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俺はお前だ

 ────……ここは……どこだ?


 それが、目を覚ました俺が最初に思ったことだった。

「っ……俺は…………?」

 頭にずんとした重みを感じる。

 長い眠りに就いていたことは覚えているが、それ以前の記憶が混濁していた。

「神谷……涼……」

 自然と頭に浮かんだ単語。

 すぐにそれが俺の名前であることを思い出す。


 それにしても、いつ以来の感覚だろうか?

 瞬き、呼吸、見る、聞く、話す、動く。

 久しぶり過ぎて一つ一つの動作が新鮮に感じられた。

 寝ているのか起きているのか、座っているのか立っているのか、今の自分がどんな状況になっているのかさえ把握できていない。

 体の感覚に神経を集中させてみる。

 足の裏には何も感じないが、その代わりに頭と体の背面に柔らかな感触があった。

 どうやら俺は今、何かの上に横たわっているようだ。


 起き上がれ、と身体に命令を下す。

 脳みそから命令が発せられ、ほどなくして体は俺の意思どおりに動き始めた。

 上体を起こしたとき、俺は真っ白なベッドの上にいたのだと理解した。

 ずいぶんと長い眠りに就いていたせいだろう。

 錆びついたロボットのように体の動きがぎこちない。

 ずっと使われていなかった両目も未だに焦点が定まらずボヤけていた。


「……痛ッ!?」

 体の感覚を取り戻してきたのと同時に頭の奥に鈍い痛みがガンガン響いていることに気づく。

 ったく、最悪の寝覚めだ……

 ボヤけていた視界が徐々に鮮明になっていく。

 電灯のついていない部屋は薄暗くもあったが、窓の外から入ってくる外の明かりは、寝起きの俺にはほどよい明るさだった。


「……にしても、ここはどこだ?」

 ここが俺の家ではないということだけは、おそらく確かだろう。

 俺が寝ているあいだに引っ越していなければの話だが。

 辺りをひととおり見回す。

 白一色に彩られた室内、ほのかに鼻をつく匂い、そしてなぜだか俺の腕から伸びている謎の管。

 これから導き出されるものはなんだ?

 俺が眠っていたあいだに蓄積されていった知識という名の引き出しを漁る。

 俺自身の中に答えはないが、俺に代わり活動していた”もう一人の俺”ならばきっと知っているはずだ。

 ほどなくして俺は答えを得た。

 ここは、病院だ。

 そしてこの匂いは薬品の香り、腕に施されているのは点滴というものらしい。

 そういえば、昔も一度、病院で過ごしていたような覚えがあった。

 まあ、今はどうでもいいことだ。

 それよりも問題は、なぜ俺がこんな場所にいるのかだ。

 そして、このタイミングで俺が目覚め、表に出ているのも気になる。

「身体の主導権は、おそらくアイツに移っているはずだが……」


 仕方なく、一度状況を整理することにした。

 まずは年代と日付の確認だ。

 長いあいだ眠っていたせいで、体内時計などというものはとうに狂っていた。

 ベッドから降りようと床に足を置く。

 置いたはいいが、両脚はガクガクと震え、膝にうまく力が入らない。

「チッ……こりゃ相当重症だな」

 おぼつかない足取りで、部屋を歩き回ってみるとちょうど近くの台の上にカレンダーを見つけた。

 確認したところ俺が眠りに就いてから、すでに十年以上が経過していたようだ。

「なるほど、どうりで身体もデカくなってるわけだ。……ん?」

 すぐ横にあった花瓶。

 そこに飾られていた黄色い花に自然と視線が吸い寄せられた。

 たしか、この花はヒマワリという名前だった気がする。

 なぜだかはわからないが、俺はその花にどこか懐かしさを覚えた。


「…………」

 花から目を離し、ベッドに座り直した俺は目をつむり、自分の内部に意識を集中させた。

 体の中に自分の意識が溶け込んでいく感覚。

 意識の辿り着いた先は、ただただ無限に黒が広がる世界。

 飾り気も遊び気もない、ひどく殺風景な場所だ。

 俺はある探し物をするために、そんな黒い自分の中の世界を歩いた。


 この体には、俺以外にももう一つの人格が存在している。

 どうして二人いるのかは定かではないが、二人いるのだからしょうがない。

 この世界は主に、俺とアイツの待機場所として機能していた。

 片方が表に出ているときは、もう片方がここで待つ。

 もともと俺はアイツを表に出させ、ここで眠りに就いていたはずだが、どういうわけだか俺とアイツは入れ替わっていた。

 ともすれば、俺の代わりにアイツがここに居るはずだ。


 俺は目的であったもう一人の俺を見つけ、足を止めた。

 ソイツは眠るようにそこに横たわっている。

 しかし、こうして自分とまったく同じ顔の奴が目の前にいるというものは、理屈ではわかっていても気味の悪いものだ。

 コイツは俺が来たのもお構いなしで、死んだように目を閉じたまま動かない。

 だが、今はその方が都合がいい。

「さて、早いうちに済ませておくか」

 寝ているコイツの頭に手を置き、俺が寝ているあいだに何があったのか、コイツの記憶を覗き見させてもらうことにする。

 起きているのなら話は別だが、こうして意識を失っている状態ならば、もう一人の自分の記憶を覗くことなど容易い。

「なるほど、交通事故か。……マヌケが、ヘタこきやがって。どうりで寝覚めが悪いわけだぜ」

 交通事故の影響で、コイツは昏睡状態とかいうものに陥っているようで、俺が表に出ていたことにも合点がいった。


「ざっとだが、俺が寝ているあいだの記憶の補完もできたな」

 正直どうなっているかと不安な部分もあったが、俺の想像以上にコイツは無難に日常を過ごせていたようだ。

 当の俺の記憶も、まだ漠然としている部分があるが、それに関しては俺の頭の中がまだ覚醒しきっていないというだけで、時間が経てば自然と思い出すだろう。

「………………」

 今すぐにコイツを起こしてやることも俺ならば可能だが、まだそれはしない。

 その前に俺には確認しておかなければならないことがあったはずだから。

 それが、俺がわざわざ体をコイツに渡してまで、眠りに就いた理由。

 だが問題なのは、俺が何を確認しなければならないのか、それそのものが思い出せないことだった。

 ここで悩んでいても埒が明かなかったので、俺は体のリハビリがてら、病室を抜け出して外に出てみることにした。


 ひと気の少ない夜空の下をあてもなく歩き回る。

 雨でも降っていたのか、外には至る所に水たまりがあった。

 次第に体も人としての機能を回復させ、調子を取り戻しつつあるが、いかんせん体力の方はだいぶ落ちているらしい。

 少し歩いただけでも足取りが重くなってきたのを感じ、俺は近くに見つけた公園のベンチで小休憩をとることにした。

 難儀な話だが、どうやら体を本調子に戻すためには、もうしばらくは時間がかかりそうだ。

 自分の身体の不調を嘆き、俺はおとなしく時が過ぎるのを待った。


「なあ、いいだろぅ?」

「もう……ダメですよ、部長ってばぁ」

 ふと、近くから誰かの話し声が聞こえる。

 どうやらここには俺よりも先に先客がいたようだ。

 暗闇に紛れて見落としていたが、ここから少し離れた場所にある向かいのベンチにも二つの人影を見つける。


「いい加減帰りましょう。他のみんなはもうとっくに帰っちゃいましたよ」

「ええじゃないか。もう少しくらいつき合ってくれたまへ……んぐんぐ」

「まだお酒飲んでるんですか……ほんとに一人で帰れなくなっちゃいますよ」

「だいじょーぶ、だいじょーぶ。僕はまだじぇんじぇん酔ってまへんから……さあもう一軒行きましょー!」


 そんな男と女のくだらないやり取りは、嫌でも俺の耳に入ってきた。

 ただのアホかと俺はそいつらを冷めた目で一瞥すると、しばし目を伏せ、体力の回復につとめる。

 目を閉じている分、耳が冴えてしまっているのか、一つの足音がこちらに近づいてくる音を俺は聞き逃さなかった。


「あれぇー。ボク、こんなところでなにをしてるのかなぁ?」

 内心で舌を打ちながら顔を上げると、そこには先ほどまで向こうのベンチにいた男が俺の顔を覗き込むように立っていた。

 遠目ではわからなかったが、顔をトマトのように赤くし、嫌悪感を覚える不快な匂いを体中から放っている。

 この男と俺は初対面のはずだが、なぜだか、俺の記憶が刺激されているような気がした。

「ダメだよぉ……子供は家でおねんねの時間だろぉ……」

 そう言うと男は俺の隣に座り、肩に手をまわしてくる。

「ボクもこれ飲んでみるかぃ? うまいぞー」

 俺に見せるつけるように男は持っていた瓶を口元へと運ぶ。

「ぷはぁー……げふぅ」

「もう、部長~、突然いなくなったと思ったらこんなところで何してるんですか!? あなたもごめんなさいね。ほら、早く帰りますよ。タクシー拾いますから」


 まったくもって耳障りだ。

 そう思いながら、俺は無言で立ち上がった。

「どこに行くんだぁ? チミも一緒に……」

 俺を捕まえようと立ち上がり、伸ばされた男の腕を軽く払う。

 それでバランスを崩したのか、フラフラとした足取りの男はよろけた末にベンチに頭を打ちつけた。

 すると男は顔をさらに赤くさせ、再び立ち上がる。

「お、おい、小僧!! てめぇ何してくへんだよぉ……俺を誰だと思ってんだぁ!?」

「ぶ、部長……」

「うるへい! なあ小僧、悪いことしたらごめんなさいだろぉ……?」

「顔を近づけるな。くせぇんだよ」

「なんだと!? そんな……そんななまいひなことを言う悪い子にはお仕置きだぁ!!」

 叫ぶが先か、男は腕を振りかぶり手に持っていた瓶を俺に向かって振り下ろす。

 だが、いくら体が鈍っているとはいえ、そんな遅すぎる一撃を避けることは俺には造作もなかった。

 俺に当ることもなく、男の手からすっぽ抜けた瓶は地面に叩きつけられ、大きな音を立てて砕け散る。


「────?」

 直後、ズキンッ、と俺の頭の中を小さな痛みがほとばしった。

 今の音にまた俺の記憶が刺激される。

 なんだ……俺は、何を思い出そうとしている……?

 顔に手をあて、霞んだ記憶の先にあるものを鮮明にしていく。


「おいおい、俺の酒が全部こぼれちゃったじゃねーかー!?」

 そうだ……この不快な匂い。

 これは、酒だ。

 いつもいつも、家の中で嫌と言うほど嗅いだものと同じ。

 あの瓶の割れる音も……


"…………くく……さようなら────"


 ……同じだ……あのときと。

「……思い出してきたぜ」

 俺が何者なのか……

 俺がなぜ眠りに就いたのか……

 そして俺が憎んでやまないあの男の忌々しい姿さえも……


「おひコゾー……あまり大人をなめるなよー!!」

 あの男もそうだった。

 酒に酔って、飲まれて……時に何を怒鳴り散らしているのか、わからないことがあった。


「……………………」

 ふいにカチリ、と俺の中で何かのスイッチが入ったような気がした。

 暗い部屋に電気が灯るように、俺が俺としてのあるべき姿を取り戻していく。

 どこか懐かしさすら覚える感覚。

 体の内から溢れ出てくるようなドス黒い何かが俺の中に満たされたとき、

「──汚い手で、俺に触るな」

 俺の体は自然と動き出していた────




「あ……あぁ……い……でぇ……」

 掴んでいた男の襟元から手を離すと、顔中から赤い液体を垂れ流している男は糸が切れたようにパタリと倒れた。

 ふと横を見ると、事のすべてを見ていたであろう女が、ひどく顔を青ざめさせながらガクガクと震えている。

 ああ、と俺は心中を察する。

 この男の今の有様は、女には少々刺激が強すぎたようだ。

 俺が女に向きを改めると、

「ひゃっ!!」

 女は弾けるように体をビクつかせ、ヘタリと力なく座り込んだ。

 向き合っただけでこれとは、どこまで臆病なんだか。

「あ……あああ……お、お願い……命だけは……」

 何を寝ぼけたことを言っている?

 この俺が人殺しにでも見えているのか?

 俺はただ、この男から自分の身を守っただけだというのに。

 しかし……この脅えようはなんだ?

 女の不可解な脅えように俺は少しばかり頭を悩ませる。


「いや────こ、来ないで!!」

「っ……」

 女は言葉にならぬ奇声を発しながら、腰をぬかしたまま地面を這うように俺の前から逃げ出そうとしていた。

 俺は訳もわからぬまま、無造作に足を前に踏み出す。

 すると、ポチャンッ、と水たまりを踏んだ音が聞こえた。

 俺は釣られるように、足元に目を向ける。

 そこに映ったものを見て、俺は驚愕し、凍りついた。

 月明かりに照らされながら、水たまりに映っていた自分の表情を見て……

 自分では気づかなかったが、そこに映った俺は──


 ──嗤っていた。


 返り血で頬を汚しながらも、それはそれは愉しそうに、口元を歪めながら。

 これが……俺……?

 酷く醜悪に染まった自分の顔に、俺は唖然とすることしかできなかった。

 なんだ、この顔は……これではまるで……

 俺が……暴力を愉しんでいるようじゃないか……

 ──あの男のように。


”やめて……”


「ッ……!? 違う……俺は……」

 なぜだか俺は、死に物狂いで逃げる女にすがるように腕を伸ばした。

 女には届くはずもなく、空を掴むばかりの俺の手。

 握った手のひらを開いても、そこには何もない。

 背後に倒れている男の姿を視界に捉えながら俺は一つのことを考える。


 さっきの俺は何を感じていた?

 どんな気持ちであの男を殴り続けていた?


 答えは……

 何も感じてなどいなかった。

 向こうが俺に手を出してきたから、俺は当然と応戦した。

 相手が動けなくなるまで、一方的に……完膚なきまでに。

 そこには一片の慈悲などあるわけもない。

 それを実行していた俺の顔はあんなに愉しそうに嗤っていたのだから。

 俺は、また同じ過ちを繰り返した。

 そう──


 ──俺は何一つとして変わることができなかったのだ。


「………………」

 不思議と俺は冷静だった。

 それは俺が心のどこかでこうなることがわかっていたからかもしれない。

 記憶ではない。

 たとえ体の傷がいえようとも、俺の受けた痛みは……俺の中に刻まれた痛みは、永遠に消えることなんてないのだから。


 すべてを受け入れてさえしまえば、楽になれるのだろう。

 すべてをあきらめてさえしまえば、苦しむこともないのだろう。

「…………受け入れられるものか」

 声を絞り出し、俺は現実を否定した。


 そうだ、これしきの事であきらめてたまるかよ。

 でなけりゃ、俺は何のために生き残ることを選んだ?

 何のために……

「クソが……」

 まだ、やり直しは効くはずだ。

 どうにかして────

「────痛ッ!?」

 瞬間、なんの前触れもなく、鋭い痛みが俺の頭の中を駆け抜けた。

 同時に何かが脳裏に映像として浮かび上がってくる。


”神谷、今回のテストもよく頑張ったな。お前には期待しているぞ────”


「なんだ……これは……?」


”おかえり、涼”

”あら早かったのね。今日の夕飯は涼君の大好きなハンバーグよ────”


 俺の記憶ではない。

 誰かが見聞きし、体験した光景を同じ視点で見せられている。

 そこには俺の知る人間もいれば、俺の知らない人間もいた。

「これはアイツの記憶か……」

 先ほど覗き見たもう一人の俺の記憶。

 おそらくこれは、その一部が流れ込んできたものだろう。

 アイツが日常的に見ている、アイツを取り巻く記憶の数々。


”涼、今日はこれで勝負だ!────”


「……違う」


”まったく、あんたは昔っから根性なしねぇ。まあ、でも………………え? な、なんでもないわよ!!────”


「……ソイツじゃない」

 ソイツじゃないんだ!


”ほら、早く行きましょ。みんなが待ってるわよ、涼────”


 やめろっ!

 黙れっ、黙れっ、黙れっ────ッ!


「──神谷涼はこの俺だぁ!!」


 夜空に空しく俺の声が響いた。

 唐突に突きつけられた現実は俺には直視することもはばかられる程に耐えがたいものだった。

 俺はこの十数年間のうちに自分の居場所すらも失っていたのだ。

「はぁ、はぁ……なんでだ……なんでお前なんだ? なんで俺じゃない!?」

 俺の代役として舞台に立っていたはずのアイツは、いつの間にか俺に成り代わり、その役を演じ切っていた。

 俺なんかよりも完璧に、俺の理想どおりに……アイツはこの世界で『神谷 涼』としての存在を確立させていたのだ。

 そしてアイツが代役だと知っているのは、この世界には俺しかいない。

「なら……俺はなんだ? 俺は誰だ? どうして俺はここにいるっ!?」

 いくら問おうが、いくら叫ぼうが、いくら蔑もうが、無駄なのは俺自身が一番理解していた。


 悲しい……なんて気持ちは微塵もわいてこない。

 今の俺にはそんなことを感じることすらできないのだ。

 そんな余計な感情は、とうの昔に捨て去った。

 でなければ今、こうして生きていることさできなかったから。

 しかし、どのみち俺には……もう、帰る場所はなかった。

 

「ぐぅ……」

 なんで俺だけがこんな思いをしなきゃならない。

 どうして同じ『神谷 涼』なのに、俺とお前でこんなにも違うんだ?

 なぜ、お前はそんなに楽しそうに笑っている?

 どうして、お前は仲間に囲まれている?

 すべてを失った俺と、すべてを得たアイツ。

 そうできるように、そうなるように、アイツの記憶をいじったのは俺だ。

 それを理解していてもなお、俺はアイツに対して負の感情を抱いてしまう。

 嫉妬……憎しみ……

 俺は自分自身に対してまでも、そんな感情しか抱けない。

 まるで道化だ。

 このまま俺が俺として生き続けたとしても、俺の居場所なんてどこにもないというのに。

 だが依然として、俺の生に対する執着は消えることはなかった。


 見上げた夜空に浮かぶ月は悠然と美しく輝いている。

 いくら欲し、手を伸ばそうとも届かぬ存在。

 しかし表で光る月の輝きは、裏で燃える太陽の光あってこそ。

 夜の世界に太陽は存在できずとも、月を利用すれば己の光を少なからず投影することができる。

「はっ……」

 まさしく今の俺にピッタリじゃねぇか。


 このとき俺は決断し、受け入れた。

 すべてをアイツに託すと。

 俺という存在をアイツにすると。

 アイツこそが生まれながらの『神谷 涼』なのだと。

 『神谷 涼』とは、俺じゃなくお前なのだ。

 お前が俺なんじゃない。

 いわば、俺はお前のなり損ないだ。

 そうだ、オレハ──


 空は暗雲に包まれ、俺の行く道を照らすように雷鳴を轟かせる。

「くく……くくく……っ!!」

 そして、こんな俺を祝福するかのように雨が降りだした。


「──あははははっ! はっはははははっ!! あっはっはっはっはっは!!」


 なんて愉快だろうか。

 いくら堪えようとしても、堪えることができない。

 ただ俺自身があまりにも愚かで滑稽で、おかしくて、可笑しくて、オカシクテ……おかしすぎて……

 狂ったように笑いが込み上げてきた。

 俺にはもう守るべき尊厳なんてものはない。

 手段なんてどうでもいい。

 どんなに醜かろうが、誰が傷つこうが、俺には関係のないことだ。

 俺に残された力とアイツを利用して、俺は俺の望むものを手に入れて見せる。


「いいだろう、お前にはこの体をくれてやる。だが……代わりにお前の人生をもらうぞ。くく……ふははははっ!!」


 だが、これだけじゃまだ足りない。

 俺の全てを狂わせたあの男……

「……貴様だけは、必ず俺の手で復讐してやる」

 神谷涼だが神谷涼ではない、ひどく不確かな俺の存在。

 俺は俺の中に渦巻く怒りと憎しみの矛先をすべてあの男に向けることで、自分自身の存在意義を確立させたのだった────




『──おい……おい、聞こえてんだろ』

『誰……僕を呼んでるの?』

『そうだ。俺はお前を呼んでるんだ』

『君は、誰?』


『俺は「お前」だ────』

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