまた笑劇の幕を下ろすためか、纏った闇を脱ぎ捨て、その姿を晒す。


 ──コン、コン。

 ──コン、コン。

 ──コン……………………


「──────」

 再び男を襲った、身の毛もよだつ悪寒。

 男は今になって、階段を上らずに引き返していればよかったと深く後悔した。

 すでに男の背後には────

「ようこそ地獄の一丁目へ。二名様ご案内だぁ」

 ────魔的な笑みを浮かべた少年が一人、立っていた。






「くそっ、繋がらねぇ」

「こっちもだ」

 携帯を耳から離しながら、二人の男がぼやいた。

 新たに二人、仲間との連絡が途絶えてしまったのだ。

 実力を知っているだけに想像に難いが、おそらくは今までと同様、敵の餌食になってしまったのだろう。

 これで十三人のメンバーの内、五人が脱落。

 こちら側の残りは八人となる。

「そろそろ本腰を入れないとやばいな。どうやらあのガキ、思いのほか曲者のようだ」

 さすがにこうまでやられ放題では、いかにただの学生といえども、侮るわけにはいかなくなった。

「やり方さえ選ばなけりゃ、まだどうとでもできんだろ。生かしてさえいればいいって条件なんだからよ」

 しかし彼らも相応の実力者の集まりだ。

 このまま、おめおめと引き下がるわけにはいかない。

 何より、あきらめるなんて選択肢は元よりなく、あの銀髪のリーダーがそんなことを認めてくれるはずもなかったが。


「で、他の奴らの状況は?」

「いま連絡を入れる。まあ集まったとして、せいぜい二人だろうな。残りの奴らは俺たちの言うことなんて聞きもしないだろうさ」

 一応は仲間という名目で集められてはいるが、彼らは全員、銀髪の男に従っているだけだ。

 銀髪の男によって寄せ集められた彼らに信頼や友情なんて綺麗がかったものはなく、利害の一致、命令遂行の為に一種の協力関係を結んでいるに過ぎなかった。 

「四人いれば十分だ。見つけ次第、囲って叩いて、それで終わる」

 比較的、物わかりの良い人間もいるが、曲者の集まりゆえに腹に一物を抱えた利己的な人間も存在する。

 彼ら全員の足並みが揃うことなど未来永劫ありはしないだろう。


 歩きながら会話をする男たちが、ある室の前を通り過ぎたあと、そこの戸がそっと開いた。

 戸の隙間から覗き出た目が、彼らが遠くへ歩き去ったのを確認する。

「行ったみたいよ」

「ふー、あぶねーあぶねー。どうにか見つからずにすんだか」

 安堵の息を漏らし、恭太郎が床に尻をついた。

「それにしても、今の会話……状況は穏やかではないようですね」

「ガキ……あいつらも涼を探しているってこと?」

「ってことは、涼はあいつらに捕まっているわけじゃないのか?」

 やっとの思いで手に入れた数少ない情報だが、謎は深まるばかりだ。

「これだけでは、まださっぱりわかりませんね。とりあえず、いち早く神谷君と合流できればいいんですが」

「ここにいても始まらねーな。さっさと涼探しを再開しようぜ」


 手慣れた泥棒のように、音もなく慎重に室を出た三人は、友という宝を見つけ出すために奮闘する。

 あれ以来、誰かと出会うような危険もなかったが、何か進展があるわけでもなかった。

 そんな折、ふと差しかかった廊下で周囲を誰よりも注意深く観察していた美咲が何かを発見し、声を出した。

「ちょっと待ってください」

 しゃがみ込み、床の上を凝視する。

「どうしたの、何かあった?」

「これって、血の跡じゃないでしょうか」

 美咲は床に付着していたものを指してそう言った。

 時間が経っているせいか赤黒く変色し、薄暗いため非常に見えづらいが、その跡は廊下の先まで点々と痕跡を残していた。

「だ、誰かが絵具でもこぼしたんだろ……たぶん」

 また嫌な発見に、恭太郎はそんな冗談でも言わなければやっていられない気分になる。


 嫌でも見つけてしまったものは仕方がない。

 好奇心も働き、この正体を確かめるために三人は点々とした跡を辿った。

「この中まで続いているようですね」

 この痕跡を残した人間は、廊下から目の前の室に入っていったようだ。

 三人は恐々と開けっ放しになっている戸から室内を覗き、目を凝らす。

「殺人事件なんてマジで勘弁だ……ぜ…………」

 そこに在ったモノを見て、恭太郎は言葉を失ったように一歩、後ずさった。

 茜は一瞬で顔を青白くさせ、美咲はのど元までせり上がった声を呑みこむように口元を押さえる。


 室内はまるで殺人現場そのものだった。

 死体のように転がるそれらは、その身を自らの血で赤く染めた三人の男。

「な、なあ……こ、ここ、これって……し、し、死んでる……のか?」

 震える恭太郎の言葉。

 つい反射的に彼は二人に尋ねてしまった。

 何も答えぬまま、顔を強張らせた美咲は、一人で手前に転がる男へと近づくと口元に手を差し出す。

「……いちおう呼吸はしています。おそらく三人とも意識を失っているだけかと……」

 いったい、美咲のどこにそんな度胸があるのだろうか。

 彼女の大胆な行動は時に周りの者を驚かせた。


「? 茜ちゃん、大丈夫ですか?」

 美咲の心配の声に茜は、ええ、と頷く。

「大丈夫ってお前、顔色すごく悪いぞ」

 蒼白の顔面に滲む汗、乱れた呼吸。

 大丈夫だと言われても、他人からはとてもそうには見えない。

「どこか具合でも……」

「本当に大丈夫よ。少し嫌なことを思い出しただけだから……すぐに治まるわ」

「ま、まあ……こんな光景を見たら、誰だって平然としてられないよな……」

 男の恭太郎も吐き気を覚える程度にはショッキングな光景だったようだ。


「でも、誰がこんな──」

ことを、と恭太郎がぼやきかけたとき、

「──きゃっ!」

 美咲が小さな悲鳴を上げた。

 美咲の足首を倒れていた男が、なんの前触れもなく掴んだからだ。


「あ、悪魔だ……! 殺される! あいつに殺されちまうぅ……!!」

 自分の怪我もお構いなしに、顔を上げた男は美咲たちに向かってそう叫ぶ。

 目覚めた男はどうやら精神に異常をきたしている様子だった。

「お、おいっ、津山から手を離せ!」

 恭太郎の声も男にはまるで届かない。

「悪魔だ! 悪魔が来る!!」

 男は錯乱したように、記憶の中に巣食った悪魔と呼ぶ何かに怯え続け、悶え狂う。

 そのいかんともしがたい姿は、憐れみをとおり越し狂気さえ感じさせた。

 男は自らの両手で自分を抱きながら、

「く、来るな……嫌だ。俺はまだ、死にたくない────あああああぁぁっ!!」

 幻覚と恐怖に飲み込まれ、絶望の底に沈んでいった。


 誰に何をされれば、ここまで精神が破綻してしまうのか、恭太郎たちには想像もつかない。

 ただただ驚愕とショックに言葉を失う二人と、苦悶に顔を歪め、唇を噛む茜。

 しかし彼女たちにここで心を癒す猶予など与えられなかった。

「誰だぁ、そこにいる奴はよ!!」

 通路の闇に人影が浮かぶ。

 小さな影は徐々に大きくなり、こちらに向かってきていた。

「やべっ、見つかった────二人とも走れっ、逃げるぞ!」

 恭太郎が合図を出し、一目散に三人はその場から走り出す。

「っ!? 逃がすかよ、待ちやがれ!!」

 待てと言われて待つわけがない。

 三人は大切な友に出会うためになんとしてもこの場を切り抜けなければいけなかったのだから。

 たとえその先にどんな結末が待っていようとも────

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